第十三話 懸念
「……ミリカ?」
優奈が顔を上げて立ち上がり、ミリカの元へ向おうとする。
「待て、まだ分からないから落ち着け」
俺は優奈の肩を掴んだ。
「ちょ、なに……?」
「……アンタ本当に人間なのか!?《怪異》じゃないって証明できるか?」
優奈は状況を理解したのか、一歩下がり、代わりに俺が前へ出た。
「んんっ、……すみません。あの、私もしかしてドブかなにかに落ちたんでしょうか?んぐっ、……なんか、喉が張り付くような……」
ミリカはしきりに喉を気にしている。
「同じアイドルグループなんだよな?アイツ……人間と怪異、どっちだと思う?」
俺は振り返らず、小声で優奈に訊ねる。
「えっ、わかんない。どうなんだろ……」
――それがわかれば苦労しないか。
「ミリカ本人にしか分からないような話とか、質問ってないか?」
「……本人にしか?」
「ああ、操られてたり、乗っ取られていたら答えられないような、そんな質問だよ」
ミリカは不安そうな顔でこちらを見ている。
――今、襲いかかってこないなら、怪異じゃない?
いや、早計か?
『乗っ取り』や『洗脳』みたいなタイプは、力技に弱いっていうのは、あくまでもゲーム脳的な思考だ。
ここは、そういうルールの内側とは限らない。
「あの、なにを疑っているのかは……んんっ、はあ……。分かりませんけど、それで信じてもらえるなら、なんでも聞いてください」
両手を胸の前で組み、祈るような姿勢をとるミリカ。
彼女はあの、アニメや漫画から出てきたようなツインテールは解け、無造作に垂らしている。
「じゃあ、――」
優奈は顎に手を当てて言葉を選ぶ。
「――ココがどこかわかる?」
しばらく悩むように黙ったミリカは、観念したように口を開く。
「えっと、すみません。……それって、どういう意味の質問ですか?」
確かに、質問の意図が不明瞭だった。
「なぁ優奈、今の質問になんの意味があるんだ?」
《団地》以外の答えがあるのか?
撮影現場とでも答えれば正解なのか?
「……ミリカなら、本物なら何か知ってるはずだから、黙ってて」
冷たい。
冷静で真剣な優奈の語気に屈して、俺は口を閉ざす。
「あ、……そういう意味ですか」
《ペア決め》の時に見せた、ミリカの天真爛漫さは完全に鳴りを潜めている。
これだけで十分怪しく見えてしまうな。
「ここはたぶん、《団地》です」
――こいつ、まじか?
ミリカは恥ずかしげもなく、そう言い放った。
「そんなもん、誰だってわかるだろ!?」
俺は少し詰め寄るような言い方をする。
「うるさい!マチダは黙ってて!」
「なっ、……」
「えっと、マチダ……さん?……すみません。でも、ここには――正式な名称がないんです」
……?どういうことだ?
「……アンタはここが何なのか、知ってるのか?」
「はい。……いや、あの……、いいえ……」
煮え切らない。
その可愛らしい見た目で誤魔化されそうになるが、――まどろっこしい話し方だ。
「マチダ!」
指をクイクイと動かし、『近寄れ』と言わんばかりの優奈。俺はその偉そうな素ぶりに、少し目を窄める。
「……来てって!」
はぁ、俺は優奈の元へ向かい、耳を近づけた。
「今のところ、……かなりミリカの素に近い話し方だと思う。……操られたり、ってことはないじゃないかな」
……たしかに。
こんな曖昧な、人間臭い言動を《怪異》が真似できるとも思えん。
しかし、とはいえ完全に信用するのも――まだ怖い。ここはもう、そういう場所なのだから。
ちょっと近づいてみる。優奈はそう言うと俺の返事を待たずにミリカの元へむかう。
水と汗拭きシートを渡し、ミリカはそれを有り難がって受け取り――躊躇なくコートを脱いだ。
「っ、……なんか言ってから脱げよ」
「え?あっ、すみませんっ!」
「別に水着なんだからいいじゃん」
……それもそうなんだが。
一応、礼節として俺は背を向けて小窓から外を眺めて待つことにした。
「うわ、擦り傷……」
「え?どこですか?」
「ほら、こことか……」
「ホントだ!さっき転んだ時――」
「なぁ、話を戻したいんだが――」
盗み聞きしてるみたいでバツが悪いし、変わり映えのしない光景を見続ける趣味もないので、本題を進めるよう声をかける。
「ミリカ……さん、アンタはここの何を知ってるんだ?……なぜ知ってるんだ?」
ミリカは――呼び捨てでいい、と言った。
俺はその言葉に甘えることにする。
《リーンッ……》
遠くで鈴虫の羽の音が聴こえた気がする。
少し早いけど、もう……そんな季節か。
「ミリカはさ、オカルトマニアなんだよ」
優奈が答えた。
「や、やめてください!私なんて本物の人たちから比べたら怒られるくらい全然で……」
否定の仕方が、ずいぶんとそれっぽい。
「つまりここは、その……マニアの間では有名な場所なのか?」
「……うーん、どうでしょう。少なくとも、一部の人たちの間では認知されてると思います」
またなんとも煮え切らない答え。
「あ、終わったら振り返っていいよー」
優奈はこういう絶妙な気遣いがうまいな。
そう思って振り返ると、今度は優奈が脱いで笑う。
「ちょっ!おまえ、何で脱いでんだ!?……みたいなリアクションしないの?」
「はあ?さっきまで撮影してただろ?」
「ちっ、つまんない」
そういえば、ミリカとペアだった『大柄の男』はどうなったのだろうか。
たしか、……《ノガミ》とか言ったか?
