魔狼の森へ
高く、巨大な天井に飾られた天使をモチーフとした天井画。そこからは光量を確保するためのシャンデリアが幾つも飾られ、魔術によって灯された橙色の炎が見た目だけは美しく乱反射している。
そんな豪華絢爛を風景にそのまま当てはめたような王宮から連れ出された私は、腕と足を縛り付けられたままに罪人を輸送するための、殆ど光の差し込むことのない馬車へと押し込められる。
その間にも、私の中で五月蠅く声は響続けていた。
「(魔咬刑………狗咬刑のこと?!生きたまま、囚人を食わせる最悪な刑罰じゃない!!)」
「………」
五月蠅い、五月蠅い。
本当によく響く声だ。私に似ているが益々、腹が立つ。
その声から漏れだしてくる記憶は、いよいよその殆どを私の魂が飲みほしたのか、八年の歳月の全てが、私の知識として染みついた。それだけではない、彼女―――そう、彼女だ。
声の主の女がかつて生きていた頃に記憶していた知識もまた、彼女自身が覚えている憶えていないにかかわらず、私の中にこびり付いていく。
………彼女の知識によれば、私は彼女が何かしらの理由によって死んだ彼女が、生前に読んでいた小説の主人公であるという。
聖女エウラリア。”白翼の聖女”という作品の主人公であり、小さな田舎の修道女であった彼女が、様々な人との出会いを経て聖女のとしての力に覚醒し、更には王族や貴族、騎士達と共に、この広大な大陸にあまねく広がる魔なるモノたちと戦いを繰り広げていくという作品であるらしい。
ゲームなるものとは違い、挿絵もない小説でありながらそれは大ヒットを記録したらしく、殆どの人が読んだことがあるらしい。
その小説の中に登場するエウラリアは、砂金の様な金色の髪をしていて、深緑色の瞳をした薄幸な美少女であるという―――薄幸な美少女という点はさておき、私の見た目は確かにその小説のエウラリアそのものであった。
「失礼します。私は中央神殿より派遣されました、”予見の聖女”。此度、皇族及び神殿の他の聖女たちからの要請により、聖女を騙った罪人エウラリアへの刑の執行の見届け人の任を負いました」
私の思考を邪魔したのは、罪人用の馬車の御者が座る場所に乗り込んだ白い衣服の少女であった。
………ベールを纏ったかのような何枚もの布によって構築される純白の服は、このアルボルム帝国に広がる女神信仰の教え―――教会の総本山である神殿によって認められた聖女の証だ。
「(予見の聖女………?!未来視の聖女!!どうして、あんたが!!)」
「せい、じょ」
「あなたが罪人エウラリアですね。聖女を騙ることはこの帝国では重罪。ましてや聖女の中でも最高位の存在である”白翼の聖女”を騙るとは。自らの出自を皇族と偽る事と同じですよ」
………かつてこの大陸には魔物が蔓延っていた。
その中で魔物を打ち払い、人が存在できる国家を生み出したのか、アルボルム帝国が信仰する白翼の女神であるという。
やがて魔を払った女神はとある人間と恋に落ちる。その血筋を引くものこそがアルボルム帝国の皇族。そして、それ以降このアルボルム帝国には聖なる魔力を持つ女性が生まれるようになり、その中でも最も強力な力を持ち、存在するだけで全ての魔物を弱らせ、帝国に栄光を齎す聖女こそが、白翼の聖女と呼ばれる存在であった。
聖なる魔力という、魔物が嫌う特別な魔力………白翼の聖女のそれは他のそれとは文字通り桁違いのものであり、曰く白翼の聖女はかつて降臨した女神の魂を持つものである、と称される。
どの国家でも貴族を騙る行為は重罪であるが、ことアルボルム帝国においては聖女を騙る事も同じく重罪、そして………白翼の聖女を騙るものは、当然のように死罪に課せられる。
私の中に入っている女は、小説と同じ名前、同じ容姿をしているという根拠だけを信じて自分を白翼の聖女だと信じ込み、そんな罪を犯したのだ。
ふざけるな、お前の自殺に私を巻き込むな………お前の好き勝手のツケを、私が支払わされるのか?
