鳥居
*鳥居
俺は酷い頭痛で目が覚めた。意識が朦朧として目の前の景色が霞んで見える。
ここはどこなんだ。体を動かそうとして、拘束具のようなものでベッドの上に縛られている事に気がつく。どうやら俺は鳥居に捕まってしまったようだ。
「気がついたか?」
部屋の中を見ると病院の一室のようだった。しかし、病院の一室にしては部屋の中にあるものが少々おかしい。どうやって使うのかわからないが怪しげな器具が所狭しと置かれていて、その器具の一つ一つは対象を傷つける事だけを目的としているように見える。要するに拷問器具だ。そしてその器具の向こう側から鳥居が俺の方を見ていた。俺は何も応えない。
「無視か。まあいい。お前が気を失っている間に色々試させてもらった。お前の体信じられないな。本当にどうなっている」
鳥居は俺に近づきながら言った。
「知るかよ」
鳥居は鼻で嗤いジャケットのポケットからアイスピックを取り出す。
「もう麻酔は切れているだろう」
麻酔? 頭が朦朧とするのは麻酔のせいなのか?
「痛み耐性はどうなんだ?」
痛み耐性。こいつは何を言っている。
鳥居はアイスピックを振り上げる。鳥居の次に執る行動など考えなくてもわかる。鳥居は俺の太腿目がけてアイスピックを振り下ろした。戦闘時に於ける痛みとは明らかに違う狂気の痛みが太腿を襲う。
俺は歯を食い縛り痛みに耐える。身動きの取れない状態で何かをされる恐怖は痛みを増幅させる。
「ほう。痛みは感じるようだな」
鳥居は更にアイスピックで傷口を広げるように捻る。アイスピックの先端が骨を削る嫌な音を立てる。それに伴い襲って来る狂いそうなほどの激痛に、俺は叫び声を上げた。
「さてと。拷問は俺の趣味じゃない。それにあまり心臓に負担をかけてはまずいからな」
鳥居はそう言うとアイスピックから手を離しどこかに電話をかけ始める。アイスピックの刺さっている部分がずきずきと疼く痛みを訴えている。
「もしもし俺だ。結果は出たか?――ああ。――そうか。――わかった。こっちはいつでもいける。ああわかってる。心配するな。じゃあな」
鳥居は電話を切るとこちらに向き直る。鳥居の表情には何の感情も浮かんでいなかった。俺はその事に言い様のない不安を感じる。
「俺をどうするつもりだ」
鳥居はアイスピックを太腿から抜き取りながら笑みを浮かべた。太腿辺りからアイスピックに絡みつく血の粘る音が聞こえる。
俺は痛みに顔をしかめながら鳥居の顔を見た。笑っていた。その表情に好意的な色などどこにもなかった。太腿の傷が埋まっていくのがわかる。鳥居の笑みはそれを見ながらより一層大きなものへと変わった。
「やっと話してくれたか。――どうするつもりか。そうだな、何から話せばいいか。――お前は昨日俺の命を狙ったよな。なぜ俺の命を狙ったか。その理由はわかっているな?」
鳥居はアイスピックをベッドの横に置いてある金属製のサイドボードに置く。
昨日? 昨日だと? 俺は一体どれほど眠っていたのか。部屋の中を見回すが日付けや時間を示す物は何もない。
「今は六月六日の午後三時過ぎだ」
俺の態度を見て考えを読んだのか、鳥居は腕時計を見ながら言った。
俺が鳥居の事務所に押し入ったのが五日の夜九時ごろだったはずだ。だとすると、俺は半日以上も眠っていた事になる。それに鳥居は色々試させてもらったと言っていたが、俺の体に一体何をしたんだ。その事を思うと得体の知れない恐怖を感じる。
「俺が眠っている間に体に何をした?」
俺はできるだけ恐れの感情を表に出さないように努めた。
「その話は後でいいだろう。今話すとややこしくなる。それに俺は話の筋を曲げられるのが我慢ならない質でな。お前らチンピラ馬鹿どもはどうも関係のない話ばかりしたがる。それとももう一度これで遊ぶか?」
鳥居は、サイドボードのアイスピックを顎で示す。俺は太腿の痛みを思い出す。鳥居の目はそれを望んでいるように見えた。何が拷問は趣味じゃないだ。
「跡目争いだろ? 五島から聞いた」
俺は鳥居に従う事にした。鳥居の表情に残念そうな色が浮かぶ。
「あの馬鹿が。なんでもかんでもぺらぺら喋りやがって」
