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強き英雄と全てを諦めた巫女

作者: あらまき
掲載日:2018/05/13

 

 一人喫茶店でティータイムを楽しみながら成島八郎(なるしまはちろう)は今日の論文を読む。

 自分で言うのもなんだがそれなりに頭が良い。わざわざお金を出して自分に来て欲しいという人は後を絶たないくらいだ。

 今日もわざわざイギリスの論文の発表会に招待された。その後の講演会もセットでそれなりの金額を包んで。

 八郎は金銭を求めている訳では無い。だが今日の講演会には是非参加しておきたかった。

「うん。思った以上に論文の質が良い。これは嬉しい誤算だ」

 色々な人の論文を読み進めながら自然と笑みがこぼれる八郎。

 講演会に出してある論文がどうしても欲しかった。自分の成果をより高めることが出来る。これはあれば今より早く世界を救うことが出来ると信じていた。二十も過ぎた年なのに彼の夢は世界を救うことだった。

 だが、八郎がこの世界を救うことは無かった。



 一人で優雅なティータイム中に声が聞こえた。周囲を見回すがしゃべっている人はいない。それどころか、自分以外誰もこの声に気づいていなかった。

『どうか私達を助けて下さい。私達の世界が危機に晒されています』

 女性の必死な声が脳に響く。冗談には聞こえない。そしてその声に答える方法も脳に入ってくる。右手を上げるだけだ。

 そしてその後がどうなるかもわかっていた。この世界に二度と戻ってこれない。

 声に従うと自分は別の世界に飛ばされ、しかも世界の救う為の奴隷のような生活になる。しかも戻れない上に何の報酬も約束されていない。

 それでも、八郎はその声に従うことにした。

 理由に一つは好奇心。脳に直接情報が届くという自分の常識の範囲外の出来事。白昼夢かもしれない。それならそれで構わない。何かあるなら是非見てみたかった。

 科学を愛する者としての浪漫は、忘れたことは無かった。

 もう一つの理由は、誰かが助けてと言った。それは八郎にとって人生をかける十分な理由だった。


 手を取るのは問題無かった。ただ心配はあった。自分のみたいな脳に栄養が行ったような存在が役に立てるかということだ。

 戦いなどしたことがない。趣味も仕事もインドア的なものだ。それでも、悩んだ末に、八郎は手を伸ばし、そして八郎はこの世界から永遠に姿を消した。



 一人神殿の中に白い衣装を着た女性が祈っていた。小さな神殿。その中でフィーネは声を届けていた。大量の汗が体力の消費を物語っていた。

 それでもフィーネは声を届け続ける。誰かに助けを求めて。その様子は、その光景は願いを持った女性というより、女性を生贄にした人柱のようにも見えた。


「お願いします。誰か助けてください!」

 フィーネは心の底から念じる。自分が命じられた仕事だから。だがそれだけでは無い。既にこの世界は終わりに近づいているからだ。

 母も父も寝たきりになった。ある日突然世界が闇に覆われた。その日から倒れ、病になる者が増えた。

 人の生存区域の七割を魔族に取られた。その際いた人は皆殺しになった。

 更に悪夢は続く。子供が突然生まれなくなったのだ。世界中で一斉に子供も生まれず、世界は絶望に沈んだ。

 だからこそ、今は勇者が、異世界からの英雄が必要だった。勝手なことだが、もう他に手段が無かったのだ。



