黒雫の刃
私はこの魔術に、黒雫という名を付けた。
黒と僅かに銀が入り混じるこの液体は簡単に言ってしまえば魔力を変換して生み出される液体金属だ。とはいえ水銀のように常に流体と金属双方の性質を持っているという訳ではなく、私が魔力を流すことによって性質が切り替わる。
液体形態では魔力によって自在にその形を変えるが、その際は水の性質にほど近く、強度は殆どないに等しい。逆に金属形態では込めた魔力と圧縮した黒雫の量によって強度を増すが、自在に動かすことは難しくなる。
そしてその狭間に位置するのが中間形態だ。この形態は双方のいいとこどり………などということは全くなく、金属形態ほどの強度はなく、液体形態ほどに自在に動かせないというもの。
だからと言って欠点という訳ではない。というよりこの黒雫の利点と欠点は、自在に形状を変化させられ、どこからでも生み出せるということと、形態ごとに特異不得意がはっきりしていることである。
中間形態の場合は特化した特性こそないが、ある程度の強度―――即ち形状を保ったまま液体ほどじゃないにせよ動かせるというのは実のところかなり便利だったりする。
………どうやって使うのかって?その答えはすぐに分かる。
「左腕はまだ動かないか。でもいいよ、別に」
黒雫によって構成した両の義足の調子は上々だ。この大地を踏みつけることのできる足の獲得こそが私にとって最も重要な事で、そしてこの黒雫は目の前に立ちふさがる壁を全て力づくで壊すために必要な武器を、自在に生み出す魔術である。
狐の魔物が尻尾を振り回す。轟音を響かせて、私が抱き着いても手が届かないほどの太さを持つ樹の幹を簡単に抉り取るような連撃を繰り出す。
―――なあ私、動けるよな?
「ギャガアアアア!!!」
「動け。動け!!」
身体から一瞬力を抜く。無駄な力を削ぎ落して、そこから加速する。不要な力は体の動きを鈍くする。
硬質な音は私の足が大地を踏み抜いた証だ。そして私が今までたっていた場所にあいつの四本の尻尾が突き刺さり、大きな土煙を上げる。
「大穴が開いてる。くらったらひとたまりもなさそうだなァ」
風が身体に当たる感覚が心地良い。少なくとも私の意識があった頃に、全力疾走すら超えたこの速度で動き回ったことはなかった。
両足と両腕で着地して、猫のように飛びのき更なる追撃を躱す。
やはりあの尻尾は厄介だ。とにかくあれの伸び縮みの速度が速すぎるのである。対抗するためには、武器がいる。
「………剣!」
黒雫を右手に集中させ、剣を作りだす。圧縮しての武具の作成もまた、この黒雫の利点だ。まあ剣というけれど私には剣の知識があまりなく、せいぜいが私の両足を切り落としたあの錆びた剣なので、生み出したものは思った以上に細かったのだが。
この魔術、意外と想像力が必要だ。多くの知識と発想を持たなければ最大限使いこなすことはできない。
声の主が残した知識だけでは足りない。経験という名の力が不足しているのだ。それでも、今はあるもので何とかするしかない。
たったこれだけの動きなのに、頭がくらくらしてきた。まだ鼻血は止まらず、瞳からも血の涙が出ている様である。視界が赤く染まりだしてきたのは、多分錯覚じゃない。
「ハハハ、来いよ!!」
「グルルアアアアッ!!!!」
あいつの尻尾が中空で渦を巻く。ああすることによって発条のように力を貯めて、瞬間的に加速しているのだ。
その加速こそが、高い威力を生み出す原動力となっている。
空気を押し出しながらその渦を巻いた尻尾は、私の命を奪うべく撃ちだされた。
片手で構えた剣でそれを叩き切るべく振り回して、直後に灼熱が私の脇腹を襲う。
「ッ………駄目、か」
黒雫の剣が折れていた。得られた成果は尻尾の初弾を逸らせた程度。
やっぱりあんな細い武器じゃ当てにならない。というか人間なんかの武器が今の私に合うものか。
もっと別の側面から考える必要がある。しっかりと考えろ―――余程、黒雫を圧縮しない限り、見た目を大きく超える強度にはならない。
「義足、義手、いや」
―――手甲か。丁度よく左腕の再生も終わった。
この義足のように、踏み潰し、叩き潰すための手足を作り出す。それこそが私に相応しいだろう。
剣だってわざわざ人のそれを作り出す必要なんてなかったんだ。単純に鉄塊のような、重くてでかいもので叩き潰せばそれでいい。
そして、もう一つ。
「ガルルァアアアアアアア!!!」
爪を立てたあいつが飛び上がる。
