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再びの旅立ち



身に纏うのは目立たぬように縫い目で補修された外套。戦いの余波によって傷ついた服もまた、キマイラの素材を使って改善してもらい、着替える。

宿のベッドの中で体を解せば、柔軟に動く肉体に合わせて服もついてくる。

………私が全てを失って、生きるために戦いに身を投じてそんなに時間は経っていないけど、この感覚は良いものだと直感した。


「満足したか、チビ」

「うん」


窓に掛かる日よけの布を端に寄せて立ち上がる。とっくに身支度を終えている師匠が扉を開け、外に出ていくのを私も追いかけた。

廊下の外には既に朝食の匂いが立ち込めていた。白い髭のおじいさんが私たちの方を見ると、無言でカウンターの方を手で示す。そこにはこの宿で最初に食べたシチューと共に、見たことのない食べ物があった。

………いや、違う。知識としては知っている、あれは、ふわふわのパンケーキだ。


「おはようさん、お二人とも。もう出発か?」


珍しく酒を呑んでいないジョルジが私たちを見てそう問いかける。師匠は頷くと、ジョルジの格好を見て呟いた。


「お前さんは男爵領に出立か?」

「おうよ。一応旅に出る訳だからな、好物の酒も飲めんのさ」

「その辺りはしっかりしてるんだ、ジョルジ」

「嬢ちゃんの中で俺の扱いどうなってるんだ」


そうは言っても、私の中でのジョルジはそんなに長い付き合いじゃないのにいつもお酒を呑んでいるイメージなのだから、仕方がない。

やっぱり第一印象というのは大事なのだろうか。最初に出会ったジョルジが酒を片手に持っていたのでその時点でジョルジと酒がセットで脳内に記憶として刻まれたのかもしれない。


「それで、このパンケーキは?」

「まあ、私からのお礼ですな。トルド村にとってはお二方は救世主ですから」

「もののついでだがなぁ………ま、感謝はされて悪いものでもない。有難く頂こう」


席に座った師匠に倣って私も座る。まずはシチューを食べることにした。別に食べる順番だとか食い合わせだとかに頓着も興味も無いけど、なんとなく甘いものは最後っていう感じがする。

良いものは残しておきたいという、人間的な感性が自分の中に残っていたことは少しだけ驚きだ。

変わらぬ味のシチューを口に運びじっくりと堪能する。歯で噛み切った肉の質感が最初の時よりも柔らかくなっている気がした。お肉を変えたのかな、と思ってお爺さんの方を見ると、まだまだたくさんのシチューの入った鍋を煮込みながら、染みこませるような声音で言う。


「時間をかけて煮込むことで、シチューはその深みを増す―――それに関しては料理も人生も変わらぬという事ですな。野菜も肉も、そうして柔らかくなる事で、ますますシチューの味を蓄え、その旨みを増していく」

「そういうものなんだ。ちょっと深いね」

「爺の戯言だろ」

「だまっとれジョルジ。まあ、シチューの具材は、入れたばかりでは硬いままだ。だが、時間と手間をかけて………経験を重ねることで、口の中で蕩ける様に柔らかく変わっていく。忌み目のお嬢さんもまた、まだ何も知らない子供だろうが、だからこそどんな風にもなれる。何が言いたいかというと、より強く、優しく、美しく変わって行ってくれると、儂らのような弱い人間も救われる、という事ですな。勿論、無理強いはしませんが」

「善処する」

「おいチビ、それはあまり善処しねぇやつだ」


師匠に乱雑に頭を撫でられつつ、食べ終わったシチューのお皿を返して、パンケーキに手を付ける。

雑なのはわかってるけど、フォークでてっぺんを指して齧りつく。

………口の中に蜂蜜の柔らかな甘さと、パンケーキの中に混ぜ込まれた柑橘系の爽やかな香りが広がる。甘さというのは、とても久しぶりに味わったものだと、今更ながらに気が付いた。

レインと、お姉ちゃんと一緒に食べたベリーが最後だろうか。身体を奪われていた時はたくさん食べていたかもしれないけど、その期間は一切私の経験にも実感にもなっていないから、分からない。

