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平民御者視点 後編

 卒業式の夜にバールライ侯爵家を旅立ち、俺とバルベイルお嬢様は隣国との国境にある宿屋に辿り着いた。

 二人で馬に乗ってきたが、お嬢様の荷物は信じられないぐらい少なくて……本当に、この人は平民になるのだという現実を俺は受け入れなくてはならなかった。

 ずっと貴族として過ごしてきた方だ。たとえあきさんの記憶があったとしても心配はする。それでなくても……好きな相手が貴族から平民になって、心配するなという方が無理だと思う。

 生半可な決意じゃないのは分かっているし、これまでの様々な手段で乗り越えてきたのも知っているけれど……


「本当に……大丈夫ですか?」

「何度も言わせないで。私はもうバルベイルじゃないから、ある程度のことは自分で出来るわ」

「でも……」


 未練がましくも、俺はまた、聞いてしまっていた。うじうじとする俺に、さっぱりとしているのはバルベイルお嬢様の方だ。


「バルベイルお嬢様……」

「だぁかぁらぁ! お嬢様っていうのはやめてってば! 私は平民になったのよ!」


 ぐいーっと両頬を引っ張られ、涙目になってくる。ものすごい目で睨まれて、俺は口を噤む。俺が何も言わなくなったことを察して、お嬢様は俺の頬から手を放すと、ふう、と小さく息を吐き出した。


「一旦、換金も済んだことだし、暮らしていける。ありがとう、今まで付き合ってくれて」


 穏やかに笑う姿は、卒業式が近付くにつれてあまり見れなくなっていたから俺は少しホッとした。


「そんな……俺なんかじゃ、何の役にも立てませんでした」

「あなたがいなかったら、バルベイルはもっと早くに潰れてた。あなたがバルベイルを元気づけようと素敵な花畑を見せてくれたこと、彼女の中ではかけがえのない思い出になっているわ」


 お嬢様が? あの花畑でのことを覚えてくれて……


「バルベイルお嬢様……俺……」


 込み上げるものがあって思わずその名を呼んだけれど……それを止めたのは、にっこりと微笑む、バルベイルお嬢様だった。


「だから、あなたとはここで終わり」

「え?」


 トンッと弱い力で体を押され、数歩分、距離が空く。

 これまでにだって、こんな距離は当たり前だった。頬をつねられるよりずっと鋭い痛みが、胸を突き刺すようで……俺は視界が滲むのを止められなかった。


「あなたが好きだったバルベイルは私じゃない。だからもう、あなたはあなたの好きなことをして。バルベイルに囚われないで」

「そんな……俺はあなたがっ!」

「違うわ。あなたが救いたいと思ったのは、バルベイルよ。私はあなたの優しさと好意を利用したの。ごめんなさい、振り回すだけ振り回して。こんな突き放すようなことを言って」

「利用だなんて……俺は、バルベイルお嬢様といられたら──」

「だから、私はバルベイルお嬢様じゃないの」


 目の前の女性が寂しげに笑った姿に、金槌で頭を殴られたような衝撃を受けた。この笑みは一瞬だけ見せる、辛そうな表情だ。

 俺がこれまで……気付かないフリをしてきたものだ……


「私は、転生した大場あき。純粋なバルベイルじゃない。あなたが好きになったバルベイルのようなお淑やかさも慎ましやかさもないもの。私は私のやりたいようにして、あなたを巻き込んだ」

