冒険者ギルド北部支部
アルボルム帝国とは、この大陸ムーサにおいて最も古く、それでいて最も巨大な力と領土を持つ帝国である。
ムーサには魔物が蔓延り、それをこの大陸に降臨された白翼の女神が討ち払い、そして人と婚姻をしてその血と魂を人の身へと宿した―――アルボルム帝国だけではなく、その周辺国家に至るまで知られている建国神話だ。
アルボルム帝国周辺の国家は大国、小国を問わず元はアルボルム帝国の領土であったことも多く、長い歴史の中で人の国同士の戦争であったり、或いは魔物によって滅ぼされてしまったところを別の国が併合したりといった形で、何度も国の形や名前が変わってきた。
けれどアルボルム帝国の名だけは揺るがず、またそのアルボルム帝国と友に存在する、女神信仰の要である神殿とそれに連なる教会………彼らの権威の象徴であり力そのものでもある聖女たちもまた、長い長い魔物との戦いの歴史において埋もれず、存在し続けてきた。
彼らに比べれば、冒険者ギルドの歴史は浅いと言ってもいいだろう。一応は白翼の聖女によって作り出されたという伝説こそあるものの、女神と聖女では時代にあまりにも差があり、歴史的にも帝国と神殿に対しては強く出られないのが実情であった。
「まあ、元々冒険者ギルドは国家に対して強く出るものでもないのですがねぇ」
最近は冒険者ギルドも権威闘争にご執心だ。所詮はならず者共の寄せ集めを統括して管理しているだけの組織でしかないというのに、どこまで上を目指そうとしているのやら、ねぇ。
とまあそんなことを考えている僕の名前はフォルストだ。男にしては長い、腰辺りまである黒髪は丁寧に編み込んでから、幾つもの東洋からの献上品である簪で飾り立てている。当然、この使い方が間違っていることは分かっている。
道具っていうのは主が気に入ったように使えればそれでいいのだ。もちろん、手入れと理解は必要だがねぇ。
そんなことを考えつつ、手に持った書類を机の上に放り投げる。
「斥候として送り込んだ冒険者三名の帰還は絶望的、か。中堅でも上位の実力の緑階級ふたりに、うちのギルドでも古参で信用できる青階級のヴィヨンをつけての行軍だ、百年以上前から報告のあった”謳う泉”までの安全なルートの確保まではいけるかと思ったんですけどねぇ」
その上で非常に高価な戦争用の魔道具である炸裂球を預けてなお、帰還者なしである。あれ、巧く使えば中級レベルの魔物すら殺せるんですけどねぇ、などと思考の隅で考えつつ。
冒険者ギルドには基本的には七つの階級が存在している。七色の虹に現されるその階級の一番下は、魔物の色である赤色。次に橙、黄色に緑、青、藍………そして最高位である紫だ。
一応その紫階級の上として、英雄や勇者と呼ばれるような領域に足を踏み入れた者だけが名乗れる白というものもあるがその色を名乗れるものはアルボルム帝国広しといえど一つのパーティくらいしか存在しない。
現行の白の冒険者は四人組の一党だが、実力があるからこそアルボルム帝国内の様々な事に引っ張りだこのようで、冒険者の本懐である魔物退治や迷宮の攻略にはなかなか手が回らない。
権力争いで忙しいようですからねぇ、帝国内部もその他の国も。
「その理由は、いよいよアルボルム帝国で見つかった白翼の聖女、と」
元々細い瞳を更に細めて、その単語に思いをはせる。
アルボルム帝国には白翼の聖女と呼ばれる、強大な聖なる魔力を持つ女性が現れる。サイクルとしては百年から五百年程度に一度だ。
この世界では誰でも知っていることだが、強力な魔物は寿命がなく、際限なく強くなるため聖女の力と国家の力を合わせることによって人類は人類の生存領域を確保し続けている。白翼の聖女はその要となる存在なのだが―――。
「なんともまあ、胡散臭いんですよねぇ。最近も偽物が現れて処分されたばっかりですし。あー、なんでしたっけねぇ、名前………ま、いっか!死人ですしね!」