鳥居は悪態を暫く吐き続けた。
「――跡目争い。まあ間違っちゃいない。南嶋組長は自分が死んだ後、堀川を継げる資格がある者を組長にという遺言染みた事を言ったからな」
「それで功を焦った柳川組長があんたを殺せって斎藤に命令して、その命令が俺の所に回って来た。そうだろう?」
鳥居は応える代わりに鼻で嗤った。
「本当にお前の所の奴等は馬鹿ばっかりだな。単細胞生物の集まりかよ。なんでもかんでも殺せば済むと思っている。もう今はそんな時代じゃないんだよ。それに、南嶋組長は抗争を避けたかったんだ。内輪揉めなど百害あって一利無しだ。それをお前の所は……」
鳥居は話の筋が逸れるのを嫌ったのか咳払いを一つした後続けた。
「まあいい。要するに南嶋組長は組を大きくできる実力がある方を選びたかったんだ。だがそんなのはまだ先の話だ。南嶋組長は心臓を患ってはいるが気持ちは元気だ。まだまだ死なない」
まだまだ死なないとはどういう事だ。五島から聞いた話では、南嶋組長はかなりやばい状態だったはずだ。それこそ今にも死にそうなくらいの状態だと俺は思っていたが……。
「南嶋組長は死にそうなんじゃないのか?」
鳥居は俺の事を品定めするような目で見る。
「確かに一度は死にかけた。だが、俺の知り合いに優秀な外科の医師がいてな。組長は手術をして暫くは大丈夫なまでに持ち直した。組長は大いに喜んだよ。自分もまだまだやれるってな。お前、南嶋組長を見た事あるか?」
俺は首を振って応える。
「だろうな。実は組長はまだ若い。今年六十八になるんだが、一度は死にかけて気弱になり遺言染みた事を口走ったが、普段の生活に戻っていく中でもっと長く生きるにはどうしたらいいかと悩み始めた。確かに手術は成功したが所詮延命措置の手術だ。完全に心臓が治ったわけじゃない。寿命が延びたとしてもたかが知れてる。そこで組長が思いついたのが心臓移植だ。組長はその話を友部組長と柳川組長にしようと思ったんだが、二人はもう跡目の事で頭が一杯で、南嶋組長の話なんざ二人の耳に入りようがなかった。そこで南嶋組長は俺に話を持ってきたんだ。上手くやってくれたら友部や柳川よりも俺を重用してくれるって言ってな。悪い話じゃないだろう?」
鳥居は俺に笑いかけて来るが、俺は心臓移植という言葉に不吉な予感を感じて何も言えなかった。鳥居はそんな俺を見て鼻で嗤い続ける。
「そこで俺は考えた。俺が重用されるのは願ってもない話だが二人の組長がそれを面白く思うはずはないってな。だから二人を貶め更に組長の願いを聞き遂げる。その方法はないかと考えに考えた。そして俺はある計画を立てた。お前にこの計画を言うのはどうかと思うが冥土の土産に教えてやるよ」
鳥居は不敵に笑う。
「冥土の土産ってなんだ!」
ある程度の事は読めたが、事の異常さに俺は口を挟まずにはいられなかった。
「おい。今の話聞いてたか? お前、もうとっくに気がついてるだろう。お前の心臓をもらうんだよ」
鳥居の口から出た言葉は俺の想像していたものと寸分違わぬものだった。と言うよりそれ以外に考えようがない。俺は力の限り体を動かす。しかし拘束具はびくともしなかった。
「無駄だ。ゴリラ並みの力でもなけりゃそれは外れない。さてと。冥土の土産の件だが。まず俺は南嶋組長にこう言った。柳川組長を呼び出し、殺すタイミングを教えるから友部組長を殺すようにと言って、殺させるようにさし向けるんだってな。南嶋組長はなぜそんな必要があるのかと渋っていたが、自分の命のためだと言ってやったら頷いたよ。誰だって自分の命は可愛いものだ。柳川組長に持ちかける理由はなんでも良かった。南嶋組長は柳川組長を跡目にしたいが友部が邪魔だと言ったようだがな。そしてそれを斎藤に話を持っていかせ、誰でもいいから若くて南嶋組長と同じ型の血液型の奴を鉄砲玉にするように言えと伝えた。そして水上。お前が選ばれたわけだ」
「友部組長だと。ちょっと待て! 斎藤からは、あんたを殺せと言われたぞ?」
