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さようなら




嵐の前の静けさとでもいうのだろうか。

あの三人組の冒険者以降、斥候と思しき冒険者たちは現れてはいるものの、魔狼の森の入り口の本当に周辺を調査し、低級の魔物を狩り獲って戻る程度で本格的な戦いに陥ったことはなかった。

だがいるにはいる。鼻先に香ってくる鉄と血の匂いと、魔力の香は私の意識を不快にさせた。


「レイン。また人間が来てる。そろそろ危ないかもしれない」

「………」


月だけが私たちを見つめる夜。

セイレーンの詩を謳っていたその声を止めさせて、私はレインにはっきりと忠告した。

斥候との戦いから月が十回とちょっと沈んだので今は凡そ半月程度経ったのだろう。ここまでは何もしてきていないけど、人間は何するか分からない。

大抵の場合、時間をかけたということはそれだけの何かをやらかそうとしていると考えていい筈だ。

………魔狼の森にいる魔物は、多分だけど結構強い。だからこそ人間たちもこの泉までやってくることは一度もなかった。私がここに辿り着けたのは、より深部に狐の魔物が私を運んできたからだ。

でも本格的に人間が徒党を組んだら、きっとこの泉まではやってくる。泉と森の入り口までは決して遠いわけじゃないから。


「………ラリ、ナ。オイ、デ」

「え?」


手を取られて、そのまま私はレインに優しく抱擁されたまま、泉の中へと落ちていく。

段々と気温が上がってきた今の季節、泉の水は肌を優しく撫でていき、体温を緩やかに下げていく。その中で、謳う様にレインの声が響く。

これは、魔術だ。水の中で声を伝えるための―――人と、語り合うための魔術。


「『この魔術を使った人は、二人目』」

「………流暢に喋れたんだ」

「『喉では話せない。私は魔物で、喉は詩で人をおびき寄せて、喰らうためのものだから』」


水の中で空を見る。月は歪んで、漏れ出した気泡が偽りの空へと昇っていく。クラゲのように揺蕩って、泡は弾けて消えた。


「最初の一人は」

「『聖女様』」

「それって、白翼の聖女?」


その言葉にレインは首を横に振った。確かに聖女は一人だけじゃない。神殿の中で最も名誉ある聖女は白翼の聖女だけど、未来視を行う予見の聖女がいる様に、他にも聖女はいる。

でも聖女っていうのは大抵の場合、魔物を倒すために存在しているはずだ。というよりも聖女の総本山である神殿が魔物を不俱戴天の敵としているから、聖女もそのように行動する。

レインと語り合うなんて、おかしい。


「『変わった人だったわ。意思が通じるなら、魔物とだって語り合おうとする人だった。不殺を掲げた訳じゃないけど、彼女に助けられた存在は多かった。人も、魔物も関係なく』」

