『真実の愛』を叶える呪い・5
身支度とプレゼントの用意で、アイヴァンの外出は結局昼近くになってしまった。
ワイマン家へ向かう馬車の中、謝罪の言葉と「任務」に関する話が真実らしく聞こえるように何度も練習しながら時を過ごす。
いや、謝罪の気持ち自体は紛れもない本心ではあるのだが、それと任務の話が矛盾しては元も子もないので、言い回しにはとにかく気を遣わなくてはならず、アイヴァンの頭はフル回転していた。
もっとも、そんなものはただの徒労でしかなかったのだが。
「ハンナお嬢様は来客中でございます。ご友人と過ごされる楽しいお時間を、元婚約者という名の赤の他人に邪魔をしていただきたくないというのが旦那様と奥様を含めたワイマン伯爵家の総意と、是非ともご承知いただきたいのですが」
「なっ──!!」
取りつく島もないとはまさにこのことだった。
ならばと伯爵夫妻に面会したいと頼むと、実に分かりやすく渋々とした態度で応接間まで案内された。ワイマン家の執事はいつも冷静かつ淡々としているものの礼儀は決して欠かさないので、この態度は明らかにわざとだろう。
そして、お茶も出されずに待たされること三十分。
「…………遅い!」
侯爵家嫡男に対してでなくともあまりにも無礼な扱いに、怒りをこめてつぶやくアイヴァンだった。
これだけ待たされているにも関わらず、人が来る気配は微塵もない。
ちょうど空腹感を覚える時間帯ということもあり、謝罪や反省の思いを上回る苛々が募っていく一方である。
「……仕方ない。このまま放っておかれるなら、こちらも好きに動かせてもらおう」
勝手知ったる他人の家。家同士の交流はハンナと婚約する以前からも頻繁にあったので、屋敷の内部構造は知り尽くしていると言ってもいい。
天気もよく過ごしやすい日にハンナが友人と過ごすとなれば、中庭でちょっとしたお茶会を開いているはずだ。
そう見当をつけたアイヴァンは、使用人たちの目を掻い潜りつつ中庭の入り口にたどり着いた。
そっと覗き込むと予想通り、薔薇の花を活けた花瓶を中央にお茶と菓子が配置された白い丸テーブルがあり、ハンナがこちら向きに座っていて、見覚えのある後ろ姿の令嬢と楽しげに談笑している。
(アルテアか)
ハンナの親友にしてアイヴァンたちの従姉妹、タラント伯爵家長女アルテアは、例によってよく通る声で優しくこう言った。
「良かったわ、ニールの手紙やプレゼントを受け取ってもらえて。名前も言いたくない彼の兄とは違って、ハンナが困るような物を贈る子ではないのは知っているけれど」
「だって、ニール様には以前からずっと優しくしていただいているもの。婚約破棄自体は願ったり叶ったりだけれど、他のダンウッド家の皆様と家族になれなかったことだけはとても残念に思っているわ」
「あら。でもニールの様子からすると、家族になるチャンスはまだまだあるのではない? 貴女もニールもお互いフリーになったのだし、このままいけば彼の兄と接触する機会は激減するでしょうから何も問題はないわね」
「アルテアったら、おかしなことは言わないで! 何の意思表示もないのにそんな話をするなんて、ニール様に失礼になるわ」
「そうかしら? プレゼントのこの薔薇が紛れもない意思表示だと思うのだけれど」
いたずらっぽく微笑んだらしいアルテアが示すのはテーブルの上の花瓶。アイヴァンからはあまりよく見えないが、愛らしいピンクの薔薇を白薔薇が囲んでいるようだ。
親友の指摘について薄々気づいていたのだろう、派手ではないが可憐なハンナの顔が、じわじわ赤く染まるのが遠目でも分かる。
「三本のピンクの薔薇と六本の白薔薇。薔薇の花言葉は色々あるけれど、ハンナなら知っているでしょう? ピンクの薔薇は五月生まれの貴女の誕生花でもあることだし」
「……ピンクは『愛の誓い』『可愛い人』。白は『深い尊敬』『清純』……他には『私はあなたに相応しい』……」
耳まで赤くなったハンナなど、アイヴァンは今まで一度も見たことがなかった。
「そして本数にも意味があるわね。三本は『愛しています』、六本だと『あなたに夢中』『互いに敬い愛し分かち合いましょう』。二つ合わせて九本になるけれど、これは『いつもあなたを想っています』。
全く、我が従弟ながら情熱的だこと。いつもはあんなにしれっとした顔をしているのにね?」
「そんなことは……ニール様はとてもお優しいお方よ? 確かにそれだけのお方でもないけれど」
「そうね。優しいから元婚約者の令嬢の恋を叶える道筋を作ってあげて、それだけではないから婚約解消後に自分の恋を叶えるべくあれこれと動き出したということかしら。彼の兄が酷すぎるやらかしをしなければ、後者の行動に移ることはなかったでしょうけれど」
「元婚約者……シェヴル子爵令嬢は確か、重いご病気にかかって領地で静養なさるとか」
「正確には彼女の叔父様モレン卿の領地ね。モレン地方は風光明媚で、観光地や静養地として名高いし──」
ばさり、と何かが落ちる音がして、アルテアの言葉が途切れた。
「……? 何かしら」
「見て参ります」
側に控えていた侍女が入り口に向かい、ややあって赤いものを抱えて戻ってくる。
「……赤い薔薇の花束? どうしてそんなものがここに……近くに誰かがいたわけではないのでしょう?」
