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ラリナの逃走劇



最優先は地形の把握だ。

脳の内側より縛り付けるかのような支配を打ち破るのに全力を傾けていたせいで、私には土地勘が全然ない。

分かっているのは霧に覆われた森の中だということ。そして余程魔力が濃いのか、魔狼の森程ではないにせよ、一つ一つの樹木が巨大であることだろうか。

霧のせいで月がない。星もない。乳白色と夜色が混じった暗い泥濘のような視線を彷徨わせる。ここが少しだけ開けた場所だとはわかるけど、それ以外はよく見えない。

私の夜目が効く瞳ですら認識できないのだ、ということは魔術による隠蔽が施されているのだろうか。


「………ッチ」


厄介だ、指針が持てない。

どちらに向かえば師匠の下に近づけるのか推測ができない、ならば。

右腕の中に黒雫を生み出すと、それを放り投げる。球体上のそれはゆっくりと近づいてくる霧の怪物の方へと山なりに飛んでいった。


「無駄だと………」


知ってる。

でもその瞳が、鬱陶しいのだ。だから閉じろよ、さっさとな。

霧の怪物の眼前、怪物が身に纏う水の膜へと触れる直前に、黒雫の球体が破裂する。だがその破裂には威力はない。

涙の雫のような破壊能力は一切付与されていないが、しかしそれは広く、大きく―――霧を侵食するかのように広範囲に広がった。

煙幕。視界から逃れ、視線を外すための方策。そもそも今の私は再生に大量の魔力を消費したせいで魔力の残りが少ない。正直に言えば、あいつのふざけた高火力の攻撃を一度で防げれば上々という次元だろう………いや。一度防げるかどうかも怪しいか。

悔しいがあいつはそれだけ強い。逃げに徹するにしても頭を使わないと勝負の舞台にすら立てない。頭を使っても、死ぬ気でやらなければ簡単に捉えられる。

前に戦ったキマイラたちとは比べ物にならない。


「姑息、卑怯」

「なんとでも言え」


小声で怪物の非難にそう吐き捨てると、深みを増した夜の空気の中、疾走する。

もしもあの複雑な図形が描かれた瞳で視られ、肉体の自由を奪われれば今度こそおしまいだ。

あの瞳の魔術のようなそれがどういった発動条件を有しているのかは分からない。分からないから、最悪を想定する。

つまり、視られただけで終わり、ということだ。瞳を合わせれば発動するなんていう想像は甘さが過ぎるだろう。ここは命を張った戦場なのだ、常に想定は最低最悪にすべき。

足音を立てないように樹々の隙間へと潜り込む。

右腕を前にかざすと、その指先から先程と同じように黒雫の球体が生まれた。けれどさっきとは違って、その黒雫は私の身体を覆っていく。細身のガントレットに覆われた腕から鋭い踵のハイヒールに至るまでを。

尾骶骨周辺からは鋭い尻尾が揺れ、波打つ液体金属の布は帯にもヴェールにも、或いは毒持つクラゲの触手にも見える、黒銀ドレスのよう。

しかしその一方で何処か獣じみた―――美しさと荒々しさを内包した荒削りの不可思議な鎧となる。(かんばせ)にも黒雫の兜が生まれると、その内側からは左右で微弱に色の異なる赤い瞳が覗いた。

こんなもので攻撃を防げはしない。キマイラの爪を受け止められるほどの強度を持つこの黒雫の鎧も霧の怪物には通用しない。だが、即死を一撃でも耐えられる可能性は出てくるし………なにより逃げるための布石でもある。

風に靡くヴェールの先端から、今度こそ先程霧の怪物の眼前で爆裂させたものと同じ球体が生み出される。

それは地面に投げ出され、暫く時を置いた後に破裂、再び霧を希釈する黒雫の煙幕が張られた。

見上げた夜空を黒が侵食していく。

更に逃れるために加速しようとして、背筋に奔った怖気のままに身を屈める。

半透明の液体が鞭のように振るわれて周辺の樹が一斉に切り落とされる。魔狼の森のそれよりは小さいが、それでも巨木と言って誤りのないサイズだ、それが一斉に倒れれば私の道を簡単に塞いで見せる。

魔術で突破、いや駄目だ。相手は人間じゃなくて魔物、魔術による攻撃は拡散される魔力によって居場所がバレる。

ならば………潜り抜ける!


