後編
「本当に……大丈夫ですか?」
「何度も言わせないで。私はもうバルベイルじゃないから、ある程度のことは自分で出来るわ」
「でも……」
シュンとした男の背中を思い切り叩く。
とある宿屋の一室。ここに私は少しの間、身を置くことになった。
この宿屋は国境にあって、王都からは最も離れた土地だ。隣国への入国許可が下りるまでここにいて、許可が出たら隣国へと移動する。
卒業式後、裏道を使って我が家へと帰り着いた私は、殿下から渡された『悪役令嬢バルベイルの所業の全て!』と、この杜撰な調査から婚約破棄をされたことと、陛下や大臣の思惑も併せて両親に報告した。
そして、ひどく傷付きもうこの家にも学園にもいられない……もう二度と王家とは関わりたくありません……ですから、私を除籍ください! と涙ながらに説得。
私にあまり関心はなくても、さすがにこの仕打ちはひどいと思ったのだろう。婚約破棄による費用は全てこの家にいれてください、という私の殊勝な態度と相まって、私の望みを叶えようと答えてくれた。
慰謝料の代わりにお金になる宝石をいくつかもらい、家を旅立つことにしたのだ。
「でもも何もないの。他に何か聞きたいことはある?」
「これで良かったのですよね……? 後悔はしておりませんか?」
「全然。それに、バルベイルはもう限界だったのよ。命を落とさなかっただけ良かったわ。まぁ彼女としての記憶もちゃんとあるし、感覚的なところで私の中で彼女は生き続けているしね。私としても、こうやって自由になれて良かったわ」
「バルベイルお嬢様……」
「だぁかぁらぁ! お嬢様っていうのはやめてってば! 私は平民になったのよ!」
ぐいーっと両頬を引っ張れば、痛い痛いと涙目になる男。そのままめそめそ泣いてみなさい。もっとやるわよ。
「一旦、換金も済んだことだし、暮らしていける。ありがとう、今まで付き合ってくれて」
「そんな……俺なんかじゃ、何の役にも立てませんでした」
「あなたがいなかったら、バルベイルはもっと早くに潰れてた。あなたがバルベイルを元気づけようと素敵な花畑を見せてくれたこと、彼女の中ではかけがえのない思い出になっているわ」
「バルベイルお嬢様……俺……」
「だから、あなたとはここで終わり」
「え?」
男の体を押して、距離を取る。
向かい合った男の目には、やっぱり涙が溜まっていた。
「あなたが好きだったバルベイルは私じゃない。だからもう、あなたはあなたの好きなことをして。バルベイルに囚われないで」
「そんな……俺はあなたがっ!」
「違うわ。あなたが救いたいと思ったのは、バルベイルよ。私はあなたの優しさと好意を利用したの。ごめんなさい、振り回すだけ振り回して。こんな突き放すようなことを言って」
「利用だなんて……俺は、バルベイルお嬢様といられたら──」
「だから、私はバルベイルお嬢様じゃないの」
あきが目覚めてからの一年……いや、あきの転生前からバルベイルのことを気にかけてくれていた男、バールライ家で御者をやっていたクルトとともに、この土地へとやってきた。
卒業式で馬車を出してくれたのもクルト。彼には私の全てを話している。
だって唯一、バルベイルがあきになったことに気付いた人だったから。それだけ彼は、バルベイルを見てくれていたのだ。
バルベイルにとっては一歳上のお兄さんぐらいの関係だった。それでも彼に救われたことは確かにあって、彼には心から感謝していた。
クルトは、バルベイルのことが好きだ。それは小説にもちらりと出てきて……儚くも散ってしまう想いなのだけど。
そんな彼の気持ちを卑怯にも利用して、私はこの一年、小説通りにならないよう色々と画策してきた。宿探しも彼とともに馬に乗ってやってきたし、走り込みも彼の服を借りた。探偵ごっこをする時は、私の身代わりにカツラとドレスを着させて私室で顔を伏せて座らせていたことすらあった。めちゃくちゃ嫌がられたけど。
今の私があるのは、間違いなくクルトのおかげだ。
だからこそ、解放しなくては。
「私は、転生した大場あき。純粋なバルベイルじゃない。あなたが好きになったバルベイルのようなお淑やかさも慎ましやかさもないもの。私は私のやりたいようにして、あなたを巻き込んだ」