「巻き込んでなど! それにあなたは、バルベイルお嬢様のためにここまで出来る優しい人です! そんなあなたを、俺はっ!」


 離れたくなくて、その両肩を掴む。そうまでして目が合っているのに、この方を繋ぎ止められている気が少しもしない。


「バルベイルが置かれた状況が嫌だっただけよ。あのまま殿下の言うことを聞いていたら、監禁されていただろうし。そんなの私には耐えられない」


 ここに来るまでに聞いた、予知夢とは異なる結末となった卒業式での話だ。自由になれるわ、と笑ったのは、つい、昨日のことなのに。


「あなたがいたから、私は靴を脱いで駆け出せた。そんなこと、バルベイルじゃ出来なかった。クルトのおかげで私は今ここにいられる」

「なら……おそばにおいてください。俺にはあなたが必要なんです」

「それは出来ないわ」

「どうして!」


 グッと手に力が入って、お嬢様の肩を痛めてしまうかもしれないのに止められない。

 けれどお嬢様は少しも痛いという顔をせず、ただだただ、寂しそうに笑う。


「……バルベイルが許さないから」


 その名前が出たことに、俺は無意識に体が震えた。


「あなたをこの一年、巻き込んできたことをずっとバルベイルは怒っているの。私に付き合わせていたら、バルベイルには怒られっぱなしだわ」


 俺の手を、お嬢様の手が肩から離していく。その手が小さく震えて……指先がひどく冷たいことに気付く。


 そこでやっと。

 俺は、目の前の……バルベイルを見た。


 俺はいつも比較してしまっていた。バルベイルお嬢様ならこんな表情をしない、とか。バルベイルお嬢様だったら考えられない行動だ、とか……

 明るくなった姿にホッとしたのは、儚げなバルベイルお嬢様を心配していたからだ。笑った姿に胸が高鳴ったのは、それまでそんな笑顔を向けられたことがなかったからだ。


 全部、根底にはあきさんが出てくる前の、バルベイルお嬢様がいた。彼女はそれに……気付いていたんだ。


「ありがとう、あなたのおかげで自由になれた。もう少しで私は隣国の人間になる。一から全部、始められる。でもね、あなたにはこの国に大切な家族も、友人もいる。大切な人がいるのに、隣国に行く曰く付きの元悪役令嬢なんて、選んじゃだめよ」


 目の前の彼女の決意を知っていた。

 ここに来ることだって、隣国へと移り住むことだって、俺は知っていた。教えてもらえていた。

 

「俺……俺は…………」


 知っていて、俺自身は何も変えようとしていなかった。

 そばにいられると思い込んで。現実を見ていなかった。

 目の前の……平民となるバルベイルを支えるためのことを、何もしてきていなかった。


「……巻き込んで、ごめんなさい。謝っても許してもらえないだろうし……こんな国にあなたがいるのは……嫌だけど。ここであなたの優しさに甘えて一緒にいてもらったら、あなたを大切に想っている人を心配させるし、傷付けてしまうわ。それは嫌だし……あなたには、たくさんのものがある。私はもう、あなたから奪ってはいけないの。この一年、散々あなたの時間も自由も奪ってきたから……ごめんなさい」

「俺は……あなたが、いないと……」


 何にも……出来なかった。ただの平民だった俺に、たくさんのことを教えてくれたのは……あきさんであるバルベイルだったのに。


「……ありがとう。ごめんなさい……私は、あなたの好きな、バルベイルお嬢様にはなれない。平民の……バルベイルだから。ごめんなさい」


 謝らせてしまったのは、俺の責任だ。

 俺だけは、全てを知って、頼ってくれていたのに。


 情けない。情けなさ過ぎて、涙が止まらない。

 この方を……バルベイルを一人で隣国に行かせることを心配するなら、俺も隣国に行く準備をすべきだったんだ。

 家族にも友人にも話していない。職だって変えることすら考えていなかった。バルベイルがいなくなったあの邸で、俺はずっと働くつもりだった。


 そこまで気付けて……俺はちゃんと自身の気持ちに向き合った。


 俺は……目の前の、バルベイルが好きだ。

 以前の儚げなバルベイルお嬢様じゃない。

 よく笑ってよくしゃべって、とんでもないことを軽々と言ってやってのける強さとたくましさと行動力がある。常に前向きで、でも誰よりも優しくて、芯のあるこの、あきさんと一緒になったバルベイルが、好きなんだ。


 でも、今のままじゃ……全然だめだ。

 バルベイルは、平民になって新たな一歩を踏み出そうとしている。そんな人にすがりついているだけなんて出来ない。


 それに今ここでそうしたいと願っても、絶対にこの人は許してくれない。この人ほどの覚悟を、俺は決められていないから。


 それなら……俺は……!


