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アンジェリコ伯爵領



振り返る。

深い森林と水の気配を背後に残して私たちは谷を出る。朝の太陽を薄く跳ね返す、淡い霧の群れが谷底を埋め尽くしているのが見えた。

もうこの谷の主はどこにもいない………いや違うな、私の隣にいる。まあこいつの、クリスの選択だ。聖女の言葉でも私の言葉でもなく、自分で選んだのだと言い張った以上は、私がどうこうすることじゃない。


「ラリナ。寒くないか」

「寒くない」

「じゃあ熱くないか」

「熱くない」

「腹減っていないか」

「さっき食べた」

「痛い所は」

「ない………近い離れろ」


見た目には確かにまあ、姉妹に見えないこともない、私とクリス。

互いにボロボロの服を纏ったままくっついているのだが、これだと変な趣味があるみたいに思われるので離れてほしい。出来れば一メートル以上遠くに。

ちなみになぜ私たちの服がボロボロなのかと言えば答えは簡単、クリスとの戦いの後補修することが出来ず、更にそのまま修行を続けたためだ。

結局、谷を超えるのにふた月かかったのだが、その間中ずっと師匠を相手に戦士の戦い方を、クリスをお手本に魔術の修練を繰り返していた。この二人は手加減というものを知らない(師匠は敢えてしていない気がする)ので、割と命がけだったが………まあ、結果としては悪くはない。

戦った時も思ったが、クリスの魔術の腕前は私の知る限り最も優れている。魔術を完全に独学と、植え付けられた知識だけで行った私に足りていない理論や考え方を授けてくれた点で、まあ―――感謝は、してる。

なお、師匠の服は一切傷がついていない。クリスとの戦いのときもほぼ無傷だったし、修行の最中に私が何度も挑んだけど、結局有効打は与えられなかった。装備としては特に優れたものではなく、普通の冒険者が装備しているものらしいのだが、本人の腕前という奴だろうか。

………あ、たまに川で洗っているのを目撃してる。同じ服を数着持っていて着まわしているようだった。


「さぁて、ここから先はアンジェリコ伯爵領だ。とはいってもエンバス渓谷の出入り口周辺ともなれば、対して村も街もないがな」

「代わりに砦くらいはあるんじゃないの?」

「廃れたものがな。アンジェリコ伯爵はアルボルム帝国の東側の貴族だが、東のエリアの中では北に位置する。つまりは帝国全土で見れば北東の貴族ということだ」


頭の中に地図を思い浮かべる。なんとなく場所は分かった。


「それがどうしたの」

「帝国の東はかつて雷嵐の鷹を屠ってより、砂漠に進出し、その向こうの国の民と人や物のやり取りを重ねてきた。けれど古来より帝国の領土内は肥沃な土地が広がっている。南にも匹敵するか、作物によっては超えるほどの収穫量を有しているのが、帝国の穀物庫たる東の貴族たちだ」

「………麦とかがたくさん取れるってこと?」

「簡単に言えばな。北は最も作物の実りが少なく、寒さが厳しい。だが鉱山資源が豊富だ。西は唯一海に面している場所であり、海産資源や海運業を行えるが………そもそも北と西は未だ封王の脅威が残っているため、農耕よりも戦が主な産業だろう」


師匠が何を言いたいのか、考えてみる。簡単に言えば北は寒い。だから貧しいということか。

少しばかり私が放置され全てを失い、変質した北への個人的な恨みも籠っている気がするがそれはさておき、アンジェリコ伯爵領は北東に位置するという情報を鑑みれば。

ふと想う事があった。谷を抜けて、伯爵領の森林地帯に入れば、谷との違いが顕著に見えてくる。

魔力が豊富で自然林というより古代森林に近しい成長や性質を持っていた谷の森とは違い、伯爵領の森林はアトウッド男爵領のそれと同じように細く、人間が通常使う林材程度の大きさとなっている。

だが、この森林は欠片も整備されていない。

森というのは人が手を入れなければ簡単に荒れるというのは知られているが―――この世界では、こういった森の中であっても定期的に見回りや伐採などの整備をしなければ、魔物が潜む危険な場所となり、人々を危険に晒すことになる。北部、ネストリウス公爵領でも魔狼の森周辺の樹々の伐採や、獣道としか言えない程度のものであっても、道の整備、維持は行われていた。魔狼によって死の氷が張られる前までは、だが。


「もしかして、お金がない?」

「ついでに言えば人手も足りてない。砦なぞその維持にどれほど金がかかる事か。東部の中でも北寄りで、領土の中にあるのは荒れた山と森ばかりのアンジェリコ伯爵領は、領土は広いものの、騎士の数も少なければ領内で持っている金も少ない」


特に今は冬だからな、と師匠が呟いた。

その言葉通り、樹々の隙間から見える山を仰げば、雪の傘を被り始めたたくさんの山々が目に映る。北部の魔狼の森ほど深くはないが、ただの人が歩むには難しいだろう。

これでは確かに山に何かしらの産業があったとしても、それを金にするのは難しい。冬の間は産業が一部停滞してしまうとなれば、貧しくなるのも当然か。

それにしてもまた冬が来たのか。私が魔狼の森に捨てられてから一年がたったことになる。時間が経つの速いものだ。

年齢としては十三歳になったようだが、見た目の成長はほとんど見られない。まあ細かい誕生日なんて忘れてしまったし、この身体になってから殆ど体の外側の変化は見られなくなったので、年齢なんてわざわざ気を遣うようなことじゃないだろう。


