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趣味全開。今回は映画です。
勘九郎が初めて見た映画は、岡本喜八の『血と砂』だった。ラストシーンで次々と血の流れていくシーンを見て、「この世界にはなんて面白いモノがあるだろう」と、脳みそが沸騰するくらいに興奮した。その日から、彼は映画の虜になった。
小学生のあの日から16歳になる今日まで、ただ映画を見続けてきた。勉強は苦手で、運動もカラッきし。恋人はおろか、女の子の手に触れたことすらなくて、それでも幸せでいられたのは、様々な世界が彼を夢中にさせてくれたからだ。
しかし、高校に入学して以来、勘九郎は何か物足りなさを感じていた。何故なら、どれだけ面白いと思える映画でも、その心の全てを完璧に満たしてくれる作品が存在していない事に気がついたからだ。
「……あ。なら、作ればいいんだ」
そう思ったのは、高校に入学して一度目の夏。年齢を誤魔化して入館したポルノ映画館の中での出来事だった。
ズボンに立ったテントを引っぱたいて強引に畳むと、その足で電気屋に入り、今まで貯めていたお年玉貯金の十万円でハンディカムを購入。近くのファストフード店でバッテリーを充電して、帰り路に撮影した風景に自分のナレーションを吹き込んだのが勘九郎の初めての作品だった。タイトルは、『世界の終わる日』。
名前こそ大袈裟だが、中身は世界でただ一人生き残った男が独白をして最後に暗転する、というだけの代物だ。おまけに、河原の道で撮ったものだから、自転車の籠から長ネギを生やしたおばちゃんが挨拶する姿がばっちりと映ってしまっていた。
だが、それ以来勘九郎はコンテンツを消費する側から生み出す側へ回ったのだ。映画を見る時間はみるみる減っていき、代わりに台本と構成を考える時間が増えた。
この物語は、撮って、考えて、壊して。彼が数々のスクラップ&ビルドを繰り返した半年後、桜の花びらが吹きすさぶ座頭市学園のとある一日から始まる。
× × ×
「パンツだ!」
思わず叫んで、カメラを向ける勘九郎。「チャンス」と言おうとしたのに、被写体を叫んでしまったようだ。そのレンズの先には、通り抜けた風が捲る布を抑える数人の女子たち。登校中の並木道、彼はいつものようにカメラを構えている。
「うわっ。カントクだ」
「きもっ」
彼の声に気が付いた女子たちは、軽蔑の眼差しをぶつけて悪態を吐く。しかし、撮影した物を消せとは言わない。何故なら、この半年で勘九郎の悪名は学校中に轟いてしまったからだ。何を言っても無駄だと、みんな分かってしまっているし、何より誰も彼もが勘九郎を路傍の虫程度にしか認識していない。それを気にする時間が無駄なのは、誰にでも分かる事だ。
カントクとは、勘九郎のあだ名。本名、篤田勘九郎。いつもカメラを構えている事と、名前の語呂を合わせてカントク。本人はこのあだ名をとても気に入っているが、周りの生徒たちは当然蔑称として使っている。理由はもちろん、さっきの様な節操のない撮影本能だ。
例えば、校舎裏で誰かが虐められている時。例えば、誰かが職員室で怒られている時。例えば、誰かが誰かに告白をする時。そんなイベントのある場所に、彼はいつも現れる。ネタを嗅ぎ取る嗅覚が異常に鋭いのか、勘九郎は人が見て喜びそうなシーンを逃さない。
しかし、撮られる方はたまったものではない。時には虐めの標的をこっちに移されたり、教師に怒鳴られる事だって日常茶飯事だ。それでも、止める事が出来ない。これは、最早病気と言うほかないだろう。
「うーむ。良い映像だぁ……」
勘九郎が見惚れたのは、淡い色の布ではない。それを隠そうとする彼女たちの表情だ。「きゃあ!」と声を上げてくれれば垂涎物だったのだが、これでもよしと納得すると彼は学園へ向かって歩き始めた。
座頭市学園は、その広大な敷地と膨大な生徒数故に、普通の高校のような全日制ではなく、大学で用いられる単位制を採用している。そんな中で、テストさえ点数を取れれば単位を取得できる、所謂「楽単」ばかりを選んでいる勘九郎は、登校するや否やすぐに旧第三校舎へ向かう。そして、またいつものように撮影に臨むのだ。
部屋に鞄を置いて辺りを見渡す。古い映画のパッケージやパンフレット。そしてノートパソコンを置く机と生活雑貨が置かれたここが、勘九郎が所属する映画研究会の部室。とはいえ、映画研究会は部員数一人で潰れた校舎の宿直室を勝手に使っている実態のないクラブだ。因みに、座頭市学園には学校公認の映画研究部がしっかりと存在している。
取り壊し予定のここに、勘九郎以外の生徒は誰も立ち寄らない。何故なら、立ち入れば呪われると言う噂が立っているからだ。以前に取り壊そうとした業者が事故を起こし、作業が止まってしまった事が由来している。ここの鍵を手に入れたのは全くの偶然で、その業者が落としたのを拾っただけである。もちろん、使用許可など得ていないのでバレれば即撤去は免れない。
「さぁ、撮影開始だ」
天井に穴の開いた教室で、一人二役で演技をする。これを繋ぎ合わせた時、もう一方の自分を黒く塗りつぶす事で影と会話をするSF映画にするのだ。
しかし、悲しい事に天は勘九郎に二物を与えなかった。自分で見れば嫌になるくらいのヘタクソな演技しか出来ない事が、それを証明している。それでも、映画を取りたい衝動を抑える理由にはならないのが、勘九郎の長所(短所)なのだろう。自分の理想とは程遠い事を噛みしめながら、それでも演技を止める事は無かった。
やがて、外のシーンを撮る為に外へ出た。ジメジメとした暗い木の裏側、ここで最後のシーンである自分が影に殺されるカットを撮影するのだ。
「かっ……、やめ……ろ……」
首を絞められる演技の後、パタリと花びらの上に倒れる。地面に突っ伏したまま「はいカット!」と叫ぶと、立ち上がって映像を確認する。
「うわぁ……。毎度の事だけど、インディーズのサメ映画より酷い」
「本当だ。君って演技下手くそだね」
「うむ。アイデアはいいと思ったんだがな。俺の演技のせいで、毎回ゴールデンラズベリー賞のノミネート確実になってしまうんだ」
そこまで答えたところで、勘九郎は気が付いた。後ろに誰かがいて、この映像を見ている。
「そうなんだ。そのアイデアって、どんなの?」
振り返ると、そこにはメグ・ライアンを彷彿とさせるような金色の髪に青い瞳の、しかしまだ幼さの残る美少女がいた。アジアの血が入っているのか、どこか日本人の勘九郎にも馴染みやす顔立ちだった。小さい画面を見る為に、彼女は勘九郎の肩に手を置いている。距離はたったの数センチ、吐息が触れる距離だ。
そんな彼女に、この映画の仕掛けを説明する勘九郎。
「へえ、それって面白いかも。ねえ、いつも一人で撮ってるの?」
「あぁ、前は俳優を募集していたんだが、誰も集まらなくてな」
「勿体ないね。折角いいアイデアなのに」
言うと、彼女は手を離してブレザーのポケットに手を突っ込み、チューイングガムを噛んでどこかへ向かう。そんな後姿に、勘九郎は一つの質問を投げかけた。
「なあ、トップガンを知っているか?」
すると、彼女は振り返って。
「何それ、全然わかんないよ」
それだけを残して、彼女は去って行ったのだった。