「一年……いや、二年とか、それ以上、かかるかもしれませんが……」


 時間はかかるだろう。俺はまだまだ何をやるにも知識も技術も度量も備わっていない。

 それでも、諦めたくない。


「その間、あなたのことは忘れません。いや、忘れられない。忘れるはずがない」


 胸を張ってそばにいますと言えるような人間になるまで、絶対に諦めたくない。


「だから……迎えに行きます。必ず」

「迎えに……」

「次の土地であなたを養えるぐらいの力をつけて、隣国まで迎えに行きますから。もちろん、家族と友人からも、快く送り出してもらいます。だからそれまで……どうにか生き延びてください」


 涙目で見つめて言った俺の言葉に、バルベイルはフッと笑った。


「……転生者の知識、舐めない方がいいわよ。家事も一通り出来るし、就職活動だって出来るんだから。節約だってお手の物よ。生き延びてみせるし、養われなくてもいいぐらい稼ぐんだから。でもそうね……私も、あなたのことは絶対に忘れないわ」

「はい。俺のこと、絶対に忘れないで。俺とまた会うまでは独り身でいてください」


 何年かかっても絶対に、あなたの隣に並んでみせますから。こんなわがままをぶつけることしか出来ない情けない俺だけど、待っていてほしい。


「独り身、で…………ふふ、そうね、迎えに来てくれるなら、ウェディングドレスの似合う体型は保っておかないとかな。前世でも着たことないから、着てみたいし」

「あなたなら、どんな体型でもいいです」


 きっと……バルベイルのウェディングドレス姿は、信じられないぐらい綺麗なのだろう。

 何歳になってもそれは変わらず。

 彼女にそのドレスを贈るのは、一人前になった俺でありたい。


 その、決意表明だと思ってほしい。


「……今だけは、お許しください」


 初めて抱きしめた体は小さく震えていて、こんな体であれだけのことに抗ってきたのだと、そのすごさを認識する。

 強かったんだ、ずっと。前だけを向いて突き進む、その姿が眩しくすらあった。

 堂々とした振る舞いは、かっこよかった。

 にっこりと笑う顔と、窓越しに手を振ってくれる眼差しは、穏やかで温かくて、とても可愛かった。

 そんなバルベイルが、俺は大切にしたくて……好きになったんだ。


「……ごめんなさい、ごめん……あなたを、傷付けて、ばかりで……利用して……ごめんなさい……一緒に、いられなくて、ごめんね……」


 謝る彼女を強く抱きしめる。バルベイルはこれから先、隣国でたった一人、立ち向かう。そこにいられないのが辛いけれど、この温もりを忘れずに俺も成長して、少しでも早く、またこの腕で抱きしめたい。


「どうか……どうか、ご無事で」


 危険な目に合いませんように。誰かにとられませんように。

 少しでも、笑っていられますように。


「……まるで戦場に行くみたいね、それ」

「俺にとっては戦場と変わらないです。こんなにも魅力的なあなたを野に放つなんて」

「今度は動物かなんかみたい」


 ふふ、と笑った声がした後……何も言わなくても、同じタイミングで体が離れた。両手を握ると、バルベイルもその手を見つめていた。


「……俺、頑張りますから。時間がかかっても、絶対に約束は守ります」

「……分かってるわ。私も頑張る。期待していて。前世の知識をフル活用して、平民のバルベイルとして、立派にしぶとく生きてみせるわ」

「はい。いつも応援しています」

「私も。あなたのことを応援しているわ」


 ギュッと手を握り合って。

 離すのは一瞬。そこに名残惜しさなんて、微塵もない。


「それでは。また、お会いしましょう」

「ええ、いつか、また。今までありがとう、クルト」


 宿を出る俺に、窓越しにバルベイルが見つめていて、いつものように手を振ってくれた。

 まだその名を口には出せなかった。だから次は、その名を口にして、この想いを告げよう。

 窓越しのバルベイルの笑顔はこれまで以上に美しく、愛しい、という気持ちで俺の中は埋め尽くされていた。

 


──バルベイルが隣国へと旅立ってから、四年の月日が経っていた。俺はまだ、彼女を迎えには行けていない。

 この四年は……長いようで、短いようで……とにかく目まぐるしく俺も周囲も変わっていったように思う。

 その一端を担ったのが……俺がドレスを着ることとなったあの証拠集めだとは。あの人はどこまで予想していたのだろう。あの無茶苦茶な作戦は、王妃陛下の性格をよく知っていたからこそ、狙ってやったことだったのか。