「………?」
予見の聖女を名乗った少女が、眉をひそめる。
「どうされましたか、聖女殿」
「………我が双眸が、二つの未来を捉えました」
「この罪人に、未来視を?すぐに死ぬ未来しかありえないでしょう」
「ええ。一つの未来では間違いなく、死にます。しかし、これは―――靄のかかったもう片方の未来では………これは、なに?逃走と、闘争。捻じ曲がり狂う歯車………暗示?このような不確定な未来視は、初めてです」
御者台に座る、執行人が唸る。
「魔咬刑ではなく、今ここで斬首するべきでは?」
「栄えあるアルボルム帝国の王宮を、白翼の聖女を騙った罪人の血で汚すことを選ぶのであれば」
「偽物、詐欺師は魔物に食わせて処理をする。魔を払う聖女を騙ったものは、魔に食わせてしまえ―――かつてよりの風習となれば、従う他ないという事でしょうか。出来る限り惨い死に方をしてほしいものですね」
予見の聖女はその言葉に何も返さず、私の方を一瞥すると澄ました顔で前を向く。
聖女の隣の執行人が馬に鞭を振るうと、ゆっくりと馬車は動き出した。
「(やばいやばいやばい!!このままじゃエウラリアと一緒に殺される!!どうにかして私だけでも逃げないと!!)」
「………一緒に、死ね」
「(………ッ!!この女、元はと言えばアンタが白翼の聖女に覚醒しないから!!本当だったら神殿のトップに立って、皇族たちが勉強する学び舎に入って、いずれはこの国の皇后になる筈だったのに!!なんで、なんで私の人生は悉くうまくいかないのよ!!!)」
本当にこの声は好き勝手に物を言う。
目の前に立っていたら間違いなく殺してやるのに、私の頭の中に住みついているからそれも出来ない。
そもそも、私の手足は拘束されていて、身動きすら取れないのだ。
ナメクジのように身体を動かし、小さな切れ目程度にしかない窓から外を覗けば、罪人輸送用の馬車の周りには馬に乗った兵士………いや、恐らくは騎士だろう、男たちが三人程度居るのが見える。
「魔咬刑、の………刑場は、アルボルム帝国北部の………”魔狼の森”」
皇子だとかいう男の言葉を反芻する。
私の知識にも、女の知識にも魔狼の森なんていう致命はなく、けれどなんとなくここからはとても遠いことが分かった。
なにせ、詐欺師の血で王宮を汚すことを嫌う程なのだ、帝国の皇都内で殺すことも有り得ないだろう。
私としては助かったかもしれない。市中引き回しにされて、その場で打ち首にされるよりは遥かに―――だって、その方が頭の中の声に対して呪詛を吐き続けられるでしょう?
「どうせ………」
どうせ、逃げられやしないのだから。
どうせ私の人生は、この声に無茶苦茶にされて………もう、終わってしまっているのだから。
「う………うぅ」
なんで?
女神様、私が何かしましたか?
「どう、して」
粗相をしたのであれば謝ります。何か罪を犯したのなら償います。
そうでないのなら。
「(死ね、死ね、死ね偽物!!お前の中になんて入らなければよかった!!この役立たず!!)」
私に課される試練は、私の人生は、あまりにも惨めじゃありませんか?何のために、私は生まれてきたのですか?
それとも、この声に壊されるために、私は生まれて、生きてきたのでしょうか。
ジワリと滲むのは、涙だった。
………身動きが取れない。遠くに、私たちの知識にすらない遥か遠くに運ばれる私は、魔咬刑執行のその場に辿り着くまで、一切の身動きが許されない。
家畜に餌をやるように、水を浴びせられて泥が混じった黒パンを腹に押し込められる。
糞尿は、垂れ流しで―――昔から、親に褒められていた、自慢だった髪は、排泄物に塗れて酷い悪臭を放っている。
本当に、惨め。だというのに、頭の中の声は止まない。
「(いい気味ね!!アンタの身体の主導権を手放して正解だったわ!今の私には臭いも何もないもの!!アハハ、私の役に立たないからそうなるのよ!!)」
………護送する騎士たちは、あまり性格がいいとは言えない。いや、寧ろ最悪の部類だろう。
当然だ、最低の詐欺師を、偽物の聖女を運ぶ馬車を護衛するような任に付くものが、まともな騎士の筈がない。
予見の聖女や、全ての監督役の執行者はまともなようだが、彼らはあくまでも私にきちんと刑罰が執行されるのかを見届けるだけの物であり、私がどれだけ玩具にされていようとも不干渉を貫いていた。
いいや、違うのか。こうして、蔑まれて馬鹿にされて、遊ばれること自体も一つの罰なのだろう。
