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『真実の愛』を叶える呪い・2

「父上、ワイマン伯爵家から正式に婚約辞退の申し出がありました!『ロータス子爵令嬢との『真実の愛』を阻む理不尽な契約は取り下げさせていただく』とのことで! これで私とキアラの婚約を結べない理由は、晴れてどこにもなくなりましたね!」

「ああ。そのようだな」


 朝食を終えて間もなく入ってきた吉報に、国内でも指折りと評される端整な顔が台無しになるほど緩んだ顔のまま、喜び勇んで侯爵の執務室へ突撃したアイヴァンはしかし、無感情を絵に描いたような面持ちの父に出くわして、あっさりとその勢いを減じることとなった。


「……一体どうなさったのですか、父上? もしや母上と喧嘩でも? 思えば今朝はまだ、母上のお顔を見ていませんが」

「理由はいくつかあるが、『真実の愛』とやらに地に足がつかぬほど浮かれているだろう息子の顔を、朝から見たくなかったのがその一つだろう。グレースはハンナ嬢をそれはもう気に入っていたからな。……『貴族の婚姻においても、政略ではなく双方の感情を重んじるべし』との王命が出された以上は、お前と(くだん)の子爵令嬢の仲を認めぬわけにもいかなくなったが……」

「どうかご心配なく、父上! 私は最愛のキアラを得て幸せになるとともに、ダンウッド家を今まで以上に盛り立てていきますから!」


 頭に大輪のバラ園が咲き誇る勢いの息子を見やり、侯爵は頭痛をこらえるような顔になった。


「全く、我が息子ながら実に気楽そうで何よりだ。……アーネストも同じような様子でいるのかと思うと頭と胃が重くなるが」

「アーネスト伯父上がどうかなさったのですか?」


 母グレースの兄であるタラント伯爵家現当主の名が何故出てくるのか、アイヴァンには見当もつかない。

 常に穏やかながら芯の強い伯父アーネストと、誰よりも優しく柔らかな雰囲気の伯母シェリーという組み合わせの伯爵夫妻は、彼にとっては理想の夫婦のひとつでもあったので、続く父の言葉にはとてつもない衝撃を受けた。


「端的に言うと、アーネストは爵位を嫡男に譲り、彼の『真実の愛』の相手と余生を過ごすことにしたわけだ。タラント家の侍女頭カエラとは結婚前から互いに想い合う仲でな。伯爵家嫡男と執事の娘という身分違いではあったが、愛を育む障害にはなり得なかったらしい」

「…………はあっ!? な、何ですかそれは!! 伯父上と侍女頭が、そんな仲だったなんて──!!」

「ああ、勘違いはするなよ。婚約中から今までずっと、アーネストは夫人に誠実でいたのだからな。彼は私の長年の友人でもあったし、カエラとの仲はあくまでも精神的な関係のみだったのは間違いない。……まあそれも昨日までの話で、今日からのことは知らんが」

「何を落ち着いているんですか、父上!! このままでは、何ら非のない立場の伯母上が、侍女頭でしかない女に夫人の座を奪われてしまうんですよ!?」

「誤解はするな。アーネストは離縁までする気はなく、シェリー殿も先代伯爵夫人として夫とともに息子夫婦を支えていくことは了承している」

「そういう問題ではないでしょう! いえ、なお悪い!! あのお優しい伯母上が、女性として貴族夫人として、そんな酷い立場に立たされるなんて……」

「そうだな。その意味では、未来のダンウッド侯爵夫人の座をお前がハンナ嬢から事前に取り上げたのは、慈悲と言えなくもないだろう」

「────っ!?」


 自分のことを遥か高くの棚に放り上げた嫡男の怒りを、侯爵は内容の肯定はしつつも指摘することは忘れなかった。


 身近なところに起きた予想外の事態に、ただ愕然とするしかないアイヴァンである。


 ──まさか。キアラとの仲を正式に認められたくてしたことが、大切な伯父夫婦の仲を完全に破壊することに繋がってしまったなんて。


 今にも膝から崩れ落ちそうな彼の耳に、執務室の扉をノックする軽やかな音が届いた。


「失礼いたしますわ、お父様!……あら、アイヴァンお兄様もいらしたのですね」


 実兄のアイヴァンよりもハンナに懐いている妹ルーシーが、上機嫌に部屋に入ってきたが、長兄の姿を見つけてあからさまにテンションと声のトーンを下げた。


「ルーシー。いくら身内相手でも、そうも露骨に態度を変えるのは、レディとして全く誉められたものではないぞ」

「あら。いくら『真実の愛』のお相手とは言え、他の方との婚約を解消もしていないうちから、夜会などの人前であからさまにべたべたしてみせるのは、紳士の振る舞いとしては到底相応しいものではないと思いますけれど?」


 五歳年長の兄にさっくりと反撃してから、ルーシーは改めて父親に向き直る。

 可愛い末娘の満面の笑みに顔をほころばせた侯爵に、彼女は自分も『真実の愛』を見つけたのだと、それは嬉しそうに報告した。


 様々な意味で複雑そうに祝福する父の様子を、同じような心境で見守るしかないアイヴァンだったが、ルーシーの『真実の愛』の相手だという男の名を聞いて、瞬時に頭に血が上った。


「何を考えているんだ、ルーシー! その男──ナッシュ・ロクセンの評判がどんなものか、まさか知らないとでも言うのか!? あいつは大公家嫡男という立場を悪用して、手当たり次第に女性に言い寄ってはゴミのように捨てる、社交界でも最も悪質な男の一人なんだぞ!!」

「まあ、何て失敬な。そんなことを声高に仰るのは、単にアイヴァンお兄様が、彼の本質と担う役割を知らないだけですわよ。むしろ手当たり次第に異性に言い寄るのは、()()()()キアラ嬢の得意技ではございませんこと?」