「どうか。私達を助けて下さい。私に出来ることでしたら何でもいたします」

 両手を握り念じるフィーネ。本当に勝手な者だと思う。召喚の条件として、この世界の現状をきっちり説明してあった。

 それでこの世界に来るなんて物好きは一人もいないだろう。

 誰も来るわけが無いという気持ちが八割。誰でもいいので助けてという気持ちが一割。残り一割は人生の諦めだ。

 だがフィーネの声に応じる者がいた。

 召喚陣は動き、強い光を発してそしてゆっくり姿を現した。

「すまない。期待に答えられるかわからない。所詮学者程度のひ弱な人間だが、好きに使って欲しい」

 召喚された際の煙の中で声が響いた。理性的な声だった。フィーネは信じられない気持ちになり、そして一筋の希望を見た。

「ありがとうございます!私の声を聞いてくださって」

 泣きそうになるのを堪えて声を出すフィーネ。姿は見えないがその優しそうな声だけで、今までの苦しみが報われたような気がした。

 そして、姿を見た瞬間に涙が引っ込んだ。きっと今の自分はハトが豆鉄砲を食らったような顔だっただろう。フィーネはそう思った。

 まず一番気になったのが上半身裸。下は普通にズボンを履いているがとても目立つ。次に気になったのはその筋肉量だ。腕が自分の胴くらいある。いやもっとあるだろう。

 上半身裸で大きな手提げカバンを持ったスキンヘッドのマッチョ男。声だけが優しそうだがその実態は蛮族だった。


 もしかしてうっかり紛れた巨人族でも出たか。そう思いたかった。

「ああ。私を見てがっかりしてる顔だね。すまない。私がひ弱なばかりに」

 あんたがひ弱なら世界中の人間全てがひ弱だわ。王様直属のエリート兵士ですらあんたより小さいわい。

 心の中で念じつつ。出来るだけ礼儀正しく対応するよう努力する。

「来て下ってありがとうございます。英雄のあなたが助けてくれるだけで百人力でございます」

 深く頭を下げるフィーネ。場合によったらこれから自分は彼の所有物になるのだから。そのつもりで対応する。

「いえいえ。こちらこそ何が出来るかわかりませんが僅かでも助力できたらなと思います」

 同じように深く頭を下げる男。どうも相手は見た目は兎も角中身は英雄として最適なようだ。そうでないと自分の声は届かないのは確かだが。


「とりあえずお互い自己紹介しましょうか。私の名前は成島八郎。八郎とお呼び下さい。見ての通りインドアの人間で学者をしていました」

 見ての通りならお前の職業は強盗か蛮族だよ。そんな言葉を飲み込む。さっきから自分の肉体の自己評価が低いことがフィーネにはとても気になった。

「そんな立派な得体な上に頭脳明晰とは素晴らしいと思います。私はフィーネ。神殿巫女のフィーネで、これからはあなたのフィーネとなります」

 内心を悟られないようににこっと軽く微笑む。その顔は好きにしてくれという意味でもあった。


 神殿巫女の役割は大きく分けて二種類。

 まずは英雄を呼び出すこと。神殿巫女として神に認められた者だけが召喚出来る。そして、人類が減り絶望した中ではフィーネが今唯一の神殿巫女で、そして最後の巫女になるだろう。

 次は英雄に身を捧げること。英雄を繋ぐ鎖となる役割だ。これは神からじゃない。王からの命令だった。

 国は英雄などと言う下賎で使いにくい存在と繋がる来は無かった。。国は何の支援もしない。その上で失敗したら切り捨て、成功したら自分の手柄とする予定なのだから国もしたたかだ。しかしそうしないともう人類が持たないのでしょうがない。

