憧憬
溢れ出る大量の魔力。
こうして過剰に魔力が噴出するのは、壊天の技術が未熟な証だ。
伏魔が体内に満たした魔力を張り詰め、恒常的に身体能力を上昇させる技術だとすれば、この壊天はその真逆、張り詰めた魔力を瞬間的に放出することでほんの僅かな時間の間だけ、爆発的なエネルギーを生み出す。
それは引き絞った弓の弦が、一矢を撃ちだすかの如く―――そして、瞬間的に放出する魔力をその身に纏うが故に、この一撃は放つものの肉体を伏魔とは比較にならない程に強固にする。当然、一瞬だけなのだが。
指揮官キマイラの魔核は胸元だ。獅子の顔面を涙の雫で砕いた後、全身全霊の一撃を以て魔核を砕く。そのつもりだった。
「………浅、いっ」
舞い上がった土煙が晴れる。その奥からは、顔面の再生を始めつつある指揮官キマイラの姿。
胸元にある魔核は………半分ほど砕けているが、完全な破壊には程遠い!
どうする、もう一度壊天を決めれば砕けるだろうが、果たしてその隙が―――
「がッ………ぁ」
鮮血が飛び散る。血の出所は、私の脇腹だった。
紅い瞳の残光を残しながら、蛇の尾が指揮官キマイラの元へと戻っていく。喰われた、でも致命傷ではない、メルクーリから貰った装備の硬さのおかげか。
だが、バランスが崩れた。
私の身体に対してあまりにもキマイラの方が大きい。その中でもひと際の巨体を誇る目の前のキマイラは、その蛇の尾ですら私の腰よりも太いのだ。それが高速で私を貫けばどうなるのか。
………たたらを踏む。ただそれだけだが、あまりにも大きな隙を晒した。
「ガアアアアアアアア―――!!!!」
キマイラの再生が終わる。瞳が私を貫き、獅子の腕が振り上げられる。魔核を砕いてもこれでは、殺せない。
更には山羊頭からは非常に高密度の魔力を感じた。確実にここでとどめを刺すつもりなのだろう。
どうする、どうする?
「ッ!!」
黒雫の尻尾を伸ばす。木に巻き付けて、そこから。
そう考えたがその尾が別のキマイラによって叩き切られた。形態を保てず、液状に戻って消えていく黒雫の尻尾から視線を外した。
狐の魔物と同じように水を生み出して防御?
駄目だ、火力はあの狐の魔物よりも遥かに高いだろう。水の壁を作ったところで簡単に貫通されると、私の生存本能が叫んでいる。
「………策が、ない?」
動きが止まりそうになる。
だが、まだだ。考えろ、この窮地を脱する方法を。少なくとも獅子の腕を耐えることはできない。伏魔があったとしてもこのキマイラの群れの中で最も強力であろう目の前のこいつの一撃を耐えることは不可能だ。
受け止めることはできない。だったら、こういうのはどうだ!
「はああああ!!!」
声を張り上げろ、気合を入れろ。
残り少ない魔力を足に込めて、僅かに跳躍。空中で一回転し、その勢いのままキマイラの獅子の腕へと踵落としを喰らわせる。
右足のヒールから罅割れる音が響く。知ったことか、これがかすればそれだけで私は死ぬ。更に力を入れて蹴り落とせば、獅子の足は地面に叩きつけられ、代わりに私の右足の義足が砕け散った。
これで終わりじゃない。さっき私がこいつの蛇にやられたように、腕を蹴り落としたことでキマイラのバランスが崩れたが、既にこいつは二の矢をつがえている。気を抜いて行動を止めれば即死だ。
………もっと、自由に黒雫を使うべきだ。
左腕をキマイラの後ろ足の更に向こうに向けて、クロスボウを射出する。放たれた黒雫の矢には、同じく黒雫製の鎖が付けられており、それが地面に突き刺さると同時、返しの付いた形状が深く地面に食い込む。
すぐさま腕を引き、加速。熱源が頭からキマイラの胴体にもぐりこんだ私の足元で爆ぜ、左足の義足が溶け落ちるのを感じた。
熱は伝導する。生身の部分が焼かれては困るので自ら足を切り離すと、すれ違い様に半分だけの魔核へと食らいつき、齧り取った。
「が、ぐッ!?」
勢いのまま穴ぼこになった地面を転がる。立ち上がろうとして………そうだ、足が無いのだった。
魔力を黒雫に変換しようとするが、頭がどうにも回らない。急激に熱っぽくなって、頭が重くなって、意識がぼうっとする。なんだ、これは?
「………あれ、鼻血………?」
ぬるりとした感触が唇にまで落ちる。触れてみれば、水っぽい血が垂れ落ちていた。
咳き込めば、咳と一緒に血が流れていく―――まさか、魔力欠乏症?
