【3巻】やれやれ、運が悪いのか間が悪いのか ――ミシェル――
3巻の物語開始前にあたる場面です。
「まったくあの子にも困ったもんさね」
ため息を隠しもせずぼやくと、護衛のヘレナが問いかけてきた。
「どうかされましたか?」
アタシが懇意にしている傭兵で、今回護衛を依頼した中のひとりだ。
力量という意味ではクレンテに次いで頼りになる上、気配りという点では最もあてにできる相手だった。
クレンテは少々単純で子供っぽいところがあるからね。
まあ、そう言うところがクレンテのいいところでもあるけど、こういった話し相手にはとても向いてないだろうさ。
再びもれそうになるため息をこらえながらヘレナに身内の恥をさらす。
「うちの愚息だよ。孫が生まれたって知らせをよこすのは構わないさ。でもね、名付けをして欲しいからすぐに帰ってきてくれってのはどういうことだい? まったく、子供の名前くらい自分たちで付ければいいだろうにさ」
情けないったらありゃしない。
「それだけミシェルさんを頼りにしているということじゃありませんか」
「だからって遠方の親に名付けを頼むかねえ」
別に名付けそのものはかまわないさね。
アタシだって邪険にされるより頼りにされる方が嬉しいさ。
「アンタは知らないだろうけどね。アタシらの故郷じゃ生まれてひと月のうちに名付けをしなきゃならないってしきたりがあるのさ。ひと月経っても名付けされていない赤ん坊は魔に魅入られるって言い伝えがあるんでね。もちろんただの迷信だとは思うけど、何にしたって風聞が悪い。わざわざ好きこのんで悪評を立てる必要もないだろうにさ」
「ああ、それで今回急いでいるんですね」
でなけりゃ危険なコーサスの森を突っ切ろうなんて考えないさ。
おかげで取引の期限が迫っているわけでもないのに、手練れの護衛を五人も雇うはめになった。
いくら比較的安全なルートの情報を買っているとはいえ、コーサスの森じゃあどんな不測の事態が起こるかわかったもんじゃない。
馬鹿息子のせいで余分な出費と不要な危険を背負うことになったんだから愚痴のひとつもこぼしたくはなるさね。
「時間がなかったもんだからろくな仕入れもできなかったし、やたらと出費はかさむしで迷惑もいいところだよ」
「その割には嬉しそうな顔に見えますけど。本当はお孫さんが生まれて嬉しいんでしょう?」
控えめにヘレナが笑みを浮かべる。
アタシだって人の子だ。
孫が生まれたと聞けば悪い気はしない。
「ふん。そりゃ生まれてくる孫に罪はないからね!」
アタシの反応を見て、ヘレナが笑いをこらえきれないといった感じで口元を抑えながら背を丸めた。
先端のやや尖った耳が小刻みに揺れている。
「そ、それでお孫さんの名前はもうお決めになったんですか?」
「そこがまた問題でね」
あの馬鹿息子、生まれたことを知らせて来るのはいいけど、肝心の孫が男の子なのか女の子なのかを手紙に書いてないじゃないのさ。
名付けして欲しいってんなら赤ん坊の性別くらいハッキリ書いておけばいいのに、文面からはあたふたと慌てた様子がにじみ出るだけさね。
本当に情けない。
一体あの優柔不断な性格は誰に似たんだか。
商人にならなくて正解だったよ。
この分じゃあ孫だってどんな性格に育つことか……。
まあ幸い嫁がしっかりした性格だから、上手いこと舵取りしてくれるかもしれないけどね。
今回の手紙だって嫁に無断でよこしたんじゃないだろうかとアタシゃ疑っている。
あっちにはレーニャもいるんだ。
あの嫁とレーニャがそろってこんな無茶をアタシに振ってくるとは思えないさね。
いざ故郷に帰ってみたら既に嫁さんが名付けた後ってことも十分ありそうだね。
その時は馬鹿息子がよこした手紙のことはなかったことにしてしまえばいいけど。
何も息子夫婦の家にあえて火種を投げ込む必要もないだろうさ。
「とりあえず男の子でも女の子でも使えるような名前を考えてるところだよ」
「悩ましいところですね」
「まったくさね」
ヘレナとふたり、顔を見あわせて苦笑する。
「楽しそうに話してるところ悪いんだけどよ」
そこへ横から入ってきたのは今回雇った傭兵の中で最も腕利きの剣士クレンテ。
交渉事では頼りない面もあるが、戦いに関しては実力も折り紙付きだ。
この男とヘレナのふたりが雇えなかったら、さすがのアタシもコーサスの森を突っ切る度胸はなかったね。
「どうしたんだい? 獣かい?」
「いや、たぶん違う」
首を振るクレンテへ、今度は真剣な顔つきでヘレナが確認する。
「では魔物ですか?」
「いや、たぶん人間だろう」
答えるクレンテに、自分たちのことを棚に上げてアタシは目を丸くした。
「人間? こんな場所でかい?」
