3回目 急に忙しくなった、あと過大な期待はごめんこうむりたい
結果から言うと、教師を付けようという話は流れてしまった。
理由は単純、柊家の懐具合のせいだった。
それだけの余力がないのだから仕方ない。
だが、父はトモルの示した才能を惜しんだ。
どうにかして教育を与えられないかと苦悩していった。
教えてもいない読み方を、なぜか心得ていたのだから当然だろう。
もしかしたら神童なのでは、あるいは天才秀才なのか、と期待してしまう。
しかし、出来ないものは出来ない。
そうした事で無理をしても仕方が無い。
トモルもこればかりはしょうがないと諦めた。
その代わりに、この近隣で読み書きなどを教えてる所はないかと尋ねた。
本格的な教育は無理でも、多少の手習いは身につけておきたかった。
それならばと父は、この近くの神社へトモルをつれていった。
そこでは、基本的な読み書きや計算などを教えている。
この世界の神社などでは、こうした読み書きなどを教えていることが多い。
柊領にあるのもそれは同じで、近隣の村の子供達に読み書きなどを教えている。
あくまで読み書きと計算だけである。
それ以上に深いことは教えてないが、今はそれで十分だった。
ただ、先生である神主は父から話を聞いてたらしい。
普通の子供とは違うと。
そのせいか、トモルは他の子供達とは別に習うことになった。
なにせトモルは既に読み書きが出来ている。
なおかつ家にあった書籍にも目を通している。
そこまで出来る子供を、他と同列に扱う事は出来なかった。
この世界では、読み書きが出来るくらいは珍しくはない。
しかし、それほど読解力をもってるものはいない。
日常生活で必要になる程度の事しか習わない。
簡単な事を書きとめておくために短いメモを読み書きする。
それが一般的な読み書きの能力になる。
そんな世界で、長文の書籍を読んでいたのだ。
驚くのが当然である。
普通ならそこまでの能力を身につけたりはしないのだから。
そもそもとして必要がない。
覚え書きなどの短い書き付けが出来ればよい。
あとは、たまに出される領主からのお布令を読むくらいだ。
書籍が読めるというのは、それだけで一段高度な能力を持つとみなされる。
実際、書籍を最後まで読み通すには、それなりの慣れが必要だ。
まして、その内容を理解するとなると、それなりの教育を受けないと無理である。
3歳にしてそれをこなしてるトモルは、目を見張る能力を持ってるとみなされた。
「これはただ事ではない」
そう感じた神主は、自分の持てるすべてをトモルに注ぎ込むことにした。
他の子供と同じ事をさせてる場合ではない。
おかげで、かなり忙しい日々になってしまう。
兵士の所で稽古と、神社で学習と二つを同時にこなさねばならなくなる。
(学校で部活をしてるようなもんなのかな)
そうは思うが微妙に違うようにも思えた。
ただ、どちらもそこまで無理してやってるわけではない。
親や神主も、ある程度加減している。
どれだけ優れた能力を示しても、3歳という年齢なのだ。
体力や集中力の限界を考え、学習時間に制限を設けられた。
どちらも一日1時間から2時間ほどにおさえられている。
それだけでも子供にしたら大変な事ではあるのだが。
トモルは上手く体力と気力を配分してこなしていった。
教える内容が基礎的な事ばかりで、それほど負担でもないのも大きい。
トモルからすれば、そう難しい内容ではない。
ただ、それらをしっかりと吸収し、着実に今後の土台としていった。
どれほど単調であっても、それが大事であるなら繰り返さねばならない。
地味な作業になる。
効果をはっきりと自覚出来ないから、もどかしく思う時もある。
しかしトモルはそれを続けていった。
(ま、最初はこんなもんでしょ)
そんな気楽な気持ちで。
とはいえ、この気楽さが意外と大事でもあった。
下手に力んだり一生懸命になりすぎると、体力も気力も無駄に消耗する。
手抜きはいけないが、気楽さが適度な長続きに繋がる。
いずれどうにかなるだろうという程度の気持ちでいるほうがいい。
無理をしない長続きをしていくほうが大事だ。
そうしていれば、何かしら得る物がある。
そう自覚していたわけではないが、トモルは自然とそういった事をしていった。
また、そうやって自分を少しでも変えてみたいとも思っていた。
