クリス
焚き火が小さな火花を咲かせる。見上げた空には美しい星空が広がっている。
魔物の気配もするがそれは随分と遠く、代わりに私の傍には私とそう体温と背丈の変わらない少女が眠っていた。
「あつい………」
「そりゃお前に熱があるからだ」
私のぼやきに応えたのは師匠の声だ。焚き火に空気を送るために木の枝でつつきつつ、私の方に視線を向ける。
熱、という言葉に反応して手を額に当てて見る。なるほど、確かに普段よりも熱い気がする。
思考回路も少しばかりぼやけているようだ。身体を起こそうとすると全身に鈍い痛み。それから腹部と左目、そして欠けた脚の先端には鋭い痛み。
唇を噛んで痛みをこらえる必要がある程度には、激痛と呼べるものだった。
「恐らくは魔力切れだろう。人間が己の体内にある使用可能な魔力を全て吐き出すとそうなる」
「体調が悪くなるってこと?」
「大まかに言えばな。細かく言えば、全身の痛みに発熱、何よりも厄介なのは気絶することだろう。戦場で意識を失えばどうなるか、わざわざ言う必要はないだろう?」
「死ぬね」
「ああ、死ぬ。お前は運がいい、儂が居たことに加え―――魔核の再生がすでに始まっている。とはいえ、暫くは安静だな、今のお前は生命力に乏しく、その上で魔核もない。普通の人間なら死んでいただろう」
「そうなんだ」
それで、と私は続けた。
隣に寝ている、私に少し似た少女に指を向ける。
「これは?」
「バカ蜥蜴だ。あの後お前と同じように眠りに落ちた。その後しばらくしたら身体が縮んでな、そうなったのだ」
「………ちょっと私に似ているの嫌だな」
「お前より少しばかり大人の姿だがな。並べばまあ、姉妹に見えん事も、ない」
色合いにが似ているのだから当たり前か。
ぼろ布を纏っている蝎虎………元蝎虎のクリスの頬に指を当てれば、小さく唸る声が聞こえた。上下する呼吸の動きからまあ、私と同じように生きているのだろう。というより魔力も生命力も使い果たして、義足すら溶け落ちてしまっている私よりも遥かに元気そう。
着ているものが着ているものなので、覗き込まずとも普通に見える胸には、再生が済んだのか黄金の色をした魔核が埋まっていた。ちなみに胸の大きさは私よりも普通に大きかった。なんだこいつ。
髪をひっつかむ。同じ色のそれは私よりもかなり癖が強い。長さは腰辺りまでで私よりも短い。寝そべっている姿から見るに、等身そのものは同じくらいだけど、一回りクリスの方が背が高いようだった。
あとはさっきも言ったけど胸とあとは太腿の肉付きが私よりいい。私が栄養失調気味にならずに育っていればこうなっていたかもしれない。
そんなことを考えながらクリスの身体を見ていると、いつの間にか寝息が消えていた。
瞳が開いていて、黄金の双眸が私に向けられている。
「………金?」
瞳の色が金だ、こいつ。魔物なのに。
目元を腕で擦ると、ちろりと流い二股に分かれた舌を出す。そのまま私に近づいてきたクリスは私の上に覆いかぶさった。
今は抵抗する力がないのでそのまま押し倒される。髪が私の頬に垂れて少しばかりくすぐったい。
「なに」
「生きてる」
「………お前に殺されなかったからな」
「クリス。ラリナがくれた名前。それで呼べ」
………なんだこいつ。
「とりあえずどけ、クリス。重い」
「分かった」
素直に言葉に従って私のすぐ横にちょこんと座る。その様子は蜥蜴というよりどちらかと言えば犬に近い気もする。
師匠の方を見れば、半笑いで私たちのやり取りを見ていた。
「ま、お前がその手を取ったんだ。つまりお前が飼い主ということだな。最後まで面倒を見る事だ」
「………はあ?」
私はクリスに自由になれと言ったんだけど。私の傍に居ろなんて一言も言っていない。
「私はお前の傍に居たい。だから私は人の姿をとることにした。お前を守りたい。お前を、愛してるから」
「………何を言ってる?」
