冒険者
やがて共生の年月は凡そ半年を超えた。ただ、断罪の直前に誕生日を迎えたため、今の私の年齢は変わらず十二歳で、体格もそれ相応。魔物を喰らって生活をしている様な、食生活的にはカスみたいな状況のせいか、肉体的にあまり成長は見られなかった。
そんな訳で厳しい冬を超え、芽吹きの春を見送り、初夏の兆しが見られる頃、ふと森の外に気配を感じた。
臭いに混じっているのは、鉄と血の香りだ。それも魔物が出すようなものではなく、文明が染みついたとでもいうべき様々な匂いが内包されたものである。
「………人間?」
「ヴウウ?」
「ちょっと様子を見てくる。お前はここに居ろ」
レインとの意思の疎通も慣れたものだ。
森の中で機動力を確保するために黒雫の尻尾を作り出し、命に溢れる樹木の枝を捉えて飛び回る。
垂れ流しにされている臭いを追いかけて向かっていけばやはり出所は森の入り口にほど近い場所であった。しかも私が放り捨てられた所と殆ど一緒である。
………多分、最寄りの街からの街道がこの一本しかないのだろう。様々な理由を持ってこの森を訪れる人間は、大抵の場合ここを入り口として現れると考えて間違いなさそうだ。
「何をしに来た?」
また罪人を捨てに来たのだろうか。
もちろん仮にそう言うことならば私がそれに介入することはない。もしも聖女が同行していたら私が生きていることがバレてしまうかもしれないし。
今の私に、帝国の騎士や神殿の連中と戦って確実に勝利できるような力はないから。半年の間に魔物を食べて、魔力量や魔術練度は上がっているけど、人間っていうのはただの魔物以上に侮れない存在なのである。
だから私は森の木々の奥に隠れ、その音の正体をじっと見つめることにした。
「ッチ、流石は魔狼の森か、魔物の数も多い上に一体一体が強いな………」
「弱音を吐かない!」
「一気に燃やすぞ、退避しろぃ!」
剣を振るう鎧姿の男、腕に装着するタイプの小型クロスボウとナイフを振るいながら魔物と戦う軽装の女、そして老齢の黒いローブの男。
目に映るのはその三人だ。彼らは群れを成す猪型の低級の魔物六匹を相手取っている。
私自身はその連中について何も思い至らないが、魂に刻まれた知識が彼らの正体を暴いた。
「―――冒険者?」
騎士が国家の敵を滅ぼすもの、神殿がありとあらゆる災いから国家を守るものだとすれば、冒険者はその身体を以てこの世界を拓くものだ。
違いは様々にあるのだが、例えば騎士が国に属する存在なのに対して、冒険者はこの世界全体に跨って存在する冒険者ギルドに属する人間である。ギルドの要請に従って魔物と戦ったり素材を集めたり、騎士の人手が足りないところに向かって人手を補充したり。
傭兵であり何でも屋。それが冒険者という者たちである。
………彼らの始まりもまた、白翼の聖女に纏わる物語であるという。ただの街の荒くれものども、居るだけで迷惑をかける破落戸が聖女の導きによって改心したのが始まりだとかなんとか。
彼らの本来の役割は騎士の手が回らない民間の困りごとを解決するというものだ。魔物が徘徊する領域に多く生える素材を集めてきてほしいだとか、村の周囲に出没している魔物を倒してほしいだとか。
でも冒険者という存在と、彼らを統括する冒険者ギルドが生まれてから随分と長い時間が経った。その結果、冒険者ギルトはある種の独立性と権力を手に入れるに至り、国家や神殿からの干渉をすらある程度は跳ねのけることが可能なほどの存在となっているらしい。
肝心なのはある程度という点。この世界で最も巨大な国家であり、教会の総本山を抱え込むアルボルム帝国には流石に頭が上がらないことも多いようだ。
「確実なのは、冒険者が動くときは必ず何かの利益があるってこと………」
依頼を受けて、金を対価に依頼を熟す。それが基本的な冒険者のライフスタイル。
それ以外だと迷宮が発生した場合だろうか?迷宮とは読んで字のごとく、魔物が這い出して来るダンジョンとなった場所だ。
迷宮は魔物のそれとは段違いの魔力だまりによって生成される異空間………ある意味では超巨大な魔物ともいえるけど。
最深部に魔核があり、その魔核は思考と生命維持を兼ねている。そして魔物が肉体を再生するように、最深部の魔核がある限り迷宮はどれほど破壊されても修復を始め、そして何回層も存在するような深い迷宮は定期的にその形状を変化させる。
更に迷宮には魔物が潜み、生態系を作る。その上で、迷宮そのものが魔物を生み出すこともある。
―――魔物の揺籃。それこそが迷宮であり、この世界にあまねく広がる魔物と同じくらいに人間が消滅させたい、世界の癌だ。
だがその実情とは裏腹に、迷宮には財宝やその高密度の魔力によって変質し、能力を得た貴重な武具が生み出される。まるで人間をおびき寄せる餌のように。
利益によって動く冒険者の仕事の一つが、そうして見つかった迷宮の攻略なのだ。だがこの半年の中でそういった迷宮の発生はなかった筈。
