殺して喰って
「あと二人。それじゃあ、さっさと死んで肉になれ」
「ク………ソォ!!!」
「ファハド、待って―――」
鎧男がその剣を構え、私の方へと向かってくる。
青い瞳に金髪という、アルボルム帝国に多いその容姿。不快な事に記憶の中にほんの少しだけ存在している皇子もそんな姿だった。
別にお前自身に恨みは無いけど、それはそれとして不快だ。尻尾の先端の照準を合わせ、狙いを絞る。
精神的には混乱しているみたいだけど向かってくるその足さばきや構えた剣に震えは見られない。経験というものだろうか?
「じゃあ、こっちにしようか」
わざとらしく尻尾の照準を未だ倒れ伏している女の方へと向ける。
どうやら冒険者というやつらは仲間意識が強いらしい。だったらこれは反応せざるを得ないんじゃない?
「ッ?!リーン、避け………ッチ!!」
ギリギリと絞られた尻尾が射出される。鎧男は私の方に向かう事を諦めて勢いよく反転すると、左手に構えた盾で私の尻尾の突き刺しをいなす。
金属同士が擦られる音がして、鎧男が構えた盾の表面が削られているのが見えた。
「なに?!」
驚く鎧男の視線は私の尻尾に向いている。
盾を削ったのは私の黒雫の尻尾。いや、正確に言えば刃物のように尖らせ重くした、鎌のような形を得た尻尾の先端である。
今更だが私のこの尻尾の発想の大本は、狐の魔物が自在に振るっていた四尾。だけど中間形態で振るうにはまだ私の黒雫の練度は高く無いから、攻撃力でも防御力でも中途半端になりがちだ。
―――でもだったら、尻尾の先端の形状を変化させて攻撃に向いた器官を作ってしまえばいいんじゃない?
「形状が………!」
かくしてその目論見は上手くいったようだった。
尻尾をただの一つの構造物として捉える必要はどこにもない。生物や魔物の捕食器官だと思えば、発想はより大きく、自由に広がっていく。
そっか、そういう事か。ガントレットも両足も同じように考えれば、私はもっと上手に食べられるようになる。でも流石にガントレットは構想の元になるものが必要だな。
腕は機能が複雑である。動きに阻害なく黒雫を形作るには、私の中途半端な知識だけでは不足していると思った。
さて。でもそれはそれとしてさ。
「よそ見しすぎ」
喰い合いの最中に視線を外すなよ。これで二回目だぞ?
義足に力を込めて加速する。黒と僅かな銀が入り混じった義足は私が全力で足を踏み抜いても軋んだりすらしない。当たり前だ、この大地に立ち、踏みつけるためのこの足は私が作り出す黒雫の中でも最も頑丈に作られているのだから。
中間形態で作っている以上、どうしても脆さのある尻尾や、良い意味でも悪い意味でも使い捨てのガントレットとは用途が違う。
地面に鋭く傷跡を残しながら低く、低く接近して両手のガントレットを爪のように形状変化。まずはその武器を叩き落とさせて貰おう。
「うおおおお!!!」
「ん………」
右腕のガントレットに正面から叩きつけられた鎧男の剣。
それが私の腕を縦に裂いていく―――剣が硬い、いや違う。巧いのか?攻撃の瞬間に魔力の匂いが漂った気もするけど、別に魔術が発動している訳でもないし。何か私の知らない仕掛けでもあるのだろうか。
まあ、今はどうでもいい。それよりもほかに考えることがあった。
こいつは冒険者としては中級程度の位階だけど、人が蓄積した技術っていうのはやっぱり馬鹿に出来ないな。足ほどじゃないけど黒雫を圧縮して高度を増したガントレットを容易に斬っていくとは。
分かってたけど………私はまだ、弱いな。
あの魔術師の男を不意打ちに近い形で殺せてよかった。三人全員が居て、さらに完全に警戒されていたら確実に死んでいただろう。
「そのまま死ね、魔物が!!」
「私は人間だ。不愉快なことにね」
肘辺りまで侵入した鎧男の剣が更にそのまま私の首を落とそうと動きを加速させる。
自由になんてさせてやる訳がない。その前にお前を殺す。
もう片方のガントレットを首に向けて突き刺し、それと同時に尻尾を引き寄せる。重さを増した先端の形状によって使用感は鎖鎌に近い―――記憶の情報でしかないから実際に使ったことは無いけど、十分殺傷性はあるだろう。
武器を奪ったうえでの二重の攻撃だ、どうやって捌く?
「さ、せないわよ!!」
「ッチ」
舌打ちを一つ。左腕のガントレットを即座に引き戻し、そのまま自身で剣が食い込んでいる右腕を切り落として下がる。
私の視界の中に飛び込んできたのは、濃密な魔力が染みこんだ小さな玉だった。あれが何かは分からない。だがこういう時に投げ込まれるものは大抵の場合、切り札と呼ばれるものだろう?
恐らくは騙しではない。私は自分の直感を信じ、顔の半分を左腕のガントレットで覆いながらその玉をじっと見つめた。
「”着火”!!!」
女が魔力を放出し、魔術として生み出される。
けれど女の火の適正は私より多少あるという程度なのか、生み出された魔術はかなり低級のものだった。
まあ、だからと言って慢心なんてするつもりは無いけど。さあ、何をするつもり?
