426回目 州都攻略 16
人々に恐怖を植え付ける。
それがトモルの目的だった。
普通に考えれば、あまり良いことではない。
恐怖は人を遠ざける。
人間関係を悪くする。
これは確かだ。
しかし、果たしてそうだろうか?
人は恐怖をおそれる。
おそれるから恐怖という。
怖い存在だからこそ遠ざかろうとする。
それが出来ないとき、人は二つの道を選ぶことになる。
勇気を持って立ち上がるか。
ひれ伏して奴隷になるか。
多くの場合、人は奴隷になる。
まさかと思う者もいるかもしれない。
しかし事実だ。
それをトモルはよく知っている。
知識のレベルをあげた事で知ることが出来た。
そうでなくても、前世の記憶によるものもある。
いや、この世界でもそれは見つける事が出来る。
前世である日本を例に取れば。
このんでヤクザに立ち向かおうという者がいるだろうか?
そうでなくても、学校にいる不良など。
それに立ち向かおうという者がいるだろうか?
この世界においては、藤園がこれにあたる。
子供の頃。
出向いた上位貴族の館で、そこの子息は偉そうな態度をとっていた。
それに刃向かう者はいない。
学校時代。
上級生による儀礼という名の暴行に立ち向かった者がいるのか?
女子は売春を強要されていたが、それに立ち向かった者はいるのか?
どこにもいない。
誰もが恐怖をおぼえる者にはひれ伏す。
これが普通だ。
それが良いとは言えないだろう。
だが、事実としてそうなってる。
仮に立ち向かおうとする者がいたとしよう。
誰がそれについていくのか?
多くの場合、立ち上がろうとした者を押しとどめるだろう。
恐れを抱く対象に従う奴隷として。
横暴な存在というのはそれだけ強力だ。
誰もが従う。
だからトモルはその道を選んだ。
恐怖によって人を操ろうと。
その為の第一弾として、断固たる態度をとった。
県で。
州都で。
それは今のところ上手くいっている。
トモルと戦い敗北した者達はひれ伏して従ってきている。
それはまだ完璧ではない。
今、多くの者は不満を抱き、怒りがこみ上げてるだろう。
だが、それもまだ最初の段階だからだ。
トモルが勝利を続け、藤園が敗北を続ければやがてそれも変わる。
今までは藤園が怖くて従っていた。
奴隷になっていた。
その藤園を難なく撃破してるのがトモルだ。
より強力な存在にどうやって対抗するというのか?
まして、藤園に容赦がない。
そこと関係があった者達も。
一族郎党に使用人、取引業者など。
その全てが例外なく殺されている。
そこまで容赦しない者にどうやって立ち向かえるのか?
結局、ひれ伏して奴隷になるしかない。
その相手が変わるだけだ。
これが慈愛と温和さで接したらどうなっていただろうか?
トモル達が慈悲と愛情を持って接していたら?
きっと隙をうかがって攻撃してくるだろう。
藤園に協力する者だって出てくる。
人とはそういうものだ。
優しい者は常に裏切られる。
温和な者は虐げられる。
それは人の本性である。
もちろん、中には温和な者もいる。
優しい者もいる。
それは確かだ。
だが、それらが力を持つ事があるのだろうか?
そういった者達が世の中を変えただろうか?
変えられるというなら、なぜ藤園の世の中は続いたのか?
なぜ今まで打ち倒されずに続いてるのか?
優しさや温和さなど、何の武器にもなりはしない。
そういった者達は押さえつけられる。
場合によっては殺されていく。
消されていなかった事にされる。
世の中を変えるのは暴力である。
それ以外に手段はない。
その手段をトモルは正しく使っている。
役に立たない慈愛や温和さなど捨てて。
それらが必要な瞬間もある。
優しく温和な相手には慈悲や慈愛が必要だ。
何にしてもそうだが、使いどころを間違ってはいけない。
ただそれだけの事だ。
善人には善意を。
悪人には悪意を。
ただこれだけで良い。
だからトモルは敵に対して容赦なく対応している。
自分達の敵に回ればどうなるかをしっかりと示していく。
余計な障害を排除するために。
とはいえ、いきなりひれ伏すという事は無いだろう。
それだけ恐ろしい相手なら、立ち向かって撃滅する事を考える。
それもまた人の本性だ。
危険を排除しようというのは、悪いことではない。
トモルも今まで散々やってきた。
だから、その気持ちがなくなるまで、徹底的に叩き潰す。
その為に自身も動いていく。