鳥居は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「ああ。斎藤の馬鹿が勝手に計画を変えやがったからな。あいつは俺の事を前から殺したがっていた。今回の事にそれを利用しようとしやがった。そのせいで丸川とうちの事務所がお前にめちゃくちゃにされた。――まあいい。結果的には色々と手間が省けたからな」
「手間?」
俺は思わず声を上げる。
「ああ手間だ。移植手術は日本ではできない。軽い怪我程度ならモグリの医者でもいいが心臓移植ともなるとかなり大がかりな手術になる。日本で生体移植をするとなると、どこかの大学病院クラスの設備とスタッフがいなければ無理だ。それに脳死でない人間からの生体移植は当然ながら認められる話ではない。何しろそんな事をすれば人間は確実に死ぬからな。前途ある若者の命を奪うわけにはいかんだろう?」
鳥居は自分で言った皮肉が可笑しかったのか場違いな笑い声を上げた。
「だから今回手術は海外で行う事になった。日本の医師を殺人犯にはできんしな。まあ海外でも殺人には違いないがその辺は金次第でなんとでもなる。それでは話を元に戻すぞ。俺が立てた本来の計画ではお前は一ヶ月間どこかで時間を潰した後……」
「おい! ちょっと待て。なぜそこで一ヶ月間という言葉が出て来る。それに手間の話はどうなった」
鳥居は眉をひそめる。
「話の腰を折るんじゃない」
そう言って鳥居はアイスピックを手に取ると素早く俺の腕に突き刺した。
俺は突然の痛みに悲鳴を上げる。鳥居の顔に恍惚の表情が浮かぶのを俺は見た。
「お前は馬鹿か。移植手術の準備に時間がかかるんだよ。ラーメンを頼むわけじゃない。心臓一丁上がりってわけにはいかないんだ。それに人の話は最後まで聞けと小学校で習わなかったのか? 手間の話も後で出てくる」
鳥居は名残惜しそうにアイスピックを見た後俺の腕から抜き取った。
「――さて続きだ。手術の準備が整った事を聞いた俺は、南嶋組長に伝えた。柳川組長にやるなら六月五日がいいと伝えてくれとな。そしてお前は友部組長を殺しカーナビの示す港に着いた後、仲良く友部の死体とマカオに行く予定だったんだ。まあ友部の死体は別便で、東シナ海のどこかで途中下船する予定だったがな」
鳥居はアイスピックをサイドボードには置かず、そのまま手に持ち弄んでいる。
「マカオだと? 車もマカオも斎藤の用意したものじゃなかったのか?」
「あの斎藤の馬鹿にそんな段取りを組める頭はない。全部俺が裏で仕組んだ事だ。俺から南嶋組長に、南嶋組長から柳川組長に、柳川組長から斎藤にってな具合だ。お前らは全部俺の手の中で踊る予定だったんだよ。それを五島と斎藤の野郎が!」
鳥居は乱暴にアイスピックをサイドボードに置いた。部屋の中に不快な金属音が鳴り響く。
しかし斎藤はわかるがなぜ五島の名前がここで上がる。
「五島はあんたの手下じゃないのか?」
鳥居は苛立たし気に舌打ちを鳴らす。
「あいつはあいつで手柄を立てたかったんだろうな。俺が動くなと言うのを無視して裏で動いてやがった。それで斎藤の計画を知り、うちの組で騒ぎやがった。まさか俺が自分のところの組長を殺そうとしているなど言えるはずはないからな。俺は友部組長とホテルから逃げる羽目になった。お前の手で友部組長を殺させる計画は失敗したが、水上。お前の身柄は何としても手に入れなければ俺は南嶋組長に消される。だから俺は手下を使ってお前に追い込みをかけたんだよ。お前が死んだと聞いた時には正直冷や汗物だったよ。死んだら心臓は使い物にならんからな」
鳥居の額には汗が滲んでいた。
「マカオはなんだったんだ?」
俺は鳥居に訊いた。
「そうだ。ここでさっきの手間の話が出てくる。さっき言っただろう。日本で移植手術はできないと。本当ならマカオで手術をする予定だったんだが心配するな。その問題はもう解決した。要するに手間というのはマカオに行かなくても良くなったという事だ」
どういう事だ。心配など全くしていないが、さっき散々日本での移植は無理だと鳥居本人が俺に言ったはずだ。それが解決する事などあるのか?
「なんだ。聞きたいのか? お前がショックを受けると思って言わないでおこうと思っていたんだが……」
その時突然携帯電話が鳴り始め、鳥居の言葉を遮った。




