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金色の記憶



舌先に触れるのは生暖かい血の味だった―――。


ぺちゃりと舐めとる。感じたことのない芳醇な血の香りは、まだ呑んだことのないお酒の味を錯覚させた。

薄く開いた目にはまだ光は感じられない。遠くですさまじい戦闘の音が響いていることだけは分かるけれど、どのような様子なのかは認識できない。

ただただ、舌先の命を飲み干す。それと同時に………暗闇の彼方。瞼の裏、そこに一つの景色が映し出された。


「弱ってるのね………大丈夫?」

「―――様。それは、魔物では?」

「そうね。でも、瞳を見て?」


………こんなに美しい目をしているのだもの。きっとこの子は、人を守れる存在よ


瞳の奥に現れたのは私の知らない景色。

かつてやられたような、私自身の肉体が経験したものでは無くて、正真正銘私が知る由の無い物語だった。

弱々しい視界の中にあるのは、黄金の小麦畑のような髪の色をした一人の女性。年頃は私よりも一回りは上だろうか。翠の瞳をしていて、その表情は慈愛に満ち溢れていた。

身に纏っているのは白い法衣だ。決して華美なものではないけれど、清潔さを感じさせるそれは間違いなく聖女が纏うもの。

聖女の位階、その第一位たる白翼の聖女が纏うものに相違なかった。


(これは、あのヤモリの記憶、か)


血を介して記憶が流れ込んだのは、きっと私とあいつの肉体が殆ど魔物であるからだ。

或いは………やはり魂による繋がりとでもいうものが、あるのかもしれない。

私と聖女は―――エウラリアはもう全くの別人と言っていいだろう。それは確信してる。だけどそんな私ですらも魂の輪廻を感じさせるほどに、記憶の中のヤモリに映るその女性の姿は、エウラリアに酷似していた。

順当に年を重ね、人々の優しさと現実の厳しさに触れればこうなっていただろうと思うほどの。

ヤモリこと蝎虎が人の姿を取った時の見目の色合いを変えればそのまま記憶の中の聖女であり、それは私が大人になったのであれば最早双子だとすら感じる。似ているという言葉ですら似つかわしくない、生き写しのような―――。


(くだらない………)


持つのはそんな感想だ。

見た目が生き写しだからと言って一体なんだというのか。私は私だ、もはや戻らない過去の道になんて興味はない。


「連れて行きましょう」

「………危険になれば、私が斬ります」

「危険になったら、ね。でも大丈夫だと思うわ?」


白魚の様な手、とはいえない。所々切り傷があり、肌荒れも散見される。

それは旅人の手であり、人を助ける者の手なのだろう。戦士のそれとは違う、戦いのためのものでは無くて。

人を支えるための両手だった。

蝎虎の記憶の中で、聖女の背後に控えている騎士の姿があった。背の高い金髪碧眼の男のその身体は良く鍛え上げられており、聖女とは違って何かを殺すために修練を重ねたことがひと目でわかる。

記憶と知識が入り混じる。彼は、聖騎士だ。

聖騎士と呼ばれる、男でありながら聖なる魔力を振るうことのできるただ一人の、白翼の聖女のための騎士―――。

いつか私も出会うことになる筈だった、ヒーロー(・・・・)

聖女の手の中で蝎虎は眠る。彼女と、そして彼女を守る騎士の視線の中で、小さなヤモリが瞳を閉じる。そのまだ二つだけの瞳の片方は、黄金の色をしていた。



場面は移り変わる。

手のひらに簡単に収まるほど小さかった蝎虎の視点が少しだけ大きく、広くなっていることから成長したのだということが窺い知れる。

体格は倍程度になったのだろうか?

