なんでもキスでごまかそうとする妹ちゃん
【登場人物】
尾高奏苗:高校二年生。妹想いのおねえちゃん。妹がちゃんと社会生活を送れるか不安でいっぱい。
尾高芽依:中学三年生。姉大好きの妹ちゃん。本人としてはごまかしているつもり。
私には今悩み事がある。
中学三年生の妹、芽依ちゃんのことだ。
幼さの残る容貌に天真爛漫な性格の芽依ちゃんは私とお母さんに甘やかされて育った。とりわけお母さんは芽依ちゃんが良いことをするとキスをして褒め(ほっぺたにだが)、悪いことをしても叱ったあとは反省した芽依ちゃんに必ずキスをするという溺愛っぷり。それに影響されて私も芽依ちゃんにたびたびキスをしてきた。
完全にそのせいではあるのだが。
「芽依ちゃん、冷蔵庫に入れてたプリン知らない?」
「えっ!? さ、さ~、わたし知らないよ」
「……正直に言いなさい。私がお風呂に入ってる間にプリン食べたでしょう」
「し、知らない知らない、お父さんかお母さんが食べたんじゃないかなー」
なんとも分かりやすい態度。そして芽依ちゃんの視線が一瞬だけ泳いだのを見逃さなかった。その視線の先にあったのはゴミ箱だ。私はゴミ箱の中を覗いて今しがた食べられたばかりのプリンの容器を見つけた。
「……芽依ちゃん、これはなに?」
「あ、あはは、な、なんだろーね? そーいえばさっきお父さんが何か捨ててたよーな……」
「芽依ちゃん?」
「え、えへへ……」
詰問するように近づいたとき、愛想笑いを浮かべていた芽依ちゃんが突然私に飛びついてきた。
「ん、ん――!!」
あっと言う間にキスをされて動きを止められる。カラメルとカスタードの混ざった甘さが芽依ちゃんの口内から伝わってきた。これ以上ない犯行の証拠だった。
ちゅぱ、と唇を離してから芽依ちゃんがにこりと笑い、とてとてと後ろに下がった。
「ごめんごめんっ、てっきり食べていいやつだと思ったから。今度わたしの分あげるね!」
そう言うと脱兎のごとく居間から逃げていった。ひとり取り残された後、やれやれと息を吐く。
いつもこうだ。何か自分に非があるときや困ったことがあるとすぐにキスをしてごまかしてしまう。キスごときでごまかされるのかと思うかもしれないが、それがごまかされてしまうのだ。それまでどんなに怒っていても芽依ちゃんにキスをされると怒りやイライラが静まっていく。
想像して欲しい。例えばイヌやネコを飼っていたとして家の中で粗相をしたときに強く叱ってしつけをすることがあるだろう。その叱っている最中に自分の足元に寄って来てすりすりと頬をこすりつけてきて甘えるような鳴き声を出してきたら、ペロペロと舌で手を舐めてきたら、つい許してしまいたくなる気になってしまわないだろうか? 私は絶対なる。というか芽依ちゃんに関してすでにそうなっている。
芽依ちゃんがキスをするようになった原因は私とお母さんにあるし、キツく注意してこなかったのが悪いと言われればその通りだ。
だけどそろそろ心を鬼にして本気で正さなければいけない。芽依ちゃんも来年には高校生になる。今はまだ子供だからと大目に見られていても、冗談や悪ふざけで済まなくなってくるだろう。矯正するなら今のうちしかないのだ。
私は寝る前に芽依ちゃんの部屋に行った。座布団の上に向かい合うように座る。
「芽依ちゃん、大事なお話があります」
「なぁに?」
「――――」
太陽のような笑顔を向けられて言葉を飲み込む。注意なんかしてこの笑顔が曇ったらどうするのだ。芽依ちゃんが悲しむのと私がキスされることを天秤に掛けたらどっちが大事かなんて考えるまでもないではないか。
気をしっかり持て私。
躊躇しかけた自身の心を奮い起こす。私はおねえちゃんなんだから毅然と接しないと。おねえちゃんだからこそ妹が異常な行動を取らないように導いてあげるべきだ。
小さく息を吐いてから、なるべくきつくならないように言葉を選びつつ優しく話しかける。
「……芽依ちゃんが、その、事あるごとに唇と唇を合わせてくるでしょう?」
「キスのこと?」
「そ、そうそれ。ああいうのは、たとえ家族であったとしても頻繁にしちゃダメなの」
「頻繁じゃなかったらいいの?」
「あぁえっと、やっぱりたまにでもダメ。とにかく唇同士っていうのが一番ダメだからね」
「唇以外ならだいじょうぶ? 胸とかお腹とか太ももとか」
「へ、ヘンなとこもダメ! ギリギリほっぺたまで!」
芽依ちゃんの視線が体の各所に向けられて腕や手でガードする。そういうイヤらしい意味じゃないかもしれないが妹をこれ以上危ない道へ行かせるわけにはいかない。