「はい、見える範囲には……流石に気味が悪いので、侍女長や執事に報告して参りますね」
「ありがとう、お願いね。……どうしたの、アルテア?」
「ううん、少しね。変なところで似るものだと思っていたところ」
「? 何と何が似ているの?」
「気にしないで、こちらのことよ」
楽しいお茶会が終わり、帰りの馬車の中でアルテアは二つ目の花束のことを思い返していた。
使用人たちによれば、改めて付近を探すと廊下の隅にメッセージカードが落ちており、そこに贈り主──アルテアの予想通りの名が明確に記されていたのだそうだ。そして、中庭では正確な確認はできなかったが、執事に見せてもらったところ薔薇は二十一本あった。
その意味するものは、アルテアに言わせればただの皮肉以外の何物でもない。
「『真実の愛』『あなただけに尽くします』か……どの口が言うのかしら。いえ口では言っていないけれど。
それにしても、まさか本当にのこのこやって来るだなんて……ダンウッドの叔父様とニールの頼みを聞いて正解だったわ」
私がハンナと一緒でなかったらどうなっていたことやら……と、厄介な従兄を思って溜め息をつく。
別にワイマン家の使用人たちが役に立たないと思ったわけではない。むしろ逆で、この件に関しては役に立ちすぎる可能性の方が高かった。何分彼らは、昔からハンナに対して少々過保護な傾向にあるから。
アルテアとしては、今の従兄が物理的に少しばかり痛い目に遭ったところで気にはしないが、ものには限度というものがあるのである。
それはそれとして、今考えるべきは従兄の将来のことだ。
最近の行動はあまりにも色ボケが極まり、長い付き合いの伯爵家の顔に全力で泥を塗るという目も当てられない暴挙に出た男だが、ただ路頭に迷わせて、そこそこにある領地経営のセンスを無駄にするのはいただけない。ハンナとその周辺にさえ絡まないよう、田舎の男爵家にでも婿に出すか、ダンウッドかタラントの領地の端を一部、男爵位とともに相続させるのが無難なところか。
ダンウッド家の人間ではないアルテアには口を出す権利はないものの、父アーネストに相談が持ち込まれる可能性を考えて意見を伝えておくくらいは構わないはずだ。
似た者同士──と言うにはアーネストに失礼な気はするが、上の甥とは仲の良い父なので、娘の意見に反対することはないだろう。
「むしろ伯爵家当主として誠実に振る舞いつつ『真実の愛』を大事にしているお父様だから、立ち回りの不味さについてアイヴァンに説教くらいはするかしらね」
アルテアの両親は、伴侶に対する恋愛感情こそないけれど親愛と信頼はとても強く、互いの理解度においては父と侍女頭カエラよりも上回っている疑惑があるほどだ。
一般的な夫婦の在り方としては不思議なものと言えようが、当事者である夫妻とカエラが納得しているのだから第三者が口を挟むのは無粋でしかない。子供たちに対してはしっかり頼れる親であり、心から愛してくれている上にその示し方も至極真っ当である以上、文句など何もないしこれから出てくる予定もない。
政略により結ばれた貴族の夫婦としては理想的な関係の一つだと、少なくともアルテアは胸を張って言えるのがタラント夫妻である。
もっとも父とカエラの仲は、アイヴァンのケースとは女性側の一途さと年季が天地の差なので、父の説教は却って傷口に塩と胡椒と粉唐辛子を擦り込む結果になりかねない気はするが。
「それ以前にお父様とカエラのことを知ったら、アイヴァンは自分のことを棚に上げて盛大に反発するかも……」
その様子がありありと目に浮かび、またも嘆息するアルテアであった。
幸か不幸か結果的にはその想像は外れ──ある意味では正解でもあったが──、アイヴァンはタラント伯爵の言葉に反応を示すこともなく、ただひたすらに悲しみと絶望を背負って肩を落とすのみだったのだが。
それから幾年月かが経った頃。
「さて。あの若者はあれからどうなったことやら」
つぶやいた魔女が気の向くままに水晶球で様子を探れば、かつてのダンウッド家嫡男の肩書きには無事に「元」がついたようだった。
本来継ぐべき領地とは比べ物にならぬほどに小規模ながら、それでも十分に豊かな土地を管理しているらしい青年は、どこか寂しげではあれど予想よりは遥かに充実しているように見える。
その傍らに伴侶らしき影は見当たらないが、遠巻きに憧れの目を向ける妙齢の女性は両手の指程度には存在している。当の青年がそのどれかに応える未来はまだ見えないけれど、可能性が皆無というわけでもない。
「ふむ……予測よりは遥かにましな境遇になったか。とは言え、我に対する礼の品とやらはすっかり忘れ去っていると見える」
期待はしていなかったがな、と独りごちた魔女が、喜びか慈愛かはたまた皮肉か、どれとも判別のつかない色とともに笑みを浮かべていると──
コンコンコン
どこか苛立ったような、切羽詰まった響きを宿した扉を叩く音がして。
「おや、来客か。──此度の客は、如何なる呪いを求めて来たのだろうな?」
何とも悪趣味な期待に満ちた声とともに、ゆったりと椅子から立ち上がった魔女は、久方ぶりの来客を迎える準備に取りかかるのだった。
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