森での生活
黒雫の尻尾が逞しい樹木の枝を掴む。
地面から尻尾で枝を引いてしなりを作ると、大地を蹴った。
枝が元に戻ろうとする力を生かして加速する。両腕を交差してそこにガントレットを作り出すと、樹々にぶつかりながらも私の身体は高速で前に突っ込んでいく。
狙う先は低級の魔物。いずれ強者に挑むにせよ、勝つに足る力を蓄えるのは日々の努力と継続である。
「潰れろ!」
私が目標にしていたのは牡鹿型の魔物だ。位階は肌を撫でる感覚から低級程度。鹿らしく頭には角があり、魔核は額中央に埋まっていた。
振りかぶった右腕のガントレットに黒雫を更に注いで巨大化する。
牡鹿の魔物が角を振って小岩を生み出した。土属性の魔術だろうが、そんなもので今更止まるものか。身体を貫くその小岩は、頭や心臓など重要器官だけを保護していなす。
腹部や義足に覆われていない太腿を鋭い小岩が貫いていくが、何も気にしない。
「シャアアア―――?!?!?!」
断末魔は、頭蓋を潰されたことで黙らされた。
振り上げた尻尾を地面に突き刺して急制動すると、私は今叩き潰したばかりの牡鹿の魔物に喰らい付いた。
この魔物は群れだった。以前知識にもぐりこんだ際に知った魔物の種類のうち、世代交代型という訳だ。牧羊犬の動きに近い誘導でこいつ一体だけを隔離させて殺したが、群れだったら普通に私の方が負けていたな。
「う、んぁッ」
身体に埋まった小岩を、肌に手を突き刺して抜き取る。リスのような低級かつ小型の魔物や、この鹿の魔物であっても油断はできない。
魔術というのは低級のそれでも私程度なら十分に傷つけられる。というか私がまだまだ全然強くない。低級相手なら一対一でなら殆ど完封できるだろう。だが、群れを成していたら?
「戦いは数だ。数の利を覆すには、もっと強い力がいる」
ガントレットの殴りよって割れた魔核をかみ砕き、飲み干す。角は何かに使えそうなので採集しておいた。
勿論、毛皮や肉なども全部は喰わずに持ち帰る。奇妙な共生関係を築いているあのセイレーンの泉の畔に拠点を作ることにしたのだ。
いざという時―――例えば格上に追われたときに、自分にとって有利な場で戦えるというだけで生き残る可能性は高まる。魔物が自分の巣で戦うというのはやはりそう言う本能なのだろう。
私の体格では手で抱えるという形で戦利品を持ち帰ることはできないが、尻尾で掴めば話は別。やっぱりこれ便利だ。
「四本くらい使えればいいけど、まだ無理かな」
黒雫の練度を上げないと。
そのためには実戦が必要で、実戦を長く経験するためには大量の魔力がいる。
足りないものばかり。満たされない、欠けたまま。
………当然か。だって、憎悪という炎にくべる燃料はどれだけあっても足りないのだから。既に憎しみが私の在り方を変えた以上、私という存在は欠落と共に生きることになる。
「帰ろ」
今日はこの一匹だけしか殺せなかった。やっぱりそう上手くはいかないものだ。
徐々に暗さを増す森を歩いていれば、段々と魔力が満ちていくのが分かる。この魔力に惹かれるのか、この森では夜になればより強力な魔物が歩き回るようだった。
奴らは獲物を求めて森を徘徊するが、昼間に行動するようなものとは違い雑魚をわざわざ見つけだして殺すようなことはしない。あの次元まで行くと、己が強くなるためにより強いものを殺し喰らう、そう言った行動にシフトしているためだ。
もちろん、不用意に姿を現せば普通に獲物として見られるし、進行ルートにたまたまいるという理由で貪り食われることもある。その点、最悪水の中に逃げ込むことのできるセイレーンの泉の付近は拠点を設けるには最適だろう。
私がこの森で暮らし始めて数日が立っていた。魔力が満ちていて獲物が多く、そして人の気配が遠いこの森は自らを鍛えるには非常に適している。
人間の社会に戻ったところで強くなれる未来はあまり見えない。そもそも私は死刑執行された罪人だ。瞳やら髪やらの色は変わっているが顔立ちは変化しておらず、下手をすれば教会やその元締めの神殿に見つかってもう一度捉えられ、死刑に処されるだろう。
「あいつらは変な力もってるみたいだし。髪と瞳の色くらいじゃバレそうだ」
聖なる魔力由来のものだろう。魔術というのは元々は破壊的な力だ。魔力そのものは生命エネルギーに属するようで、私の肉体を再生しているように生物の肉体を活性化させ、自然治癒力を大幅に高めることがあるが、それを魔術に変換した場合は大抵の場合は何かを壊すために使用される。
その特性は火や風の属性の魔術により顕著にみられ、逆に水や土属性の魔術は一応、魔力によって土塊や水の珠を生み出すという事が出来る。
それでもそうして生み出したものは壊したり殺したりするために使われるので、魔術は殺めるための術という認識で間違っていないと思う。
火や風は攻撃に向き、土や水は守りに向く力だと言われてはいるものの、結局は詭弁でしかない。だって土やら水やらを作ったところでそれで人の身体を直したりは出来ないのだから。
逆に聖なる魔力はそれら通常の魔術ではできない、肉体の治癒を始めとした不思議な現象を引き起こすのである。