 更に身を捧げる理由がある。呪いがきかない可能性があるからだ。その場合あたらな子が産まれ、英雄となるだろう。

 もちろん自分も全てを捧げる覚悟は持ってここまできた。自分の犠牲で、父や母が。そして人類が救われるなら何の問題も無かった。


「私の?ということはあなたは貢物のような物なのですか?」

 八郎はフィーネをじっと見て尋ねた。女性には反応するようだ。フィーネは内心を隠しつつ。出来るだけその方向に誘導する。

「はい。あなただけのフィーネでございます。どのように扱っても構いません。どのように使って下さっても私は喜ぶでしょう」

 淑女のように振る舞い魅惑的な笑顔で八郎の傍に一歩近づくフィーネ。手を出されるならさっさと出して欲しかった。後になるほど怖く、つらいから。

「好きにして良いってことは、私の考えた筋肉プロジェクトを駆使してあなたを立派なマッスルレディーにしても良いということですか」

 子供のような純粋な笑顔で話す八郎。その顔は人に当たり前のように親切にする子供のような純粋さだった。

「すいません、さきほどの言葉撤回します。あなたのお世話を任されたただのフィーネです」

 フィーネの悲壮の決意は、女性としての己を守る為にガラスのように粉々に砕けた。

 流石に筋肉にフォルムチェンジするのだけは無理だった。


「ところで質問なのですが。どうして上半身裸なのでしょうか?」

 フィーネの最もな質問に八郎は申し訳なさそうな顔をした。

「すいません。しょぼいものを見せてしまって」

 それがしょぼいってボリュームなら百年経った樹木も小枝になるわい。

「実は行き着けの筋肉喫茶に行ってまして」

「何その喫茶!?存在するの!?」

 フィーネは我慢しきれずつい声がもれていた。

「ええ。筋肉愛好家が集うただの喫茶店ですよ」

「その時点でただの喫茶店じゃないよ!というかそれで何で裸なんですか?」

「ええ。喫茶店の中だと上半身脱ぐの推奨なんですよ。風通しの為に」

「風通しなの!?」

 フィーネは新しい世界があると知った。知りたくなかったが。


「それでもっとお互いの情報を交換していきましょう。何が出来るかわからないとこの世界を救えません」

 八郎の酷く真面目な声が響く。彼は本当にこの絶望の世界を救うつもりらしい。

「まず私ですが見ての通りただの学者。趣味もジムで体を鍛えるという典型的なインドア人間です」

 一言でいくつも矛盾している人をフィーネは初めて見た。

「あの。何の学問を学んでいるのでしょうか?」

 聞きたく無かった。でももしかしたら人類を救う手段かもしれない。赤子を残せるようになるだけで人類に可能性が生まれる」

「ええ。筋肉学です」

「知ってた」

 知ってた。脳内と声が同じ言葉を発した。

「はは。ひ弱な私ではそうは見えないかもしれませんが筋肉は凄い物なんですよ」

 見てわかるよ。そして知ってるよ凄いのは。どう見てもそれで殴られたら空飛ぶよ。フィーネは内心突っ込まずにはいられなかった。言葉を飲み込んだだけ彼女は努力している方だった。

「私の夢は筋肉で世界を救うことでしてね。まあ私のこの得体では無理かもしれませんが。夢は諦めずに行きたいので」

 ははと笑う八郎に乾いた笑いで返すフィーネ。本当に筋肉でこの世界が救われた場合彼をどうしたらいいのだろうか。というか彼は一体何のか。考えの迷路にフィーネは飲まれていた。


「それであなたは何が出来ます?」

 八郎の言葉にフィーネは悲しそうな顔をしていた。

「申し訳ありません。私は魔法を使えましたが、神に祈り英雄を呼んだ為に私の力はほとんど残ってなくて」

 そう。英雄召喚の代償ともいえるそれは一流の魔法使いを潰すことだ。今は残りかす程度の魔力しか無い。

「いえ。魔法だけで無く何かあるなら。人は誰でも出来ることがあるのです」

 慰めかそんなことを話す彼の言葉がフィーネをより悲しい気持ちにさせた。

「すいません。魔法使いとして生きたので本当に何も出来ないのです」

 小さい頃は魔法を使うように言われ、大きくなったら英雄に体を捧げる為に生きたフィーネが持っている物はほとんどなかった。

「しいて言えば人の再生力を高めることと牛乳と豆を出す魔法が使えることですかね?」

 果物や肉までは出来なかった。僅かな魔力だと僅かな物しか作れない。だがその言葉を聞いた瞬間に八郎の目は獣の眼光となった。

 一瞬でフィーネの傍に近寄り、強く肩を叩く。フィーネは肩が外れるかと思った。

「君は私の夢そのものだ。君が欲しい。(筋肉の発展の為に)君が必要なんだ!」

 副音声の中まで聞こえる気がした。そんな言葉でも目を閉じたらきっとトキメクだろう。素敵な優しい声の人に強く求められて。だが、それをしてもむなしいだけなのでしなかった。

 予想通りというか既定路線というか。彼は筋肉のことしか考えてなかった。



 そして二人の冒険が始まった。荒野の中を二人だけで歩く。ひ弱でも男ですのですので。彼はそう言いながら砂や風避けになってくれた。嬉しいのだが、筋肉の壁の背後を歩くのはそれはそれで怖かった。魔物の襲撃や人の盗賊の襲撃もあった。野生動物の襲撃も少数だがあった。その全てから八郎はフィーネを守った。筋肉で。ちなみに常に無傷だった。