むー、と芽依ちゃんが露骨に不満そうな表情を浮かべた。あ、この顔はマズい。自分に都合が悪くなったときに何をするか私はもう知っている。
がばっと芽依ちゃんが飛びかかってくるのと私が腰を浮かすのはほぼ同じだった。
芽依ちゃんの奇襲は失敗に終わり、顔は私のおへそあたりに埋まった。腰に抱き着いたまま芽依ちゃんが顔を上げる。その眉は見事な八の字になっていた。
「……なんで避けるの」
「そういうのをしちゃダメって話だったでしょう!」
「なんでダメなの?」
「し、姉妹でやるようなことじゃないからよ」
「でも昔からやってたよね?」
「小さいころはいいの。でも大きくなったらダメ」
「その理由がわかんない」
「大きくなってそういうことしてたら、その、色々と困ったことになるの」
「困ってないよ?」
「芽依ちゃんが困ってなくても私が困るの」
「おねえちゃん、困ってたの?」
「え、えぇ、困ってたの」
「そんな風には見えなかったけど」
「見えてなくてもそう思ってたの」
「……ほんとかどうか確かめてあげる」
「え? ちょっと芽依ちゃん――」
にじにじと芽依ちゃんが体をよじ登ってくる。立ち上がるつもりはないようで下半身をだらりと床に伸ばしたままだ。そのせいで結構重い。更にはふんふんとしきりに腕を伸ばして私の頭を下げさせようとする。その姿がじゃれつく小動物みたいで愛らしく気持ちがほっこりとした。
ダメダメ! このままだとまたキスする未来しか見えない。心を鬼にして注意すると決めたんじゃないのか。そう自分に檄を飛ばすけれど逃げることも振り払うこともしなかった。
想像してみて欲しい。自分の体を登ってくるネコがいたとして、必死に前足を伸ばし一生懸命頂上を目指すその姿を見て誰が邪険に扱えるだろうか。私が何かすることで落っこちてケガでもしたらどうする。芽依ちゃんにたんこぶでも出来たらどうする!
私は抵抗することをやめて膝を折った。私の顔に手が届いて喜ぶ芽依ちゃん。その笑顔にあてられて私も笑顔になる。
「ほら、やっぱりおねえちゃん困ってない」
嬉しそうにそう言ってから芽依ちゃんが私にキスをした。何も言い返せない。だけどキスをする側もキスをされる側も困らないのだったらこのままでもいいのかな、とも思う。一番大事なのは当人たちの気持ちなのだから。
可愛い妹の頭を撫でながら、しばらくの間互いの唇で熱を感じ合っていた。
――と、良い話風で終われたら苦労はしない。
確かにキスをする上で私達は困らない。それは合意のもと行われているから。
では合意がないキスであったらどうだろう。
何かをごまかすときにキスをすることが習慣化されているとするなら、芽依ちゃんは誰彼構わずキスをするような子に育っているかもしれない。
学校の教室で友達や先生相手にキスをしまくる芽依ちゃん。相手が嫌がろうがお構いなく唇を重ね続けついには無差別全方位キスマシーンというあだ名で呼ばれていじめられ、そのつらさに耐え切れなくなった芽依ちゃんは私に何も告げず自らの命を絶つ……最悪のシナリオだ。それだけはなんとか回避しなくては。
翌日、私は行動を起こした。
「…………」
学校の廊下を警戒しながら歩く。賑やかな廊下では幼い顔立ちの男の子や女の子が賑やかに往来している。ここは芽依ちゃんの中学校だ。昼休みに高校から抜け出した私は中学の制服に着替えて自転車をかっ飛ばしてやってきたのだった。
すれ違う生徒が私の顔をじろじろと見るたびに心臓がドクドクと早まる。さすがに中学生では無理があるか。だがこれも仕方のないこと。芽依ちゃんがいじめられたりしていないかを確認しなければ。
幸運にもバレることなく教室に到着した。さっそく開いたドアから頭だけ出して中を窺う。完全に不審者ムーブだがずかずかと踏み入るわけにもいかない。あくまで調査が目的なのだ。
……いた。窓際の席で友達と話している。普通に楽しそうだしクラスでひとりぼっちというわけでもなさそうだ。となると次に心配なのは友達にキスをしようとしていないか、だ。しかしどうやって調べるか……。
ひとりでむむむっと唸っていると後ろから声を掛けられた。
「あの、うちのクラスになにか用ですか?」
「!!」
びくっと肩が跳ねた。しまった見つかったか、とスパイ映画ばりの素早さで振り向くとひとりの女子生徒が立っていた。いかにも真面目そうなその女の子に胸を撫で下ろす。先生じゃなくてよかった。この子も私を怪しんで尋ねたわけではなさそうだ。
ほっとしたのも束の間。女の子は私の顔をじっと見たあとに呟いた。