実際のところ、アルボルム帝国で白翼の聖女を名乗るものは多い。そしてその殆どが偽元として捕縛され、この街を通って魔狼の森へと向かわされる。
なぜならばここはアルボルム帝国の北部、強力な魔物がわんさかと存在する魔狼の森の防衛を任された四大公爵家がひとつ、ネストリウス公爵家の都ネスティリーなのだから。
聖女を騙った偽物は一切の例外なく、魔物の森で生きたまま捕食されるという魔咬刑に処される。しかも道中で散々辱めを受けた上で、だ。
前回の偽物もきっと既に死んでいるのだろう。
僕は執務机の上に置いてあるパイプを手に取ると、火の魔術で点火する。煙を肺の中に入れながら暫しの休息を楽しんでいると、ドアが数度ノックされる音が聞こえた。
「どうぞ~」
誰も招いてはいない筈だが、一体どこの誰がやってきたのやら。
机の上に足を乗せてその客に視線を向ける。冒険者ギルドの受付嬢が頬に汗を垂らしつつ、僕の行動を窘めた。
「………フォルスト支部長。そのような格好は」
「いや失礼。今は休憩中でしてねぇ。昨今はほら、休憩は休憩できっちりとらなければならないでしょう?」
「―――媚びず、揺らがず、逆らわずか。流石、冒険者ギルドの北部支部長ともなれば肝も座っているというものかな」
「これはこれはネストリウス公爵殿。こんな格好で申し訳ない」
「そう言うのならば、姿勢を戻してもらいたいものだ」
実質的に魔狼の森からアルボルム帝国を守護する任を負ったネストリウス公爵は、アルボルム帝国でよくある金色の髪に淡い紫の瞳を持った偉丈夫だった。
その腰には諸刃の剣を吊り下げ、立ち振る舞いからわかる育ちの良さと、逞しい身体つきから歴戦の猛者であることも理解が出来る。
冒険者ギルドの色で表せば、藍程度はあるだろう。それも当然か、ネストリウス公爵は―――いや、アルボルム帝国を守護する四大公爵は全て、元は辺境を征服した騎士の血を引くものたちだ。
尤も、北と西以外は既に公爵家の本懐を忘れてしまっているのだが。千年以上の時間をかけて緩やかに人類は聖女の力を以て生存領域を拡大させてきた。アルボルム帝国の東と南はその最たる例で、大陸ムーサの北西に位置するアルボルム帝国は聖女の力を以て数多の魔物の領域を征服し、多くの国家を生み出した。
未だに国内に魔物の多く生まれる未開の土地を持ってはいるものの、魔狼の森のように一切の開拓が進められない、俗にいう人類が生存できない場所ではなく、警戒が必要な危険な場所という扱いに収まる程度だ。
アルボルム帝国より西と南には多くの国家があるのは、そういった征服の旅路の結果なのである。
………まあ、その征服の旅路には冒険者たちも多く参加し、かなりの貢献をしているのだが大体は帝国の手柄になる。まったく、やっていられない。
まあ公爵自らのお出ましとなれば姿勢は戻さねばならないだろう。溜息を隠すことなく、執務机に改めて座り直す。
「君、受付の仕事は一旦休憩しておきなさい。さあ、出ていって」
「は、はい!」
公爵の迫力の気圧されていた受付嬢に休憩を与えると、改めて公爵に向き直る。
「それで、僕に何の用でしょう?公爵領からの依頼であれば正規の手順を取って依頼して頂きたいものですがねぇ。我ら冒険者ギルドは帝国に従属する組織ではないのですから」
「事実上この世を制覇するアルボルム帝国の下部組織で間違ってはいないだろう。白の冒険者たちだって、帝国の栄誉に与っている筈だ」
「いえいえ、まさか。冒険者ギルドの最精鋭たる”白”、返していただけるならさっさと返してもらいたいというのが本音ですよ。なにせ未だ帝国内部にも、他の国にも危険な迷宮が多いのですから。”白”の実力は本来、そう言ったことに使われるべきだと思うのですがねぇ」
「見解の相違だな。迷宮程度、他の冒険者によって征服されるべきだ」
話は平行線のようだ。結局。帝国はどこまで行っても自己中心的―――世界の始まりから存在する国家だからこその、当然の如き傲慢である。
公爵はまあ、悪いお人ではない。ただ帝国らしい貴族であるのは間違いなかった。