 それと毎日大量に牛乳を出させるもの地味にきつい。一人二人分では無く十人分くらいは軽く出せるフィーネがしんどいと思うということは本当に相当な量だった。

「一体毎日牛乳で何をしているのですか?粉のような物に見えますが」

 不思議な道具と火で加工を繰り返し、白い粉にしていた。麻薬には見えないが。

「これはプロテインですね。あなたが牛乳を作れてよかったですよ。これで世界が平和に近づきます」

 にこにこ顔で大変な作業を繰り返す八郎。休憩時間の半分をその作業についやしていた残り半分は筋トレの時間だった。

「それでプロテインって何です?健康になるお薬ですか?」

「んー。似たような物ですね。これは筋肉を作る薬です」

「ひえっ」

 フィーネは自然と悲鳴が口から漏れた。つまりあれを摂取し続けるとああなるのかと思うと恐怖に襲われるのも仕方が無いと思う。

「まあそんな強力な物では無いのですけどね。それでも上質なプロテインになってます。本当にフィーネさんには感謝をせずには居られません。お礼にいりますか?プロテイン」

「絶対にいりません」

 褒められるのに慣れてないからか。自分はちょろいなと思う。たった一言でこれだけ嬉しいのだから。それでも筋肉だけは絶対にいらない。そう心に決めたフィーネであった。

 食事は豆を中心に現地で入手できた物を適当に使った。

 町から食料を買ったり獣を狩ったり。絶望の世界だからかどちらの方法でもそれほどの量は手に入らなかったが。

 ただ、狩猟に関しては完全に予想外だった。

 八郎が音も無く獣に忍び寄り音も無く首を折って殺していた。

「せめて出来るだけ痛くないように。あなたのお肉は美味しく頂きます」

 悲壮感ある声をあげながら血抜きをする八郎。その体型で消えるほど早く動ける八郎に驚く。だが、ある意味妥当だとも思った。

 その体格は魔王を退治出来そうな説得力すらあるのだから。

「どころで八郎様は今どこに向かっているのですか?」

 魔王を倒すと思っていたフィーネ。だが移動先は全く違う。それどころか村から村に移動しているような気がした。

「いい質問です。逆に聞きましょう。どうしたら世界は救わると思いますか?」

 八郎の質問にフィーネは答えられなかった。

 結論で言えば積んでいる。魔王を倒してもすぐには呪いも消えない。人の絶望も消えない。

 しかも魔王を倒しても魔族は残る。最悪次の魔王はもっと強い存在かもしれない。どう考えても救えないのである。

 黙って無言になるフィーネに八郎はにこにこと頷いた。

「そうですね。人一人で出来ることなんて大したことないのですよ。特に私みたいな弱い人間はね」

 既に魔族を数十匹は殴り飛ばしている八郎。もう数日したら人類の中で撃墜数トップになるだろう。

 ちなみにトップは魔王に殺された隣国の王だ。八十匹の魔物を倒して魔王に狙われ帰らぬ人となった、


「それでどうするのです?」

 フィーネは八郎に今後どうするか尋ねた。彼が何をするのであれ協力する気ではいたからだ。自分の体を筋肉に汚染させる以外なら。

「このまま一年くらいは町を回りましょう。それだけでいいです」

 何故だろうか。彼の楽しそうな顔が、絶妙ないやな予感を呼び起こす。少なくても滅びを待つ今よりは全然マシだが。


 一年と言ったが、結局半年で終わった。行く町が無くなったのだ。それほど人類は追い詰められていた。二人はもうほとんどの町や都市に行っただろう。

 その間八郎がしたことと言えば魔物殴り倒して筋トレしてプロテイン作って、人助けして筋トレしてプロテイン作って、襲ってきた盗賊返り討ちして説教して筋トレしてプロテイン作って。そんな日々を過ごしただけだった。一つだけ気づいたこともあった。作ったプロテインと使う量が余りに違いすぎる。八郎の毎日使う量から計算したら千人分くらい作っていた。

 とてもいやな予感がフィーネを襲う。だが気づくのが遅すぎた。そう、もう遅すぎたのだ。その上それを訪ねる勇気をフィーネは持っていなかった。


「さて。次の段階に行きましょう。ここから危険も増えます。

 八郎の声に頷くフィーネ。命を捧げる覚悟は出来ていた。だが彼のしようとしていることは想定の範囲外だった。何故か魔族の村に交渉にいっていた。

 そして交渉が終わったら魔族を一人連れてきていた。小さな体に小さな羽根。蝙蝠と蟷螂を混ぜたような。真っ黒いナナフシを人に混ぜたような。そんな曖昧で不気味な姿だった。

「一体どんな交渉をしたんですか?」

 フィーネの不安そうな声に八郎が反応する。

「はい。魔族を一匹。いえ、一人旅の同行者としてお願いしただけですよ」

 その魔族は後ろから八郎を憎むような強い視線を向けていた。またフィーネもたまに視線を感じる。舌なめずりするように。魔族が人を孕ますこともある。つまりそういうことだろう。