「巻き込んでなど! それにあなたは、バルベイルお嬢様のためにここまで出来る優しい人です! そんなあなたを、俺はっ!」
「バルベイルが置かれた状況が嫌だっただけよ。あのまま殿下の言うことを聞いていたら、監禁されていただろうし。そんなの私には耐えられない」
両肩を掴まれて、涙ぐんだ瞳に見つめられる。こんなにもバルベイルのことを想ってくれている人に、私はなんて最低なことをしてきたんだろう。それでも……感謝の気持ちを伝えて、手放さなければ。
「あなたがいたから、私は靴を脱いで駆け出せた。そんなこと、バルベイルじゃ出来なかった。クルトのおかげで私は今ここにいられる」
「なら……おそばにおいてください。俺にはあなたが必要なんです」
「それは出来ないわ」
「どうして!」
どうして、か……そうだなぁ……上手いこと、言えるような気がしないけど。
「……バルベイルが許さないから」
私の返答に、肩に置かれた手が微かに震えた。
「あなたをこの一年、巻き込んできたことをずっとバルベイルは怒っているの。私に付き合わせていたら、バルベイルには怒られっぱなしだわ」
彼の手に自身の手を重ねて、そっと肩から離す。どちらの手も、簡単に外せるほど、力が入っていなかった。
「ありがとう、あなたのおかげで自由になれた。もう少しで私は隣国の人間になる。一から全部、始められる。でもね、あなたにはこの国に大切な家族も、友人もいる。大切な人がいるのに、隣国に行く曰く付きの元悪役令嬢なんて、選んじゃだめよ」
「俺……俺は…………」
「……巻き込んで、ごめんなさい。謝っても許してもらえないだろうし……こんな国にあなたがいるのは……嫌だけど。ここであなたの優しさに甘えて一緒にいてもらったら、あなたを大切に想っている人を心配させるし、傷付けてしまうわ。それは嫌だし……あなたには、たくさんのものがある。私はもう、あなたから奪ってはいけないの。この一年、散々あなたの時間も自由も奪ってきたから……ごめんなさい」
「俺は……あなたが、いないと……」
とうとう、彼は泣き出してしまった。
「……ありがとう。ごめんなさい……私は、あなたの好きな、バルベイルお嬢様にはなれない。平民の……バルベイルだから。ごめんなさい」
お礼を言って謝っていたら……私まで泣いてしまった。でも彼も私も動かなかった。お互いに直立姿勢で、ぼろぼろと泣いていた。
それがこの国での、恋人でない者同士の距離だから。
クルトだけが、私に気付いてくれた。彼だけが、私の味方だった。いつだってどこにだって、一緒にいてくれた。
そんな彼に感謝の気持ち以上のものがあるのは、痛いほどよく分かっている。でもこれを口にしてはいけない。彼を私に縛り付けてはいけない。
だからきっと、この距離が今の私達の距離なんだ。
そう思うと、余計に涙は止まってくれなかった。
──どれくらい泣いていただろう。さすがに何か言わなければと息を整えていると、クルトの方が先に言葉を発した。
「一年……いや、二年とか、それ以上、かかるかもしれませんが……」
一年、二年……その時には私はもう、隣国の人間だ。
「その間、あなたのことは忘れません。いや、忘れられない。忘れるはずがない。だから……迎えに行きます。必ず」
「迎えに……」
「次の土地であなたを養えるぐらいの力をつけて、隣国まで迎えに行きますから。もちろん、家族と友人からも、快く送り出してもらいます。だからそれまで……どうにか生き延びてください」
「……転生者の知識、舐めない方がいいわよ。家事も一通り出来るし、就職活動だって出来るんだから。節約だってお手の物よ。生き延びてみせるし、養われなくてもいいぐらい稼ぐんだから。でもそうね……私も、あなたのことは絶対に忘れないわ」
「はい。俺のこと、絶対に忘れないで。俺とまた会うまでは独り身でいてください」
「独り身、で…………ふふ、そうね、迎えに来てくれるなら、ウェディングドレスの似合う体型は保っておかないとかな。前世でも着たことないから、着てみたいし」
「あなたなら、どんな体型でもいいです」
忘れない、とか。養う、とか。ウェディングドレスを着てみたい、とか。こんなことを約束するのは、もう、恋人同士と言って良いのではないだろうか。
そんなことを思っていたら、ふと、視界が暗くなった。