自分で言うのも何だけど、わざわざ危険なコーサスの森へ入ってくるのは遺跡を探す探索者かやむを得ない事情のある人間、それかよほどの変わり者くらいだろうさ。
広い森の中で人間同士が遭遇するなんざ、そうそうあるもんじゃない。
「どうしますか、ミシェルさん?」
「そうさねえ……、相手が何者かはわからないんだろう?」
ヘレナに対しては言葉を濁し、アタシの方はクレンテへと問いかける。
「直にわかるって。すぐそこにまで来てるんだから」
「すぐそこ?」
そう言ってクレンテが視線を南へ向けた。
つられたアタシとヘレナの目がそちらへ移って間もなく、木々の合間からふたつの影が姿を現す。間違いなく人間だった。
「あっ……」
「こんなところに人が?」
相手の方もアタシたちにようやく気付いたようだ。
声と表情からも、森の中で人に出くわしたことは想定外だったらしい。
いずれも十代半ばを過ぎた年頃の少女だね。
ひとりは銀髪を後頭部でひとまとめにした探索者風の格好、だが身につけている品々がやけに高価過ぎる気がするね。
おまけに危険な森へ入ってくるにしてはあまりに装備が軽すぎるよ。
外套からのぞき見える足は太もも部分があらわになっているじゃないか。
傷つかないことによほどの自信があるのか、それとも単に世間知らずなだけなのか……。
もうひとりは良いところのお嬢様が遠出してきましたと言わんばかりの格好さね。
背中まで伸ばした若芽色の髪はこの娘が裕福な暮らしをしてきた証だろうさ。
帯剣はしているけれど、どう見ても傭兵や探索者には見えない。
こんな魔境をうろつくような立場の人間じゃないだろうね。
「ま、野盗には見えないけどさ」
となりに立つクレンテとヘレナにだけ聞こえるような小声でつぶやくと、アタシは彼女たちへと一歩踏み出す。
「おい、ミシェル」
クレンテの制止を無視して前に出る。
人がそうそう踏み入ることのない魔境コーサス。
その中で出会うのはこちらの命を狙ってくる獣や魔物ばかりだ。
たまに森の浅い場所では野盗まがいの事をする不届き者もいるが、あのふたりは明らかに狩るよりも狩られる側の人間に見えるね。
だったら敵意をむき出しにして対立する理由なんてどこにもありゃしない。
相手が良からぬことを考えている輩じゃあない限り、助け合い協力し合うのが法の及ばぬ場所で生き延びるための鉄則さね。
向こうにもこちらが危険な集団じゃないと理解してもらい、お互いの無事を祈りつつ気持ち良く別れればいいだけの話だろうさ。
言葉を交わすため、敵意のないことを態度で示しながらアタシは足を踏み出す。
だがその歩みが三つ目を数えたとき、突然ヘレナの警告が鋭く森にこだました。
「ミシェルさん! 下がって!」
それがどういう理由によるものかなんぞ知らない。
だけどアタシゃヘレナを信じているからね。何故と考える前に身体を動かす。
「こんのやろうっ!」
思いっきり後ろに飛んだアタシの脇を、入れ違いになるような格好でクレンテが前へ出た。
その手にはいつの間にか抜き放たれた大剣が握られている。
まったく、こと戦いに関しては頼りになる男だよ。
クレンテの大剣が振り抜かれたのと、金属同士がぶつかり合って甲高い音をたてたのはほとんど同時のこと。
大剣に押しつぶされる鈍い音じゃないってことは、クレンテの一撃が防がれたってことだろう。
どうやら相手もそれなりの手練れみたいだね。
身を起こして状況を確認すると、クレンテの大剣が一本の片手剣に防がれていた。
クレンテが鍔迫り合いをすることになったその相手は全身を藍鉄色の装備で固め、黒い覆面で顔の下半分を隠している。
なんだいありゃ?
気が付けば同じ黒覆面の人間が複数目に入った。
一体いつの間にこれだけの人数が近づいてきてたのさ?
「なんだい、アンタたちは!」
期待なんぞしていなかったが、やっぱり黒覆面たちからの返事はない。
代わりに他の黒覆面たちが一斉に襲いかかってくる始末だ。
「ミシェルさんは私の後ろに!」
ヘレナの言う通り、護衛をしてもらう立場のアタシが前に出てたんじゃみんなが戦いにくいだろう。
自分の身を傭兵たちの後ろへと滑り込ませながら横目で見ていると、さっきの嬢ちゃんふたりも同じように黒覆面たちの攻撃を受けていた。
あの子らが囮だったという線はなさそうだけど、状況が悪いことには何の変わりもない。
まいったね、こりゃあ。
危険は承知の上で森を突っ切ることにしたけど、まさかコーサスの森で人間同士の戦いになるとはね。
しかも黒覆面たちの数はこちらよりも圧倒的に多そうだ。
孫の顔、見られないかもしれないねえ……。
『行商!』プレイ済みの方にニヤリとしていただければ本望です。