 いざという時は覚悟が必要なようだ。自害する覚悟が。

 だがその心配は杞憂だった。そして同時に女に生まれてよかったと初めて思った。

 魔族は八郎の筋トレに無理やりつき合わされていた。毎回吐いて倒れるまでつき合わされていた。こうなると襲う体力は残っていない。

 魔族はこいつは良いのかよと自分を指さす。それに八郎は女性は良いんですよ。興味があるなら教えますがと期待する瞳でこちらを見るだけだった。本当に女でよかったと思った。

 流石に申し訳ないから倒れた魔族の介護は自分が行った。魔族も人も筋肉の前には平等だ。凄くいやな言葉が頭をよぎった。そんな考えをしだした自分がしんそこ恐ろしかった。筋肉に汚染されていないか毎日余分に鏡を見るのが習慣になった瞬間だった。


 そして一年が経過した。最初の一人以外は魔族を取らず、それでも魔族の村に八郎は通っていた。フィーネは何をしているか知らない。あえて知ろうとしなかった。だって怖いんだもん。魔族よりも筋肉が。


 その間に大きく変化したことがあった。魔族の態度だ。

 最初は睨むような恨むような感じだった。

 少ししたらフィーネに対する態度が緩和した。ここまでは良かった。

 妙に八郎と仲良くなっていた。筋肉と言う言葉が魔族の声で聞こえ出した。

 魔族の体型が変わってきた。ナナフシのような細い体はどこにも無く少年のような体型だった。それでもまだ細い。

 八郎にボディタッチの回数が増えた魔族。この頃には既に人と同じ体になっていた。これが筋肉汚染かと恐ろしい物を見た。

 そして今は非常に悲しい顔をした魔族がいた。お別れの時だった。肉体は二メートルを超え八郎よりも大きい。筋肉の太さは足りないが立派な筋肉を持っていた。元の見た目の名残は背中に残った小さな羽根だけだ。もう飛べないだろう。

「元気で。別れても筋肉が私達を結んでいますよ」

 八郎の言葉に必死に泣くのを堪える魔族。突然の別れだがそれも本人の希望だから仕方ない。

「またきっと会いに来る。きっと。変わった俺になって帰ってくる……」

 そして一度も振り返らずに魔族は歩いて去っていった。小さく嫌らしい飛行する魔族の姿は無く、その姿は立派なボディビルダーだった。

「何も聞かないであげてください。お別れはつらくても……」

 八郎がフィーネに呟くがフィーネはなんとも思ってない。というか最初から最後まで蚊帳の外感がぱない。

 それに魔族が抜けた理由を知っていたからだ。


 それは昨日の夜だった。声が聞こえたからその方向に行くと魔族と八郎が向き合っていた。

「あんたには感謝してる。ひ弱だった俺にこんな素晴らしい筋肉を教えてくれたのだから」

 魔族は見下ろすように八郎に話しかけていた。その頬は朱に染まっている。

「おめでとうございます。私がひ弱なので少し羨ましいですね」

 ふふと軽く微笑む八郎。筋肉の太さはまだ八郎の方が大きいのに一体何故彼は自分の筋肉に否定的なのだろうか。

「だからこそ、もう我慢が出来ない。こんな世界を教えてくれたあんたに。俺は恋をしてしまった」

 それは本当に恋か?故意とか鯉じゃないだろうか。というか大丈夫か色々と問題ないか?フィーネは心の中でつっこまずにいられなかった。

「ありがとう。こんなひ弱な自分に恋をしてくれて。でも残念ですがあなたの気持ちに答えられません」

「何故だ?やはり筋肉が足りないからか?」

 いや他に問題あるだろ。二個くらい。種族とか性別とか。いやそういうものを差別するつもりは無い。むしろ好きですよ?こうしてみてるくらいは。

「いえ。残念ながら私は同性に恋をすることは出来ません。申し訳ありません」

 良かった。割と常識的だった。

「そうか。だったらすまないが俺はこのパーティーを抜けさせてもらう。流石にここにい続けるのは辛いからな」

 魔族の寂しそうな声に八郎は黙って頷いた。


 なんで私放っておいてシリアスしてるんだよ!