 その答えは出ないまま、あの日から俺の元を訪れる貴族は後を絶たない。バールライ侯爵家には有無を言わさず門前払いをされるため、御者をしていた俺へと流れてくるみたいだが……その誰もが、バルベイルに会いたがっているのだ。

 たぶん一生分は貴族から頭を下げられて、丁重にお断りをして帰ってもらったと思う。バルベイルの居場所は言えない。彼女はもう、この国の人間ではないし……彼女自身も謝られることを望んではいないからだ。


 ただ一人……この方のことは覚えておこうと思った男性がいる。

 その方こそ、バルベイルの卒業式で注目を浴びたギヌレ伯爵だ。彼はバルベイルより一つ下だったが、在学中に父親から伯爵の座を譲り受けており、俺のところへ来た彼の瞳は……かつてのバルベイルを彷彿とさせるような強い意志が感じられた。


「あの場でバルベイル様だけが、俺に謝ってくださいました。本来ならば謝るべきは殿下です。殿下が俺だと言ったから、バルベイル様は俺を名指しした。確かに俺を追い詰めたのは彼女でしたが、何度も殿下に確認されていました。それに彼女は、自分を恨んでいいとまで言いました……殿下からは、未だに謝罪の一つもないのに」

「……そうですか」

「彼女はすごくかっこよかった。あの場でたった一人で立ち向かったのはもちろんなのですが……最後に笑いながら靴だけ残して走り去って行ったんです。皆もう、放心してましたよ。なぜここに靴が。あの方は本当にあの、バルベイル様なのか、と」


 彼女の姿を思い浮かべながら微笑む彼に、俺は答えを分かっていながらも問いかけた。


「……あなたはこれから、バルベイルお嬢様を探しますか?」

「いえ、探すことはしません。きっとこの国が良くなれば、その話は自然とあの方の耳へも入ると思いますから」


 彼は潔く、俺の元を去った。

 その後、彼はどうやら王妃陛下と接触し、王太子の婚約破棄騒動を謝罪させるべく署名活動を始めたようだった。

 決して血は流させない、というのが彼らの信念なのだそう。

 ゴシップ誌で並び立てられている戦乱の世を煽るようなことはない。彼も王妃陛下もそれは望んでいない。ただ、彼らは謝ってほしいだけだ。


 その活動は、確実に彼ら優位で進んでいる。

 陛下は側室制度を設けてしまったがために、本当は王妃に帰ってきてほしいのに謝るに謝れなくなったのでは、なんて情けない記事が出るほど、現王家は劣勢だ。

 隣国からも友好条約を切られ、ますます追い込まれているのだが……その条約が切られるより前に、俺はこっそり隣国へと居を移していた。

 仕事の都合が大きかったが、なにより、『ここにお店を出します。アキより』という内容で送られてきた一通の手紙の主を、迎えに行くためだ。

 しかし、成果を出さないことには迎えにも行けず……四年も待たせてしまったというわけである。

 何とも情けないことだ。

 一年やニ年、それ以上とも言ったが……四年も待たせてしまうなんて。後でいっぱい謝って、どうにか許してもらおう。

 そしてなにより、告げたい想いがある。



 何度かは牧場の下見に来た時に店の周辺をうろついていたのだが、直接お店を訪れるのは初めてだ。会ってしまえば、絶対に帰りたくなくなるし、連れ帰ってしまおうかとすら思ってしまいそうだから我慢した。

 うろつきながら情報を集めてみれば。予想通りというか、予想以上というか。

 独り身でいるからこそ、何人もが彼女にアプローチをしたのだとか。本人は一切気にした素振りなく、それすら気付いていなかったのでは、なんて彼女の店の隣にある食堂の女将さんが言っていた。

