第6章 おさなきぼくたち
―10年前―
「う、うぅ・・・ううぅ・・・。」
ひれがひどく痛む。甲羅もヒビでも入ったかもしれない。海流から離れて流されてしまった僕は、どこかの砂浜に打ち上げられていた。意識も朦朧としている。ああ、これから死ぬのかと思った。20年。短い人生だったなあと思いながら、空を見た。今にも泣きだしそうな灰色。死にゆく体にはお似合いの色だと思った。
その声を聞くまでは。
「まあ大変!ウミガメさん大丈夫!?」
鈴のような、可愛らしい声。とうとう天使でも来たのだなとぼんやりした視界を向ける。布を巻いたような簡単な服装。褐色の健康的な肌。よく見る人間よりはいくらか小さい手足。人間につかまったのかと思うまでそう時間はかからなかった。
「僕を食べてもうまくはないぞ。」
どうせ聞こえないだろうとちょっぴり嫌味を言ってみる。すると少女は驚いたような表情をした。
「ウミガメさん、しゃべれるの?」
「は?僕の言葉を理解したのか?」
「?」
きょとんとしている。言葉が難しかったのか、少女は首を斜めに傾げた。
「えーっと、僕はラウレア。君の名前は?」
「アル。」
「アル、君は僕の言葉がわかるのかい?」
「うん。わかる。」
少女が僕のひれに触る。痛いと思ったそこは、不思議と少女に触られるだけで痛みが引いていくようだった。
灰色の空に虹色がかかる。泣き出しそうな空はいつの間にか笑顔になっていた。
砂浜で数日。毎日、アルと遊んでいるうちに痛みは治り、やがて海へ帰れるような体調になってきた。夜は砂浜の近くの洞窟に隠れて眠った。
「アルは何歳になるんだ?」
「6つだから、6歳!」
「6歳!?まだ卵から孵ったばっかりじゃないか!」
「あはは!ラウレア、人間は卵じゃなくて海から生まれるんだよ!」
「なんだって?人間は本当に不思議な生き物だな。」
2人で楽しく会話をする。それはそれはとても楽しい時間だった。
水平線に日が沈むまで。僕たちはたくさんの会話をした。
「ねえ、ラウレア。私の村にね、掟があるの。」
「掟?ルールって事か?それがどうした。」
「16歳になったらね、幸福の使いを食べなきゃいけないの。村で生きてくためには仕方ないんだって。」
「幸福の使い?」
「うん、ウミガメを食べるの。」
ばつが悪そうに彼女は視線を逸らす。これから大人になって食べなきゃいけない相手を前にするんだ。目も合わせられなくて当然かもしれない。でも、なぜ彼女は突然そんなことを・・・。
そう思ったところで、視界の端に火が映る。
海岸の先、村の入り口で複数の人間の大人が松明を焚いていることに気が付いた。
ああ、そうか。彼女のためなんだ。
しゃべるウミガメの話を彼女は大人にしたんだろう。それがどういうことを意味するかも知らず。掟が本当にあるかは分からない。でも、このままここに居れば、僕は見せしめに殺されるだろう。
彼女の、目の前で。
それだけは避けたい。
僕は彼女に視線を戻すと、そっとその手にひれを乗せた。
「アル。僕は海に帰るよ。」
「えっ、やだよ。ずっと一緒に居ようよ!」
なんで!?といったような顔で彼女は僕を見る。僕は首を左右に振ると、彼女の頬に手を当てた。
「10年後、君のためにまた海を渡ってくるよ。」
「じゅうねんご・・・?」
「あぁ、その時、僕は君のためになる。」
「ほんとう?10年後に会えるの?」
「それまでいい子にしていられるね?」
「うん。」
2人でぎゅっとハグをすると、しばらくそのままいた。
大人たちがざわつき始める。もうここに長居はできない。
「さあ、もう夜も遅い。おうちにお帰り。」
「じゃあね、ラウレア。またね。絶対また会おうね!」
1人の男が僕たちに寄ってきた。暗闇で顔は見えないが、どこか寂しそうに男は言った。
「さあ、アル。おうちに帰ろう。」
松明の大群が去り、2人が村のほうへ行き、砂浜には僕が一人取り残された。
これでいい。
僕はひれが動くことを確認すると、波打ち際のほうへ進み始めた。
『ラウレア!しっかりしろ、ラウレア!』