共食いによって強くなろうとする上級の魔物にとって迷宮は良い狩場になる。迷宮が発生すれば奴らはそこに移動を始めるだろうが、私の知る限りこの森の中の上級に属する魔物の顔ぶれは変わっていない。
「なら一体、なんのために?」
「奔れ、”爆炎”!!」
老齢のローブの男は見た目通りに魔術師らしい。
杖を持つ腕の先に魔力が集中する。その魔力は濃縮された火属性のもの。杖が振るわれると同時にその炎は拡散し、迸る―――私が最初に戦った狐の魔物の火炎放射に近い魔術だ。
あれは爆炎と言うのか。火属性に適性が殆どない私には無縁の魔術だが、使われる際に特徴を知っておけば対処の幅は広がる。経験としてその魔術を目に焼き付けた。
低級の魔物なら流石にその魔術で殆どが死滅するらしく、肉体ごと魔核を燃やされた猪の魔物が絶叫した。これで四匹が死んだ。
「………ウウオオオオオオオ!!!!」
死の間際に突撃を始める、生き残った二匹のうちの一匹。しかし走り出しを女のクロスボウに射られ、足が地面に縫い付けられて動けなくなったところを剣士が的確に脳天を指してとどめとする。即座に魔核を砕き、残るは最後の一匹。
先程の愚は犯さないとばかりに、そいつは風の魔術を発動させ、生み出した風の刃で冒険者たちを襲う。
即座に鎧の男が前に出て、左腕の盾でその風をしっかりと受け止めた。その隙に移動していた女が最後の一匹の魔核を砕き、悲鳴を上げて呻いたところを魔術師の火の矢が脳天を貫いて、決着がつく。
「強い」
連携力が高いからだろう。適材適所、役割分担。強みを生かした戦い方はパーティーのそれ。
今の私じゃ、正面からじゃ絶対に勝てないな。不用意に姿を現さなかったのは正解だった。このまま観察を続けよう。
「森の入り口から少し入っただけでこれか。まったく嫌になるな」
「仕方あるまい。元々全く開拓の進んでいない魔狼の森だ。強力な魔物が多く、数も多い。だからこそ儂らが斥候として放たれた」
「………普通に疑問なんだけどさ。魔狼の森って開拓なんて出来るの?魔狼が怒るから今までずっと手を出さなかったんでしょ?」
「そうだなあ。魔狼は五百年以上を生きる強力な魔物だ。爺さん、その辺りどうなんだ?」
「―――白翼の聖女が現れたそうだ。彼の聖女が現れれば、全ての魔物の力は衰退する。魔狼も例には漏れん。そして白翼の聖女がいるうちに、多くの魔物を狩らればならぬ。此度の斥候はそのための道筋づくりだ」
………白翼の聖女だと?
目を見開く。忌々しい名を聞いた。いやそんなことはどうでもいい、まさか聖女が現れた?
「どういうこと………?」
「魔狼は前回の白翼の聖女の討伐から逃れたという逸話を持つ個体だ。ここで殺さなければ更にその力を増す。千年を生きる魔物にまで成長すれば、例え白翼の聖女が現れたとしても倒すのに凄まじい犠牲が必要になってしまうだろうからな」
そんな雑談をする男二人。
………待て、二人?女はどこに行った。視線を彷徨わせた瞬間、喉元に冷たい刃の感触があった。
あの女が振るっていたナイフだ。耳元で女の声が囁かれた。
「―――アンタ、何?」
強者が弱者と同じように隠れ忍ぶ。それこそが、知恵という人間の厄介な所。
憎悪が向く言葉によって意識が散った瞬間に私はこいつらに気取られたみたいだった………どうする?
正面からじゃ勝てない。それは知ってる。それでも命を握られているというのは不快だった。
「………離れ、ッあ、が………?!」
首に鋭い痛みが奔った。
視界の端に映るナイフにはべったりと血がついている。私の、血?
「あっそ。まあ隠れてる時点で碌な奴じゃないだろうし、死んで」
首、斬られた?
地面に、一糸纏わぬ私の身体に血が流れていく。手で抑えるがその程度じゃ止まらないほどに大量の出血が発生していた。
「ファハド!ヴィヨン!変なのに聞かれてたよ!」
女が私の隠れていた茂みを明らかにするように草木を切り落とし、男たちの方へと向かっていく。
ぼたぼたと垂れ落ちていく血、私の命。首筋を握る指に力が入っていく。
「………こいつは、なんだ?」
「紅い瞳、魔物か?だがまるで人間のようだのう」
「どっちだっていいよ!」
しぬ、死ぬ………死ぬ?
こんなにあっけなく?まだ、強くも何もなれてない。声の主を殺せてない。レインを食べれてない。
「あの臍の上のものは魔核か?」
「うわあ、随分と小さなお嬢さんかと思ったら、新種の魔物かあ………」
「あんた変態?あんな子供に欲情してんの?」
「失礼な事を言わないでくれよ………本当に子どもだったら保護が必要かもしれないだろ?まあ魔物なら殺せば―――」
死ねない。それが答えだ。でもこのままじゃ死ぬ。今まで負傷してきた部位とは違って、今回傷を負ったのは致命的な部分だから。
血肉が欠けた。じゃあどうするか、答えは簡単。喰って補給する。獲物は、お前たちだ。
瞳の紅さが増す。勝てるか勝てないかじゃない。殺して、喰う。どんな手を使ってでも生きる、その決意は未だ揺らいでなどいないのだから。