指先から現れた小さな炎が、女が投げたあの玉へと衝突する。その瞬間、玉にしみ込んでいた魔力が一瞬にして火属性のものに変わり―――巨大な炎を生み出す。
………爆弾、か?記憶の中に知識としてのみ存在する情報。
恐らくはあれは何か細工を行い、変化しやすい状態にした大量の魔力を込めた玉。それに小さなものでもいいので属性が含まれている魔術を当てることによって、一斉にその魔力は変化して、疑似的な魔術として発現するのだろう。
火力としては狐の魔物や魔術師の男が放っていたあの”爆炎”だとかいう魔術と同じ規模。つまり、直近にあるものならば炭化させるほどの高火力。
その炎が、私を包み込んだ。
「こんな森の入り口で虎の子を使うことになるなんてね!」
「いいから逃げるぞ、リーン!!白翼の聖女の降臨で魔物が弱まったんじゃないのかよ、クソ!!なんなんだあの化け物は?!」
―――気泡が上がる。
膨大な水蒸気が空へと昇り、沸騰する。静謐で透き通った透明という名の色彩………これは黒雫ではない。これは、水属性の魔術だ。
レインがやっていたようなことを見よう見まねで再現しただけだから、名前などは知らない。でも奔る火を消すのは水の力だろう?幸いにして、私は水の適正は非常に高く、高度な魔術すら操れるだけのポテンシャルは備わっているから、こういうことも出来る。
蒸気を上げながら火を抑え込む。霧のように水蒸気が視界を塞ぐが、大丈夫だ。私には見えている。
撤退の判断は実際のところ正解だろう。だけど、もう少し背後を警戒するべきだ。魔力の動きによって感知されないように、既に作り上げられている尻尾を利用する。魔力の気配と匂いだけであの冒険者を補足して、鋭い先端を向ける。
「ああ、そこだ」
極限まで引き絞られた尻尾が空気を裂く音が響く。
異変に気が付いたのか水蒸気の向こう側で振り向く気配がして、その首が千切り飛ばされたのを感覚で認識した。
再生が済んでいない右腕以外の三足で地面を獣のように駆け、一気に距離を詰める。首が吹っ飛んだのは、つまり先程振り返ったのは女の方だったようだ。
こいつはやっぱり感知力が高いな。でもそれもここまでだ。抑えを失った首から吹き出て、珠のように形を変え、宙を舞っている血。それを舌先で舐めとりながら鎧男の頭を義足で蹴り飛ばす。
「ガはっ?!!」
ぐるりんと、鎧男の青い瞳が上に回転したのが見えた。
これで鎧男から抵抗手段は消えたと見ていい。ガントレットで鎧男の頭を掴むと、そのまま地面にたたきつけた。
一度、二度、三度………頭蓋が潰れて、血が地面に流れ落ちていく。駄目押しでもう一度思いっきり地面と接吻させて、グシャリと潰れたトマトのようになったところで私はそれを死んだと判断した。
私だって首が切られても生き延びて再生したんだ。こいつがそうじゃないって保証はどこにもない。完全に息の音は止めないとね。
「死んだ、殺せた。うん、良かった」
尻尾を使って死体を集めて、その計三つの屍の前で私はしゃがみ込む。まあ魔術師の男はもう殆ど食べてちゃってるけど。
流石に魔力の消費が多すぎた。どうやら致命傷は魔力があれば回復するけど、時間もかかるし他の部位に比べると魔力消費も多いようだ。ただでさえ消費が大きい再生がさらに増大するということで、私の魔力は現在かなり危うい事になっている。
右腕の再生が済んでいないほどだ。これ以上他の戦いが発生するとあっけなく死ぬだろうから、流石に魔力の回復と再生が済むまでは戦闘は避けなければならない。
「さて」
死体を前にして考える。女のクロスボウと鎧男の鎧は黒雫の強化のための資料として回収したい。いろんな構造を知っておけば対応の幅は広がる。
そうと決めたらさっさと解体しよう。黒雫で鋸を作り出すと、まずは女の腕を切り落とす。クロスボウの機構を破壊しないように慎重に、だ。
男の鎧の方は尻尾と腕を使って普通に脱がせた。
「あ、服」
そう言えばもうすっかり慣れてしまったけど、狐の魔物の鼻っ面に服を叩きつけてからずっと私は全裸である。
でも正直この方が楽なのも事実だった。服を継続的に入手する方法も無ければ洗濯も出来ない以上、血に塗れ続ける私が服を着ていたところで逆に不衛生なのだ。
それにこの女のものでは大きさも合わない。
「………まあ、毛布替わりにはなるか」
結局女の服は血塗れだけど、持ち帰るだけ持ちかえっておこう。
三人の冒険者を始末し、捕食する。そして戦利品を回収して戻る。相変わらず冒険者の血肉はまずかったけど、魔力には替えられた。
でも白翼の聖女が降臨して、魔狼を討伐しようと画策しているということは、これからもああいった冒険者や、下手をすればアルボルム帝国の騎士たちがやってくるということ?
今の私じゃ、まだ不意を突いたとしても殺せる相手は限られる。帝国や冒険者ギルドが本腰を入れ始めたら、逃げる以外に手がない。
「それに、レインは多分―――」
彼女は自身に死が迫っていたとしても、あの泉から離れない。
私の事も大切って言ってたけど、それでも一番大事なのはきっとあの泉なのだ。その気持ちはわかる。私だって―――よりも、心の中の憎悪の炎の方が大切だから。
「………?」
今、何を思った?
頭を数度振ってその思考を振り払う。
どんな生物も結局一番かわいいのは自分なのだ。もしも、もしもレインがあの泉を離れないというのであれば、私は拠点を移す事も考えなければならないだろう。誰かのために心中することも、誰かの代わりに死ぬことも、もう御免だ。私は私のために生きる、生き延びる。
ああ、獣の本能が唸っている。何に怒っている?
分からないけれど、それでも―――この冒険者たちは、凶兆の証という気がしてならなかった。
「クソが」
そう吐き捨てて、泉へと戻る。
………私の直感は、すぐに証明されることとなった。




