セイレーンの詩
食事が終われば基本的に私たちは早く寝る。
朝は日の出とともに起きて陽が沈む前に狩りを済ませなければならないから。けれど決して夜更かしを一切しないという訳ではない。
たまに―――森の中を歩む怪物の気配が遠い時に、私たちは詩を歌うことがあった。
「ァ―――~~♪」
「………ァ~」
それはセイレーンの詩。
男を惑わせ、水の中に沈めて殺すセイレーンという魔物。彼女たちに備わった特性だ。
特性というのは、あの声の主が入った魔物が持つ(あいつの場合は寄生能力)ような魔術とは関係のない魔物特有の能力である。聖なる魔力によって引き起こされる現象に近いが、これはものによっては魔術によって再現が可能な場合もある。
メカニズムは魔物の肉体再生等にも近く、魔力を肉体の特定の器官に流して使用することによって発生するのだ。セイレーンの場合は、その喉である。
セイレーンはこの詩によって男を魅了する。魅了と言うが厳密には洗脳であり、そうしておびき寄せた人間の男を喰らい、時にはまぐわって子を生すのだという。
本来ならば死を呼ぶ詩の筈。だけど私にはその音色がとても美しく思えた。
「歌は苦手だ」
「ジョウズ、よ、ラリ、ナ」
「お世辞は………いや、ありがと」
魔物にお世辞なんて言えるわけなかった。
ちなみに女性にはセイレーンの魅了は通用しない。それから男であっても対処法はあるようだ。セイレーンはこういったおびき寄せるタイプの魔物なので、魔物としては中級程度に位置するが直接的な戦闘能力は低い部類である。
だから最初に襲われたとき、弱っていた私でもなんとかなったのだ。まあ、切り札でも無い限り、巣に引きずり込まれれば流石にどうしようもないけど。
セイレーンの詩には歌詞はない。自然の音を奏でるような、荘厳な美しさだけがある。
だからこそ、レインは言葉を発するのが苦手なのだろう。あのような音を出すための喉が、人間の言葉など発するのに向いている訳がない。
「「~~♪」」
謳う、詠う。
静かに水面を超え、夜に響いていく歌声。満足いくまで歌えば、私たちはそれぞれの寝床に戻っていく。
冬は本格的に深まりだし、夜空に輝く星の光は静謐に瞬く。月の光は青く淡く………この生活を続けて目が慣れてきたのか、最初よりも遥かに夜目が効くようになってきたように感じた。
黒雫でナイフを作って手元に置く。私の技術では、こんな小さな刃で魔物を殺すことは出来ない。これは黒雫の訓練用に作り出したものだ。
「おやすみ。レイン」
水の底に眠る彼女にそう呟いて、私は目を閉じた。
***
レインとの生活はそれからも続いた。
泉のほとりに木の枝や葉っぱ、魔物の皮などを使った拠点を作り、資材置き場や非常食置き場を作りと、段々と生活環境を整えつつ、日々魔術を鍛えて多くの魔物を喰らう。
本当に誰に教わったのかは知らないが、レインは髪を結ぶという事を知っていて、私の髪を手入れしてくれることがあった。焦げた先端を切って、長い髪全体を大きな三つ編みに。いつも雑に振り回していたけど、これで少しだけ動きやすくなった。ちなみに三つ編みを溜めているのは編み込んだレインの髪の毛である。私も髪を一房切ってレインに送った。
見よう見まねでレインの髪を結って、その端はお互いの髪で留められていた。
詩を歌う時には抱きしめてくれるようになった。私はレインのお腹に身体を預けて、心音と暖かさを感じる。そうして彼女に包まれたまま、一緒にセイレーンの詩を歌う。
ここまでくれば分かる。レインはかつて、人間と一緒に生活していたことがあるのだろう。人間がこの森に迷い込んだのか、或いはレインが人間の村にいたのかまでは流石に分からないが。
「泉、ハ、オモイ、デ。タイ、セツ」
「だから汚されるのが嫌だったのか。悪いことをしたな」
「ウん。デモ、ラリナ、モ、タイ、セツ、ニ、ナッタ。ダ、カラ、イイ、ノ」
「………そ」
真っ直ぐな好意だと思った。
なんで人間と魔物が一緒に居るんだろうと思うこともあるけど、今はそれでいいとも思ってる。別に完全に共生が出来ないわけではないのだ、ごく一部の魔物は畜産という形で人間に飼育されていることもあるし、馬よりも気性は荒いが恐れ知らずである事から騎馬として使われている魔物もいる。まあ扱いを誤れば痛烈なしっぺ返しを食らうのは察して然るべきだろうが。
そんな風に狩りをして、魔物を喰らって、水を浴びて、一緒に歌って、水の中で踊って、魔術で遊んで。
水が滴り、抱き合って眠る。寒さは感じない。
春を過ぎて、熊を仕留めた時があった。この森の熊は正直並みの魔物よりも強い。
「ガァァァ!!!」
「はあああああ!!!」
大樹を片手でへし折る怪力、馬の全力疾走にも劣らない速度、何よりもその巨体だ。
下手に押しつぶされれば内臓が破裂する。黒雫の尻尾程度じゃ牽制にもならない。牙に噛まれればガントレットの上からその腕が引きちぎられる。
魔術を使わないというだけ。それ以外は中級の魔物と変わらないくらいの強さを持っていた。
魔力なしでこれなら実際のところは中級以上なのかもしれない。あの狐の魔物ですら熊を狩り取ってきたことはなかった。
樹々の隙間を駆けて勢いをつけて熊の頭をガントレットで殴る。意味が分かんないけど、低級とはいえ鹿の魔物の頭を吹っ飛ばしたこれがこいつには通用しない。頭蓋が単純に太いんだろう。
「ウウウ………!!!」
吠えて威嚇する熊を前にして考える。このまま殴り続けていても時間の無駄だ。時には骨を切らせて命を絶つことも大事になる。
ガントレットを細くして、熊へと立ち向かい―――敢えて、熊に私の腕を喰わせる。黒雫は生み出す時は私の身体の一部や手の周辺からだが、操作そのものは身体から離れていても効く魔術だ。それを利用して、口の中に入った瞬間に内側から黒雫を針のように変化させて、脳をぐちゃぐちゃにする。
魔核がないから再生はしない。死んだ熊を尻尾でやっとのことで引き摺って帰って、その日はレインと一緒に宴会を開いた。
宴会っていってもいつもよりたくさん食べて、たくさん歌っただけだけど。それでも―――それでも。
私の憎悪がほんのひと時でも抑えられるほどに、安らいでいたのだと思う。
身を焦がし、魂を灼く憎悪が弱まったからこそ、気づくこともあった。
「ああ、そうか」
空を見上げれば夜が出迎える。
色味を変える星の灯り。変わらない蒼さの月光。
―――私は衝動のままに生きる、獣になりたいのだ。
聖女なんてクソ喰らえ。私の人生を滅茶苦茶にしたあの声の主は絶対に殺す。
立ちふさがるすべてをこの手で壊して、どんな刃にも屈することなく。
どんなものにも縛られることのない獣に。どんな手段も生きるために肯定する獣に。
「でも」
どうして、まだ私の本能はレインを食べてはいけないと叫んでいるのだろう。
どうして、その獣の本能こそがレインを食べることを否定しているのだろう。
「分かんないけど」
まだ、食べてはいけない。
私を優しく抱くレインのお腹に顔を埋めて、私は眠りにつく。
世にも珍しい幸せ回です。ちなみにここまでずっと全裸です。




