冒険の始まり
なにやら話があるらしいジーヴァとメルクーリを背後にして、私は応接間を出る。若干変動した空気を鼻を鳴らして通り過ぎて、扉が突き刺さったままのカウンターから出ると、さて。
「何処で待ってよう」
ギルドの外に出るのは駄目だよね、多分。
そうなるとこのギルドの中で待つことになるのだが、装いを新たにした私に、先程冒険者になれなかった人間たちの敵意丸出しの視線がいくつも突き刺さるのが分かった。
………喧嘩を買うな、あと売るな。師匠はそう言ってた。だから約束事は守らないといけない。つまり、攻撃しちゃいけないってことだろう。
左右に視線を彷徨わせるも、メルクーリ以外には今、この時点で受付嬢は居ないらしい。そもそもここはギルドの村への出張所のようなものなので、そこまで人員自体がいないのだろう。その証拠に、ギルドの二階はギルド職員の宿泊所になっているようだけど、そこにも人の気配というか臭いは、無という訳ではないけど、数は少ないものだった。
まあ壁際というか、受付に併設されている酒場の隅の方でじっとしておこう。そう思って酒場の奥で、壁に身体を凭れかけて目を閉じた。
その後、数分程度だろうか。目の前に複数人の人の気配がしたので、目を開く。
「………おい!」
「ん」
目の前に居るのは、確かメルクーリにツワイクと呼ばれていた少年だった。
その後ろには比較的年齢の高い、大人と呼んでも差し支えの無い男たちが数人立っている。私を逃がさないためだろうか、ツワイクを先頭にして、それ以外のメンツは私を人の檻で囲むような形で取り囲んでいるのを認識した。
ああ。唆されたかな、この子供は。
「なに」
「本当に、お前………冒険者になったのか?」
「多分。メルクーリに書類は出した。証はまだだけど」
嘘を吐く理由もないので素直に答える。私が答えるたびに、ツワイクやその背後の男たちの顔色は赤色に近づいていく。
気が立っているのだろうが、きっと私がどう答えても気分を悪くすることに違いはないのだろう。ああ、とても面倒だ。会話することすら億劫だ。
………メルクーリとかジーヴァ相手なら、こんなふうに思う事もないのに。同じ人間なのに、あの人たちとこいつらは何が違うんだろう。
「ふざけんなよ?!なんで、なんでお前なんだよ!僕じゃ、なんでダメなんだ!」
「さあ。お前、何歳なの?私より年上って言ってた気がするけど」
「十三だよ!」
あれ。私と大して変わらないけど。
一応は年上ではあるけど、そもそも冒険者に年齢ってそこまで重要なのだろうか。冒険者として長生きしていれば確かに偉いだろうけど、どのタイミングで冒険者になったかどうかなんてそこまで関係なのではないだろうか。
寧ろ子供のころから冒険者になるよりも、成熟して身体や技術が完成してから冒険者となったほうが、活躍自体は出来るだろう。どんなものにも下地、つまり積み重ねた経験は重要で、年齢もまたその経験と呼ばれるものの一つだとは思う。
私があっけなくジーヴァの手のひらの上で転がされたように、老獪な存在というのは未熟なものを簡単にあしらってみせる。
師匠は強い。そして賢い。私も強くなりたいなら、あの人から学ばなければいけないことは多い。
「よく分からないけど。メルクーリが言ってたよ。冒険者になれるかは、その心の中に芯があるかどうかだって」
「はあ?!お前には!あるのかよ!?そんな、全部どうでもいいみたいな無表情で!!僕の方がずっと、ずっと………」
「………」
ツワイクの腕が私の胸元を掴む。メルクーリから貸してもらった外套が引っ張られてくしゃくしゃになるのが見えた。
その少年の爪は割れていた。腕は所々傷だらけだけど、それはきっと日頃の農作業のせいだ。手のひらに出来た豆は鍬を握っていた証拠。汗水を垂らして、あの魔物が多く出没する開拓村を耕していたことが窺い知れる。
豆と傷で形作られたその手のひらに、真新しい傷があるのが分かった。鼻をきちんと動かせばいまだ淡く香るのは血の匂い。一番新しい傷は、そこに僅かながらの魔力が宿っていた。
魔物によってつけられた傷だと直感した。
………少なくともこいつの憎しみは、私とそう遜色がない。私だって憎しみの炎によってこの身体を動かしている。ツワイクだけは、私に対して「どうして?」と疑問を投げかける資格があるだろう―――背後の、完全に欲望のままに動こうとするだけの男共とは違って。
私は、こいつの疑問にだけはきちんと答えるべきだと思う。何故かは、分からないけど。だけどこの瞳に対しては嘘をついてはいけないと、そう思うのだ。
「どうでもよくないよ。私は、冒険者にならないといけない。メルクーリがいうところの、芯は―――私にも、ちゃんとある」
無表情だからといって、その顔の下にどのような熱が秘められているかなんて誰にも分からない。
私の魂の奥には黒々とした復讐の炎が燃え盛っている。だけどそれを悟られるつもりもない。そうして秘められた憎しみの炎の熱量は、私自身を研ぎ澄ます。じゃあ、お前は?