―――直接的に犯されはしなかった。けれど、何度も殴られた。腹を殴られ、頬を張られ、男たちの尿を浴びせられた。犯されなかったのは、私自身が既に触れられたくないほどに汚れていたからだ。
水浴びも許されず、全身が痣だらけ。手足を拘束されているから逃げることも出来ない。
ああ………犯されなかったとはいっても、純潔が守られているかは話が別だ。どうせ壊れる予定の玩具に、手加減なんてするはずもない。彼らが腰に下げていた錆びついた剣が、私の初めてだった。
この暗闇の中は地獄だった。身体を奪われていた時と、何も変わらない。相も変わらず、私を覆う暗闇は、私を閉じ込めて、そして光が私の目に飛び込んできた時は私が玩具にされる時間だった。闇の中でも、光の中でも、地獄であることは同じだった。
それでも―――終わりはやってくる。光が私の目を灼いた時に、此処まで殆ど言葉を発することのなかった聖女が口を開いた。
「今日が最期です」
排泄物と汗に塗れ、殆ど破れてボロボロになった囚人服を引き摺りながら、私は外に出る。
全裸と大して変わらない私の肌を撫でていくのは、冷たい空気。冬の入りなのか、空からは雪が静かに降ってきていた。
「さっさと歩けよ、豚」
「あ………ッ」
騎士の一人が私を蹴る。何度も殴られて痣になった全身が痛み、よろめくが倒れようとしたところをまた別の男に蹴られる。
舌打ちをすると、最終的に蹴り転がされて、私はどんどんと森の方へと―――いや、森の中でも闇の濃い方へと蹴られていく。
グルル、と。声が聞こえた気がした。
思わず闇の奥を凝視すると、その奥からは幾つもの紅い瞳が覗いている。
あれは、魔物の目だ。獲物を見つけ、舌なめずりをする怪物どもの目だ。それが、私を見つめている。
「刑を執行する。おい、お前たち………その罪人の足を斬れ。逃げられないようにな」
「了解」
「とはいっても触りたくねぇなあ。いくら魔物に食わせやすくするために臭いわせるつっても、流石に限度があったか?」
「文句言わねぇでさっさとやっちまおう。触りたくないなら踏んどけよ」
雑談を重ねながらも、男たちはその錆びた剣を引き抜いた。
「………ッ!!!」
暴れるのは生存本能だろうか。死を実感して、生にしがみ付くように、私はここから逃れようとするが、そんな抵抗は無駄だという様に全力で背を蹴られ、私は潰された肺から全ての空気を吐き出す。
いや、空気だけじゃない。吐瀉物も吐き出して、けれどそんな頭もまた足で踏みつけられて―――そして。
「じゃ、やりますかねっ………と!」
綺麗に、とは言えなかった。錆びた剣は切れ味が悪くて、私の肉を絶ったところで骨で止まる。
「ア………アア――――――」
「うるせえ」
「ッ!??!!??!」
悲鳴を上げて痛みを逃がすことすら、許されなかった。痛みと窒息が私を壊していく。
「うわ、また漏らしやがった………きったねぇなあ」
「(どうしようどうしよう!!このままじゃこいつと一緒に死ぬことになる!!なにか、なにかないの?!私だけ逃げ出せるような一手は?!!)」
わたしはこんなにいたいのに。なんでおまえは、おまえは―――。
「ッ!!!!」
ブチブチブチッ!!
そんな音を立てて、斬るというよりは千切るようにして、私の両足は私の身体から離れていく。
ゴミを捨てる様にそこらへんに放り投げられると、ゆっくりと森の奥から這い出てきた紅い瞳の獣が、その血と排泄物に塗れた足を捕食する。暫く滴る血と肉片を舐めていると、背後を気にしたような素振りを見せてどこかに去っていくのが見えた。
「ま、最期に希望だけは遺してやるよ。ほら」
手の自由を奪っていた革の拘束具が、その言葉と共に切り落とされる。
ようやく自由になったところで―――私に、この状況をどうにかする手段はもうなかった。
「刑の執行を確認しました」
「帰るぞ。今は雑魚共だけだが、魔狼本体が出てきてはことだ。聖女様に傷を負わせるようなことがあってはならないからな」
「へいへい。んじゃ、頑張れよ、元聖女様………あ、偽聖女だっけ?アハハハ!!!」
そう言って、騎士の男は最後に、はいつくばって少しでも距離を取ろうともがく私の手のひらを縫い付ける様に、その錆びた剣を突き刺した。
「………あああああああ?!?!?!!」
左腕が地面に縫い付けられて、そして柄は高い所にあるから手が届かない。
背後から、荒い息遣いが聞こえる。騎士たちや執行人はもう振り返らずに去っていく。
最後、予見の聖女が私の方を一瞬だけ視線を向けたけれど―――すぐに他の男たちと同じように、私を見ることも無くなった。