「ッ!!」


肉体の怪力による破壊も音が出るため採用は出来ない。接触しないように細心の注意を払いながらも、速度を落とさずに駆け抜ける。

範囲攻撃によって私の居場所を炙り出そうとしたということは、やはり私のことが見えていないと考えていいのだろう。このまま逃げることが出来れば容易いが、


「まあそうはいかない、か」


―――谷底を歩いていた時と同じ、私を見つめる視線を感じた。

それを認識した直後に足元に煙幕を生じさせる。その煙幕の中心目掛けて遥か後方から水の槍が何重にも炸裂音を響かせながら突き刺さった。


「………」


外れだよ、クソヤモリ。

砕ける黒雫の()を眼下に収めつつ、跳躍。黒を纏う身体が闇に溶け込みながら宙を舞う。空に近づいてようやく霧を抜け、周囲を確認することが出来る。

厄介なことに見覚えの全くない場所だった。あいつに操られた私はどれほどの速度で移動していたのだろう。

仕方ない、そもそもどうせ補足されてるなら魔術も本格的に解禁だ。ここからとにかく、離れる事だけを考える。暴れ回っていれば師匠に発見される可能性も高くなるだろう。

地形を脳に刻み込むと着地。勢いを殺さぬままに走り出す―――背後のプレッシャーがその強さを増していた。

鼻先に落ちる空気の湿度が増す。私は三度、足元に煙幕をばら撒いた。


「三度も同じ手が通用すると思うな、誤りの聖女よ」


鋭い爪を持つ指先が黒雫の兜を捉える。

逃れようとするその兜の一部に霧の怪物の爪の一端が刺さる。そして僅かその爪の先の力だけで、動きが止められた。

叩きつけられる黒いドレス。地面に黒い染みをぶちまけてその動きを止めた………私はそれを尻尾の先端の刃に反射で写して認識しながら、逃走を続ける。


「………分身だと?やはり、姑息な手を好む」


分身とは少し違う。

黒雫の遠隔操作………ついさっき、出来るようになった。操られた際に体内で無理やりに行われた魔力操作のせいだろうか。

本来なら私には出せない速度を出せたのは、魔力の使い方や肉体そのものの動かし方が優れていたためだ。現状の私は、私という存在のポテンシャルを完全に発揮できていないことを思い知らされたわけだが、それはさておき。

………いくら一人で練習しても出来ないことを、補助有りで練習したことによってあっけなく習得することがあるという。多分これは、それと同じことなんだろう。

いよいよ尽きることが見えてきた魔力を更に振り絞って生み出した分身は計三体。煙幕を抜ける事すら出来ずに一体は潰されたけど、残りは二体ある。さあ、本体である私の魔力が少なくなっていることも相まって、見た目だけで判別は出来ないだろう?

そのための、この鎧なのだから。防御力を上げる他に私の肉体を覆い隠すことによって判別が難しくなる。後はまあ、運次第と言ったところか。

残念なことに私は運がいい方とは言えないけど。背後の霧の怪物が、指を向ける。周囲に小さな水の球体が浮かび上がる。

気配だけで呼吸が細くなるほどの濃密な魔力、それによる圧縮。大気が悲鳴を上げるほどの威力の水の大槍が放たれた。


「逃げられ………ないッ」


速過ぎる―――遠隔操作している黒雫があっけなく撃ち抜かれ、溶け落ちた。

一瞬で一体減らされ、即座に次弾が放たれた。今度は、私だ。やはり運がないと心の中で吐き捨てた。

腕を交差させて構える。大事なのは受け止めるのではなく逸らすことだ、あんな威力耐えられるはずがない。


「本物はお前のようだな」


なまじ聴覚が優れているが故に、遠くにいる筈の霧の怪物の声が聞こえてしまう。

舌打ちをした。そして腕に壊滅的な威力の大槍が直撃する。


「グ、ぅぅぅぅぅ………!!!!」


狙いはやはり魔核か。軋む腕とガントレット。そしてガントレットへの威力を分散している液化鎧。罅割れ、砕け、それでも上へと被害を逸らした。

ビシャリと飛沫を上げて血が飛び散る。両腕の肘から先が千切れ、空を舞っていた。

再生は………もう出来ない。魔力がない。魔術も、撃てない。全ての保険も手札も使い切った。遠くで遠隔操作していた黒雫の像が形を維持できずに液体に戻る。

それでも、一歩でも遠くへ。踵を地面に打ち付けようとした瞬間、霧の怪物に頭を掴まれた。


「ん、ぐッ?!」

「そろそろ、諦めろ」


その言葉と共に、鋭い爪を持つ怪物の腕が―――私の魔核を貫いた。


「あ、あ………ぁぁぁ………」


痛みとそれを大きく超える喪失感。何か大事なものが切れたとはっきりわかる感覚。腹部に空いた大穴に視線が向き、滴るという言葉では足りない、溢れ落ちる己の血液をただ眺める。

頭を掴む腕の力が強くなる。頭蓋が軋み、意識が薄れていく。

放せ、離せ。力なく腕を振るうが、欠けた腕は届かない。足を藻掻くように動かすが、魔力の尽きた身体では踵を維持できず、溶けていく。

全てすべて溶けていく。無力に無意味に、落ちていく。元の無力なラリナに戻っていく………?


「喜べ。再び聖女に成れるその奇跡を」


………いやだ、いやだ………誰か、たす………違う、ダメだ助けなんて求めるな、人に助けてもらうことなんて期待しちゃ行けないんだ、考えろ諦念を振り払え………!


(………だめ、なの?)


黒ずんでいく視界の中、怒りと憎悪と認められない感情が心中を駆け巡り。そしていよいよ意識を手放す。

閉じていく視界の中で何か言葉に表すことも出来ない黒い怪物の姿が目に入る。最期にそんな、夢を見た。






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― 新着の感想 ―
ヤモリ強い!早く来て師匠! ラリナちゃんが、ラリナちゃんが、聖女落ちしちゃう!
魔核、遂に撃ち抜かれ、万事休す。
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