知識を得る。その三、私について
旅立ちの村であるプラトゥムの村は気が付けば遥か後方にあった。
日が翳ったのは、太陽が沈み始めたせい。私たちが丘陵地帯を歩いてかなりの時間が経っている。とっくに時刻は夕刻を迎えていたのだ。
丘陵を吹き抜ける風には少しばかりの冷たさが宿っていた。
「魔物は大気に満ちる魔力が密集した魔力溜まりに生物や無機物が入り込み、影響を受けることによって生じる。これは知っているな?」
「知ってる。そして、人間は魔物にならないってことも」
「そうだ。人間以外であれば必ず魔物か、そうじゃなければ迷宮になるというのに、人間だけは魔物にならない。それは何故か分かるか?」
私は首を横に振る。以前から不思議だとは思っていたのだ。だけど、私の知識の中には明確な答えは存在しなかった。
「儂ら亜人を含め、人間はな………とにかく魔力というものに対して鈍感なのさ」
鈍感、とは?
耐性があるとかそういう事ではないのか。
師匠が平原の中でもとりわけ窪んでいる場所に降りる。私も付いていくと、師匠はその中で腰を下ろしていた。
道中でそれとなく集めていた小枝の類を山のように盛り上げると、小さく力ある言葉を唱えて小さな炎が点る。
あまり大きなものではないが、野営をするには十分な程度の光量と熱を確保できたところで、私もその焚き火の前に座った。
「………思ったんだけど」
「なんだ。言ってみろ」
師匠が今さきほど発した鈍感という言葉。それから推測できることもいくつかある。
「人間は魔力の探知が苦手なんだよね。それは、鈍感だから?」
「その通りだ。逆に魔物は魔力に敏感で、五感などを用いることで人間の位置を正確に予測してくる。魔術師のように大量の魔力を持ったものは、それを抑える術を学ばない限りは魔物を寄せ付ける生餌になってしまう訳だ」
「―――じゃあ、私は?」
普通ならば人間には探知が出来ない筈の魔力を認識できてしまう私は、どうなの?
師匠は私の疑問に一つ頷くと、腰に下げた麻布から干した肉を取り出して焚き火の近くに置く。暫くそうしてあったまってから、その干し肉の塊を私の方へと放り投げた。受け取って齧れば、強い塩味が舌先を痺れさせる。
「腹の魔核を見るに、魔物に近しい特徴を得ているのは間違いない。魔力の探知という人間には不可能な芸当をしているのはそれ故だろう。そして、なによりも大きな差異は」
そこで言葉を区切った師匠は、私の鼻に対して指を向けた。
「再生能力。昼間、殴られた傷はその場で治っていたな、チビ」
「うん。魔力を消費するけど、治る。そういうものなんでしょ?」
小首をかしげてみせる。
そうすれば師匠は首を横に振って、大きく溜息を吐いた。もしかして、なにか私は間違っているのかな。
「いいや。人類が持つ魔力による治癒能力は聖なる魔力に由来するものだけだ。冒険者と呼ばれる者たちのうち、最も数の少ない役職である神官職―――彼女たちがもてはやされるのは、神官に女しかいないからではなく、唯一彼女たちが教会や神殿に関わることなく、治癒が出来るからに他ならない」
………戦士、術師、斥候、神官。冒険者と呼ばれる者たちを大別するとすれば、この四つの職種となる。そのうち、師匠が言ったように神官というのはとても数が少ないらしい。
戦士や術師の中にも後衛職だったり前衛職だったりと細かく分ければ千差万別だし、そもそもパーティごとに立ち回りも大きく変わる以上、その四つ以外の分類は一時はされたようだけど、今では衰退している。
けれど神官だけは唯一、冒険者というものが生まれた時から変わらずに神官という名で呼ばれ続けている。女神の力を振るうことのできる無二の職種なのだから、確かに再生能力がないのであれば重宝されるだろう。
「全員魔力があれば再生できると思ってた」
「そんな能力があるなら冒険者は傷を負わないように立ち回るなんていう苦労はしないさ。高い金を支払って教会や神殿からポーションを買う必要もな」
「………メルクーリに渡してたよね。ポーションってなに?聖なる魔力が含まれていたけど」
「ふむ。これを見てみろ」
そう言って、師匠は自分の革鎧のベルトに収められた小瓶に手を伸ばし、そのコルクの蓋を開けた。
キュポン、と軽い音がして、その奥からはやはり清涼感のある聖なる魔力の気配がする。
「聖別された水と複数の薬草、酒。それらが混ぜられた液体に聖なる魔力を込めたものが、ポーションだ。聖なる魔力の質によってポーションも効能が大きく変わる。街の教会に売っているようなものは下級の修道女によって作られた質の低い下級ポーションが殆どだな」
「………神殿だと?」
「あそこまで行くと、大抵の場合は高位修道女が作っている。場合によっては聖女が手ずから作ったものもあるが、そこまで行くと法外な値段になるな。その代わり治癒能力も相当なものだ」
「そこまでしないと人間は自分の身体を再生させられないの?」
「あのなぁ、チビ。普通は失った肉体は戻らないものだぞ?お前が特殊だってことさ」
右手を開いて閉じてを繰り返してみる。まだ腕には傷跡として残っているものがたくさんあるが、普通の人間はこうして治ることなく千切れたらそれで終わりらしい。