魔核をかみ砕き、魔力の足しにしてみようとするが、足りない。半分だけでは私が負った傷と黒雫を再生させるには全く不足している。
動かなければと思うのに、足を失った身体は言う事を聞かない。私は座り込んだまま、ゆっくりと振り返り、赤い瞳をにんまりと歪めるキマイラの顔を見た。
「どう、する………?」
手は、どこにある?
左眼に手を置く。
どうすれば生き残れる、どうすれば勝てる―――だめだ。私はまだ、こいつらには勝てない!!
大口を開けて、私の頭蓋を飲み干そうとするキマイラ。
その首が、吹き飛んだ。いいや、首だけではない。あまりの威力に、胴ごと爆ぜて、物言わぬ肉片へと姿を変えていた。目を見開いた私に、ハスキーボイスが響く。
「遅くなったな、ラリナ」
私が切り札を切ってようやく砕いた顔面を、あっけなく切り裂いたその凶器は、凄まじいまでの風圧を撒き散らしながら放り投げられた斧だった。
師匠の、斧だ。
それは私の視界の中でさらに数匹のキマイラを両断して、幾つもの樹々を切り倒しながらようやく地面に深々と突き刺さって停止した。
「忌み目の嬢ちゃんも無理するもんだなぁ、ったく」
樹々を飛び跳ねながらやってきたのは無精ひげの冒険者、ジョルジ。
彼もまたキマイラの攻撃を器用に裂けながら、すれ違いざまに急所にダガーを突き刺し、軽業師のように木の上に飛び跳ねると、今度は腰に下げていた弓を用いて魔核を撃ち抜き、キマイラを仕留めていく。
………そう言う戦い方もあるのか。急所を的確に刺していけば、師匠のように完全に首を絶つ必要もない。さらに、残った魔核は弓で確実に壊していく。
そしてその全てに伏魔と壊天の二つの技術が、かなりの練度で使われていた。
当然、ジョルジのそれは師匠のに比べれば劣るものの、私よりは遥かに優れている。
朦朧とする意識の中でそれを眺めていた私の前に、師匠の黒い足が現れた。背の高い師匠が身体を屈めて、私に視線を合わせる。そして、そのまま私の頭を優しく撫でた。
「足掻いたな。上出来だ」
「………勝てなかった」
「敗北そのものは恥じる事ではない。何も得ずに逃げるよりは遥かに良いことだ。大事なのは、学ぶこと。戦いの中でお前は色々と知っただろう?それで、今は良いのだ」
「色々と、分かったよ、師匠。戦いの楽しさと、難しさと………」
「そうか。ならば糧を得たな。あとは、見ているが良い。お前の師匠の戦いをな」
右腕に持ったもう一本の斧を、肩に担ぐ。
一瞬で群れの王を屠った師匠を一番の危険存在だと認識したキマイラたちが一斉に師匠へと襲い掛かるが………その全てが、無駄だった。
師匠が無造作に振るった腕が飛び掛かったキマイラの首をいともたやすくへし折る。それだけではない、その余波によって魔核が存在する部位ごと、細切れになって消えていく。
即座に正面からの突破は不可能と群れ全体で判断したのか、毒を持つ蛇の尾を使っての奇襲を交えた戦法に替えたが、死角から襲ったはずの蛇の牙を、師匠は視線を向けずに踏み潰す。
「脆いなぁ」
別のキマイラの尻尾を掴むと、対して力を入れていないような挙動で容易く持ち上げ、地面に叩き付ける。衝撃で地面が深く陥没し、キマイラは肉片となって爆散した。
「はー、”黒”ともなればこんな意味わからない戦い方になるのか………っと」
「ガァッ?!!?」
ジョルジもまた、そんな独り言を漏らしつつも、樹々の隙間から現れては消えてを繰り返し、ダガーと弓矢を以て正確に仕留めていく。
「………凄い、ね」
―――目指すべき高みが、そこにあった。
気高く、屈しない。無造作で、それでいて美しい戦い方。
薄らを唇を笑みの形にして戦う師匠。右腕で手刀を作るとキマイラに突き刺し、上へと振ればキマイラの三つの胴体は全て縦に両断された。
風に舞う血風を羽衣として、ジーヴァという戦の嵐が舞い踊る。
キラキラと紅玉の瞳を輝かせながら、私はその戦い方を目に焼き付ける。私が勝てなかったキマイラたちをわずか数分で殲滅したその後姿を捉えて、そして。
「寝ておけ。よく、頑張ったな」
頭を撫でてくれる師匠の暖かさに包まれて、とうとう意識を手放した。