そっと距離を取る。その分だけクリスは距離を詰めてきた。
「誰に強制されたわけでも、縛られた役目という訳でもない。私が選んだ」
「ちょっと、離れろ、なあ」
「ずっと、お前が死ぬまで、私はそばにいる」
「………」
―――面倒ごとを招いたか、これ。
腕を巻き付けてくるクリスを若干手で押しつつそんな事を想う………まあいいか。別に害はないし。
それはそれとしてくっつくな邪魔だ。
クリスと格闘していると、私たちの上に一枚の毛布が放り投げられた。
「今日は儂が見張りをしておいてやる。一晩休んで身体を回復させろ。明日には立つぞ。儂らの目的地はまだ遠くにあることを忘れるな」
「忘れてないよ。………こいつ、本当に連れて行くの?」
「儂は連れて行かん。チビ、お前に勝手に引っ付いていくだけだ」
「ねえ、そういう言い方止めない?」
完全におちょくっているな、この師匠。
とはいえ、今の私は本当に体力も魔力もない。休息しなければただ師匠について歩くだけですらおぼつかないだろう。見張りをしてくれるのは有り難かった―――ああ。そうか、これがパーティーということなのか。
助け合い………違うな。全体の生存を効率化するための、一団としての行動。即ち、群れか。
パーティーとは群れなのか。意識の中で、すとんと腑に落ちた。
「………よろしく。ありがと、師匠」
「ああ。………ん?」
師匠が私の顔を少し覗き込む。首を傾げるが、師匠もまた首を傾げていた。
「お前、何か少し変わったか?」
「別に何も変わってないけど」
「………そうかぁ?まあいいがな」
焚き火の方に向き直った師匠から視線を外す。クリスごと受け取った毛布の中に沈み込む。
「クリス。さっさと寝るぞ。体力回復させて、明日には先に進む」
「分かった」
声まで少し似ているのなんなんだ、こいつ。
砂を噛んだ表情を浮かべつつ目を閉じる。寝たばかりだというのに、直ぐに私の身体は眠りへと旅立った。
***
ラリナが眠ったのを確認して、彼女が目覚めないようにゆっくりと毛布の外に身体を這い出す。
黒い瞳が私を見ている。敵意も害意もない、ジーヴァの瞳だった。
この人間は強い。だから信用できる。
「どうした」
「………ラリナの事についてだ」
「儂はそいつの師匠ではあるが、保護者ではないぞ」
「それでも知っておくべきだと思う」
襤褸布纏ったままジーヴァから少し離れた場所に膝を抱えて座り、焚き火の炎を肌に感じる。
鱗を手放したこの身体は守りには乏しいが、ラリナの傍にいるには適している。魔物の姿に戻れないこともないが、もはやあれは最終手段だろう。
私は多分、弱くなった。でも、魔物の姿では彼女を………聖女の魂を継いでしまったラリナを護れない。
「聖女などと言っていたな。それはつまり、あれか?」
「ああ。ラリナの魂は白翼の聖女のもの―――今代の白翼の聖女になる筈だった。恐らくは人の欲と、過酷な運命が彼女の在り方を歪ませた」
「運命から逃れたの間違いではないのか」
「………聖女の魂の輪廻は呪いのようなものだから、簡単に逃げられるようなものではない。目を背け、逃げ去ったとしても必ずその運命は背中を捉える」
そして白翼の聖女の物語は魔との徹底的な抗戦であり………聖戦とも呼ばれる………人の欲と業に振り回される、苦しみの物語だ。
名前も思い出せない私の主は、確かにそうだった。それ以前の歴史を見ても、白翼の聖女が幸福に人生を終えたことは一度だってないのだろう。
約五百年。前回の聖女が現れてから五百年もの年月が立った。帝国の中に聖女は現れど、白翼の二つ名を冠した聖女は長いこと生まれ落ちず、その果てに生まれたのがラリナなのだ。
ここまで長いこと、白翼の聖女が現れなかったことは今までになかっただろう。では、その年月分の重みを全て背負うことになる彼女への重責は、どれほどのものになるのだろう………どれほど、縛られた人生になるのだろう。