「ねえ。魔物が憎い?」
「………にくいよ。父さんと母さんを殺した、あの魔物が!殺してやりたい、この手で………!」
「でも、多分だけどお前の両親を殺した魔物はもういないよ。開拓村を率先して襲うような魔物なら、危険度が高いと判断されるだろうから、一番最初に殺される。復讐の対象は、もうどこにもいない」
「………ッ」
「お前の復讐の炎は、どこに向かう?」
外套を掴むツワイクの腕を掴む。少しだけ強く握りしめれば、痛みに顔を顰める。メルクーリの腕を傷つけてしまった時の力を参考にして、怪我をしない最低限の力を掛けていく。
喧嘩はするなって言われたから従う。それにこの少年は、喰らうべき対象じゃない。あまりにも、弱すぎる。
やがて痛みに負けて指が開き、ツワイクが自分の手元に腕を引き戻す。少し赤くなっている手首をさすりながら、ツワイクが俯いた。
「僕の、復讐の先………」
「憎悪の炎は制御できなければどこまでも際限なく広がっていく。捨ててしまえるなら、その方が良い」
これは憎悪に身を任せることに決めた私からの忠告。
幼く哀れで、無能なエウラリア………つまり私自身の死。そして大切な人だったことを失くしてからようやく気が付いた、私に二度目の生を授けてくれたレインという家族の死。その二つから得た数少ない教訓だ。
師匠にも言った通りだ。私は人を殺めること自体を快楽だとは思わない。だけど必要ならためらいなく殺す。それは私自身のためであり、私が強くなるための事。それに対して、罪悪感を感じることは永遠にない。
善悪問わず人を、魔物を、私は殺す。生きるために、喰らう。変質した根底は、覆らない。もう二度と、戻らない。割れた卵が二度と元の形に戻らないのと同じように。
それでもいいと思えるのなら、その先に進めばいい。その道のりには数多の憎悪がこびり付いて、その足や身体を呑み込もうとするだろうけれど。
「私の在り方は憎悪によって変化した。強くなる、そして生きる。それだけが私の目的になった。例え殺す相手がこの世に居なかったとしても、それはもう変わらないし変えられない。お前にもその覚悟が、ある?」
「………お、お前は」
震える声で、ツワイクが一歩下がる。それでも視線だけは私に向けて、小さな少年は叫んだ。
「お前にも、いるのか?どうしても殺したい奴が」
「そんなの」
脳裏に浮かぶのはただひとつ。私からすべてを奪い去ったあの声の主。
寄生植物の魔物に意識を映して消えたあいつが、今どこで何をしているのかは分からない。だけど、だけどね?
「………居るに決まってるでしょ?あいつだけは、必ず私が」
―――喰い殺す。
唇を横に裂いて昏く哂う。
どこにいようと何をしていようと、どんな存在になっていようと必ず見つけ出してその息の眼を止める。喰い殺して、だけど食べてなんてやらない。
あんなやつを二度と血肉として受け入れてやるものか。
「ひっ?!」
「………?」
尻もちを着くツワイクが小さく悲鳴を上げた。私は小首をかしげながら、彼に手を伸ばして。
その瞬間に、顔面に男の拳が迫っていることを認識した。反撃して首元に一撃、いやだめだ。喧嘩は駄目だからここで殺しは無し、師匠との約束。じゃあ、どうしよう。
そんな風に考えていたから対応が遅れた。鼻っ面に男の殴りを受けて、たたらを踏む。後ろに倒れかけて、壁に頭が激突して戻ってきたところを、更に追撃で別の男たちから下腹部と頭にそれぞれ蹴りと殴りが入る。
………鼻からだらりと熱いものが垂れるのが分かった。
「少し、痛い」
再生する以上は別に脅威じゃないけど、鼻を殴られれば流石に鼻血が出る。あと私の身体は軽いから、あくまで農夫としてしか鍛えていない男の拳でも普通に吹き飛ぶ。
ツワイクはやはり、私に行動を起こすためのただのとっかかりなのだろう。結局彼らがやりたいことは憂さ晴らしということかな。
成程、メルクーリが冒険者になることを承認しなかったわけである。これではそれこそ人に迷惑をかける破落戸そのものだ。とても、冒険者とは言えない。
「生意気なんだよ、クソ餓鬼が―――」
