第十四話 虚構
「……人の住んでいた形跡?」
ミリカの言葉に、優奈が疑問符を添えて繰り返す。
「はい。『建物以外、人の形跡はなかった』という書き込みが――」
「――は?おかしくない?だって、……なんか忘れ物みたいなの、いっぱいあったじゃん!植木鉢とか、壊れた傘とか見かけたよね?!……マチダも見たでしょ!?」
優奈はそう言って、俺の肩を揺らす。
「ああ、確かに見た。でも……ここもそうだが、……室内が異様に綺麗なんだよ」
「は?……それが、どうしたの?清掃業者とか入ったんじゃないの?」
なんて伝えればいいのだろうか。
俺は新しいタバコに火をつけ、考え込む。
なにか、ずっと違和感を覚えているのだが、それをうまく言語化できない。
それが、とてももどかしい。
「もし……人が住んでいないなら、都市伝説とかって生まれないと思うんですよ」
ミリカの言葉に、俺は思わず指を鳴らす。
「そう!そうなんだよ!」
「……うるさっ」
優奈の不満げな顔を無視して話を続ける。
「都市伝説ってのは普通、人の噂が肥大化したもんだろ?でもここに人がいなかったのなら――」
「――マチダ、落ち着いて、なにを興奮してんの?」
――恥ずかしい。
身振り手振りまでしてしまったことを後悔する。
「……すまん。上手く説明できなかったことを、彼女が的確に表現したことでテンション上がって……」
「とりあえず、キモいから落ち着いてよ」
優奈は、台所に置いた俺のタバコを勝手に取り出し、火をつける。
「なんとなく2人の言い分はわかるけど、じゃああの『忘れ物』はなんなの?」
「そうなんです。私もそれに似たものを見かけました。……えっと、ここって私たちの入ってきた場所から見てどちらの建物ですか?」
左だよ。と、伝えるとミリカは「じゃあ、私たちがいたところと反対ですね」と答えた。
「向こうも同じような感じだったのか?」
「はい。廊下には壁掛けの鉢植えや、靴棚みたいなものが落ちてました。でも、部屋の中はどこも空っぽで……」
「こっちと同じみたいだな。……これを見てくれ」
俺は換気扇を指差し、優奈とミリカは覗き込む。
「ん?……これがなに?」
「えっと、ずいぶん綺麗ですね」
素直な感想だが、それは俺の望んだものじゃない。
「油汚れって、ここまで完璧に落とし切れるもんなのか?つーかそもそも、もしここに人が住んでいたとして、何かあって引っ越して行ったのなら、ここまで新品同様なのはおかしいだろ?」
優奈は目を丸くしてコチラを見る。
「……だから、今ここに人がいないってことは、『元々いた人』は追い出されたんだろ?」
「うん、そうなるね」
「そういう時って大抵は、老朽化なんかで『取り壊し』とかが理由になるだろ?」
この建物は、外観も内装も現代的なそれとは違う。
詳しいことは分からないが、平成よりもずっと前に建てられた、と俺は考えている。
「……ああ、そっか。確かに、それならわざわざ新品みたいに綺麗にする必要ないもんね」
立つ鳥跡を濁さずなんて言うが、それにしても限度があるだろう。
「だから、『最初から住んでいない』って話になるんですね」
「そういうことだ。つまり、誰も住んだ事のない建物。そこに『ネットの都市伝説』が乗った。それがここなんじゃないか?って、俺は考えてる」
ミリカは多分、似たようなことを考えていたのだろう。ゆっくり咀嚼するように頷く。
だが、優奈はまだ納得しきっていない様子。
「……誰もいないのに『噂が立つ』なんてよくある事じゃん?富士の樹海とかさ。私、結構田舎の出身なんだけど……近所にそんな感じの場所あったよ?」
そういえば優奈は、東北の出と言ってた。
たしかに、あまり人のいない地域を出して都市伝説やら『奇譚』なんかを描くのは、ホラーの定番の形だ。