確かに私の足は魔力を得ても治らなかったな。魔力を認識できたかどうかのタイミングによるのかと思っていたけど、魔力さえあれば再生できるのであれば私の足が治っていない理由にはならない。
「やっぱり私は魔物に近づいているのかな」
「肉体はそうかもな。悪いことではないぞ?一人で旅をする冒険者は斥候も接近戦も術師や魔術を操る魔物との戦いも、全て自分一人でこなさなければならない。そういう時に最悪な失敗を再生能力で補填できるのは大きい」
だが、と師匠はつづけた。
「過信はするな。再生に頼り切った戦いをする魔物を、儂は何匹も屠ってきた。どれだけ再生に優れていようとも、急所と魔核を破壊すれば死に至る―――お前もそれは同じだ。傷というのは負わないに越したことはない」
「分かってる。私も前に痛い失敗をしてる」
毒を受けた時のことを思い出す。
再生するからと小さな矢を無視したら、身体が暫く動かせなくなるほどの猛毒が塗られていた。相手にもう一人自由に動ける人間が居たら、私は殺されていただろう。
師匠は神妙に言う私の言葉に軽く笑う。
「それでいい。一つ一つ、教訓を積み重ねていけ。そうすれば強くなっていく―――恐らく、お前は肉体の成長が遅くなっている筈だ。肉体の完成は遠いからこそ、技術を蓄えろ。そして力を効率よく使う術を学べ」
私の身体が魔物に近づいているのならば、さもありなん。
魔物には寿命がない。いや、師匠の話を聞いたところ寿命がある魔物もいるらしいけど、少なくとも第一世代型の魔物には寿命がないらしい。そして私はその魔物の魔核を奪って埋め込んでいる。
だったら成長が遅くなっていてもおかしな話ではなかった。この小柄な姿のままというのはちょっと厄介だけど。やっぱり戦いには背丈は重要だ。体格の分だけ戦闘の際に出来ることは広がる。
あれ。そういえば私が魔物に近づいているということは、その血を引くものはどうなるんだろう。まあまだ初潮が来ていないので子は産めないんだけど、それでもふと気になった。
「………ねえ。もしも私が子供を産んだら、どうなるのかな。寿命がない子供が出来るのかな」
「お前と同じ特徴を持った男がいれば有り得るかもしれないが、まずいないだろう。そしてただの人間との間ではそもそも子が成せるかどうかも分からない。………仮に子が成せたとして、世代交代を重ねた魔物は魔物としての特徴が劣化する。かつては幻想種として力を持っていたゴブリンが今では最弱の魔物と呼ばれるように、な。お前の子も、仮に生まれたとしてもただの人間の近しい性質を持つことになるだろう」
「そう、なの?」
「そうなのさ。いいか、チビ。魔物は最初動物や虫、植物のようなものの変異体として誕生する。だが長い年月を生き、同族喰らいや人間を捕食した魔物は進化し、幻想種と呼ばれる魔物に変化する」
魔狼のように動物の姿を保ったまま強者になるものもいるみたいだけど、あれはそもそもが捕食者だから幻想種とはまた括りが変わるのかもしれない。
或いはあれは既に幻想種として確立されているのかな。
「ヘカトンケイルやグリフォン、セイレーン。それから儂らの目的である龍種だな、奴らは幻想種の代表例であり、それだけ強い魔力や頑強な肉体、そして特性と呼ばれる特殊能力を持つことも多い。だがそんな幻想種も、群れて子を大量に生むようになると存在が劣化するのさ」
「劣化すると、弱くなるってこと?」
「単体としてはな。魔物が持つ無限の寿命と際限なく強くなるという特性が薄れ、寿命が現れ強さにも上限が生まれてくる。その代わりに、数という力を手に入れることなった訳だ。これはある幻想種が特定の別種として成立するほどに数が増えると発生する事例で、儂が知る限りはゴブリンやコボルド、オーガなどが該当する。劣化するといっても、種によって強さは様々だがな」
オーガはゴブリンに比べればはるかに強い魔物の筈である。でも、あれも劣化した魔物なんだ。驚きである。
「先祖帰りをすることで寿命が長くなったり強さの上限が変動したりはするが、第一世代型の魔物のようにいつまでも生き、無限に強くなって別の魔物へと変異するようなことはまず起こらない。まあ、絶対はないがな」
「魔物、だしね」
「そういうことだ」
無限の寿命がなくなったから、子を孕ませる。例に出したゴブリンは雄しかいないようなので、自身の種の生存のために女を攫って孕ませるわけだ。
あまりにも数が増えすぎると、魔物は生物に近い性質を持つようになるらしい。でも種としては強いし、個を捨てたことである意味では不滅になったともいえる。そう考えれば、魔物としての到達点の一つではあるんだろう。
空を見上げれば、既に大きな月が私たちを見降ろしていた。薄く青みが駆った夜天を、白い月光が彩っている。
「三時間寝て交代だ。儂から見張りをする」
「別に私がずっと起きててもいいけど」
「あほう、いずれチビは儂以外ともパーティを組むようになる。その時にお前だけに負担が集中することになるぞ?こういうのは分担するのが良い、いずれにしても甘えてしまえば他人のためにならん………甘えさせるのも、同じことだ」
「そっか。そういうものなんだ。分かった」
干し肉を齧り切って、私は身体を丸める。
焚き火の炎が弾ける音と、師匠が小枝を投げ込む音を聞き流しながら、私は目を閉じた。