 仕事ぶりも良く、美人で気さくさで知識も教養もある。おまけに話すのが好きだから、会話も途切れない。そりゃあ……あわよくばと望むだろうな。

 彼女が誰にもなびかなかったと聞いて、心底ほっとした。


 彼女の店の前に、俺は立っている。

 俺を……俺だけを、待っていてくれた人がこの先にいる。必要以上に緊張するが、扉の前で深呼吸をして思い切ってドアを開けた。


「いらっしゃいま……」

「おはようございます。お迎えに来ました」


 店には人がおらず、いたとしてと言わずにはいられなかった言葉を告げる。

 大きく目を見開いて何度か瞬きした後、手に持っていたペンを置いて、ゆっくりとカウンターから出てきてくれた。


「……早すぎるわ」


 そんなはずがない。四年も待たせてしまったのに。


「四年も待たせてしまったのに、優しいですね」

「やっとこのお店も軌道に乗ってきたところなのよ?」

「すごい人気ですね。下見で来た時に周辺の人から評判を聞いて回ったら、そこかしこであなたへの褒め言葉が。特に食堂の女将さんが、あんな働き者、手放したくなかったと悔しがっていましたよ」

「あら、本当に? 嬉しいわ。ね、早速で申し訳ないのだけど、ちょっと手伝って」


 くるくると変わる表情は相変わらずだ。可愛い。何歳になっても、とても可愛い。


「ええ、何をします?」


 俺は昔と変わらず。手伝えることなら何だって──


「店休日にするの。今日だけね。明日からはまた営業するわ」


 ……それはつまり。今日は、俺との時間にしてくれる、ということだろう。


「……ええ。表の看板を外せばいいですか?」

「裏返しにしてくれればいいから。ありがとう」


 口元が緩むのを抑えて外に出る。だめだ、抑えられない。嬉しすぎて泣きそうだ。

 手早く看板を回して、閉店となったことを確認してからまた店の中へと入れば、金色の髪を靡かせた人が俺の胸に飛び込んできた。


「やっぱり早すぎる……」

「だって、頑張りましたもん」

「二十超えた大人が、もん、とか遣わないで。可愛すぎて悶える」

「いくらでも悶えてください」


 可愛すぎて悶えるのは俺の方だ。四年越しのバルベイルは、たまらなく可愛い。その気持ちのままキツく抱きしめても、同じように返されて、幸福感で満たされていく。


「俺には長くて長くて仕方なかったですよ。もう……好きだと口にしてもいいですよね?」


 我慢できずに言ったけれど、それはお互い様だったようだ。


「……うん。好きよ、クルト。迎えに来てくれてありがとう」

「俺の方こそ、です。俺も、好きです。大好きです。バルベイル、俺と結婚してください」

「ふふふ、喜んで」


 好きだという気持ちと、待っていてくれたことへの感謝と、幸せにしたいという想いとを全部込めて抱きしめる。

 やっと伝えられた気持ちは留まることを知らず、抱きしめるだけでは足りなくなった衝動は口付けへと移る。何度も口付けを繰り返すことで、どうにか落ち着かせることが出来た。 


「……前世での結婚式ってどんなことをするんですか? 誓いのキスは一緒?」

「ええ。あとは指輪交換かな」


 左手の薬指に指輪をして、真っ白のウェディングドレスを着てもらって。それらは魅力的なこの人が俺だけのものになったという証で……貪欲にも俺は、その時間ごと、独り占めしたいと思った。