「………レインも助けられたの?」

「『そうね』」


薄暗い青に染まった視界の中で、レインが微笑む。

誰に対しても秘していた大切な宝物を見せてくれるかのように。


「『魔核を砕かれて、瀕死になって。今にも死にそうだった私に、血をくれた。話をしてくれた。そして名を与えてくれた』」

「聖女がそんなことするなんてね。というかなんでレインは死にかけてたの?」

「『魔物との、縄張り争い。この泉は私が生まれた場所で、私にとって大事なもの。その時はきっと、本能だったのね』」


その時は、か。

きっと今の気持ちとは違う目的だったのだろう。


「『私は生き延びたわ。それでも身体が完全に治るまで時間がかかって。その間ずっと、彼女と―――リリスと話をした』」

「リリス。それがその………友達、の。名前なんだ」

「『ええ。私の瞳が気に入ったって、私を守ってくれた。月の満ち欠けで分かるわ。もう百年も前の話になるのね』」


レインが私の頭を撫でる。

瞳が気に入った、その言葉はどこか分かる気がした。遥か昔のリリスという名の聖女は、レインに対して私と同じものを感じていたんじゃないだろうか。

未だ私は言葉にはできない感情だけど。それでも。


「『私を、そして魔狼を討伐するために訪れたはずの聖女だったのに、結局は私と語り合って、それで』」


そこでレインの魔術が揺らぐ。

美しく編まれた魔力の網目の乱れは、まるでレインが言葉を詰まらせたようにも見えた。彼女の結末はきっと、良いものではなかったのだろう。


「………リリスはどうなったの?」

「『死んだわ。元々魔物を助けることもあって、あまり人間からよく思われていなかったみたい。強かったけれど、判決を受け入れて、異端者として葬られてしまった。私は、彼女の………従者?っていう人から話を聞いたの』」


リリスの事も、人の事もどちらも否定はできないだろう。

人間によって魔物はどこまで行っても恐れるべきもので、打ち倒すべき敵だ。それでも話を聞く限りリリスは人は守っていた筈だった。それでも、異端として葬られるのか。


「『最初はね、よくわからなかったわ。人間があっという間にいなくなったことを―――死んだという事を。私たちは喰らうことしか知らなかった。喰らえば死ぬと、分からなかった』」

「魔物、だから」

「『そう。魔物にとって殺すことは当たり前の事。だから死を人間のように、悲しいものとしては認識しない。だけど、私は出会ってしまった。触れてしまった』」


人というものに。その美しさに。


「『そこでね、ようやく分かったの。私は変わり者の彼女を好ましく思っていた。友だと思っていた。まだまだ聞きたいことがたくさんあったのに、死んでしまったことが悲しいって。もっと一緒に居たかった、その強さと優しさを失ってしまったことが嫌だって、そう私が感じているって………気が付いてしまったの―――魔物なのにね』」

「魔物だって人間と分かり合えないわけじゃない。全部は絶対に無理だけど、共存している奴らだっている」


そうだ、私たちだってそうだろう?


「『悲しいって思ってから、この泉の事を愛おしいと思うようになったの。リリスとの思い出の場所、私が全てを賭して守らなければならない場所。ラリナを襲ったのは、あなたはこの泉を壊すものかと思ったから。最初に出会った時のあなたは、それくらいの気迫があったのよ?』」

「………ただ生き延びることに必死だっただけ」

「『そうね。今ならわかるわ。あなたもまた、美しい。人とは少し違う美しさだと思うけれど』」

「リリスとは違う?」

「『違うわ。ラリナに出会って、人にはいろんな美しさがあるんだって気が付いたの。そうしたらね、この泉の事がもっと愛おしくなったの。だから………』」


その言葉の先は、どうか言わないで。

でも私の淡い願いは叶わず、レインは囁いた。


「『リリスと、ラリナ。二人分の愛しさで満ちたこの泉を、私は守る。例え、私が死んだとしても』」

「………そう」


死は悲しい。だからこそ愛おしさに変わる。

それを知っているからレインはこの泉を捨てることはない。捨ててまで生きることはあり得ない。

誇りであり、美学とでもいうのだろうか?私にはよくわからないことだった。


「私は………」

「『いいのよ。ラリナは生きようとするその意思が美しいから。だから、いいの』」


私を置いて、何処へでも。

あなたはそれが許される。

だってあなたは自由な獣なのだから。


謳う様に囁いたその言葉に、目を閉じて頷く。

分かったよ、レイン。私は生きる。生きて強くなって、そのために………あなたを、置いていく。


「さようなら、レイン」

「『さようなら、私の大切なラリナ』」


さようなら、―――さようなら。

レインの紅い瞳をじっと見て、黒い髪に手を伸ばして。そして私は泉を出た。

振り返らずに進む。魔狼の森のより深く、遠い場所に。月が見つめる夜に、昏く冷たい闇が私を包み込んだ。





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― 新着の感想 ―
結局食べずに別れられましたね。
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