「……今だけは、お許しください」
男性にこんな風に抱きしめられたのは、初めてだった。あきは彼氏いない歴イコール年齢だったから。まさかそれがこんなにも温かくて切ないものなろうとは。
その腕の力強さに、先程まで泣き腫らした目からまた止め処なく涙が溢れる。
「……ごめんなさい、ごめん……あなたを、傷付けて、ばかりで……利用して……ごめんなさい……一緒に、いられなくて、ごめんね……」
「謝らないでください。俺は傷付いてなんかいません。あなたからはたくさんのことを教えてもらいました。俺に教養がついたのは、あなたのおかげです。この一年は本当に楽しかった。俺がもっと頼れる男だったら……あなたごと、連れされたのに」
「十分すぎるくらい……頼りにしていたわ。それに、クルトには……元々、素質があったのよ。教えたらすぐに吸収してしまうくらい、頭が良かったもの」
「ありがとうございます。これからもたくさん、勉強します」
「……私の部屋から……本とか、好きなだけ持っていって。父への手紙は……託すから」
「はい」
私も彼の背に手を回す。涙で服が濡れても大目に見てもらおう。彼からは縋るように抱きしめられた。
「どうか……どうか、ご無事で」
「……まるで戦場に行くみたいね、それ」
「俺にとっては戦場と変わらないです。こんなにも魅力的なあなたを野に放つなんて」
「今度は動物かなんかみたい」
ふふ、と笑えば、体が離れる。
両手を握り合って、その手を見つめた。
「……俺、頑張りますから。時間がかかっても、絶対に約束は守ります」
「……分かってるわ。私も頑張る。期待していて。前世の知識をフル活用して、平民のバルベイルとして、立派にしぶとく生きてみせるわ」
「はい。いつも応援しています」
「私も。あなたのことを応援しているわ」
ギュッと手を握り合って。
離すのは一瞬。そこに名残惜しさなんて、微塵もない。
「それでは。また、お会いしましょう」
「ええ、いつか、また。今までありがとう、クルト」
あれから四年が経ち──
あきの趣味だったビーズ手芸からアイディアを得て始めた、低価格の若者向けアクセサリー作りでそこそこ稼げるようになった。小さいながら、自分のお店を出してから一年半が経つ。
最初は隣国の暮らしに慣れるためにひたすら様々な職種のアルバイトをした。食文化や生活習慣に頭も体も慣れてきた頃から気晴らしで始めたのが、今の仕事となっている。
どうもこの世界のアクセサリーは宝石ジャラジャラが定番だったから、そうじゃなくてもっと気軽におしゃれしましょう! と、どこぞのインフルエンサーみたいなことを宣ってみた。
これが当たった。主に平民から低位貴族に。
アルバイトの店先に置いてもらう形からどんどん規模を拡大して、とうとう自分の店も持てた。まぁ、一番長いこと続けたアルバイト先である食堂のすぐ横なんだけど。
女将さんから、絶対にここにして、と言ってもらえたのでここに決めた。私としても信頼出来る人がすぐ近くにいるのはとても心強いし、良い匂いに釣られてきたお客さんが食事の後などに寄ってくれて、とても良い客回りになっている。
この四年の間に、母国は大きく変わっていた。何がって、国自体が。
あの卒業式の後、王太子となったリューシアン殿下だったが、その直後から彼にとっては醜聞でしかない多くのゴシップが出回った。
その一つに、殿下を一途に想っていた元婚約者に対し、無実の罪を着せ、衆人環視の前で理不尽にも追い詰め婚約破棄し、国外追放した、というものがあった。いや、国外出たのは自分の意志だから、とは思ったが、否定する先もなく。
それに加え、殿下が新たに連れてきた男爵令嬢は王太子妃として王家に名を連ねることになったのだが……その男爵令嬢を殿下の婚約者に認めたのは、陛下をはじめとした大臣ら、男性しかいなかったのだ。
王妃陛下はこのことを知らされておらず。王太子の式典で元婚約者の姿がないことに言及し、式典が終わってから事の次第を知らされた。しかも追加で、殿下の浮気の証拠一覧をまとめた資料が送られてきて、それを目にする。
その内容から、夫と息子、そして大臣達のしでかしたことにブチギレた王妃陛下が取った行動は……
離婚。
いや、王族はそんな簡単に離婚出来ないでしょ!