例え栄光を与えられたとしても、その栄光は決して人を彩らない。
きっと、ラリナという人間を翳らせるだけだ。
「聖女であるならば、聖なる魔力がある筈だ。あのチビにはそれが備わっているのか?あるなら、何故使わない」
「………」
私にはラリナの身体の中から聖なる魔力を感知することはできない。私がラリナをそうであると分かったのは、匂いによるものだ。懐かしい匂いがした、その一点だけで見つけだした。
「恐らくは………」
仮定の話を伝える。
ジーヴァは顎に手を当てると、唸った。
「難儀な人生だ。聖女の魂、元を辿れば白翼の女神の魂か。いったい、女神とやらは何者なのだろうな」
「詳しくは分からない。けど、他の神々と本質は同じだと思う」
「死を忌避したのか?儂らの一族の血脈の中に眠る神と同じように?」
「ああ。黒山羊の一族は神の肉体を喰らい、血肉にすることで部族の血の中に神は生きることになった。白翼の女神は恐らく、帝国の祖となった人間と契約をしたのだろう。魂の輪廻を行い………その輪廻が行われる限り、聖女として生まれ、この国を守る、と」
聖なる魔力を持つものが帝国の中にだけ生まれるのもきっと、女神という神と帝国の祖、即ち皇族の先祖であり建国者との契約に寄るものなのだと思う。あくまでも推測だが。
「そんな呪いにも等しい契約だからこそ、世界はラリナに聖女であることを強いて、幾つもの呪詛と枷を被せるだろう―――私が、そうだったように」
「ありえん話ではない、か。魔物の動きが活性化しているのも関係がありそうだな」
「聖女の魂は女神の魂と同義だ。そして伝承によれば白翼の女神は魔物の絶対的な敵対者であったという。その魂が現世に零れ落ちるだけで、魔物の力は減退する。だが、何らかの理由でその魂の力が抑えられていたら」
「それだけ、魔物は活性化する、か」
「更に言えば、聖女が生まれ落ちるサイクルは大抵の場合、何かしら魔物の大量発生や強力な魔物の誕生など、帝国に危機が迫る場合が多い。そして強大な魔物が生まれ落ちれば、世界に魔力は更に満ちて、魔物の勢力は増していく」
「現状、蓋もなしに際限なく魔物どもが力をつけているということになる訳だな」
………長生きしている古き血族の人間だ。理解が早い。
「それで?儂にどうしてほしい」
「………私と一緒にラリナを鍛えてほしい。彼女が、彼女のままで居られるように」
「それだけか」
「私はラリナを守る。でも、力足りず、彼女が孤独になったのなら、お前が隣に立ってくれ。いつか、彼女の旅路を手助けしてくれ―――頼む」
膝を地面につけ、首を垂れる。
私の知る最大限の懇願の方法だった。
溜息が聞こえる。
「まずお前が守れ。育てろ。それからだ」
「分かってる」
「その上で、分かった。いつか、ラリナの道を共に進んでやる」
「………ありがとう」
ラリナの運命に安息はあり得ない。だけど、せめてこの身が、彼女を襲う幾つもの嵐と雨を防ぐ傘になれば良いと思った。
彼女に剣を授け、知恵を与え、力を育てよう。やがて私がその雨に倒れ、朽ち果てるその前に。
この身体は、その決意の表れだ。焚き火から離れ、妹のような少女の頬を撫でて目を閉じる。
もはやこの谷に蝎虎は居ない。数百年もすれば谷から魔物は消えるかもしれない。或いは………広く、あまりにも安定したこの谷は人の立ち入ることのできない魔物たちの楽園になるかもしれない。
自ら生み出したものではあるが、その結末にはもう興味はない。意味も、無い。必要がないから、待つこともない。
ただ。新たなる名と、生き方がある。
さようなら、私が主を待ち続けた谷よ。
私は自由を手に入れて、自分で決めた生き方を貫く。だから、もうここに王はいない。
私が守った谷よ。私が堰き止めた時間よ。流れ、還るがいい。
―――明日へ向けて、私は旅立ちます。だから、さようなら、主様。
蝎虎の谷編、完
谷編はここまで。次からまた話が動きます




