封王を殺した者
煌く黄金の瞳、魔眼と称されるそれ。
そのヤモリは魔眼を持っていながらもその幾つかは何の能力も持たないものだった―――魔眼という素質と器だけがあるという稀有な状態。
普通ならば有り得ないそれは、魔物でありながらも聖女に癒さ、聖女とともにあったためなのだろうか。
そんな無形の瞳はこの時、彼女の覚悟と共に形を成した。
「―――っ?!」
聖女が名を呼ぶ。蝎虎自身すら忘れてしまった名を。
黄金の二つの瞳………空白の瞳孔の内に最初に生まれたのは、護るための力だった。それは人間が結界と鈍化と呼ぶ魔眼。
四ツ目のヤモリが魔力を膨れさせる。人よりも小さな体だというのに、その力は上空の王たる、雷嵐の鷹の視線をすら吸い寄せるほどの領域。
声もなく、ヤモリが、否。
蝎虎が吼えた。
………蝎虎は魔術の扱いに天性の才がある。
これは実際に私が戦っていて感じたことだ。水の膜を操る精度、黒雫と似た原理で飛ばした水の槍の威力が、私のそれとは段違いの規模であることなどがそれにあたる。
だが当時の蝎虎はそんな才があっても、まだ魔物としては弱いものだった。蝎虎を一瞥する雷嵐の鷹との最も大きな差は、なによりもその魔力量だ。魔物の格は基本的には生きた年数と食らった人間や他の魔物の量によって決まり、それは即ち多く喰らえば喰らうほどに魔力という力を蓄えられるからである。
王の中で最も強いとされた雷嵐の鷹は精強であり、帝国が生まれてより一度も地に堕ちたことのないバケモノだ。如何に魔眼による結界があろうと、それだけでは愛する主を守ることなど出来ないだろう。
だから彼女は考えた。最も優れた能力の扱い方を。
「キィィ――――――ィィィイイイイイイ!!!!!!!」
雷嵐の鷹が叫ぶ。
渦を巻く空という名の黒色の煉獄に幾つもの雷霆が浮かび上がる。
記憶が再び囁く。これが、これこそが雷嵐の鷹の奥の手なのだ。
「………ええ。信じるわ、あなたを」
聖女が空を睨む。
その視線の先は中天が堕ち、夜が昇る魔境の空だ。鷹の生み出した嵐によって光は捻じ曲がり、万物を削り取る死の嵐が吹き荒れる。そして雷霆という神鳴る槍が、たった一つで必殺となる穂先が、無数に現れて聖騎士と聖女に向いている。
雷嵐の鷹自身や聖女たちを取り巻く風は、外に行くほどに強くなり、黒い風によって巻きあがる岩や砂は僅かに触れるだけで肉体を弾けさせる。なるほど、これは恐るべき魔物だ。
師匠ですら及ばない、人類の個では辿り着けない強者の域。だが、雷嵐の鷹の前にあるのは個人ではなく―――封王を斃そうと集まった、人々の意志なのだ。
―――死が形を成した空。それが堕ちてくる。
蝎虎の黄金の瞳の一つが輝きを増し、騎士や聖女を取り囲むように球体の結界が生まれる。
それは聖女の髪に似た色合いの、たわわに実った小麦の穂のような、死の黒の中にあって暖かさを感じる金色だった。
視界の端でタクトを振るように蝎虎の尻尾が振るわれる。その金色を覆う様に、今度は鮮やかな空色の水が結界を包む。その水は脈動し、回転する。薄くはあるが、しかしその水は結界を襲う数多の岩や砂を滑らせた。
受け止めるのではなく受け流す。流動する護りの法則。それによって蝎虎は見事に、死の嵐の一つを防いで見せたのだ。だが………雷嵐の鷹の必殺はまだある。
聖騎士を、彼を見つめる聖女を冷静に狙うのは雷霆の槍だ。青白いその雷の数は―――恐るべきことに百を超える。
それでも聖女も彼女の剣である聖騎士も怯まない。命を削り切った帝国騎士たちも、唯一熱を残した瞳で、黒色の死と相対する純白の騎士の行く末を見つめる。
………ここだ、と。
蝎虎の心の声と、私の声が合わさった。
黒い空を群青に染め上げるほどの蒼雷が解き放たれた。憎しみに染められ、しかしどこか理性がある雷嵐の鷹の瞳が細められる。放たれた雷霆はその向かう先を見事に調整されていた。