「何だと!?」

「アイヴァン」


 酷く冷静な侯爵の声が、長男の頭に速やかに冷水を注いだ。


「ダンウッド侯爵家を継ぐ者ならば、どのようなことが起ころうとも、冷静な判断力を残しておけと何度も言っただろう。

 その点ではルーシーを誉めるべきだな。まさかあのナッシュ殿の仮面の奥を見抜くとは、年若い令嬢に容易くできることではない」

「光栄ですわ、お父様」


 至極優雅にカーテシーを披露する妹と、満足げにうなずく父の姿が信じられなくて、アイヴァンはくらくらする頭を押さえながら、当主の執務室を後にした。


 ──キアラとの『真実の愛』を成就させるため、幸先よく始まったはずの一日なのに、明かされた伯父と妹の『真実の愛』により、アイヴァンとダンウッド家は怒涛の混乱と変化に襲われてしまっている。


 残る父以外の身内は、四歳年下の弟ニールと、王弟に嫁いだ姉エフィーラだが。


「……まあ、二人とも大丈夫だろう。ニールは私以上に、婚約者とはごく表面的な関係だから、解消でも継続でも悪影響にはならないだろうし。姉上にとっては王弟殿下こそが『真実の愛』の対象だからな」


 うんうんとうなずきながら自室へ戻り、愛しいキアラに会えば混乱する頭も落ち着くだろうと、彼女に会いに行く支度を終えてまた部屋を出た。

 玄関へ向かう途中、中二階でちょうど帰ってきたところらしいニールと鉢合わせる。


「あれ、兄上はこれからお出かけですか?」

「ああ。ニールは随分と早く出歩いていたんだな」

「ええ。婚約者との正式な関係解消のため、あちらの家にお伺いしていたんですよ。彼女にはずっと以前から、叔父君という『真実の愛』を捧げる相手がいたので」

「…………は?」


 弟の言葉に、理解を拒む部分があった。


 それを知ってか知らずか、はたまた兄の困惑を気にしてすらいないのか、ニールは変わらず穏やかに続ける。


「彼女は幼い頃から一途に、叔父のモレン卿を愛しているんです。モレン卿も同じ気持ちに悩んでいるのは見ていて分かりましたから、僕が仲介する形でようやく、一年前から二人は心を交わすようになりました。法的には許されない間柄ですが、『真実の愛』で結ばれているのは確かですから、いずれ周囲も黙認してくれるようになればいいんですが」

「……そ、そうか……」


 衝撃的なことを言っているはずなのに、あまりにも普段と変わらない様子の弟に軽い恐怖を覚えるアイヴァンだった。


「実のところ、僕も他に心から愛する女性がいますしね。もっとも、兄上と違って分家の当主になるしかない僕を、彼女が同じように想ってくれるかはまだ分からないんですけど」

「ほう、それは初耳だな。一体どこの令嬢だ? 妥当なところで、ルーシーの友人の誰かか?」

「流石は兄上、ほぼ正解です。ただ僕は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()の弟という立場ですからね。(しがらみ)がなくなったからと、すぐにあちらへ働きかけても信頼される可能性は低いので、文通を続けたりして地道に行こうと思っています」

「う……」


 何ら他意のない()()()笑顔で、副音声とともにぐっさり痛いところを突くのはこの弟の得意技だが、今日の笑みはいつにも増して黒い何かを漂わせているように見える。


「……ま、まあ、それも『真実の愛』を叶えるための試練だと思ってくれ。お前の想い人には近いうちに、未来の義兄として会わせてもらえるよう祈っておこう」

「ありがとうございます。僕もそうできる日を楽しみにしていますから」


 にこやかな弟に見送られ、玄関ホールに下りた彼が扉に手をかけようとしたタイミングで、横手から執事の声がかかった。


「アイヴァン様。大変申し訳ございませんが、お出かけの前に少しお時間をいただけませんでしょうか。実は一時間ほど前から、エフィーラ様がお帰りになられておりまして」

「姉上が、先触れも何もなく? 何か緊急事態でもあったのだろうか」


 意外な話に眉をひそめれば、疑いようもなく敏腕であるはずの相手はとても言いにくそうにこう告げる。


「それが……エフィーラ様は、道中よりずっと泣き通しのご様子なのです。奥様が付きっきりでいらっしゃるのですが、まだ落ち着かれる様子もなく……」


 その説明に、アイヴァンはとにかく嫌な予感がした。


 ──まさか。あの誠実で高潔な王弟殿下も、美しい妻以外の女性に『真実の愛』を抱かれたとでも?


「あー、まさかその……ええと。王弟殿下との夫婦関係で何かあったということは……」

「そこまでは、わたくしごときが耳に入れて良い事柄ではございません。ですが、弟君であられるアイヴァン様なら……」

「分かった。姉上のご機嫌伺いに行くとしよう」

「ありがとうございます。わたくしは侯爵様にも、ご様子の報告をしてまいりますので」

 

名前が出てきたキャラクターが多いので、年齢も含め軽く整理を。


*ダンウッド侯爵家

侯爵(44)

夫人グレース(41)

長女エフィーラ(22)王弟夫人

長男アイヴァン(21)嫡男

次男ニール(17)

次女ルーシー(16)


*ワイマン伯爵家

令嬢ハンナ(18)


*ロータス子爵家

令嬢キアラ(18)


*タラント伯爵家

伯爵アーネスト(43)

夫人シェリー(42)

長男(20)嫡男

侍女頭カエラ(44)


*ロクセン大公家

長男ナッシュ(21)嫡男


*その他

王弟(32)

モレン卿(27)

シェヴル子爵令嬢(16)ニールの元婚約者

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