共生
鋭い牙が私の腹を貪っていく。
上半身の見た目は私よりもやや年上の女性と言った風体だが、やはりこいつは魔物だということがはっきりとわかる。
「おい」
「あぐ、モぐ」
「おい。その辺りにしろ」
血塗れの顔を手で押しやれば、その血に塗れた唇を不機嫌そうに歪ませる。不服そうな顔をしても駄目だ、私の血肉だって無限じゃない。
まあ再生のメカニズムを知るには丁度良かったが、かといってこのまま自分を喰わせ続けていれば私の方が弱り、こいつに殺される事態になりかねない。
あくまでも喰う側に立つのは私でいるべきだ。
「………ふ、う」
随分と貪ってくれたものである。左の脇腹がしっかりと齧られており、その下の内臓まで牙が届いていた。
暫くは再生に時間がかかるだろう。
「魔力による身体の異常活性化がこの再生の正体、か」
聖なる魔力による治癒ではなく、単純に魔力が肉体を異常活性化させることによる修復。まさに再生という言葉が正しい。
肉体の回復には魔力が必要で、しかも再生の際に使用する魔力は魔術に使用するそれよりも遥かに多い量を持っていかれる。
それこそ狐の魔物の火炎放射を黒雫を供給することで防いだ時と変わらないほどだ。我ながら、あの使い方はあまりにも魔力を無駄遣いしたやり方だったとは思っている。あの時はあれ以外に対処法が無かったのだからしょうがないが。
「ヴゥ………」
「今のところはお前を殺すつもりはない。さっさと消えろ」
私も私でお前の首筋を喰い、魔核の半分を捕食した。これでお相子だろう。
段々と力の抜け始めている身体を引き摺って、泉のほとりから少し離れた樹に寄りかかると、目を閉じる。警戒は忘れていないが、さりとて睡眠は必要だ。
また魔力を多く使ってしまった。魔力の回復にはやはり、睡眠が適している。
「あの狐の魔物を喰っていなかったら、死んでた」
やはり糧にして正解だった。
そしてこれからもそうしていくべきだろう。私が狩り獲るべきは、基本的には魔物である。セイレーンの魔核を食べたことでも確信した。
魔物を喰らえば、私はもっと強くなれる。
………ここは魔力が濃い。あのセイレーンの縄張りだからだろう。ここでなら大規模に使用しなければ、魔術を使っても感知はされない。本格的に眠りにつくまでに、少しでも傷を治そうと、かさぶたの要領で黒雫で傷を覆ってから私は目を閉じた。
***
物音が聞こえて目を開く。まずは薄めで状況を把握。時間は夜、匂いは―――清浄な水のそれ。
セイレーンが私を殺しに来た?そう判断し、傷口を覆っていた黒雫を即座に武器の形にしようとして。
「サム、イ?」
その声に、動きが止まった。
眠っていたからかさぶた代わりの黒雫は解けてただの黒い水になっている。足だってそうだ。だからもっと素早く私を攻撃すれば私は致命傷を追っていた筈。
………なのにセイレーンは鋭い爪の付いた指先で、それでも優しく私の欠けた足を撫でる。
そして水草の毛布を私に掛けると、小さな水音を立てて泉の中へと戻っていった。
「………乾燥してる」
この時期でもセイレーンが住んでいる巣には柔らかい水草が生えていたことを思い出した。これはそれを使用した上で、風の魔法で乾かしたのだろう。
冬の寒さで、今の私は殆ど全裸である。無意識のうちに私は両腕で自身の肩を抱いていたようだった。
それを見かねてあの魔物は私にこれを被せてくれたの?