それでも離婚を言い張り、王妃の執務を放棄。嫉妬深いが超優秀だった王妃の抜けた穴を埋めようにも、殿下のゴシップの火消しに、王太子妃教育が思ったように進まないためにそちらのフォローまで。
しかもキレたのは王妃だけではなく、王妃を慕っていた王城で働く女性陣がストライキを起こした。
侍女にやってもらうのが当然の王族だ。下手をしたら着替えさえ、一人では出来ないかもしれない。ちょっと疲れた時に飲む紅茶も出てこない。洗濯、清掃に関わる女性も多く、王城はどんどんと薄汚れていく。
これに陛下がキレた。いい加減にしろ、と。
それなら側室を迎え入れる! と解決にならない政策を打ち出し、これを無理矢理にも承認させ、母国は側室を認めることとなった。
こうなったら王妃は出ていく。ついでに、働いていた女性陣も。しかも貴族のご夫人とご令嬢もこれに反発し、王家主催の社交場に出てこなくなった。
──とある一人の若き伯爵が、先陣を切って王家への反乱軍を結成し、いつその火種が落ちるか分からない状況である。その伯爵のバックには、王妃の影が。世はまさに、愛憎渦巻く混沌の時代となった……
この一文で締められたゴシップ紙を畳み、机の端に置く。
記事の隅っこに、『新しく牧場が出来ます!』と可愛らしい馬の絵が書かれていて、ちょっと癒やされた。
どこまでが本当でどこまでが嘘かは分からないけど、この国に女性の移民者が増えたというのはよく話題になっている。
まぁそのおかげで、私のアクセサリーの売れ行きも良くなっているからね。助かるけど。
この国は、母国とは友好条約を結んではいたが、その価値なしと手を切ったのだとか。この国の方が何かと豊かだから、あちらとしてはダメージも大きいだろう。それからは平民に母国の情報があまり入ってこなくなったのだが。
まぁ……国が栄えるのも滅びるのも、人による。
それは上だけじゃなく。下にいる者も関係している。それが上手くいかずにいるのが母国なのだろう。
知ったこっちゃないけど。母国とは言っても愛着はない。愛する人がいる国、ぐらいの感覚だから。
悲惨なことになっているかもしれない母国とは違い、この国は随分と住心地がいい。国を挙げて、女性の活躍を応援する制度が多いからだろう。良い国に来たもんだと思いながら今日も今日とて、表に開店中の看板を出し、よし頑張るかとデザイン案を考えていた時だった。
チリンチリン、とお店のドアが開いた音がして、顔を上げる。
「いらっしゃいま……」
「おはようございます。お迎えに来ました」
やけに大人びた青年は、最後に見た時よりずっとずっと穏やかな微笑みを浮かべている。
「……早すぎるわ」
「四年も待たせてしまったのに、優しいですね」
「やっとこのお店も軌道に乗ってきたところなのよ?」
「すごい人気ですね。下見で来た時に周辺の人から評判を聞いて回ったら、そこかしこであなたへの褒め言葉が。特に食堂の女将さんが、あんな働き者、手放したくなかったと悔しがっていましたよ」
「あら、本当に? 嬉しいわ。ね、早速で申し訳ないのだけど、ちょっと手伝って」
「ええ、何をします?」