例えば死刑執行の際に私をここまで監視していた予見の聖女。現在神殿に八人いるという聖女の地位を持つ一人であり、未来視の力を持つというが、あれもまた聖なる魔力によって引き起こされる現象だそうだ。
「そういった不可思議な現象は再現できず、魔術には当てはまらないから、聖なる魔力によって引き起こされるそれらは奇跡と呼ばれる、か」
ちなみに白翼の聖女のそれは聖なる魔力を魔物を殺すという一面に特化させていると思われる。聖女も大概蛮族じゃねぇか、カス。
本当にくっだらない。知識によって浮かび上がってきたその情報に唾を吐きつけながら森を歩いていると、ようやく泉に辿り着いた。
雑に毛皮を敷いただけの仮拠点に戦利品を放り投げると、黒雫の尻尾で泉の水面を三度くらい叩く。波紋が少し収まったくらいのタイミングで、湿った黒髪が浮き上がってくるのが見えた。
水面から這い上がるセイレーン。今更だけどこいつ陸地でも普通に呼吸できるんだよね、下半身魚なのに。
上半身は人間だからどっちでもいいのか?いやそれこそどっちでもいいか。
「ん」
「ヴー」
薪に火をつけてその後の処理はセイレーンに任せる。
道具に関しては黒雫で作り出しているが、実はこれは私の鍛錬も兼ねているのだ。寝ている間に魔術を途切れさせないこと、それを目標に無意識で魔術を発動できるように他の事をしながら黒雫を金属形態で維持する。
今回の場合は、水浴びの最中に途切れさせないように意識するという形だ。
………流石に魔物の頭蓋を消し飛ばしたので返り血でべったべたである。早い所水を浴びて綺麗にしたかった。
ちなみにセイレーンはどうやらこの泉を綺麗に保っている張本人らしく、彼女の魔力と魔術によって泉は絶えず流動し、美しく澄んだものになっている訳だ。
私が水を浴びれば泉は汚れるのだが、その分の労力の対価としてこうして狩り獲った魔物を渡しているのである。ここまでくれば流石にはっきりと共生しているといえるだろう。
泉にもぐって何度か水中で体を捻る。暫くしてから上がって、身体をぶるぶると震わせると水滴が飛び散っていく。さっぱりしたのでセイレーンの横に行けば、黒雫の棒であの魔物の肉を丁寧に焼いていた。
「お前、無駄に器用だよな」
「?」
「人間の道具の使い方が上手いってこと。多分私よりうまいよ」
私自身が持つ記憶は四歳程度までだから、食器を使う作法だとか、礼儀だとかそう言った教育は殆ど知らない。
受けていなかったわけじゃないけど田舎の貴族ということもあって家庭教師も質が良いわけじゃなかったし、お金がなかったからペースも正直遅かった。
だから殆ど身に付かないままに、私の身体は乗っ取られてしまって今に至るので、人間の道具はあまりうまく使えないし、私がご飯を食べるときは基本手で掴んで齧り付いて食べる形になる。
記憶では箸なるものの使い方は分かるものの、分かるだけであまりうまくは使えなかった。それ以外の作法?そんなもん無かった。
「オシエ、テ、モラッ、タ」
「誰に?」
「トモ、ダチ」
「ふーん。言葉も?」
「ヴぅ」
「………というかお前、名前とかあるの?」
「ナ、マエ。………名、前?」
あまり言葉を発するのは得意じゃないようで、セイレーンと私が人間の言葉―――正確にはアルボルム帝国の公用語である帝国語を用いて会話することは珍しい。
普段はお互い「ん」だとか「あれ」だとか「ヴー」だとかで会話しているが、やはりセイレーンは話せないわけではないようだ。
私の言葉は理解しているみたいだし、人間に教わったのだろう。魔物には寿命がないので、一体いつ教わったモノなのかは分からないが。
「レ、イン」
「レイン?」
「ヴゥ」
「そ。じゃ、私もレインって呼んだ方が良いの?」
「!」
紅い瞳がほんの少し嬉しそうに輝いたように見えた。
「じゃあ、レインで。私は………」
私は。あれ、私の名前なんだっけ。
脳裏にうっすらと響いたラリナという声。それがよすがとなって、名が蘇る。
エウラリアだ。愛称が、ラリナ。あれ、私―――自分の名前を忘れてた?
「ラリナでいい。そう呼んで」
「ラ、リ、ナ」
「そう。ラリナ」
きっと誰にも名を呼ばれなかったから。不要なものだって判断したのだろう。
それじゃダメだ。私は復讐のために生きているのだから。この憎悪の果てに私は私の名を以て刃としなければならない。
名を燃やしてしまったら―――それは最早復讐者ではない。火のない竈は竈足りえないのだから。
「レイン………呼んで。私の名を」
「ラリ、ナ。ラリナ!!」
「うん。それでいい」
誰かに名を呼ばれる。それが魔物であっても、そうすることで私は私として確かに存在できる。
レインを喰うなと言う本能の囁きは成程、合っている訳だ。未だに私の舌はレインの柔らかな首筋の味を覚えている。
それでも、やはりレインはまだ生きているべきだ。当然、私のために。
「う」
「ありがと」
焼き終わった魔物の肉を喰う。レインほどおいしくは無いけど、それでも―――不思議と二人で食べているからか、或いは焼いたからか。
殺した直後に喰った時よりも少しだけ美味しく感じた。