 心で叫ばずにはいられなかった。確かに受動的だったのは認めるけどまさか放置して恋愛やらシリアスやらが起きるのは予想外だった。

「さて。二人旅に戻りましたが行きましょう。まだ世界は救えてません」

 八郎の言葉に頷いて静かに傍に寄り添い歩くフィーネ。

 少しずつだが違和感に気づきだした。

 フィーネは一年以上たったが何も進展していないと思っている。実際何もしていないからだ。

 だが八郎はまだと言った。そのニュアンスは少なくても何かしているということだ。

 この意味を考えないといけない。だがフィーネは考えないことにした。怖い物から逃げる習慣があるからだ。そして、それは後から後悔となって押し寄せてきた。




 そして三年という月日が経過した。


「ついにここまできましたね。後は魔王の所まで行けば最後です。最後まで気を抜かずに行きましょう!」

 八郎の声に投げやりな気持ちで返事するフィーネ。へいへい。そんな言葉しか言えなかった。


 手遅れになって聞いた彼の救世の方法。『世界筋肉化計画』

 もっと早く聞くべきだったと後悔したが、きっと早く聞いても何も出来なかっただろう。

 内容はシンプルだ。食料を世界中にいきわたるようにする。そしてその上で筋肉レクチャーをしてプロテインを配る。

 筋肉講師も二十人くらいいるとか言っていた。一体何時の間にそんなことになったのかさっぱりわからなかった。

 だが効果はあった。特にこの世界は魔力があるからかそれとも八郎の知識が常識外だからか世界中で筋肉愛好家が増えた。絶望する時間を筋トレに費やした的な発想で世界から絶望が消えた。

 そして今自分達の後ろにいるのは千人のマッチョだった。

 ちなみに戦闘には一切参加していない。何でいるのかはフィーネが一番知りたかった。


「皆様はここでマッスルポーズで待機を。後は私とフィーネさんに任せてください」

 八郎の号令で後ろから野太い声とポージングする音が聞こえる。そんな音知りたくなかった。そして振り向く勇気は無い。後ろで千人のマッチョが構えて待っている。人生でこんな経験二度と無いだろう。二度としたくないが。


