この思いも、悪くない
「ここ、は………どこ?」
目を覚ます。
開いた眼に移るのは木製の天井だった。私たちが寝泊まりしていた宿とは違う場所だ。
鼻先に漂ってくるのは薬草を始めとした威力器具の匂い。ということはここはトルド村の診療所だろうか。
身体を起こせば既に身体中に出来ていた傷は殆どが治癒を終えていた。傷の名残は右腕部分に多少の火傷痕が残っている程度にしか窺い知れることはない。
「メルクーリに怒られるかな」
いや………彼女なら多分だけど、無事な事をまず喜んでくれると思う。
それにしても今回の戦いでは、装備に助けられた点は多かったな。メルクーリから貰ったこの服がなければもっとたくさんの手傷を負っていたし、そうして身体中に出来た傷を治癒していけばあっという間に魔力が底をついていた筈。
かといって放置しておけば今度は体力が削られていく。戦いというのはなかなかにままならず―――だからこそ、面白い。
魔核がある腹部を触る。戦っていた時にこの部分を破壊されることはなかったが、ふと触れてみればまた僅かに硬度を増しているように感じられた。
硬質な音を響かせる、服の下の魔核を人差し指でつついていると、扉が開かれてその奥から黒い肌の長身の女性の姿が現れるのが見えた。
「起きたか、チビ」
「師匠。うん、起きたよ。キマイラたちの後始末はどうなった?」
「ジョルジがひぃひぃ言いながら魔核を回収しているさ。あの集団発生したキマイラたちは殆どが第一世代型の魔物らしくてな、放っておけばより甚大な被害に繋がっていただろう。この件は魔核を回収した後に、アトウッド男爵に上申するそうだ」
この村にとってもあのキマイラたちの魔核は良い金になるだろう、と師匠は僅かに笑いながらそう言った。
幾つか私がつまみ食いしたにせよ、あれだけの数の中級の魔物の群れだ。そこから採取できる魔核は確かに上物だろう。込められている魔力もなかなかに多かった。
どうやら私の治療代や戦いの中で破損した装備は、回収できた魔核の量が多いことから無償で行ってくれると、村長のコルビエールさんから申し出があったらしい。
「とはいえ、メルクーリの装備はあくまでも赤色階級としては破格というだけの装備だ。キマイラと戦うには役不足だったな」
「………そうなの?」
「本来、防具とは攻撃を受けても無傷でいられるだけのものが求められる。ブレスを吐くような龍との戦いに木の盾を持ち込む阿呆はいないだろう?同じことさ、戦う相手が格上ならば、装備は整えなければならない。チビの装備もどこかで良いものに変える必要があるだろうな」
「でも師匠は気にしてないよね」
「当たり前だ」
師匠が普段から手にしていた二つの斧は、今はすでに無かった。
そもそもあの斧自体、力量差を見極められずに師匠に襲い掛かった山賊たちを返り討ちにした際に拾ったものらしく、名のある鍛冶師が作った一品どころかそこらへんで二束三文で買える程度の農作業道具だとか。
「結局、行きつくところまで行った強者は、装備よりも自身の肉体を信ずる。どんな鎧も剣も斧も盾も、いずれ壊れるが―――己の肉体だけは、裏切ることはない。だからこそ、儂は自身の肉体を極限まで鍛え上げる戦い方を芯にしているのだ」
そんなスタンスなので、ぶん投げた斧は回収していないとか。というか戦いの最中に師匠の膂力に耐え切れず爆ぜたらしい。
鉄が爆ぜるって、何?
やっぱり師匠ってすごいな。
「魔力は回復したか?」
「半分くらい。もう歩けるよ」
「回復力が高いのは戦士として優れた才能だ。では、いくか」
差し出された手を握る。
ベッドから降りると、お腹の魔核と同じように硬度を増した義足が、硬い音を響かせる。
コン、コンと床を慣らす。一歩一歩だけど、私は確かに強くなれている。今回の戦いは、良い経験だった。
………この世界に無駄な事なんてない。喪失も痛みも、心の底で燻る憎悪も、全てが必要な事なんだろう。私が生きて、強くなって、決して揺るがぬ私になるために。
中天の眩しい空の下へと、私は踏み出す。
***
外に出ればトルド村はお祭り騒ぎだった。
実際にキマイラの群れを完全に壊滅させ、その上で大量の質の良い魔核という膨大な資金に変換できる品物を手に入れられたというのは、貧しい村の中では一大イベントに成りうるのだろう。
魔核はジョルジが男爵領のギルド支部まで出向いて換金するとか。男爵への上申もその際に行うらしい。
村の寂れていた広場には何処からか持ってきた期間限定の屋台が並び、そこには夏の季節に実る果物や、狩りで取ってきた獣が捌かれてから焼かれ、美味しそうな香りを漂わせている。
「おお、お嬢さん!目が覚めたんだねぇ」
「赤色階級だというのに凄い頑張りだったとか………忌み目は不幸を呼ぶなんて言うけれど、アンタは逆に幸運の女神だ!」
「………えっと」
そう言われて手に串焼きや香ばしく焼かれて甘い香りを漂わせる果実などが渡される。果実にはこの辺りでは珍しいであろう砂糖がまぶされていて、よほど村人が喜んでいるのが分かった。
最初この村に訪れた時は寂れていた広場には、村中の人が集まっているようで、俄かに活気づいている。こんなに人がいたんだ、この村って。
そんな感想を浮かべつつ、渡されたものが冷めないうちに齧り付く。
「………美味しい」
「儂や、お前に対する感謝の祭りでもあるようだ。チビ、お前の戦いが、これだけ多くの人を救ったのだ」
「実感ない。ない、けど」
右手を、胸元に置く。
ちょっとだけ、ここがあったかいかも、なんて。思いながら。
広場を歩くと途中で村長と出会った。装備の修復を村のお針子さんたちで行ってくれるということなので、細かい傷のついたメルクーリからもらった服を脱いで、代わりに村娘の着るような、コルセという紐を前締めで止める、白いワンピースを貸し出してくれた。
「似合っていますな。年相応の少女にしか見えませんが………その踵は、鋭い切れ味を持っているのでしょう。いやはや、若者の才能というものは恐ろしいものだ」
「どういうこと?」
「婉曲な言い回しはチビには通じんのだ、村長」
「はっはっは、これは失敬。貴女は強いと、感じ入っただけです」
「………ありがと。もっと強くなれるように頑張る」
村長が私の頭に手を置いて、優しく撫でると自宅へと戻っていく。
上申の内容や魔核に含まれている魔力の含有量、重さなどから算出される金額を紙にまとめたりと、色々と事務的な後始末が残っているようだ。息抜きにお祭りの空気に浸りに来ただけらしい。
………ワンピースなんて着るの、久しぶりかも。裾を揺らして、師匠の手を握りながら村の中を歩く。
笑みを浮かべる村人の顔を見上げる。途中、師匠がぽつりとつぶやいた。
「人を必ずしも助けろとは言わん。人を助けられるのは、それだけの力があって初めて成せることだ。だが、手が足りている場合、その手を差し出すというのは―――」
”悪くは、ないだろう?”
私は、その言葉に頷いた。
………物語のエウラリアもまた、こんなふうに思っていたのだろうか。
ふと表情を緩めて、息を吐く。そうだ、悪くはない。
こんなふうに思ったり考えることと、身に秘めた憎悪が共存することは、悪いことなんかじゃないのだ。私は私で、エウラリアはラリナなのだから。
トルド村のお祭りは夜通し続き、次の日の朝。
朝陽と共に、私たちが村を出る日がやってくる。