………折角の服が血で汚れるのは嫌だな。どうしよう。
私が傷をつけてしまっても、優しく微笑んでくれたメルクーリの顔が思い浮かぶ。
「俺たちは家も畑も失ってもう冒険者になるしか食っていけねぇのに!!なんで、俺たちは断られて、お前みたいなやつが!」
「ちょ、ちょっと待てよ?!実際に暴力を振るったりはしないって………ちょっと脅すだけだって言ってただろ?!」
「んなわけねぇだろ!このクソ餓鬼は憂さ晴らしの道具だよ、どうせ忌み目だ、なにやったって文句なんて―――ッ?!?!」
喚きたてる男の背後から音もなく、その腕が射干玉の腕に掴まれた。
「なあ、おい。儂の仲間に何をしている?冒険者でもなければ避難民とも呼べない能無し共」
そのまま、息をするように自然に腕の骨が直角に曲がった。
呆然とその腕を見ていた、私を一番最初に殴った男は、数秒ほど呆けた後に涙を流しながら絶叫し、ギルドの床の上をゴロゴロと転がりだした。
涙だけじゃない。失禁もしており、異臭が漂う。その様を見て、男の仲間と思われる他の男たちは距離をとって後ずさっていた。
「チビ。儂は喧嘩を買うな、売るなとは言ったが一方的にやられろとは言っていないぞ」
「どうするべきか迷った」
「………あー、もっと細かく指示を出しておくべきだったか。すまんな、お前が精神年齢も含めてチビだってことを忘れていた」
なんだろう。すごく斜め上の方向の罵倒な気がするけど、まあいいか。
「別にいい。すぐ治る」
「そうか。今度は逃げるか、こうならない立ち回りをしろよ」
「うん。頑張る」
私の頭に手を置いた師匠がそのまま私の首元に、赤色のプレートを掛ける。
赤色階級の冒険者証、即ち私が冒険者として認められた事実そのもの。それを見てツワイクが唇を噛み、他の男たちは喚きだす。
「おかしいだろ?!そいつは忌み目だぞ、災いをもたらす魔物の魂を持つ人間だ!そいつが冒険者になるくらいなら、俺たちが!」
「貴様らには素質がない。育てる価値もない。それだけだ。行くぞ、チビ」
「うん。話は良いの?」
「済んだ。そこの馬鹿共はメルクーリが何とかするだろう」
師匠の視線は扉が突き刺さったままのカウンターの方へと向かい、そこには笑顔を浮かべて入るものの、その表情からは怒りが滲んでいるメルクーリの姿があった。
「う、受付さん!俺達を冒険者に!」
「当ギルドでは憂さ晴らしのために不用意に暴力を振るう人間を、冒険者として迎え入れるつもりはありません。北部支部は確かに冒険者の数が足りていませんが、かといってただの犯罪者に冒険者証を与えるわけにはいきませんので」
にべもないとはこのことか。
アルカイックスマイルで全てを拒絶したメルクーリが、酒場に居るきちんとした冒険者へと視線を向ける。青色のプレートを持つ冒険者が頷いて立ち上がると、ツワイク以外の男たちをギルドの外へと放り出した。
相当雑に放り投げられたらしく、大きな悲鳴が聞こえてくる。
メルクーリが私の方に手を振ってきたので、私も小さく振り返した。師匠がへたり込んだままのツワイクに近寄って、その瞳を見つめると、角に手を当てて軽く声を出して笑った
「はは、成程な。お前はもう少し考えて、頑張れば素質があるかもしれんな。だが今のままじゃ駄目さ。チビの芯が分からない、その程度ではな」
「………つよ、さ」
「じゃあね―――ツワイク」
彼が冒険者になるかどうかは分からないけど。もしも冒険者になる道を選んだのであれば、憎悪は秘めていなければいいな、と思う。
自身の身を焦がす焔の中に飛び込む、そんな道を進むことはお勧めしない。冒険者になるのであれば、普通は夢を見るべきだ。
私みたいには、ならない方が良いよ。視線の中にそう意味を込めて、少年に視線を流す。
「またのお越しを、ジーヴァ様、ラリナちゃん!」
姿勢よくお辞儀するメルクーリに、頷く。
戻ってくるよ。今度は魔狼を倒すために。メルクーリも元気でね。
解放されたままの扉を潜って、夏の気配が色濃い外へ。太陽を見上げた師匠が、東の方へとその黒い指を向ける。
「行くぞ、チビ。冒険の始まりだ」