「一番綺麗なあなたは、俺だけが見たいです。だめですか?」


 お伺いを立てるように耳元へと軽くキスをすると、その耳を抑えてバルベイルは真っ赤になった。


「ズ、ズルい! なにそれ! 何でそんな口説き文句を出せるようになってるのよ!」

「俺ももう、二十を超えましたから。あきさんの年齢に近寄ったでしょ?」


 あきさんは二十代前半だったはずだ。それなら、俺も二十三歳になったのだから、ズルいようなことが出来てもおかしくはない。


「それで言うなら、二十代前半プラスここ数年で、二十代後半になっているわよ、私は」

「あ、そっか。じゃあ単純に、好きだと言えるようになったことが嬉しすぎて止まらないだけですね」

「ばっ……言うようになったわね……」

「あなたを好きだと自覚してから、四年以上は言いたくて言いたくて我慢してましたから」


 また抱き寄せて、全身でバルベイルを堪能していると、少し不安気な声で問いかけられた。


「……こんな奇妙なやつでいいの? 一歩間違えれば、自分は転生者、なんていう危険なやつよ?」

「その転生者だからこそ、俺みたいな、地味な黒髪黒目を気に入ってくれたんでしょう?」

「あなたはそれでいいの? 本当に? 腹立たない? それがきっかけで」

「今もそれだけだったら悲しいけど、それだけじゃないでしょ? 黒髪黒目なやつも、いないことはないし。四年も俺のことを待っていてくれたじゃないですか」


 きっかけは何だっていい。むしろ目に止まれたことが幸運だった。それに、抱き返される強さがこの人の気持ちの強さに比例しているように思えて、何だって良くなる。


「……そりゃあね。あなたほど私を理解してくれる人はいないもの」

「ならいいです。俺ね、手に職、持てたんですよ。独り立ちもしてきました」

「あら、何をするの?」


 それからは、仕事の話をして。思いの外褒められると嬉しくもなる。バルベイルはいつだって俺の原動力になるのだと実感した。


「俺、頑張ったでしょう?」

「頑張ったなんてもんじゃないわ! すごすぎる!」


 興奮している様子のバルベイルに、我が事ながらすごいことをしたのだと思えてくる。言葉は十分もらったから、次はもっと、形をもらおう。


「はは。じゃあご褒美もらいますね。もう我慢しなくていいでしょうし」

「はい?」


 少し屈んでバルベイルの腰と膝下に手を差し込んで、その体を一気に抱き上げる。この四年で、そこそこに体も鍛えたのだ。

 いきなり視界が変わったことに驚いていたが、俺の顔を見るなり頬を赤くするバルベイル。


「お姫様抱っこ!?」


 目を瞬かせて更に声のトーンが上がる彼女に、俺は笑いかける。


「良い呼び方ですね、それ。あなたは俺のお姫様だから、その通りです」


 素直にそう口にすれば、途端に首まで赤くなっていくバルベイル。


「もうやめてっ慣れてないのよ、こっちは!」

「ははは! かわいい」

「かわいいじゃない! あなたがかっこいいのよ!」

「ありがとうございます」


 取り乱す彼女に笑っていたら、ふいに俺の首元へとその両手が回されてその顔が寄せられた。


「…………私……クルトの黒髪黒目も好きだけど、性格も顔も声も体型も、全部好きよ」


 ……本当にこの人は。無自覚なのか、これ。四年の間に、魔性になったのか?


「俺だってバルベイルのこと、全部好きですよ。それじゃあ行きますよ、我が姫」


 今すぐにでもどうにかしてやりたい気持ちを抑え込み、俺は足早に彼女の部屋へと進むのだった。



 部屋に入ってからは、膝の上に彼女を乗せて抱きしめたり口付けたり、やりたいようにやらせてもらった。

 バルベイルもふふ、と笑いながら受け入れてくれる。自分からはまだ恥ずかしいらしく、俺の頬を撫でるぐらいだったが、それだけでも俺は嬉しい。

 彼女の言葉を借りるならイチャつきながら、平穏な時間を過ごしていたのだけど、ふと、バルベイルが独り言を呟いた。


「身分差は……乗り越えたわね」


 え? と聞き返すと、少し見上げるように俺を見てくる。


「私とクルト、身分差があったじゃない?」

「そうですね」


 返答ついでに頭に口付ける。


「それは乗り越えたわね……うん。乗り越えたわ」


 元侯爵令嬢にこんなことをしているのは信じられないが、その信じられなさを噛み締めながら頬にも唇を寄せた。バルベイルはまだ何か考えているようで、まだまだ言葉を続けていく。