前世とおぼしき記憶の中にいる自分は、とにかく駄目な人間だった。
それはそれで良いのだが、再びあんな状態に戻りたいのかというとそうではない。
ああいったニート暮らしがしてみたい、楽して生きていきたいとは思う。
だが、それはそれが出来るだけの余裕があればだ。
ニート暮らしにはしっかりした生活基盤が必要になる。
財政基盤ともいう。
多少なりとも余裕があってこそのニートだ。
今世の柊家にそんなものはない。
いつ潰れてもおかしくないような状況である。
こんな中で穀潰しなんかやっていたら、速攻で追い出されるのは目に見えている。
この世界は、かつての日本ほど甘くはない。
使えないとなれば、親子兄弟とて間引きは当たり前。
村全体でも村八分にされる。
それが当然の仕置きとして黙認されている。
裁判などを待つこともない。
村の中での出来事なら、そんなものに頼ることなどまず無い。
それよりも先に地元の者達だけで問題を片付ける。
問題を起こしてる者の始末もだ。
そうして秩序を保っている。
こんな状況なのがこの世界である。
そんな所で馬鹿げた行動に出られるほど、トモルは肝が太いわけではない。
いずれ堕落するにしても、
「そうなるまでにこれだけの事はしてきたんだ」
という実績は作っておかねばならない。
そうでなければ、同情すらも求められない。
だから、今はしっかりとやれる事をやっていこうと考えていた。
とどのつまり、結局はニートになるというのが前提にある。
根っこの部分の怠け者気質はあまり変わってない。
それでも以前よりは多少前向きな考えになってる……といえるかもしれなかった。
なお、戦闘訓練と学習の成果のほうはなかなかのものであった。
あくまで3歳児にしては、という前提付きであるが。
それでもトモルは満足だったし、父を始めとした家族も喜んではいた。
喜び勇んだ父が、親類縁者への近況報告で、子供自慢をするくらいには舞い上がっていた。
大半は、子煩悩も度が過ぎると微笑ましく、あるいは苦笑してそれらを受け取っていた。
しかし、年始の挨拶や季節の節目などでの交流で、トモルを実際に見た者達は評価を変えていく。
年齢に似合わない振る舞いや喋り方。
そして、それらから窺える素養などがはっきりと伝わる。
これは親バカではなく、本当に異能の子供なのでは……そう考える者も出てくる。
ならばと自分のところに引き込もうとする者も出てくる。
その手段として、早速婚約を取り付けようと考える者も出始めた。
トモル本人もそういった周囲の動きを色々察していく。
さすがにまだ早いだろうとは思ったが。
それでも、王侯貴族の婚姻など、幼少期に決まってもおかしくはない。
そういう事もあるだろうとは思っている。
ただ、それは中央に近い者達の話だ。
地方の貴族でも有力者やそれなりの地位にいる者たちの話だ。
辺境の小さな領主の子供でしかないトモルに関係があるとは思えない。
まして柊家は、モンスターの徘徊する国境近くの辺境領主である。
そんな所に配置される貴族の地位は、そう高いものではない。
(いくら優秀有能だとしてもねえ)
まさか婚約などしてまで取り込みたいと思う者などいるはずがない……そう思っていた。
トモルとしてはそういう風に考えていた。
だからこそ周囲の動きは大げさにすぎると思っていた。
実際、本当にトモルとの婚約をさせようとしたものはいない。
そういう事を口にする者はいるけども。
いわゆる社交辞令というものなのだとトモルはとらえていた。
だとしても、周囲の者達が全く何も考えてないというわけでもない。
出来るならばと思う者はいたし、あわよくばと考える者もいる。
水面下では既に、柊トモルを確保しようと思う者達があらわれていた。
知らぬは本人ばかりである。
そんなトモルにとって面倒なのは、そうした貴族間の駆け引きではない。
いずれはそれらもトモルを縛ってくるかもしれないが。
それよりも面倒なのは身近な子供達である。
神社で学ぶようになって、いやでもそういった事に巻き込まれるようになった。
ガキ同士での不毛なやりとりにだ。
辟易せずにはいられない。
それは神社に通うようになって1年。
ついにトモルもガキ同士の面倒に巻き込まれていった。
「テメエ、生意気だぞ!」
そう言って自分に指を突きつけてくるガタイのよいガキ。
それを前に、トモルはため息を吐きたくなった。