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正体不明の谷



アトウッド男爵領を後にした私たちは、エンバス渓谷へと向かっていく。

蝎虎の谷と称されるその場所は、私たちの最終目的地であるアンジェリコ伯爵領に直線的に向かうのであれば最短の距離となる場所、らしい。

らしいというのは単純に私に地図の知識がないためである。

さて、しかしアトウッド男爵領からアンジェリコ伯爵領に繋がる、普通の旅人や冒険者が進むルートはアルボルム帝国の外縁をなぞるか、或いは中央にある王都側に寄ってから抜けるの二択が殆どである。最短である筈の蝎虎の谷をなぜ抜けないのかといえば、師匠がその谷に対して付け加えた言葉こそが答えとなる。


「蝎虎の谷は無数の魔物が潜むのさ。大渓谷という構造上、大気の魔力がその谷の中に注ぎ込み、魔狼の森にも似たような魔力だまりを生み出す。それ故に魔物が生まれやすく、そして生まれた魔物が共食いを行って強くなっていく」

「しかも谷という形状のせいで、魔力だまりを除去する方法もない………魔物の根絶が難しいってこと?」

「そうだ。少しずつ頭を使うことも覚えてきたな、チビ」


師匠に乱暴に頭を撫でられる。ムスッとした表情をしたままそれを受け入れていると、師匠の黒い指が疎らに広がる林のさらに奥を指し示した。

アトウッド男爵領を抜け、名も知らない小さな領地を横断している私たちの前に広がっているのは、何の変哲もない野原である。多少の丘陵と森や林があり、千々に村なども広がっているがトルド村よりも遥かに魔物への対抗意識が薄いことが見て取れる。

それもそうだ、ここはあの男爵領よりも更に内陸に入り、王都に近づいている。無論、魔力だまりによって魔物というものは殆どどの場所にでも湧くとはいえ、聖なる魔力操る聖女や神官、修道女の本拠地たる神殿の存在する王都近郊になれば魔物の数も質も低下する。出てしまったとしても、対処も容易い。

雰囲気としては私の出身地にも近いだろうか。季節は秋へと巡り。紅葉する草木と収穫を迎えた作物を、村人総出で狩り獲っている様子すら見えた。

師匠の指はそんな風景の遥か奥だ。私や師匠のように優れた視力を持つ人間にしか分からないほど遠くにある、突如として現れる鬱蒼とした森。そしてその森のさらに奥から感じられる、微かな魔力の香り。

これ程まで離れていても嗅ぎ取れるということは、魔狼の森に匹敵するほどの魔力密度なのだろう。あの森と違うのは限定的ということと、森を離れればすぐさま通常の生態系に戻ってしまうということ―――つまり、蝎虎の谷の魔物は谷の中でしか強くなれない。代わりに谷の中であれば封王の治める領域の魔物にも引けを取らないだけの力がある。


「大渓谷は帝国が昔から街道の敷設や砦の設置が出来ないかと頭を悩ませてきた場所でもある。巨大なあの谷は守る城を作るには最適で、そうでなくとも橋を架けるなりすれば人や物の動きがより容易く、活発になるためだ。だが、何百年と試行錯誤し、時には白翼の聖女を向かわせてすら、完全なる攻略は叶わなかった」

「普通の谷とは何が違うの?谷の全てが魔物が生まれやすくなるわけじゃないでしょ」


実際、谷を利用して防御性能を上げた天然の砦というのはこの世界にも多くある。人の他、陸を這う魔物に対しては無類の強さを誇るそれは、原作にもいくつか登場していた筈だ。

………まあ、大抵の場合滅んでいてそれをどうにかするためにエウラリアが向かっていたりしていたのだが。


「良い質問だ。理由は二つある」


そう言って師匠は指を二本立てる。


「一つ、地形の問題だ。チビの言う通り谷の全てが蝎虎の谷のようになるわけではないが、それでも大気の魔力が溜まりやすい谷の奥地というのは基本的に魔物が生まれやすくはある。通常は聖女や高位の神官、修道女が出向いて浄化することで魔力だまりの発生を抑える訳だ」