もう聖女の手の中で丸まることはできず、代わりにその肩であったり頭の上で日向ぼっこをすることが多いようだった。

鎧や肌に傷の増えた聖騎士を連れて聖女が進んでいるのはあまりにも広大な砂漠の道。空にあるのは月と、そして星の砂。

直感的にここはかつての四方の封王の討伐の記録なのだろうと理解した。


「東の封王………雷嵐の鷹。彼の王を倒せば東の砂漠の果てへと人々の領域は広がっていく………」

「この砂漠の向こうには、帝国とは異なる国があるという伝承もありますが」


衣服を、鎧を砂に汚しながら進む彼らの背後には、女神の旗を掲げる帝国の騎士たち。

しかし砂漠を踏破するまでに多くの犠牲があったのだろうか。疲弊し、出立の時に比べれば半数以下の人数になってしまっているということが、記憶として流れ込んでくる。

獣が、毒虫が魔物となり、荒れた土地の中で牙を磨く。赤い瞳の魔物たちは王の命令によって聖女を弑さんと魔物を向かわせる。そんな長い戦いと旅の果てに、聖女たちはいよいよ雷嵐の鷹の巣へと辿り着こうとしていたのだ。

背後に仕える聖騎士の言葉は果たして、聖女の心に息を吐かせるための戯言だったのか、或いは本心からの疑問なのか。

………雷嵐の鷹が滅ぼされたのは知識として知っている。今から五百年以上前だ。それ以降、帝国は砂漠を征服し、やがて砂漠の向こうにある国々と交流を始めた。

とはいえそれはこの記憶の中の聖女が死んでから更に百年後の事。彼らは砂漠の果ての真実を知ることなく、その命を終えることになる。

ふと落ちた聖騎士の疑問もおかしなことではないのだ。

一番最初に倒れた南の封王。彼の王の死後に切り開かれた帝国南の人類領域を南下していくと、異国の人間と彼らが属する小国群と出会うことになった。

小さな世界が開かれて、より大きな世界の秘密が露になる。五百年前の白翼の聖女はきっと、その丁度転換点に立っていたのだ。

帝国の教えでは最初にこの地に女神が降臨し、今の皇族の先祖である男を見初めた。

四方を魔物に囲まれた小さな国は女神の力を以て魔物を打ち払い発展し、やがてその国は帝国と呼ばれるほどの大きさを持つことになる。

故にこそ帝国は世界の中心、帝国のみに生まれ落ちる聖女という存在がその証拠だと、聖女の尽力によって切り開かれた世界が現れても尚、そう声を上げ続けた。実際に、小国群との接触時にはこの論説が支持され、帝国内でそこまで大きな動揺は広がらなかった。

異国の民が帝国の民と近しい見た目をしていたのも、あったのだろうけれど。

―――その帝国の価値観はこの後、今度こそ見た目の大きく異なる民族の住む巨大な国である砂漠の民との接触によって大きく揺らぐ。それでも今度は国力と、聖女の力を顕示する神殿の台頭、彼らと皇室が蜜月の関係を築くことによって今もなお、帝国はこの世界の中心であると、多くの人間が考えているのだ。

今この記憶こそは帝国の黎明の終わり、なのだろうか。


「だとしたら………それはとても良いことね。多くの人と協力し合えるということだもの」

「あなたは見通しが甘すぎます。人と人が触れ合えば起こる事はそれだけではありませんよ」

「まぁー怖いわねぇ。ね、―――?」


聖女の手が視線の主の喉の舌を撫でる。

蝎虎が喉を鳴らす音。それと同時に視界の端で長い尻尾が揺れていた。聖騎士はその様子を見て呆れるように溜息を吐くと、それでも口元を弛ませて聖女の頭を撫でる。


「まあ、どうなっても俺が守るさ。危なっかしい幼馴染の………」


名が揺らぐ。ノイズが混じる。


(………記憶が、掠れているんだ)


不老である魔物であっても、記憶の全てを保持し続けることはできない。

五百年を超える時は、重要な記憶だと思っているものすら薄れさせていく。

それでも追い求めるのは執着なのか?それとも、願い?

或いは―――。


記憶の中で行進が止まる。鳴り響くは雷鳴の音。風が空を切り裂くそれは悲鳴のよう。

巨大な羽が空から落ちて………見上げた視界には舞い上がる砂と、暗雲。

現れる王者は黒い体躯の巨大な鷹―――。



東の封王、雷嵐の鷹だった。








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生死を彷徨う2人、それぞれの記憶。
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