「店休日にするの。今日だけね。明日からはまた営業するわ」
「……ええ。表の看板を外せばいいですか?」
「裏返しにしてくれればいいから。ありがとう」
本日のみ店休日、と書いたチラシを窓に貼ったところで、また青年がお店へと入ってくる。
「看板、やってきま……」
私は無言で突撃した。
結構な勢いだったはずなのに、ちっともびくともしないクルトに、四年の月日を感じる。前はもうちょっと、ひょろひょろっとしてたのに。私の身代わりが出来るくらいには。
「やっぱり早すぎる……」
「だって、頑張りましたもん」
「二十超えた大人が、もん、とか遣わないで。可愛すぎて悶える」
「いくらでも悶えてください」
はは、と笑って、全身で抱きしめられて、抱きしめ返す。
「俺には長くて長くて仕方なかったですよ。もう……好きだと口にしてもいいですよね?」
「……うん。好きよ、クルト。迎えに来てくれてありがとう」
「俺の方こそ、です。俺も、好きです。大好きです。バルベイル、俺と結婚してください」
「ふふふ、喜んで」
それからしばらく。私達は無言で抱き合って。この国では許されている婚前のキスもして。恋人同士の触れ合いをした。
「……前世での結婚式ってどんなことをするんですか? 誓いのキスは一緒?」
「ええ。あとは指輪交換かな」
「指輪」
「左手の薬指にね、お互いに指輪をつけるのよ。あと、ウェディングドレスは白ね。真っ白」
「招待客は?」
「家族や友人知人……あとは職場の人とか。二人で挙げるのもあるわね」
「じゃあ、二人がいい」
「あら、そうなの? 私は招待する人もあまりいないし……かまわないけど」
「四年も見れなかったから。一番綺麗なあなたは、俺だけが見たいです。だめですか?」
チュッと耳元へのキスとともに、とんでもないキザなセリフを言ってくる。なんだこの男!
「ズ、ズルい! なにそれ! 何でそんな口説き文句を出せるようになってるのよ!」
「俺ももう、二十を超えましたから。あきさんの年齢に近寄ったでしょ?」
「それで言うなら、二十代前半プラスここ数年で、二十代後半になっているわよ、私は」
「あ、そっか。じゃあ単純に、好きだと言えるようになったことが嬉しすぎて止まらないだけですね」
「ばっ……言うようになったわね……」
「あなたを好きだと自覚してから、四年以上は言いたくて言いたくて我慢してましたから」
「……こんな奇妙なやつでいいの? 一歩間違えれば、自分は転生者、なんていう危険なやつよ?」
「その転生者だからこそ、俺みたいな、地味な黒髪黒目を気に入ってくれたんでしょう?」
……それはそうかもしれないけど。
だって親しみやすいじゃない!
金髪碧眼見ても、映画の中の俳優さんみた〜い、ぐらいにしか思わなかったんだもん! 殿下も私も側近その一も、金髪碧眼。男爵令嬢は金髪までいかなくても、ゴールドブラウンぐらいで……しかもゴイゴイのぱっちりお目々の美男美女が多くて、ちょっと胸焼けしそうになってたし!
そこに黒髪黒目の素朴青年が出てきてご覧なさい! はぁ〜癒やされる〜ずっと見てたい〜ってなるでしょうが!