「愛も……貫いたわね……」

「愛? 愛するってことなら、俺は貫いたと思っていますよ。だってずっとあなたのことを愛していましたし」

「わっ、私だって……貫いたわ」

「はい。ありがとうございます」


 頭、頬ときたなら次は唇に。うぐっと呻いた可愛らしいバルベイルは、少しだけ悔しそうにしている。

 これまでの質問を頭の中で整理すると、確かにしっくりくるものがある。


「身分差を乗り越えて愛を貫いたか、ですか? 言われてみるとその通りですね」


 侯爵家と平民。令嬢と御者。それだけの関係から、プロポーズをして、恋人をすっ飛ばして婚約者になれた。

 考えてみればけっこうすごいことだなぁと思ったら、いきなりバルベイルの両目から涙が溢れた。


「え、バルベイル!?」

「うわっ、ごめん!」


 悲しそうな素振りは一切なかったのだが……彼女自身は、どこか納得したように涙を拭っている。


「……今ね、こう、感覚的なところだけど……バルベイルがお礼を言ってきて」


 ここでいうバルベイルは……


「バルベイル……お嬢様が?」

「ええ。それとね、お別れも」

「お別れ……?」

「うん。言葉はないけど伝わってきた。ありがとうと、さようならだったな。バルベイル、どうやらもうスッキリしたみたい」


 嘘偽りのない、晴れやかな笑顔だ。その眩しい笑顔に俺はまた、目の前のバルベイルに惚れ直す。


「私の中にはもう……彼女はいない。きっと彼女も別の世界で幸せになるために、生まれ変わるのかも。私みたいに転生するかもね」

「……そうですか。それなら良かった。お嬢様が幸せになれるなら、それが一番です」


 きっとどこかで、あの方を笑顔にしてくれる人と出会えるだろう。俺と、今のバルベイルが出会えたように。

 そんな風に思っていたら、ふいにその笑顔が曇った。


「……もう、あなたの好きだったバルベイルは……私の中にいないわ。正真正銘、大場あきだけのバルベイルになった。クルトは、それでも──」

「好きですよ」


 間違えるはずがない。望むはずがない。

 俺が好きなのは、愛しているのは、目の前にいる……俺の腕の中にいてくれる、あなただけだ。


「愛しています。俺は今のあなたを愛しているんです。俺が四年間以上、恋焦がれて心から愛していたのは、あきさんであるバルベイルです」


 不安そうに見上げるよう目を見つめて、頬を出来るだけ優しく撫でる。


「お嬢様のことはお慕いしておりました。けど……あれはむしろ憧れ、ですね。好きだと言い切れるようなものではありませんでした。でも、あなたのことは諦められなかった。四年前、あなたは俺を利用したと言いましたけど、俺の方こそ、利用させてもらっていたんですから」

「……私を利用していたの?」

「ええ。あなたにとって頼りになるのは俺だけだと思われるように動いていました。俺、あなたが思うよりもずっと打算的ですよ。俺しか頼りに出来なくなって、俺と一緒になってくれないかと、ずっと思っていました」

「そういうのは……打算的じゃないわ。賢いのよ。少なくとも私はそう思う」

「あなたにとってそうなら、嬉しいです」


 いつだって俺を楽しませてくれるのも喜ばせてくれるのも、あなただけだ。会いたくて会いたくて、眠れなくなるぐらいの日だってあった。それでも我慢して、自分に実力をつけることだけに集中した。

 俺を待っていてくれる、今のバルベイルを自信を持って抱きしめたかったから。


「俺は、あなたがいい。今のバルベイルがいいです。お嬢様にはお嬢様の幸せがあって、あなたにはあなたの幸せがある。俺はあなたの幸せに寄り添いたいし、あなたを幸せにしたい」


 バルベイルは泣きそうな顔で笑った。


「……私も、あなたと幸せになりたいわ。クルトがいないと……楽しくないのよね、やっぱり」


 俺だってそうですよ、と思って口付ける。きっとお互いに、心から楽しいと思えるのはお互いの存在があってこそだ。


「ありがとう、クルト。愛してる。これからよろしくね」

「よろしくお願いします。俺も、バルベイルを愛しています」



 後日、二人きりで挙げた結婚式で、俺は世界一可愛くて綺麗なお姫様をこの手に抱きしめた。

 王子様みたい……とバルベイルが俺を見て呟いたものだから、俺達お互い様ですね、と顔を見合わせて笑った。


 めでたしめでたし。

最後までお読みいただきありがとうございました!

楽しかったです!

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― 新着の感想 ―
[一言] 本当のバルベイルが転生したお話があったら読んでみたいです。
[気になる点] にやける顔を抑えて外に出る。だめだ、抑えられない。嬉しすぎて泣きそうだ。 【若気る】(にやける) 男性が女性のようになよなよして色っぽい様子 鎌倉・室町時代に男色を売る若衆を呼んだ…
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