残念ながら、それに関する答えを俺は持っていない。
「……ちょっと、創作寄りの話になっちゃうんですけど。……こういう時ってだいたい、なんらかの『トリガー』になる出来事があると思うんですよ」
ミリカは顎先に指を添え、なにやら思案するように部屋の中を歩き回る。
「『鍵』って言ってもいいかもしれない『出来事』が起きて、その影響で現実に作用するようになる。みたいなのってゲームとかだとありがちじゃないですか?例えば、祠を壊すとか……、入っちゃいけない場所に入るとか……」
「ああ、そういうのか。たしかに定番だな。思念とか恨みとか、そういうものが溜まって、なんらかの事件を機に――」
ミリカが、こちらを見て固まってる。
「………………」
口だけを、不恰好にパクパクと動かして――。
「……それ」
と、優奈が声に出した瞬間――。
『ガリガリガリガリガリッッッ!!!!』
金属を、硬い何かで無理やり削るような不快な音が鳴り響く。
「ひっ、」「なっ!?」
俺は音のする方へ振り返る。
するとそこには、換気のために開けた小窓から巨大な《眼》がこちらを覗き込んでいた。
ライトの当たらない、真っ暗な中に浮かび上がる真っ赤な眼。
「っ、?!」
優奈とミリカは少し離れていたが、俺はまさに目と鼻の先。
思わず叫びそうになり、口を手で押さえる。
音は、この部屋の扉を引っ掻く音。
カタカタと蝶番も不穏な音を鳴らし始める。
『ぼくもいれてよぉぉおおおお』
独特の幼い声。
それは声変わり前の少年のような――。
「キモい!キモいキモいキモいキモいっ!!」
優奈が、キレて空のペットボトルを投げつけるが、それは的を外して台所にぶつかった。
《眼》は跳ね返って転がるペットボトルを追って、滑らかに動く。
『開けて開けて開け――』
玄関扉がテンポよく揺れ、悲鳴をあげる蝶番。
それが、あと数分も持たないことを予見させる。
「……ど、どうしましょう」
「とりあえず、奥の部屋に避難しよう!?」
ミリカと優奈が抱き合い、こちらを見ている。
「逃げるしかないだろ!」
「逃げるって――」
「窓からだ!」
俺は優奈とミリカに奥の部屋を指差し、ヘッドライトとドラムバッグを拾う。
――ここが一階でよかった。
窓から逃げられるはずだ。
しかし、優奈とミリカは扉を開けただけで、向こうの部屋に入る事なく立ち止まっている。
「……どうした?」
また何かあったのだろう、という嫌な予感がしつつ、部屋の中を覗く――。
「……これは、入っていい部屋なんでしょうか?」
「無理!私は絶対イヤ!」
2人の開けた部屋じゃない方、もう一つの扉を確かめてみる。しかし、こちらは釘が何かで固定されているのかってくらいに固く閉ざされ、ピクリとも動かない。
「ちっ、……つまり、《この部屋》を通るしか、俺たちに道はないってことみたいだな」
「嘘でしょ?!こんな、こんな不気味な部屋を――」
ガゴンッッッ!!
という暴力的な音で振り返ると、扉が壊され、廊下にいた怪異が嗤っていた。
『ケヒッ!ケヒッ!ケヒヒヒッッ!!』
手に持ったヘッドライトによって浮き上がる、血走ったような眼。
狭そうに背を丸める姿から、その体高が2メートルを余裕で超えているのがわかる。
「《鬼》……」
と、ミリカが呟く。
ああ、そうか。
人にはないツノも、肉食獣みたいなキバも、バカみたいにデカい刃物も、――全部『お手本みたいな鬼』だ。
こうやって実際、目の前に現れると、すぐには分からないものなんだな。
お手本のような《怪異》と対面し、逆に冷静になったのか、俺の脳は場違いなことを考えてしまう。
「マチダっ!行くよ!」
優奈に腕を引かれ、俺は『奥の部屋』に脚を踏み入れる。
振り向きざまに見た《鬼》の顔は、どこか満足そうだった。