「あなたはそれでいいの? 本当に? 腹立たない? それがきっかけで」
「今もそれだけだったら悲しいけど、それだけじゃないでしょ? 黒髪黒目なやつも、いないことはないし。四年も俺のことを待っていてくれたじゃないですか」
「……そりゃあね。あなたほど私を理解してくれる人はいないもの」
「ならいいです。俺ね、手に職、持てたんですよ。独り立ちもしてきました」
「あら、何をするの?」
私の質問に彼はにこっと笑って答えた。
「馬をね、育てるんです」
「馬を」
「俺の育てた馬、この国の騎士団に選ばれたんです。立派な軍馬として育ってくれました」
「まさか……馬主……!?」
馬主……いや、私の知っている馬主とは違うだろうけど。でもなんかあれ、なんとなくさ、詳しくはないんだけど、その……お金持ちのイメージが……
「馬主? まぁ馬の主ではありますけど。この近くに馬を育てやすい土地を見つけたので、そこに俺の牧場作って、引っ越ししてきます。あ、従業員も何人か連れてくるので。一応、俺が牧場主として経営します」
「経営……なっ……あなた、経営者にまでなったの!?」
「馬好きがこうじて。あの、出来れば……あなたにも経営を手伝ってもらいたくて。俺一人だと手が回らなくなるかもしれないし。もちろんこのお店は続けてください。このお店を無くしたら、俺が周辺の人から恨まれそうですし」
わたわたと話す彼の言葉は半分くらいしか入ってこない。いやいや、それよりも!
「……す」
「す?」
「すごすぎる! どれだけレベルアップしてんのよ!」
だってクルト、出身は間違いなくしがない平民だった。いや、しがないって失礼だけど。でも馬が好きだという理由でうちの御者にはなったけど、私が教えるまで文字も書けなかったんだから!
そりゃあすぐに文字の読み書きも完璧に出来るようになったし、理解は早くて頭良いな、とは思っていたけど!
それでも経営者だなんて……しかもちゃんと実績まで作った上で……
つまりあれでしょ? 騎士団の馬に選ばれて……貴族の馬車にも馬が必要だもの。街を走る辻馬車にだって。
この世界の移動手段である馬を、彼が育てる、とは。
「すごいですか?」
あっけらかんと訊いてくるけど!
「すごいでしょう! とってもすごいわ!」
「俺、頑張ったでしょう?」
「頑張ったなんてもんじゃないわ! すごすぎる!」
「はは。じゃあご褒美もらいますね。もう我慢しなくていいでしょうし」
「はい?」
ふわりと浮いた体。近寄る顔。これはまさに。
「お姫様抱っこ!?」
まさかそんな。前世でもさすがにこれはされたことがない。正真正銘、人生初の、お姫様抱っこ。
「良い呼び方ですね、それ。あなたは俺のお姫様だから、その通りです」
素朴な青年が、キラキラを纏ってやってきた。
白馬に乗った王子様ならぬ、馬主になった癒やしの君、だ。
良い男はオーラが違う。眩しすぎて目が潰れそう。
「もうやめてっ慣れてないのよ、こっちは!」
「ははは! かわいい」
「かわいいじゃない! あなたがかっこいいのよ!」
「ありがとうございます」
「…………私……クルトの黒髪黒目も好きだけど、性格も顔も声も体型も、全部好きよ」
「俺だってバルベイルのこと、全部好きですよ。それじゃあ行きますよ、我が姫」
この年になってお姫様扱いなんて……いやでも、これもいいかな。
一階がお店になっていて、この二階に私は住んでいる。お姫様抱っこをされたまま二階に上がり、家の中へと入ってそのままソファに座る。私はクルトの膝の上だ。
こんなにも幸せなことがあるんだなぁ、なんて思っていたのだが。
ふと、思い付いたことが。
この世界は『身分差を乗り越えて、この愛を貫かせていただきます』の中だった。
私は恋敵にして悪役令嬢だったけど、それは違う結末を迎えた。それで今の状態を考えてみると……ある意味では、私もクルトも、身分差を乗り越えた結果、こうなっているのかも?