「それで?」
「ああ、本題に入らせて貰おう」
執務机から移動して、すぐ前にある応接用のソファに腰掛ける。上級の魔物の素材を加工して作り上げたこのソファは冒険者ギルドらしいものであり、どれだけ使っても汚れず、壊れない。少なくともただの人間が座った程度では。
「冒険者ギルドが送り込んだ斥候は失敗したようだな」
「………ええ。流石は魔狼の森というべきでしょうねぇ」
「近年は君たちギルドの冒険者の質も下がっているようだ」
「………ハハ」
巨大な砦を持つこのネスティリーに引きこもっておいて良く言うものだ。
騎士が最低限の仕事しかしない代わりに、ネスティリーの外にある幾つもの開拓村や小さな農村を守護しているのはこの北部支部の冒険者たちである。
そのせいで騎士に比べれば怪我人も死者も多い。万年人手不足で村々で人員募集をしているほどだ。だというのに質が低いとは、ねぇ。
「そこで、だ。次の斥候には………いや、次回以降の本侵攻でも、我が領土の騎士たちを同行させる」
「それは、決定事項で?」
「当然だろう?」
何を言っているんだという顔をしている公爵。ああ、これだから嫌なんだ貴族っていうのは。
組織の軸が違うってことを理解しているんですかねぇ。冒険者ギルドと帝国は全くの別物で、そう言う話をしたいならもっと上に話を持っていけ。
………まあ、白翼の聖女降臨に際して手柄を立てておきたいのだろう。白翼の聖女は神殿によって保護され、魔物を討滅する役目を背負う。多くの場合、聖女は最後、帝国の王室と婚姻関係を結ぶのが一般的だが、今までの歴史上で皇族以外の公爵家と結婚した例も多くあった。
臣籍降下によって元はただの騎士であったアルボルム帝国の四大公爵にも皇女が降り、皇族の血が流れている。故にある意味では皇族に嫁いでいるともいえる訳だがそれはさておき。
確か公爵には年頃の息子がいたはずだ。今は次期公爵ということでネストリウス侯爵の爵位を持っているという。
今代の聖女がもしも見初めれば、その息子と婚姻することとなり、そうなれば公爵は白翼の聖女の義理の父という権力を手に入れることになる―――結局はこれもまた、権力争いというわけだ。
手柄を立てて置き、聖女との婚姻の可能性を高める。魔狼の森の征討はその恰好の手段、ましてや冒険者ギルドが失敗したことを公爵家が善意で手伝い、為したとなれば民にも威信を示すことが出来る。
「ふぅむ」
「なんだ、何か不満でもあるのか?」
「公爵様の騎士たちには冒険者ギルドから道具や資金を提供することはありませんが、よろしいですね?」
「当然だ。というよりも冒険者自体、そんなに数は要らん。我が公爵家騎士が征服するからこそ、意味があるのだ」
「なるほどなるほど。それならばこちらも願ったり叶ったりといったところでしょうか―――現在判明している地図などはお教えしましょう。まずは百年前から攻略が止まっている謳う森までの到達を。冒険者ギルドも公爵家を支援いたします。それでよろしいですかねぇ?」
「ああ、良い。ご苦労だった」
用は済んだとばかりに立ち上がり、私の肩を叩くと一切背後を振り返らずに冒険者ギルドを出ていくネストリウス公爵。
僕はその叩かれた肩を手で払ってズボンの中に入っていたハンカチで手を拭う。
やはり貴族というのは好きなれない。ついでに言うと神殿もだ。どっちも等しく胡散臭い―――ああ、僕が言えたことじゃなかったかな。
僕の容姿も大概胡散臭いとは言われるのだ、さて。
「魔狼の森攻略の手順、想定を考え直さなければなりませんねぇ」
なるべく冒険者たちへの被害が少なくなるように、公爵家の手が回らない民たちに魔物の牙が及ぶことのない様に。
都合よく利用したつもりでしょうが、僕を舐めないでもらいたいものだ。互いに利用しあうのが人間ともなれば、勝手に付いてくる騎士共も巧く使うと致しましょう。
「次の侵攻は一月後。それまで斥候は最低限にしておきましょうかね」