「……芽依ちゃんのおねえさん?」
「――――」
全身の筋肉が動きを止める。多分心臓も止まった。そう思うくらい頭が真っ白になった。
とてつもなく長く感じた数秒ののち、なんとか声を絞り出す。
「――な、なんのことですか?」
「覚えてませんか? 前に芽依ちゃんちに遊びに行った中河みちるです」
「え、あ、あぁー……」
言われてうっすら思い出した。確かに前に家に遊びに来た友達のうちの一人に外見が酷似している。みちるちゃんという名前も芽依ちゃんから聞いた気がする。
これ以上は白を切っても無駄だと判断して会話を合わせにいった。
「ひ、久しぶりだね、みちるちゃん。元気にしてた?」
「はい。それでおねえさんはなんでここに?」
やっぱりどうあがいてもそれは聞かれるよね……。返答に窮して言葉を濁す。
「あ、えーとそれはまぁなんというか……」
「その服、うちの制服ですよね?」
「…………」
絶体絶命。ヘタなことを口にすれば私の人生が終わる。少し考えて出した解決策は、この状況を利用することだった。
「実はね、みちるちゃん。妹のよくない噂を聞いたの」
「よくない噂、ですか」
「そう。最近非行に走っているんじゃないかって」
「え、そうなんですか!?」
「真偽が分からないからこうやって自分の目で確かめにきたの。みちるちゃんは一緒にいて何か気付いたことはない?」
様子を見にきたのは本当のことなのだからおかしなところはない。私の真摯さが伝わったのか、みちるちゃんは中空に視線を泳がせてから答えてくれた。
「うーん、別に芽依ちゃんはいつもと変わらないと思いますけど。悪いことしてるっていうのも聞いたことないです」
「悪いことじゃなくても何かこう、ヘンなことしてない? たとえば誰かに抱きついたり、周囲に迷惑をかけるようなことをしたりとか」
「話してるときにふざけて抱きついたり腕を引っ張ったりとかはしたかもしれないですけど、迷惑なんてかけてないと思います。芽依ちゃんはすごくいい子ですよ」
それは私も分かってる。だからこうやって心配して見にきたのだ。
その後も学校での様子を色々と聞いたが、やはり芽依ちゃんがクラスメイトに何かよからぬことをしているという情報は得られなかった。
つまり、キスは家にいるときだけしているということ。姉に対しての甘え表現の一種なのかそれとも――。
深く考える前にスマホが震えた。セットしておいたアラームだ。そろそろ高校に戻らないと。
「ありがとうみちるちゃん。これからも妹をよろしくね。あ、あと私がここに来たことは芽依ちゃんには内緒にしてて。それじゃ」
ダッシュで廊下を駆け抜けて中学校を後にした。途中先生に捕まりそうになったが問題ない。妹を思えばこその行動になんらやましいところはないのだから。
調査が終わって私は安心していた。少なくとも芽依ちゃんには学校でキスをしてはいけないという認識はあったわけだ。あとは姉とキスするのもいけないことなんだよとちょっとずつ言い聞かせていくだけ。
夕方、帰宅した私を芽依ちゃんが出迎えてくれた。
「おねえちゃん、おかえり~」
「ただいま」
荷物を置いて洗面所へと向かうと何故か芽依ちゃんもついてきた。
不思議に思いつつも手洗いとうがいを済ませる。手を拭こうとしたとき私の手にふわりとタオルが掛けられた。
「わたしが拭いてあげる」
「あ、ありがとう」
どうしたんだろう。芽依ちゃんがこんなことをするのは初めてだ。ただの姉孝行なのかそれとも意図があるのか。
…………。
しばらく経ってもまだ芽依ちゃんは拭くのをやめない。
「もう大丈夫よ。ほとんど水気なくなったから」
「うん」
ふきふき。
…………。
芽依ちゃんはまだやめない。
「えっと、口元も拭きたいからタオルを離して欲しいな」
「うん」
ふきふき。
「芽依ちゃん、本当にもういいから」
ふきふき。
「芽依ちゃん!」
私が語調を強めた瞬間、芽依ちゃんが私にキスをしてきた。自分の口元が水で濡れるのも厭わず芽依ちゃんが唇を押し付けてくる。
驚いて固まった私は何も動けなかった。
手を拭くよりも長い時間キスをしてから芽依ちゃんが唇を離した。照れたようにはにかんで笑い「ごめんごめん」と口にする。その言葉がキスに対する免罪符であるかのように。
タオルを残したまま洗面所から出て行く芽依ちゃんを見ながら、ようやく、本当にようやく妹が何を考えていたのかを悟った。
何かをやらかしてキスでごまかしていたのではなく、キスでごまかす為に何かをやらかしていたのだ、と。