俺がそれを聞く前に、ミリカがペットボトルの水を飲み切り、それを置いてこちらを見る。
「えっと、何年か前にネットのオカルト系掲示板で『ここ』が話題になったんです。近くでなにか事件があった時、ニュース映像にチラッと映って。……知ってます?」
俺は優奈と顔を見合わせ、お互いに首を振る。
「悪いな、そういうのは疎くて」
と答えると、ミリカは「そうですか……」と寂しそうに呟いた。
「人里離れた山の中、閉鎖された団地。ホラーの定番みたいな雰囲気ではあるな」
「はい。それに調べても何も情報がなく、それもまた掲示板にいた人たちにとって、都合が良かったんです」
優奈がコートを羽織り、汗拭きシートをこちらへ投げてきた。
『拭きな?』という意思を感じたので、それを受け取る。……俺って臭いのか?
「そのうち、『実際に行ってみた』という人が現れました。粗い画質で撮られた写真が、何枚も貼られて、すごく盛り上がったのを覚えています」
「あー、なんかメンバーの誰かがそんな話してたかも。まとめサイトって言うんだっけ?」
「え?!本当ですか、誰ですか!?」
同好の士を見つけたと思ったのか、ミリカは急に立ち上がる。
「ごめん、覚えてないや。たぶん辞めた子だと思うし」
「うう……そうですか。残念です……」
ミリカは残念そうに肩を落とし、床に座り込む。
「落ち込んでるとこ悪いんだが、続きを頼めるか?」
俺の言葉に、優奈は元気よく返事をした。
「はい!えっと……、なんかいつのまにか、『オリジナルの都市伝説』みたいなものを、この《団地》を舞台に作っていく流れみたいなものが生まれました。みんな、それが『嘘ってわかりながら楽しむ』みたいな感じで、……楽しかったなぁ」
しみじみとした語り口。
ミリカは本当にそういうのが好きなんだろう。
「そんなある時、凸者――えっと、この言い方で伝わりますか?」
「ああ、つまり今の俺たちみたいなもんだろ?」
「え?!……どういうこと?」
優奈は目を丸くしてこちらを見る。
「どうせ佐々木たちのことだ、『許可』なんてとってないだろ?だから俺らは不法侵入してんだよ」
「……マジで?」
――気づいてなかったのか!?
「えっと、……私たちみたいに、勝手に侵入した人から『怖い目』にあったという投稿がされました」
腕を衝撃が走り、心臓が跳ね上がる。
「……なに?」
優奈が俺の腕を強く掴んでいた。
「いや、まぁ……いいや」
「……どうやらその人は、ここで不良に襲われたらしいです」
「……ああ、なんだ。そういうことか」
安心したのか、優奈は俺の腕を離す。
「それって、佐々木たちの《組織》なのか?」
という俺の質問に、わかりません、とミリカは首を振った。
「そんなことがあって、この《団地》にまつわるブームは少しずつ下火になり、去りました。私が知っているのはそれくらいです」
肩透かし、と言ってはなんだが、得るものがない話だったように感じる。
いやに現実的な話というか。
「なんかもっと、具体的に『ここでこんな事があった』みたいな話はないの?」
と、続きを促す優奈。
「……具体的、ですか?」
ミリカは腕を組んで唸り、なにか思い出したように手を叩いた。
「あっ、そういえば!……あんまり関係ないかもしれないんですけど、ここには――『人の住んでいた形跡』がなかったらしいです」