老獅子の牙亭
チリンという呼び鈴の音を慣らしながら木製の扉を開く。
年季の入った黒ずんだ木製の扉は何かしらの魔術が掛けられているのか、見た目よりも随分と頑丈そうであった。とはいえ、その辺りを認識できるのは私やクリスしかいないだろう。
中に入って漂ってくるのはたくさんの食事の香り。それと同時に一瞬だけ鋭い視線を感じた。
「いらっしゃいませ。食事かな?」
「いいや、宿だ。食事も貰うがな」
「………紫階級ですか、これはこれは。どうぞ、部屋を案内します。女性ばかりということでもう一つのサービスは不要かと思いますが、もし御入用でしたらお伝えください」
「ああ」
頷く師匠が先導する店員についていく。同じように私たちもその後を追って行けば、通されたのは三階の大きめの部屋であった。
部屋は三人で一つ、ベッドはすぐに他の従業員がやってきて流れるようにベッドメイクを済ませていく。三人それぞれの分のベッドが出来たところで他の従業員は出ていき、残った先導役の店員が私たちに説明を始める。
「お値段は一泊当たり銀貨二枚、先払いとなっております。お食事は下の酒場でもよろしいですし、こちらにお運びすることも出来ますが、別料金となっております。洗濯、清掃などはお値段に含まれておりますのでご安心ください。また、先程も言いました別のサービスはその都度お伝えくだされば対応いたします」
「ほれ。一応女ばかりのパーティーだ、荷物の番は厳重に頼むぞ」
「………おまかせくださいませ」
色を付けて銀貨三枚を店員に渡した師匠。
店員が部屋の外に出て行ったのを確認して、荷物を置いた。私たちは荷物なんて殆どないようなものだが、それでも旅装を解いて顔を晒した。
「ねえ師匠」
「なんだ?」
「別のサービスってなに?」
”老獅子の牙”亭。あの店員は私たちを見て文字通り値踏みした様であった。
彼の視線は師匠の胸元の紫色の識別証を確認して和らいだが、見た目に違わない実力者………あくまでも一般人として………なのは間違いないだろう。
ここが一番安全と言いきった師匠の勘なども含め理由を知っておきたかったのだ。
しかし師匠は「うーむ」と唸り、クリスの方を見た。
「処女でもあるまい、言っても構わないだろう」
「………そうか。うん?まて、チビは処女じゃないのか?その年で?」
「そこはどうでもいいし、そもそもなんでクリス知って………ああ」
―――あの時、記憶が混ざったのは私だけじゃないってことか。
まあ聖獣として生きたクリスの数百年の年月と比べれば私のただでさえ人よりも少ない記憶なんて、砂の上に落ちた雫程度のものだろうが。
「まあ良いか………色々とあるのだろうしな。さて、儂がこの宿を安全といった理由だが」
師匠が、その黒い指先で床を軽く叩く。
「お前であれば意識すれば聞こえるだろうさ」
「………?」
床に耳を当て、目を閉じる。
冷たい質感の木の床より聞こえてくるのは―――女性の喘ぎ声、粘ついた水の音。
つまり、あれだ。うん、あれである。
「ここ、娼館か………」
「正確には娼婦を買う事も出来る酒場、だな」
「そこがなんで安全になるの」
女が買える店=安全?
理論が分からない、さっぱりである。私のその疑問はクリスが答えた。
「娼館にもいろいろとある。最も娼婦の中で格が高いのは高級娼婦というやつだが、これらは金と地位のある貴族が購入するもので、まず街にはいない。逆に格が最も低いのは夜鷹―――売れない娼婦やスラム街で直接身体を売る娼婦たちだ」
その辺りは知識として知っている。私自身が得たものではない、勝手に入ってきた他者の知識だ。
「そしてこの店は恐らく、その他の娼婦だろう。娼婦といっても身体を売るばかりではない、知識によって徳を成したり、或いは話術を持って楽しませるということをする者たちもいる。ここはその話術を用いた娼婦が働く場所なのだろう」
「だから酒場っていう体なのか。でも、それと安全って繋がらない気がするけど」
「いいや?そも、娼婦に対して禁じられた行為をすれば、罰を与える必要がある。この宿はその時点で一定の武力を保持している訳だ」
………力のある場所では統率が生まれる。先程、私たちを値踏みした店員の顔が思い出された。
「そしてそう言う秩序を嫌う輩は自動的にこの場所に足を踏み入れることは無くなる訳だ。客の治安が一定以上保たれている以上、儂ら宿泊者の部屋に勝手に入ってくる馬鹿共は大きく減る。まあ相手が人間である以上、ゼロとは言わんがな」
「客の品質の問題か」
「うむ。とはいえ、チビにクリス。お前たちは気を付けろよ」
「………?」
「なにがだ」
「お前らは赤階級と階級無し。そして、顔が良い。娼婦と思われて、或いは娼婦扱いで絡まれることもあり得る。手を出して大怪我させないようにな」
「それ相手の心配じゃん」
「当たり前だ。誰がこの街の中でお前たちを害せるか。品性の無いチンピラ程度に負けるような教育はしていないしな」
少なくともこの酒場に入ってきた時に居た人間(恐らくは全員冒険者)総出で掛かってきても私とクリスを相手に立っていられるものはいないだろう。
そんな事態を引き起こせば間違いなく衛兵が飛んでくるだろうが。
「絡まれたくないってなると、夕飯はここで食べるの?」
「いいや………下で食う。酒場は情報収集に適した場所でもあるからな」
「なるほど」
「お前ら、外套のフードは被っておけよ」
「………邪魔なんだけど」
「我慢しろ」
脱いだばかりの外套は再び着ることになりそうだ。
「それでジーヴァ。今日はもう酒場に降りて終わりだろうが、明日はどうするのだ?」
「朝食後、武器屋に行く。派手に壊れたお前たちの装備を整えねばな」
「それなら私も防具回りが見たい。一応、武器もな」
「いいぞ………いや。それだと元手があった方がいいか。先に冒険者ギルドに行って魔核を売ってからにしよう。龍退治の依頼内容の更新なども見ておきたいし、チビの昇格についても先に聞いておけば用意するものも判断が付く」
師匠とクリスの間で話が進んでいくのを、私は静かに聞き流していた。
いや聞いていないわけではない。ただ口を挟む理由もないだけ。
話がまとまったのか、クリスが外套を被り直して立ち上がっていた。食事の時間らしい。
暗がりを増した窓の外を見れば、今までの村では見ることのない、夜でも明るい街の様子が見て取れた。夜の空気をものともしない喧騒、人の集う街。窓枠に手を伸ばして視線を落とし、すぐに離れる。
―――あの森の中から、随分と遠い場所まで来たものだと思いながら。
「お前たち、何が食いたい?」
「なんで」
「”なんでもいい”は却下だ」
「………も、むぅ」
「………肉」
「合格だクリス。チビは失格だな」
「ちょっと。なんの試験なの?」