「あれ?」


どうでもいいことに意識を向けたら、また別の事が気になった。

そもそも私たちの目的は、アンジェリコ伯爵領に出現した竜を退治しに行くということの筈だ。でもお金のない山間部のアンジェリコ伯爵領は、その依頼を冒険者ギルドに出した。


「お金がないのに国に頼らないで冒険者ギルドに頼むんだ。騎士団とか使わないの」

「………言ってしまえば帝国の方が金を取る。帝国が騎士団を動かすということは聖女を擁する神殿も動くということ。帝国と神殿が動けば相応に金が必要になるのだ」


私の疑問に答えたのはクリスだった。その後を師匠が続ける。


「そして人手不足のせいで、竜を退治できるほどの戦力はそも伯爵領に存在しない。冒険者ギルドに頼るしかないのさ」

「………変なの。自分の国の貴族の危機なのに」


アルボルム帝国は王国じゃなく、帝国だ。皇帝という絶対権力者の元に傅く家臣として貴族がある。帝国の頂点である皇帝と唯一肩を並べられるほどの権力を持つものは四方を護る四大公爵家のみであり、彼らは封王から国を護り、やがて封王を屠るという重大な役目のため、皇帝にも負けないほどの権力を持つ。

軍隊を効率よく動かすための権力だ。金、という点で言えば公爵家は明確に帝国の家臣としての扱いとなる。

だからこそ、帝国は自身の家臣である貴族を守る義務がある筈なのだが、はて。


「言い分はいくつかあるだろうが、基本的にアルボルム帝国の皇帝直属の軍は腰が重い。近衛兵は優れた力を持つが、最もたくさんの税を無駄にしている奴らだと言えるな」

「ふぅん、言い分ね。それってこの程度の事に軍隊を送れば帝国の威厳が、とかそんな感じ?」

「分かってるじゃないか、チビ。あとは貴族の責務として領内の事は領地で対処しろ、とかもあるぞ」

「他には聖女の力はこんなことに使うためにあるのではない、などということもあるな」

「………私たちって結構帝国も神殿も嫌いだよね」


それでいて結局自分たちに危機が迫るまで動かないのだ。神殿と帝国の腐敗、ここに極まれり、である。

この帝国の問題点は白翼の聖女の小説内でも触れられ、対峙はするものの根本的な解決には至らないかった。皇都で華やかに暮らす貴族がいる一方で、貧しく魔物の被害に怯える貴族もいる。なんともまあ、素晴らしい(ふざけた)国である。

そんな雑談をしながら歩いていれば、森を抜けて疎らに雪の積もった街道に出る。アンジェリコ伯爵領は山の裾野に広く領地を持つらしく、その一端がエンバス渓谷に接している故に、北から伯爵領に抜けるには谷を突っ切るのが良い、ということなのだろう。

裾野に領地ということは実際に農地などに使える土地は少ないわけだけど。うん、ますます可哀そう。

この一帯は緩やかな丘陵地帯だが、山に近くなれば山地となっていくようだ。そしてこの周辺には幾つかの村や街が見える。

………街、だ。村だけではなく、きちんとした街もあった。貧しいとはいえ、腐っても伯爵の地位を持つ貴族か。なにせ伯爵からは高位貴族の仲間入りである。


「まずは村で適当に服を見繕う」

「そうなんだ」

「お前等のだ、馬鹿ども。そんな身なりで街に入れるものか」

「そういうものか?」


流石にボロボロすぎて不審者扱いになるかな。ならしょうがない、買うしかない。


「その後街に行くってこと?」

「ああ。儂が依頼を受けたのはプラトゥムの村だ。そしてそこを出発してから時間が経っている。現在の状況を確認せねばな。何事も情報は重要だ、教えただろう?」

「うん。じゃあ竜退治の依頼の現在状況を見るの?」

「………あとはそこのでかい方の馬鹿の冒険者登録と、出来れば昇格もだな。赤のままだとできることに限りがある」

「あまり上げる必要もないと思うけど」

「身分証としての扱いに不安が残る。そうなれば儂が居ない時に大きな街に入れないぞ」

「………なるほど」


そう言えばこの冒険者証って身分証にもなるんだった。街なんて早々訪れないので忘れかけていた。

村くらいなら流石に赤色階級でも問題なく入れてしまうのである。

師匠が街道を進み始めたので、隣にクリスを伴って少し後ろを歩く。昼に近くなり、心地の良い陽気が髪を温める。やはり、東に近づいたこともあって魔狼の森があるネストリウス公爵領よりもここは暖かい。

―――さあ、三人での冒険だ。






あとがき


本人は忘れていますが、ラリナちゃんは十月三十一日が誕生日です。



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― 新着の感想 ―
 2カ月2人に鍛えられたラリナちゃん、秋生まれ(地球換算)  綺麗好きな師匠に対して元裸族と人外な姉妹、ボロ布を服と認識していた模様。  数ヶ月ぶりの人里へ。
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