私はその言葉に頷いた。神殿は貴族の令嬢の逃げ先にもなっている以上、下級の修道女の仕事は多岐に渡る。貴族の子女が入れられた場合など、教養があり、けれど聖なる魔力を持たない修道女は神殿の下部組織である教会にて懺悔室で告解を聞いたり、社会福祉業務に従事したり、神殿/教会と平民や貴族を問わず、教育をしたりという仕事に携わる。これは知識にある、異世界の教会の修道女と同じだ。

聖なる魔力を持つことで教会に入り、けれどそこまで強い力を持たない修道女は、大抵の場合貴族出身の修道女の身の回りの世話をしつつ、低品質のポーションを作る。人によっては薬草などを調合する薬師のようなこともしているとか。これもまた、神殿の下部組織たる教会に所属する。

そして出身を問わず、強い聖なる魔力を持つ人間は、神殿へとその住処を移し、聖なる魔力を使用した仕事を行うこととなる。例えば高品質のポーションを作ったり―――師匠が言った通り、浄化が必要な土地に出向いて魔力だまりを祓ったり、魔物の被害が発生した土地の人々を癒したりするわけだ。

聖なる魔力は殆どの傷を治療できるため、魔物の害に侵された場所ではとても重宝されるらしい。

そんな修道女たちの最高位が白翼の聖女を筆頭とした八人の聖女であり、それぞれが聖なる魔力に由来する特殊な力を持つ。ちなみに男は殆どが一律で神官と呼ばれ、精々が高位神官か低位神官かの違いでしか扱われないが、神殿に居るのが高位神官、教会に居るのが低位神官である。基本的には修道女と扱いは変わらないが、当然男である以上教会の中で仕事をする以外で、修道女たちと触れ合うことは基本的に禁じられている。例外として男でありながらも神官以外の役職を持つものもいるが、それらは神殿のトップたる教皇と、聖女の刃であり盾であるとされる聖騎士の二人だけだ。


「蝎虎の谷にも聖女が来てるのに、駄目なの?」

「そうだ。単純にこの渓谷があまりにも巨大すぎるというのが一番の問題点だな」


うーんと首をかしげる。

だって大きすぎて浄化の手が回らない。だから駄目、というのは少しばかり違和感が生じるのだ。


「………白翼の聖女まで派遣して駄目っていうのはそれだけではないってことだよね」

「うむ。浄化していけばどれほど巨大でもいずれは消える筈だ。そうはならないということは理由がある。それこそが、二つ目の理由」


ああ、なんとなくわかった気がする。


「王に匹敵するような魔物がいる?」

「そうだ。強力な魔物はそこにいるだけで膨大な魔力をばら撒く。四方の封王がそうであるように。聖女の手によって浄化を施しても、自然に生じる以上の魔力が谷の内側より生み出る限り、蝎虎の谷の無力化は不可能なのだ」


だからこそ、数百年の試行錯誤を経てもアルボルム帝国は谷を掌握できていない、ということか。

でも私たちが向かう先にそんな強い魔物がいるっていうのは大丈夫なのだろうか。


「その王の魔物ってどんなやつなの。強い?」

「………それがな、分からんのさ」

「勝てるかどうかがってこと?」

「違う。正体不明、誰もその真の姿を見たことがない。痕跡から蝎虎、即ちヤモリではないかと推測されている」

「なるほど」


分からない、見えない、捉えられない。だからこそ、討伐も出来ない。

蝎虎という名の魔物の王。

………どこか、不思議な感覚があった。魔狼もそうだけど、本当に強い魔物というのは人の前に姿を現すタイミングを選んでいる気がする。蝎虎もまた、それに近い気配を感じた。おかしな話だ、私は師匠からただ聞いただけだというのに。


「無論、蝎虎以外にも強力な魔物は多い。油断したらあっという間に喰われるぞ」

「するわけない、油断なんて」

「はは、まあお前ならそうだろうなぁ」


秋晴れの空、木枯らしが一つ。

色付いた葉を流していく風を見送って、私たちは話題に上がったエンバス渓谷―――蝎虎の谷へと向かっていく。






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