「人より、魔物に助けられるなんて」
上手く言葉に出来ない感情が喉あたりまでせりあがってきて、吐き気がする。
それを何とか飲み干すと、私はその水草の毛布を頭の上までしっかりと被せて再び眠りについた。
夜明けが訪れれば自然と目が覚める。朝陽は登りはじめ、冬の空気が私の肌を刺す。
昨日齧られた左の脇腹に視線をやれば、傷跡こそ残っているものの問題なく再生していた。傷跡が残ってしまうのは治癒では無く再生だからこそなのだろう。鋭い刃物や火傷の跡が問題なく治った後も残り続ける様に、傷跡は長い間身体に刻まれ続ける。
長いこと放っておけば完全に治癒するかもしれないが、私の生き方ではその前に新しい傷が出来る方が早いだろうな。
水草の毛布を横にずらし、義足を作り出して立ち上がる。意識はしてみたが、寝ている間も魔術を使い続ける事には失敗していた。
一度意識が浮上した時と同じように、黒雫は黒い液体状態になって水たまりのように地面に垂れ落ちていた。
朝だし顔を洗おうと思って泉に近づけば、水面に波紋を立てながらセイレーンの黒髪と、その下の紅い瞳が覗いていた。じっと見ていると、ペッと吐き出すようにして一匹の魚が私の足元に落ちてくる。
「………ありがと」
何の気まぐれだか知らないけど、確かに腹は減っていた。
私のお礼が聞こえているのかどうかは知らないけど、あいつは音もなく泉の中に消えていく。これは、ある種の共生の形なのか?
「よくわかんないけど」
あいつを喰う予定は今のところないので、喧嘩を売ってこないのならそれでいい。
本能はまだ、あいつを喰ってはいけないと叫んでいる。理由は全く分からないけど、その叫びには従うべきだ。
魚を黒雫で作り出した棒に刺して一旦置いておく。そして改めて顔を洗うために泉に近づくと。
「あれ?私の目―――」
………泉に映る私の瞳は、深紅のそれへと変貌していた。
一体、いつからだ?ここまで特に身体が変わるような違和感はなかった。あるとしたら髪から色素が抜け落ちたあの時―――そう言えば、戦いの最中に目の中に血が入って、真っ赤に視界が染まっていたっけ。
「もしかして、あの時から?」
身体の内側に灼熱を感じたのは確かにあの時だ。
逆にセイレーンと戦っている最中にはかなり安定状態にあった。
「あ」
今更ながらに私は自分の下腹部に視線を向ける。
昨日起きてからずっと身体の一部になっていて違和感を持たなかったけど、私の臍の少し上には私の拳程度の大きさの灰色の結晶が埋まったままである。
狐の魔物から奪い取った魔核。人体には有害な猛毒の筈だが、それは何故か私に適合していた。更に言えば、若干ではあるがその黒さが深まっているような気もした。
軽く叩いてみれば、その部分に衝撃が来ることを認識している。つまり、神経が繋がっているってこと?
「これじゃ、まるで」
………魔物になったみたい?
「難しいことは分かんないからいいや」
この辺りはあの声の主の知識ですら一切補完できないものである。つまりは完全なるイレギュラー。
こればかりは考えたってわからないことだ。なら、推測はしつつも固執するべきじゃない。
空を見上げて思考を放棄すると私はセイレーンに投げて寄越された魚を手に取る。自身の内側に意識を向けて、私に宿る水と土、そしてあまり適性の無い風と本当に僅かしか適性の無い火属性、その合計四つの属性に手を伸ばす。
「ん?」
なにか、忘れている気がするがまあいいか。
さて、魚を焼くにはやはり火が欲しい。だが私の火属性の適性では精々指先から蝋燭程度の火を起こせるかどうかだ。なので、周囲から枯れ木を集めてそれに着火するライター代わりに使うことにした。
これが魔術の適性の差だ。土と水に関してはかなりの適性を持つ私だが、火の場合は本当に最低限、生活に使えるかどうかといった魔術しか操れない。
勿論、固有魔術の作成時にはこの最低限の適性すらも上手く落とし込む天才もいるらしいが、私の固有魔術は黒雫で、それには一切火の魔術属性は入っていないため、私にとっては火属性の魔術はこういうときに火を起こせればいい程度のものである。
ちなみに黒雫には風属性も一切使っていない。土と水を純化させた果てにある固有魔術が黒雫なのだ。
硬質化した黒雫の棒を持って魚を焼く。流石に魔物の魔術の火炎放射並みでなければ、硬質化させた黒雫が溶け落ちるなんてことはない。生きている樹木を炭化させるようなあいつの火力がおかしかったのだ。
それでも魔物としては中級程度、しかも魔核を喪っていたというのだから困りもの。万全だったら殺せなかったな、あれ。
焼きたての魚に齧り付く。久しぶりに、本当に久しぶりに普通のご飯を食べた気がした。
「あったかい」
―――じゃあ、腹が膨れたのなら、次は狩りの時間だ。
聖なる魔力、どこいった?