総数に対する割合で言えば、聖騎士には三割、そして蝎虎が護る聖女には七割。
なんども白翼の聖女による討伐すらをも押し返している雷嵐の鷹にはこの軍勢の根幹が聖女であるということが分かっていたのだ。聖女が息絶えれば、その力を借り受けている聖騎士も死ぬ。
聖騎士は男でありながらも聖なる魔力を生み出せる稀有な存在ではあるものの、その生み出す魔力量は白翼の聖女には及ばず、次席聖女である天槍の聖女と同格程度とされている。また白翼の聖女がやるような奇跡のような特殊な使い方も出来ず、基本的には身体強化と放出による破壊がメインだ。
雷嵐の鷹は聖女さえ倒れれば聖騎士を護る加護は消え、雷霆を切り裂くような膂力は消え失せると踏んだ。そしてそれは事実だった。
三割の量を向けた雷霆に与えられた役割は、残り七割の雷霆で聖女を焼き尽くすまで、聖騎士が雷嵐の鷹に触れることが出来ないようにするための時間稼ぎだ。強者と戦いなれた強者であるその封王は、どこまでも人を殺めることに特化した猛者だった―――だから、負けたのだろう。
黄金の瞳、そのもう片方が開く。鈍化の魔眼は降り注ぐ雷霆を見据えて、その動きが本当に僅か、一秒だけ遅くなる。
「………ッ」
蝎虎が啼く。負荷に耐え切れなかった魔眼がはちきれ、涙のように金色の血が飛び散った。
けれどその僅かな一秒が、何度も白翼の聖女による討伐を押し返してきた、雷嵐の鷹の命を奪ったのだ。
「おおおおお!!!!!!!」
無骨なロングソードに集約する光。空を駆け抜ける聖騎士の身体が、自らを襲い来る雷霆のその隙間を縫う。
僅か一秒の間隙、そこに生まれた必殺と必殺の隙に身体を捻じ込み、無傷の空間を無理やりに作り出す。白銀の鎧に覆われた足甲で雷霆を蹴り、右足を失いながらも速度を増す。
聖女に近づく雷霆。それよりも早く聖騎士は雷嵐の鷹の間合いに入り―――抵抗のために魔術を使おうとする鷹の頭蓋を掴み、喉を掻っ切り、残った翼を切り落とす。
絶叫を上げて堕ちる雷嵐の鷹………その背中には、黒の中に一筋の青がジグザグに刻まれた魔核が煌ていていた。
「終わり、だ―――!!!」
剣の切っ先が当たり、柄を手で押す。硬質な音が響いて、雷嵐の鷹の魔核が砕け、それと同時に聖女の目前へと迫る雷霆の魔術が解け、消える。
蝎虎の護りを一瞬で消し飛ばし、聖女に迫ったその雷霆は、彼女の鼻先にまで迫っていて。だけど、瞬きの一つもなく、白翼の聖女は死して大地に落下する封王をじっと見つめていた。
どさりという鈍い音。失った右足を支える杖の代わりに聖剣を砂に刺し、立ち上がる聖騎士。
………歓声は上がらない。上げられる体力のがあるものなんて最早誰もない。それでも、彼らは成し遂げたのだ。不可能とされたはずの、人智が及ぶ限りの四方世界で最強の魔物、雷嵐の鷹の討伐を。
生きた推定年数は最低でもを八百を超えるとまで言われた魔物。東の怪物、外なる世界を閉ざしていた偉大なる錠。部族によっては神とまで崇められた存在。
ゆっくりと蝎虎を抱きしめる手があった。その手の主、精魂尽き果てた聖女は、そんな素振りは一切見せずに背筋を伸ばして聖騎士の方へと向かう。
「よくやってくれました、私の剣よ。彼らの命も、報われます」
「………誰も見ちゃいない。こんな時くらい、村娘に戻って泣いてもいいんだぞ」
「いいえ。この子が、見ていますから」
頭を上を優しく手が撫でる。聖女が聖女足らんとするのは、誰かのため―――人を救うため。
だから。蝎虎は人を守る彼女を守れるようになりたいと、願ったのだ。
誰かを守れる彼女のその牙が聖騎士であるならば。どんな時も彼女を守り、支えられる盾になろうと。それは庇護欲なのだろうか。それとも、子が親を慕う、そんな気持ちだったのだろうか。
私には今の蝎虎の心は、どっちの色にも感じられた。




