4.肥溜め令嬢の卒業
予定ではこんなにウ●コウ●コいうはずじゃなかったのに。
「……時が経つのは早いものですわね。もう中等部の卒業式だとは……」
春風を浴びながら、わたくしはそう独り言ちました。
晴れ渡る空の下、校舎の前庭では、開花にはまだ遠いチェリーブロッサムの梢が、うっすらとピンクに染まっております。
来月、高等部の入学式の頃には、満開を迎えることでしょう。
「ふふ、プレッツェル様の答辞、楽しみですわ!」
声がした方に目をやると、藍色の髪に紫紺の瞳をした令嬢が、ニコニコしながら立っております。
「……まあ、ローレナ様。たかだか2分前後の定型文を読み上げるだけでしてよ?あまり持ち上げないでくださいませ」
苦笑いしながら答えますと、彼女は更に破顔しました。
……そう、彼女こそ例の小娘……もとい、ローレナ・トファ男爵令嬢ですわ。
巻き戻り前と同じく、中等部3年から中途入学してこられました。
彼女のように、下位の貴族家では家計や家業の都合で、フルで学園に通うことができない方がいらっしゃるのです。
「今日で皆さんとはお別れですのね。寂しくなりますわ……」
眉をひそめて呟くと、ローレナ嬢も悲しげな表情になります。
「わたくしも名残惜しいです……!でも、領地でしなくてはならないことがありますから……」
ローレナ嬢は高等部に進級せず、領地に戻られるため、共に過ごせるのは今日の卒業式、並びに卒業パーティーまでです。
この1年の間で、かつて反目しあっていたわたくしたちは、すっかり意気投合して仲良くなり、名前で呼び合うほど親密な関係になっておりました。
「ローレナ!ここにいたのか」
「あら、ドノヴァン!」
感慨に耽っていたわたくしたちの元に、茶色の髪のイケメンが駆け寄ってきました。
ドノヴァン・スプラウト公爵令息……巻き戻り前の、わたくしの婚約者ですわ。
「ラノーバ嬢、ごきげんよう」
わたくしに気付いた彼は、爽やかな笑みを浮かべながら挨拶をしてきます。
「ごきげんよう、スプラウト様」
ああ、イケメンが眩しい……。
しかし、以前あんなに重苦しいほどの愛を押し付けた彼を前にしても、わたくしがときめくことは2度とありませんでした。
「ローレナ、さっき公爵家からドレスが届いた。最終調整するから、ちょっと更衣室に来てくれって侍女が言ってた」
「わあ、そうなのね!すぐ行くわ!」
ドノヴァン様の言葉に、ローレナ嬢の顔がぱああと明るくなります。
今日の卒業パーティーは、デビュタントを兼ねておりますわ。
中等部を最終学年しか通えない低位貴族の方には、学園生活の輝かしい思い出となるでしょう。
「でも、いいのか?デビュタントのドレスを、そのまま花嫁衣装にするなんて」
「いいに決まってるじゃない!せっかくお義母様が作ってくださったんだもの。デビュタント用のドレスも花嫁衣装も、同じ白なんだからわかりゃしないわ!卒業したら一ヶ月もしないうちに式なのよ?ベールだけ男爵家で新調すれば、大丈夫大丈夫!」
カラカラと明るく笑うローレナ嬢に、「えぇ……?そーいうもんなのか……?」と、怪訝な顔をするドノヴァン様。
そう、彼らは結婚を間近に控えた、相思相愛のカップルなのですわ。
わたくしとの婚約が初めからなかったドノヴァン様は、無理に騎士爵を取りに行く必要もなく、学園高等部まで通って、卒業後は官僚になる予定でした。
しかし、中等部3年で出会ったローレナ嬢と熱烈な恋に落ち、中等部卒業後に、一人娘しかいないトファ男爵家に婿入りすることが決まったのです。
「それではプレッツェル様、失礼いたします。のちほどまたお会いしましょう!」
「ええ、講堂でお待ちしておりますわ」
仲睦まじいおふたりを見送り、わたくしは卒業式が行なわれる学園の講堂に向かいました。
……ええと、わたくしが言うのもアレですが、ドノヴァン様はその、色々足りてらっしゃらない方なので、下手に騎士や官僚を目指すより、ローレナ嬢の助けを借りながら、男爵領経営を頑張る方が向いてるんじゃないかな?と思います。
スプラウト公爵家も、ふわふわした末っ子四男の行き先が決まって、胸を撫で下ろしたことでしょう。
(それにしても、冷静に客観的に見たローレナ嬢は、ほんとうに素晴らしい方でした……領地でしっかり勉強されていたのだわ、学園に来たのは淑女教育の総仕上げと、令嬢としての箔付け、そしてデビュタントのためで、ダンスもマナーも、ちゃんとしてらっしゃった)
巻き戻り前のわたくしとローレナ嬢を比べたら、月とウ●コ、もとい月とスッポンぐらいの差がありましたわね。
そんなローレナ嬢に対して、以前のわたくしは、ずいぶんエゲツない嫌がらせをしておりました。
未遂に終わったとはいえ、誘拐殺人事件まで起こすなんて……巻き戻り後、ローレナ嬢と親しくなり、その人となりを知った今では、肥溜めエンドは順当だったとすら思えてきましたわ。
フウ、とため息をひとつつきます。
(とにかく、わたくしはお父様の『お願い』に応えるべく、まずは卒業式を完璧に過ごさなければ)
わたくしは手のひらを握りしめ、ギュッと力を入れました。
「ラノーバ嬢。答辞の最終チェックをお願いします」
「はい、わかりましたわ」