狐が原型の魔物は当然身体能力も高い。魔物は基本的に生態系の上位に存在するような動物がベースとなっているほどに単純な力は強いとされている。もちろん魔物の危険性は単純な力だけではないので当てにならないのは確かだ。
例えば、寄生するタイプの魔物は不意打ちを食らっただけで最悪、身動きが取れなくなってしまうし、魔術に寄らない魔物特有の性質によって即死に陥る場合だってある。
それを考慮すれば、まだシンプルな敵であるこいつは、私がこの世界に立ち上がるための第一歩の障害として最適だ。
………こいつくらい喰いきれなくて、この世界で生きていけるものか。
「その尻尾、羨ましいって思ってたんだ」
「―――ッグルル!!!」
両腕に生み出されるのは黒と銀が入り混じったガントレット。
だけど私だって馬鹿じゃない。跳躍し、力を蓄えている魔物に正面から殴りかかったってこっちが潰される。体格も根本的な膂力も、あっちの方が上なんだから。
だから、これが必要になる。
………ガントレットと同じ色をした尻尾が、私の尾骶骨周辺から生み出される。
黒雫を用いた疑似的な尻尾は、あいつと同じ使い方が出来る。まあ、本数は一本だけなので器用さは劣るし頑丈さも力の強さも劣るが、これがあるのとないのでは戦う際の機動に圧倒的な差が生まれる。
ちなみになんで一本だけなのかについては簡単な事。今の私にはあんな四本同時に黒雫の尻尾を操作できるようなスキルはないからだ。役に立たない四つの尻尾よりも堅実に成果を発揮する一本の尻尾、当たり前だろう?
伸縮し、背後の樹木に巻き付いた私の尻尾。それを始点として、私の身体を樹木の方に勢いよく引き寄せることで魔物の尻尾突きは宙を刺すこととなった。
「ッルウウウ?」
「お前の視界からは急に消えたはずだけど。見ているな、私を」
「アガアアアア!!!」
「ッち」
やはり、嗅覚か。
洞窟の中ではカモフラージュになっていた私の異臭。けれど、こうして森の中での戦いとなれば、私の居場所を知らせる強烈なマーキングになってしまう。
不意も意表も付くのは難しいか?いや、まだ判断は早計か。なんにせよあいつが自由に跳躍して駆けだしてなんてことが出来るのはまずい。
ただでさえ力で上回られている相手がさらに好き勝手出来る状況では勝ちの目なんてない。
そう思って、森林の中に飛び込んだ瞬間、背筋に冷たさが奔って―――嫌な予感がした。
「………っ?!」
身を切る灼熱。振り向けば、魔物の咢の内より、濃縮された火の魔力が溢れだしていた。
「魔術!!」
「ガアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
咆哮と共に魔力は火の魔術となり、火炎放射の如く撃ちだされる。
やや白熱化したその炎の迸りが、私を包み込んだ。息は出来ない。した瞬間に肺が燃えて体内から燃やされる。それほどの高温だ………どうする?
魔力を集め、黒雫を液体形態のまま、身体の周囲に展開する。高温に耐えきれずに溶け落ち、蒸発していくがその分を即座に魔力から変換することで補い、耐え忍ぶ。
「ルッ―――アアアア………!!」
「ご、ふ………!!!」
息を吐き切ったのだろうか、あいつの喉の奥から黒煙が漏れ出し、数度咳き込むのが見えた。
ずっと魔力の限り火炎放射をぶっぱなすのは難しいのか?黒雫の幕の中から飛び出て、未だ残る熱気に咳き込みながら私は走り、考える。
私が入り込もうと画策していた森の樹木はかなりの範囲が燃えてしまっている。あいつの放射した炎の直近は炭化すらしているのが見て取れた。
自然の鳥や低級の魔物はその魔力を感じて逃げ出したのだろう。恐らくは私にとって有利な場所に逃げ込もうとすれば同じように燃やしてくるはずだ。そして私の魔力は多分、あと一度火炎放射を耐えれば殆ど尽きてしまう。
それに対してあいつはまだまだ潤沢そうだ。魔力以外も色々と限界の私と違って、肉体的にも元気が有り余っている。
「どちらにしても、これじゃダメか」
逃げることによって生まれる勝機などに頼るべきではない。
だって、私が欲しい力とは―――私を押さえつけ、縛り付け、騙し、犯し、壊そうとしてくる全て。即ち世界をぶん殴って壊せるだけの力。数多の障害に、敵に攻撃を受けても決してひるまず、立ち止まらず、倒れない力。
なら。
それなら、私は挑まなければならない。強者に、王者に、魔物に、神に。常に、強きものを打倒し続けなければならない。
さあ頭を回せ、残り少ないリソースを最大限に生かせ。己の命を極限まで燃やせ。
そして―――立ち向かえ!!
