第1章 ある噂話
もしも君が溺れてしまいそうになった時は、僕のひれを掴んで。
もしも君が彷徨った時は、僕の甲羅の上に乗って。
もしも君が涙を流した時は、その涙を僕が海に流してあげる。
僕は君だけの『ホヌ』
海の世界は今日も穏やか。
サンゴ礁は鮮やかに愛を語らうのに最適だった。
イソギンチャクはゆらゆらと波に身を任せ、魚たちは家族とともに食料を求め行ったり来たり。サメやイルカ、クジラたちは遠くでその姿を影にしている。
そして僕たち、ウミガメはその間で波に揺られながら海藻を食べていた。
「やっぱ、ワカメは最高だぜ。この食感たまらねー!」
「何言ってんだ、クラゲこそ最高だろ。ツルツルトゥルン!」
「貝こそ最高!貝こそ最高!」
近くで仲間が自分の好きな食料について熱く語り合っている。僕はその会話を聞き流しながら、はぁ、と短くため息を吐いた。
「どうした、ラウレア。浮かない顔して。」
「あぁ。いや何でもないんだ。」
友達が声を掛けてくれる。そんなに浮かない顔をしていただろうか。ひれで頬を撫でながら海面を見上げた。
「そんな顔してたら彼女もできないぞ。」
「そういう君だっていないじゃないか。僕は・・・。」
僕には理想の恋がある。そして。
「僕は、人間と恋がしたいんだ。」
その恋が叶わないことも当然分かっていた。だから僕は一人でよかったし、他のウミガメたちの色恋も全く興味がなかった。
なのになぜか最近すごく虚しい。
もう一度、ため息を吐くと仲間がひれを僕の甲羅に掛けた。
「ラウレア。お前が人間に憧れる気持ちはわかる。陸に迷ったお前を助けてくれた小さな人間もきっと今ごろ大きくなってるさ。恋だって覚えた年かもしれない。でもな、ラウレア。ありえないんだよ。俺たちウミガメと人間が恋に落ちるなんてことは。」
耳にタコができるほど聞かされた言葉。
ウミガメと人間が恋に落ちることはない。
そんなこと分かっていた。
分かっていたからこそ虚しかった。
そんな僕を察してか友達は、ニイッと笑った。
「・・・と、今までだったら俺は言ってたかもな。」
「え?」
ひれを口元に当て、僕の耳元に友達は顔を近づけた。
そして、こっそり話し始める。
「見つけたんだよ。」
「見つけた?何を?」
「人間だよ。」
「そんなの陸に上がればいくらでもいるだろう?」
「違うよ。海の底にいる人間だよ。」
「海の底に人間?」
「あぁ、なんでも人間の『船』って乗り物に乗っていたやつで、船が海の底に来た時一緒に来たんだと。長い年月、海の底で過ごしていたら体が真っ白になっちまったらしい。そいつは交換条件をもとに人間に変えてくれるらしい。」
「・・・くだらないうわさ話だろ。聞いて損した。」
友達の曖昧な話に呆れて食事に戻ろうとし「おおっと待ってくれ。話はここからなんだ。」た所で、しっぽを掴まれる。なんだよ、と振り向いてもう一度聞く姿勢を取った。
「そいつがすぐ近くのサンゴ礁にいるって噂なんだよ。」