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狭間堂ー時知らずー  作者: かつを
14/15

明松の場合

 ※明松の場合


 目の前の海釣り公園では、定年後の余暇を楽しむ老人達が静かに釣り糸を垂らしていた。


「ここか?」


 明松は俺に訊くが、本体のイメージを読み取った俺には既に手遅れだという事が何となくわかっていた。


『ああ。だが多分もうここに本体はいない』


「いないってどういう事だよ」


 明松はわかっているだろうに事実を認めたくないのか情けない声を出した。


『言葉の通りだ。多分俺の本体は今頃海の上だよ』


 本体はここからマカオに向かったわけではないようだがそれでもここに来たのは昨晩の事。まだこの辺りに留まっている可能性はほぼゼロに近いだろう。俺は完全に本体を見失ってしまったのだ。


「どうするんだよ! お前いつ俺の頭から出て行くんだよ! 勝手に入り込んだんなら勝手にとっとと出て行けよ!」


『俺もそう思って昨日から試しているんだがどうもうまくいかないんだ』


 その時ふと公園を見ると、明松の怒鳴り声を聞いた老人達が迷惑そうな視線を送ってきていた。


『おい明松。あまり騒ぐと魚が逃げる。爺さん達に迷惑をかけるなよ』


 明松は老人達を見て情けない呻き声を上げた。


「なんでお前はそんなに冷静なんだよ……」


『何か、どうでも良くなってきちまったんだ。すまないな無責任で』


 明松が声を上げようと口を開いたところで携帯電話が鳴る。


「なんだよこんな時に」


 明松はブツブツと文句を言いながら電話に出る。


「おい明松! どこで油売ってやがる!」


 電話口から聞こえてきたのは坂崎の怒鳴り声だった。


「いや今川崎の大黒埠頭にいるんですが……」


「馬鹿野郎! 品川プリンスホテルで殺人事件だ! とっとと帰って来い!」


 その言葉を最後に携帯電話は通話終了を告げる電子音を鳴らした。明松は携帯電話を持ったまま力なく腕を垂らした。


「ちょっと待ってくれよ……。俺はいつまでこんな状態でいなけりゃならないんだ? いや待てよ……そうだ! 確かあの店でもらった本に薬は不死ではあるが不老ではないって書いてあったな。という事は薬を飲んだ者にも寿命があるって事だ。つまりは細胞だけのお前にも寿命があるって事だ!」


 そう言うと明松はブツブツと呟きながら携帯電話で何やら調べ始める。そしてひとしきり調べた後、「なんてこった……」と呟いた。


『どうした。何かわかったのか?』


「――お前脳細胞だったな」


 俺は『ああ』と応える。


「脳細胞は一定の年齢を超えると細胞分裂をしないんだそうだ。これがどういう事かわかるか?」


 明松の問いに俺は『わからない』と答えた。


「細胞ってのはな。テロメアっていうタンパク質の長さで分裂の回数が決まってるんだ。つまり分裂の回数イコール寿命なんだよ。だが脳細胞は細胞分裂をしない」


『て事は脳細胞に寿命はないって事か?』


「ないわけじゃないが信じられないくらい長いんだよ! 俺の寿命なんかより遥かにな!」


 老人達が一斉にこちらを向く。騒がしい上に寿命寿命と叫んでいれば顰蹙も買うというものだ。だが明松はそんな顰蹙などお構いなしに喚き散らし、最終的には海釣り公園の管理人につまみ出されるに至った。


 俺は、俺と明松は、これから一体どうなってゆくのだろうか。明松には明松の人生がある。刑事という仕事をこなし。そのうちもてない明松にも女ができるかも知れない。


 結婚をしやがて子供が生まれ家庭も持つだろう。ごくごく平凡な人生だ。俺の本体を探してくれとはとてもではないが言えたものではない。ただ俺の本体が見つからないとなると、明松の平凡なはずの日常の中には常に俺の存在がついて回る事になる。


 俺は明松の平凡を壊す寄生虫のような存在なのだ。その事を思うと、俺は明松に対してとんでもなく申し訳なく思った。


『明松……すまない。いつか出て行くからもう少し待ってくれないか』


 俺の謝罪の声は明松の涙声に掻き消されてしまった。気まずくなった俺は車の外を眺める。地平線の向こう側には積乱雲が形成されていて、窓の外を流れる空の色はこれから訪れる夏をどことなく感じさせるものだった。


 明松にとっての今年の夏は、とんでもなく煩わしく暑苦しいものになるにだろう。そしてその原因が明松の頭に居座っているこの俺であるという事は疑いようもない事実で、本体を見失った今どうしようもない事を俺は知っている。


 俺はもう一度明松に謝った。その声が明松に届いたかどうかはわからない。ただ、届いたところでどうなるものでもないのだが……。




 完

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