寝る前に私は芽依ちゃんの部屋を訪れていた。昨夜と同じく座布団に座り向かい合わせになって話し始める。
「芽依ちゃん、大事なお話があります」
「なぁに?」
屈託のない笑顔はいつ見ても太陽のようで心がぽかぽかとあったかくなる。にやけそうになった頬を指で戻しつつ用件を告げる。
「芽依ちゃんは事あるごとに私にキスをしてくるでしょう? あれはやっぱり良くないことなの」
「またそれ~?」
「良くないことだって分かってたから、芽依ちゃんはわざと私に注意されるようなことをして気を逸らしてたのよね?」
「……ん~?」
とぼけるように首を傾げる芽依ちゃんを見て私の推理は正しいと確信した。逃さないように少しづつ距離を詰めながら問いかける。
「全部私にキスをするためにやってたんでしょう? 小さいころはそうだったから、今もキスをしても許されるだろうと踏んで」
「…………」
「考えてみればお母さんとキスなんて全然しなくなってたもんね。親子でキスをするのがおかしいって分かってたのなら姉妹でキスをすることもいけないことだって分かってたはず。それでもなんで芽依ちゃんが私にキスをしていたのか――」
いくらキスが親愛の情を示すからといっても芽依ちゃんのは明らかにやりすぎだった。ドラマや映画でキスがどのように描かれているのかを知らないわけがない。それでも芽依ちゃんが私とキスをしようとした理由とはつまり。
「芽依ちゃんは私のことが好きなんでしょう? それも姉としてではなく、ひとりの女性として」
自分で『私のこと好きでしょ?』なんて自意識過剰としか言いようがないが、事実に基づいた客観的推理だ。
キスをしている時点で私に少なからず好意があるのは分かりきっていた。分かっていなかったのはその『好き』の種類。姉妹だからこそ気付くのが遅れたし、姉妹だからこそ気付くことができた。
芽依ちゃんは私を女性として愛している。
たったそれだけの簡単な答えだった。
「…………」
無表情のままじっと私を見返していた芽依ちゃんだったが、突如動き出した。
一直線に迫ってくる芽依ちゃんの顔。詰め寄っていたことが災いして私の反応が遅れた。
「ん――っ――!」
そのキスは今までのキスとは全然違った。荒々しく唇を動かし唾液をすすり、舌は生き物のように私の口内を暴れまわり隅々まで蹂躙する。二人の混ざり合った唾液が熱を帯びた吐息と共に唇の端から零れ落ちていく。それでも芽依ちゃんはキスを止めなかった。いやそういう言い方は卑怯か。私もキスを止めようとしていなかったのだから。
不意に芽依ちゃんが体を離した。顔も耳も首も真っ赤になっている。多分私も似たようなものだろう。キスをしてから顔が熱い。それが恥ずかしさのせいなのか興奮のせいなのかは私自身にも分からなかった。
芽依ちゃんは口元を袖でぬぐうとなんでもないというふうに笑った。
「えへへ、ごめんごめん、おねえちゃんが言ってること、わかんないや!」
いつもそうやってごまかしていたから今回もごまかせると思ったのだろうか。
自分のベッドへと上がり布団に潜っていく芽依ちゃんを見ながらふっと笑う。
今回はごまかされてあげるわけにはいかない。どんなに隠そうとしたって、キスから伝わってきた気持ちはバレバレだったのだから。
〈おまけ わざと寝坊する妹ちゃん〉
「芽依ちゃーん、そろそろ起きてー」
「うーん……」
「ほらほら、もう起きて朝ごはん食べないと遅刻しちゃうよ?」
「んー……おきる……」
「寝たまま返事をしない。ほら起きなさい(ばさっ)」
「うぅ……」
「こーら、ネコみたいに丸まらないの。……なにこの芽依ちゃん可愛い……このままダンボールに入れてずっと眺めてたい(小声)」
「みゃぁ……」
「芽依ちゃんもう起きてるでしょう」
「くー……」
「いいから起きて、服も着替えないと――(ゆさゆさ)」
――ちゅ。
「ごめんごめん、今おきたー。着替えたら行くー」
「……芽依ちゃん、別にもう不意打ちでキスしなくていいからね。言ってくれればその、私だって……」
「んー? なんのことかわかんなーい」
わざとらしくとぼけてから、芽依ちゃんはあどけない笑顔を私に向けた。
終
タイトルが浮かんだ時点でオチが浮かびました。
書きながら『あれ? おねえちゃんもやばい人では?』と思ったけど、そもそも私の書くおねえちゃんでまともな人の方が少なかった。
姉妹百合のいいところは家のどんな場所、どんなタイミングでもいちゃつけるのと、互いの性格や嗜好を十分理解したうえで行動出来るところだと思います。