講堂に入ると、卒業生の段取りを組んでいる、現生徒会のメンバーに話しかけられました。
ふふ、昨年、わたくしも生徒会副会長として、卒業式の準備を頑張っていましたっけ。
「君が卒業生代表、か。結局、私は最後まで君に敵わなかったな」
ふいに後ろから声をかけられました。
振り返れば、金髪碧眼の美丈夫が、笑みを浮かべて立っております。
「……お戯れを、スティングレー様。わたくしは卒業式の挨拶、貴殿は王家の方々もいらっしゃる、卒業パーティーの開会宣言を務められます。そういう役割分担でございましょう?」
わたくしは、ばっちり社交スマイルでお答えしました。
彼は、グラナート・スティングレー大公令息。
常にわたくしと成績のトップを争っていた方ですわ。
まあ淑女と殿方では必修科目が違いますので、一概には言えませんが。
「謙虚なことだな。私は2学年の時の数学以外で、君に勝てた試しがないのに」
肩を竦ませて、おどけたようにおっしゃっておられますが……この方、前期生徒会長にして、3年連続剣術会の優勝者ですわ。お部屋にはたくさんのトロフィーが並んでいるそうです。
「ふふ、それこそご謙遜でしょう。いくらわたくしがテストで良い点をとっても、スティングレー様の勲章の数には、遠く及ばないのですから」
貴族令嬢として、満点だと思われる返答を返します。
彼にだけは粗相をすることはできない理由が、わたくしにはありました。
『―――お前はこれから、貴族学園中等部に編入する。いいかプリィ、高等部卒業までの6年間、完璧な淑女として振る舞うのだ。特にスティングレー大公家の人間には、一切隙を見せてはならん。けして敵対せず、良好な関係を築くのだぞ』
入学前に、お父様に託されたミッションが脳裏をよぎります。
スティングレー大公家は、王家に継ぐ地位を持ち、全ての貴族を統率・監督する役目も負っておられました。
その一族であるグラナート・スティングレー様は、学園の生徒の言動に対し、常に目を光らせていると聞かされておりますわ。
……数年前のアンナお姉様の婚約破棄騒動で、王家からのラノーバ家に対する評価は、地に落ちました。
それを払拭し、王家からの信頼を取り戻したい!というのが、おおまかなミッションの内容です。
すでにお兄様とソファア様は式を挙げており、王家の覚えのめでたいヴァルヴァラ伯爵家との繋がりで、好感度は多少なりとも回復したはず。
次に、お母様の生家のアンカース侯爵家と結託して、社交界でラノーバ家が貴族としていかに優れているか宣伝してもらいます。
その上で、わたくしが学園で淑女ぶりを発揮し、スティングレー大公家に『ふむふむ、ラノーバ家の末娘の方は、なかなかデキる令嬢ではないか』と見直していただければ、限りなくミッションクリアに近づくはずですわ。
(うまくいけば、将来、お兄様とソファアお義姉様の子供に、王家との縁談が持ち上がる……かもしれない?)
今代はアンナお姉様が適齢期でありましたが、破談になってしまったので、もう未婚の王族が残っておりません。
狙うは次世代、というわけで。
(正直な話、次世代なんて知らんがな!という心境ですが、王家に疎んじられているのは、よくありませんものね)
「ハハッ、ラノーバ嬢は、いつもながら卒がないね。卒業生代表、立派に務め上げてくれたまえ」
「ありがとうございます。スティングレー様のパーティーでのご挨拶、わたくし、楽しみにしておりますわ」
わたくしはこの3年間、スティングレー大公令息に対して、常に気を配り、良い印象を得られるよう、努力してまいりました。
その結果、スティングレー様とは、ここまでフランクにお話することができるようになりましたわ。
「ククッ、ではまた後で」
笑いながら立ち去るスティングレー様の背中に会釈しつつ、わたくしはほっと息を吐きました。
彼と話すときは、いつも緊張バリバリで疲れますわ……。
しかし、ここで失敗すると、アンナお姉様と同じコースで『処分』される可能性が大ですからね。気を抜くことはできません。
わたくしが中等部2年のときに行われた、お兄様の結婚式に、お姉様は来られませんでした。
……表向きは『体調不良につき、夫と共に不参加』ということになってましたけど、お父様が参列を許さなかったのでは……?
肥溜めエンドよりはマシでしょうけど、お母様やお父様、お兄様とお義姉様、生まれてくるおふたりの赤ちゃんに会えなくなるという、絶縁エンドもツラすぎます。
(ここはふんばりどころですわ。完璧な答辞を披露し、スティングレー様を始めとした在校生全てに、このわたくしこそがトップレディだということを知らしめるのですわ!)
気合いを入れたわたくしの手の中で、何かがぐしゃっと音を立てました。
「あの、ラノーバ侯爵令嬢……」
「ああっ、答辞の紙がぁ?!」
グシャグシャになってしまった答辞の紙のシワを、式の開始までに、必死に伸ばすはめになったわたくし。
でも、完全にはきれいにならなくて……せっかくの上質紙を、便所紙みたいにしてすいませんでした……。
書き溜めがこの話で尽きましたので、次話は少しお時間いただくかもしれません。今週中には終わらせたいです。よろしくおねがいします!
2022/1/17 誤字報告ありがとうございました!