「それで魔王と会ってどうするんですか?処す?」

 フィーネは八郎に尋ねる。未だに答えを貰っていなかった。準備も余りできていない。

「会えば終わりますよ。強いて言えば退陣してもらいます」

 笑顔の八郎に終わりが近いことを理解した。そして思ったよりも酷いことになりそうということも。

「それで退陣して次の魔王は誰が?」

 フィーネの質問により一層笑顔になる八郎。それだけの行為だが、それは何よりも結果を物語っていた。


 玉座に座った魔族をフィーネは確認した。人とほぼ同じ姿。角と黒い肌。そして口から見える大きな牙以外は人と同じだった。ただやたらくたびれた顔をしていた。

「きたか」

 一言。空ろな瞳で返す魔王。何か苦労があったのだろう。

「はい。来ました。退陣していただけますね」

 その言葉を聞いてふらふらした足取りで去っていく魔王。いや元魔王。

「本当にお前を殺してやりたいと何度も思った。出来ないがな。俺はもう疲れた。後は好きにしろ」

 心中お察しします。疲れた顔のまま、元魔王はどこかに突然消えた。魔法で別の所に行ったようだ。


「これで魔王は退陣して次の魔王が選挙で選ばれます」

「選挙制だったんですね魔王って」

「そしてこれが今回の投票結果です」

 どこからか円グラフを出す八郎。八割が同じ陣営を支援していた。

「おーこれ決まってますね。でこの多数の票を受けた人ってこれなんて読むのですか。魔族の文字は読めなくて」

 フィーネの言葉にそれはもう嬉しそうな顔をする八郎。

「これはですね。ハチロウって書いてあるんです」

 楽しそうな声を顔で、彼が成し遂げた偉業と、そして今後のこの世界の行方をフィーネは魂で理解した。

 八郎の筋肉化計画は人だけでなく魔族にも行っていた。魔族は絶望を糧に生きる。そう思われていた。

 だがそのメカニズムを八郎は解き明かし、そして何故かその矛先を絶望から筋肉にシフトする方法を生み出した。

 相乗的に筋肉愛好家が増えた。八割が筋肉愛好家という絶望的な数字だった。ちなみに人間は七割ほどが筋肉愛好家だ。


「まあ魔族のこの結果は私の力だけでは無いですけどね。ずっと影から支援してくれた人がいたのですよ。そうですね」

 八郎が虚空を見ながら話す。その虚空からすーっと女性が現れた。

「知ってたのか」

 肌が少し黒い以外は美しいモデル体型の女性が八郎に話しかける。筋肉に汚染されてないだけでフィーネにとっては清涼剤となった。

「ええ。私の為にがんばってくれたのですね」

 その言葉に頬を染める女性。フィーネは八郎に尋ねた。

「その方がどなたですか?私は会ったこと無いのですが」

 フィーネの言葉に八郎が首を傾げた。それを見て女性は微笑む。

「会ったも何も一緒に冒険した魔族を忘れたのですか?」

「は?」

 フィーネは素っ頓狂な声を上げながら女性を見た。全然違う。筋肉も無いし性別も違うし筋肉も無いし

 だが女性の方はフィーネを知っているようでぺこりと小さく会釈した。

「まじですか?」

 フィーネの言葉に女性が頷く。

「こんな素晴らしいインナーマッスルはあの魔族だけです。更に練り上げられて。素晴らしいです」

 そんなんわかりわけないやろ。というか結局筋肉か。清涼剤もぷろていんだったってか。フィーネはやさぐれた。

「そんな。あまり褒められると恥ずかしいです」

 もじもじとしながら真っ赤になる女性。ヒロイン力は圧倒的に負けてることに気づいたらが別にそれでよかった。早く終わって欲しかった。


「私がんばって女性になりました。今の私ならあなたの傍にいる資格。ありますか?」

 うるんだ瞳で八郎を見上げる女性。八郎はそんな彼女を抱きしめた。

「資格なんていらない。これから一緒に過ごしてほしい。一緒に筋肉を広めて下さい」

 八郎の呪いのような言葉に女性は嬉しそうに頷き胸に、大胸筋に顔をうずめた。

 全てが終わった。世界が筋肉に救われた。何故だろう。絶望も無くなったのに、フィーネはあまり嬉しくなかった。


 絶望した町はプロテインと筋肉の教えにより復興した。住民がダンベルを持っていることを除けば普通の町だ。

 父と母も寝たきりから復活した。筋肉千人隊の中に入るほど復活してくれた。

 後は現実逃避するだけだった。フィーネは乾いた笑いが出ていた。

 八郎との旅は八郎の優しくて好みな声以外楽しいことは無かった。残ったのは何故か少しだけ筋肉質になった自分の体だけだった。体の調子がすこぶるいいだけに余計つらい。




『聞こえますか。誰か。聞こえますか』

 男性の声が聞こえた。周囲を見ると自分だけ聞こえるようだ。つまりこれは自分と同じ状況なのだろう。巫女が男なだけで。

『聞こえるなら誰か。助けて下さい。私の世界を救って下さい!』

 世界の知識が流れる。魔王により絶望した世界らしい。つまり昔の自分の世界か。

 フィーネは迷わず手を取ることにした。理由は言わぬが花だろう。

「すいません。他の世界に呼ばれました。この世界のことは任せます」

 フィーネは二人にそう伝えた。二人はそれだけで察し、頷いた。

「まかせて下さい。頼りない筋肉ですが、筋肉学は世界一だと自負してますから」

 八郎の言葉に頷いた。言葉も意味も聞かず考えずに頷いた。

 そしてフィーネは別の世界に転送された。



「おお!きてくれたんですね!しかも二人も!」

 十台前半くらいの金髪の少年が嬉しそうにこちらに歩み寄ってきた。ん?二人?

 フィーネは横を見る。そこにいたのは疲れた顔をした元魔王だった。

「貴様はあの筋肉馬鹿の傍にいた女か。何故ここに来た?」

 元魔王の質問に、悩み、考え、そして一言答えた。

「筋肉の呪縛から逃れる為に」

 フィーネの言葉に驚き、そして一言元魔王が発する。

「そうか。俺もだ」

 二人は握手をして、そして自然と二人で行動をするようになった。


 のちに二人の子供は世界を救った。彼が世界を救ったのは両親の心からの言葉だった。

「魔族とか人とかそんなことに拘っているの馬鹿だ。そんなことをしていると本当の脅威が迫ってくる」

 子供は両親が何を見たか知らなかった。だがそれを信じて、人と魔族共存できる世界を救った。

 何時の日か来るだろうその脅威に対抗する為に。


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