「ガルアアアアァァァァァァ!!!!」
「あああああ!!!!!」
四本の尻尾がうねる。
一つ間違えれば即座に死に至る。分かってる、それでも退くな、前に進め。
「………グウウウウ?!?!」
私の頭蓋を砕こうとした尻尾を、ガントレットで弾く。硬質化した黒雫に罅が入り、そしてその内側の骨も砕ける音がした。
衝撃を完全に防げている訳ではない?いや、違うな。鎧に対する私の理解が足りていない。肉体の延長線上として作り出したこのガントレットでは、黒雫の強度を超える一撃を食らえば身体に衝撃が貫通してしまう。
だが、まだ動く。そんなことは生き残ってから考えればいいのだ。
魔物が私の行動に驚いている様子が見て取れた。弱者が逃げない、それどこから自傷を覚悟のうえで自らの方に近寄ってくる。確かに、普通じゃない。
声の主に汚染された魂、そこに刻まれた知識から、窮鼠猫を噛むという言葉が溢れだしてきた。なるほど、今の私にとってはぴったりの言葉である。
その様子に僅かに恐怖を感じたのだろうか?
魔物は距離を取るような尻尾の動きへと切り替わる。それはまるで、理解できないものを拒むように。
「おい」
「アアアア!!!」
「待て」
「………ッ!!!!!」
逃がさねぇよ。
―――荒れ狂う嵐の中を突き進む。その喉元に致命の一撃を叩きこむために。
「あはははは!!!」
ああ、私はもしかして。今、笑ってる?
轟音を立てたあいつの尻尾が私の左腕を持って行った。ガントレットごと宙を舞う左腕と飛び散る鮮血。それでも私は退がらない。
だって、もうあいつの頭蓋はすぐ近くだ。右腕を振りかざせば、その脳天を叩き潰せる。
義足を鳴らして駆けだす。
「潰れ、ろ!!!」
振りかぶったその瞬間………魔物の咢が再び開かれる。
濃縮された魔力には既に魔術が発動しており、あの火炎放射がいつでも撃てる状態となっていた。
互いにとって決死の距離。こいつは私を確実に殺すために、逃げられないように致命的な距離に至るまで、接近を許していた。
恐怖が裏返ったが故の判断だろうか。こいつもまた、本能による逃走が闘争へと切り替わったのだろう。
いいじゃないか。これがお互い、最期の一撃ってわけだ。
どっちがより生き汚いか、確かめよう。
「―――ッ!!」
「ァァァァガアアアア!!」
右腕を魔術が迸る寸前の魔物の喉の奥へと叩き込み、それと同時に私は自身の周囲に液体形態の黒雫を放出する。
魔物の瞳が驚愕に歪み、そして私に対してその紅い視線を向けた。その感情を読み取ることはできない。そんな余裕は、無い。
沸騰するガントレット。その内側で炭化を始める右腕。腕を無茶苦茶にしながら吹き出す炎の熱は私の周囲に展開された黒雫を勢いよく蒸発させていく。
なあ、魔物。残念だけど私の方が一枚上手だよ。意表っていうのはやはり、最後の最後に食らわせるべきものだから。
唇を歪ませ、笑みを浮かべる。やがて、結末が訪れ―――魔物の火炎放射によってその堅い装甲の内側で沸騰を続けていたガントレットが暴発した。
「アァ――――――」
断末魔を掻き消す轟音が響き、熱量が迸る。
蒸発し、縮小した黒雫からはみ出た私の白の髪が焼けていた。両腕がなくなって、それでも………漸く息が出来るようになったその場所で、私は眼前をしっかりと見やる。
そこには、黒雫によって引き起こされた暴発………爆裂的破裂によってその頭蓋が消し飛ばされた、狐の魔物の死骸があった。
「や、った?」
息が苦しい、血が止まらない。意識がもうろうとする。でも、殺した。殺した、ちゃんとできた。
じゃあ次は。
こいつを食べないと。
「ハァ、グ、アグ」
それは恐らく、本能だったのだろう。
流れ出ていく命を繋ぐために必要なことをしていただけ。手段を択ばずに生きるという私の意思が成したことだった。
血を啜る。魔力を喰らう。命を捕食する。
倒したものを血肉として、私は変わっていく。意識のないままに身体中を血に染めて―――やがて、私は意識を手放した。