自然と左手が首元に伸びて、指先にモーニングジュエリーに触れた。

私ね、人の世界に来て、甘いものを食べれるようになったよ―――。


「………?」


左眼に僅かに熱がこもったように感じた。

首をかしげる私を静かに見守っていた師匠。師匠は一瞬で料理を食べてしまったらしく、頬杖をついて私の横顔を見つめていた。


「なに?」

「いいや。うまそうに食うようになったな、と思ってな。それで良い、お前はまだ年相応にすらなれていないのだからな。戦いを楽しむのも良いが、それ以外も楽しめるようになれ」

「うん………?」


師匠の言うことはよく分からない。私だって肉体の年齢は十四歳なんだから、美味しいものは美味しいって判断できる。そうじゃなければとっくに私はレインを食べてた。

でも口にはしない。したらそういう事じゃないって言って師匠は私にデコピンをしそうだから。師匠のデコピンは、結構痛い。

パンケーキの最後の欠片を口の中に放り込み、少しべたつく口の周りを長い舌で舐めとる。


「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした………では、お気をつけて」

「おう。男爵には今回の件、甘く見るなきちんと言っておいた方が良い。最近はどうにも、魔物の動きがおかしいからな」

「それはうちの孫が何とかするでしょう」


一見すると適当に見えるけど、ジョルジは腕の良い男だ。そして最初に師匠が言っていた通り、抜け目がない。

交渉事もきっとそつなくこなすんだろう。その器用さは羨ましいと思った。


「それじゃ」


宿の扉を開けて、背後の二人に別れを告げた。


「また、どこかで」

「………そうだな。また」


この世界は広いから、もう出会うことはないかもしれないけど。

それでも縁が繋がれたのは悪い気分じゃない。そう、感謝された時と同じように、私はそう感じている。

この世には悪縁も良縁もあるけれど。今回はきっと良い縁だろう。小さく手を振って外に出れば、お祭り騒ぎ二日目のトルド村の光景が広がっていた。流石に昨日よりは勢いは控えめだけど。

広場を挨拶されながら歩いて、村の出入り口に差し掛かれば、そこには門番のアルベニと、村長のコルビエールお爺さんがいた。


「お二方。報酬は足りましたかな?」

「少し貰いすぎなくらいだな」

「あなた方がいなければ確実に我が村は滅んでいたでしょうし、お嬢さんがいなければ被害は外に広がっていたでしょう。もう一度、深く感謝いたします」

「あ、ありがとうございました………」


門番のアルベニも私の方を見て少しびくついた後、丁寧に頭を下げた。

悪意は感じない。ただ少し気まずいだけなんだろう。別に私は気にしない。ただ、言うことはあった。


「次にキマイラが来る前に、戦えるようになってると良いね。門番ってそう言う、村を守る凄い仕事なんでしょ?」

「無茶言うなよ………頑張る」


人間、死ぬ気になれば意外と多くの事が出来るものだ。それは私が証明してる。どんなことも出来るとは言わないけど。それが出来れば私は師匠より強くなれてるはず。

手に持った槍を軽く掲げて、少しだけ笑みを浮かべて敬礼した門番に少し表情を緩めると、門の外へと一歩出る。

村全体に一例をして、私は歩き出した。私の少し後を、ゆっくりと師匠がついてくる―――歩幅的に、簡単に追いつかれたけど。師匠は背が高いし足が長いから羨ましい。それだけの長さがあれば蹴りの威力も上がるのにな。


「チビ。次はアンジェリコ伯爵領まで多少の近道をするぞ」

「いいけど、大きな都を通るの?」

「ちと違うな。近道とは街道だけを指すわけではないのさ」


そう言って、師匠は肩に下げている麻袋の中からやや大雑把に描かれたアルボルム帝国の地図を取り出した。

アトウッド男爵領を指差し、そしてそこから目的地である東部のアンジェリコ伯爵領までを指で辿る。そして最後、その二つの点の途中にある渓谷へとその黒い指が落された。


「ここは帝国の中でも有数の巨大な渓谷、エンバス渓谷」


師匠はそこで一旦言葉を区切ると、僅かに口角を引き上げる。


「通称、怪物潜む蝎虎(カッコ)の谷だ」








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シチューとパンケーキを味わい次の街へ出発。
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