元だけど私は侯爵令嬢だし、クルトは平民だし。
「身分差は……乗り越えたわね」
「え?」
「私とクルト、身分差があったじゃない?」
「そうですね」
チュッと頭にキス。
「それは乗り越えたわね……うん。乗り越えたわ」
ええ、と返事がきて、またチュッと頬にキス。これに関しては好きにさせる。私も嬉しいし。
「愛も……貫いたわね……」
「愛? 愛するってことなら、俺は貫いたと思っていますよ。だってずっとあなたのことを愛していましたし」
「わっ、私だって……貫いたわ」
「はい。ありがとうございます」
今度はチュッと口にされて、色気もなく、うぐっと言ってしまった。悔しい。
「身分差を乗り越えて愛を貫いたか、ですか? 言われてみるとその通りですね」
クルトが笑う。
その笑顔を見て、体からぶわっと何かが……いや、違う……何か、じゃない……これは……
「え、バルベイル!?」
「うわっ、ごめん!」
いきなり私の目からぼろぼろと涙が溢れてきて焦るクルト。でもこれは悲しい涙じゃない。とてもとても嬉しくて、喜ばしくて、感謝の気持ちのこもった涙だ。
「……今ね、こう、感覚的なところだけど……バルベイルがお礼を言ってきて」
「バルベイル……お嬢様が?」
「ええ。それとね、お別れも」
「お別れ……?」
「うん。言葉はないけど伝わってきた。ありがとうと、さようならだったな。バルベイル、どうやらもうスッキリしたみたい」
感覚的なところだ。私の中にずっといた彼女が、いなくなった。
なぜ私が……大場あきがバルベイルとして目覚めたかは分からない。
けれどもしかしたら、バルベイルは抗いたかったのかもしれない。そして……自分を励ましてくれたクルトに、幸せになってもらいたかったのかもしれない。
なんてことを考えても、答えは出ないのだけど。
「私の中にはもう……彼女はいない。きっと彼女も別の世界で幸せになるために、生まれ変わるのかも。私みたいに転生するかもね」
「……そうですか。それなら良かった。お嬢様が幸せになれるなら、それが一番です」
朗らかに笑うクルトの笑顔に、胸がチクリと痛んだのは……気のせいではないだろう。
「……もう、あなたの好きだったバルベイルは……私の中にいないわ」
この先の言葉は、少し恐い。否定されないと思っていても恐いものは恐い。
「正真正銘、大場あきだけのバルベイルになった。クルトは、それでも──」
「好きですよ」
有無を言わせない圧で、その言葉は返ってきた。
「愛しています。俺は今のあなたを愛しているんです。俺が四年間以上、恋焦がれて心から愛していたのは、あきさんであるバルベイルです」
クルトが私の頬を優しく撫でた。その手はゴツゴツとしてカサついていて、苦労を重ねた手をしていた。
「お嬢様のことはお慕いしておりました。けど……あれはむしろ憧れ、ですね。好きだと言い切れるようなものではありませんでした。でも、あなたのことは諦められなかった。四年前、あなたは俺を利用したと言いましたけど、俺の方こそ、利用させてもらっていたんですから」
「……私を利用していたの?」
「ええ。あなたにとって頼りになるのは俺だけだと思われるように動いていました。俺、あなたが思うよりもずっと打算的ですよ。俺しか頼りに出来なくなって、俺と一緒になってくれないかと、ずっと思っていました」
「そういうのは……打算的じゃないわ。賢いのよ。少なくとも私はそう思う」
「あなたにとってそうなら、嬉しいです」
近寄った顔に、今度はうぐ、と言わずその唇を受け止められた。
「俺は、あなたがいい。今のバルベイルがいいです。お嬢様にはお嬢様の幸せがあって、あなたにはあなたの幸せがある。俺はあなたの幸せに寄り添いたいし、あなたを幸せにしたい」
「……私も、あなたと幸せになりたいわ。クルトがいないと……楽しくないのよね、やっぱり」
もう一度キスをして。たぶん、この話はこれでおしまいだということだろう。
クルトの言う通り、バルベイルにはバルベイルの幸せがある。彼女も私達も幸せだと思えたらそれでいい。
「ありがとう、クルト。愛してる。これからよろしくね」
「よろしくお願いします。俺も、バルベイルを愛しています」
『身分差を乗り越えて、この愛を貫かせていただきます』が思わぬ形で実現した結果──
悪役令嬢だったはずのバルベイルはその役割を果たすことなく、バルベイルを支え、愛し続けたクルトと生涯唯一の愛を貫き、幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
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