217回目 裏側というかもう一方の動きという、陰謀めいた何か
「そうですか」
話を聞き終えた藤園ヒロミは、穏やかに見えるほほえみを浮かべて頷いた。
実際、彼女には特に裏表があるわけではない。
わざわざ呼び寄せた者が自分の要望に応じてくれた事への感謝がある。
「たいへん貴重なお話でした。
聞かせてくれてありがたい事です」
この言葉も、その通りの思いから発生している。
実際、相手の都合を無視して呼び寄せてるのだから、少しでも労わねばとは思っている。
しかし、呼ばれた方はそうとばかりも言ってられない。
「は、はい!
お役に立てたようで何よりでございます……!」
緊張を隠す事も出来ないほど恐縮しきった素振りで頭を下げる。
それも無理からぬ事ではあった。
二人は現在同じ部屋で同じように椅子に座っている。
ここからしてもう扱いが破格であった。
ヒロミは公爵というこの国の最上位に位置する貴族。
時と場合によっては国王に即位するための継承権を持つ家である。
それだけで他の貴族とは一線を画す。
加えてヒロミはその中でも、特に王族に近い位置にある家の者だ。
幾つか存在する公爵家の中でも別格扱いされるのが常であった。
そんな者と同格扱いされれば、すくみ上がるのが普通というものであろう。
同格というのは、時にそれほど厄介なものになるのだから。
これが上下関係がはっきりさせられてるならば、逆に気楽にもなれる。
それならば両者共に相応の対応をせねばならないからだ。
下にいる者は、上にいる者にかしずく姿勢をとらねばならない。
その為、様々な制限が加えられる。
態度や言葉遣いなど、それらは細々と多岐にわたる。
非常に面倒臭いのは否めない。
しかし、それは同時にある種の特権にもなりえる。
そうした下の者に上に位置する者は、ある程度の譲歩をしなければならないからだ。
下位の立場というのは、つまりは上位の者に手綱を握られている。
それこそ、生殺与奪の権利すら握ってるのだ。
だからこそ、上位の者は下位の者の不手際などにも、多少の温情は示さねばならない。
態度や言葉遣いの不始末に始まり、時に越権的な言動や行動など。
これらにもある程度の温情をもって接する事が求められる。
でなければ、下位に居る者達は萎縮して何も出来なくなるからだ。
これが出来ない者は、上に立つ資格はない。
たとえどれだけ上位にいたとしても、貴族の中で悪評が立ち、それは巡り巡って様々な掣肘となって返ってくる。
場合によっては制裁もありえる。
上下関係という厄介で面倒なものには、こうした側面もある。
だからこそ、陰険極まりない権謀術数があり、陰気な足の引っ張り合いも始まるのであろうが。
しかし、これがこの場には存在しない。
対等の立場という形式がとられてる以上、お互いの言い様や小さな態度がそのまま問題になってしまう。
これらが同格の者達同士であるならさほど問題になることはないのだろうが。
しかし、ここにいる二人の背後にある力関係はそんなものではない。
片や公爵家の中でも有力な貴族。
片やその公爵家の勢力の中でも末端に位置する家の者。
両者の力関係には隔絶という以上の差が存在する。
そんな者達の間での同格扱いは、一方的な威圧にしかならない。
下手な事を言えば、それだけで問題が発生してしまう。
同格扱いだからこそ、両者の力をそのままぶつけあう事になるからだ。
対等に扱うからこその問題と言える。
両者が同じ条件に立つというのは、何のハンデも貰えないという事になる。
己の力量だけで互いに動かねばならず、必然的に弱者が不利になる。
対等の立場ならば、それなりの動き方というのもあるにはあるのだが。
それが出来るのは相応の才覚や能力に恵まれてるものであろう。
さもなくば、図太いを通り越すほどに鈍い人間でなければいけないのかもしれない。
残念ながらヒロミの前に座る者は、そのどちらも持ち合わせていなかった。
加えて言うならば、今この場にいるのは二人だけではない。
周りにはヒロミの友人という名目の取り巻きが存在している。
状況的に言えば、明らかにヒロミの方が有利である。
彼女らは何かあればすかさずヒロミの対面者にお小言を言う。
また、ヒロミに追従していく。
それらが対面する者への重圧になるのは当然であった。
また、場所も森園の家の一角である。
さすがにヒロミの家(家と言うより城というべきだが)ではないが、森園の傍流の館を借りている。
相手に出向かせるだけなのは申し訳ないので、両者の中間地点に場所を借りたのだ。
ヒロミなりの気遣いといえる。
しかし、対面者からすれば、呼ばれた側からすれば、それでも森園の館の中である。
極端な言い方をすれば敵地であり、居心地が悪い事この上ない。
しかも、外側から見れば、ヒロミに足を運ばせたようにも見えるのだ。
それがどういった影響をもたらすのか、考えるのも恐ろしい事であった。
その他、諸々の気遣いを見せるヒロミではあったが。
それらの全てが、対面者からすれば恐怖以外の何者でもなかった。
相手に余計な心配をさせないようにする心遣いではある。
だが、なまじ対等の立場というものを意識すればするほど、対面者の負担は大きくなる。
力の差がはっきりしてる者同士が対等の立場に立つというのは、良い事ばかりではないのだから。
位打ちというしかない。
高い地位や役職を次々に与えて、相手の能力より上回った立場に追いやる。
そうなればたいていの人間は混乱し、自ら崩壊していく。
馴れてない事に携われば人間誰しもそうなる。
それが権限も大きいが義務も大きい役職ならば尚更だ。
そんなものを与えられてそつなくこなせる者はまずいない。
本当に相応の能力を持って生まれているか。
さもなくば、開き直って好き勝手やるほどの図太さがなければやってられないだろう。
失敗を「任命した者が悪い」と言い切るくらいの。
呼ばれた者は、それでも何とかヒロミの要望に応じて知りうる事を口にしていった。
今回呼ばれた者は、本来ならこの場にいることが出来ないような出自の低い家の者である。
取り巻き(ご友人)達よりも更に下、貴族ではあるがその中では下っ端に近い。
そんな彼女が求められたのは、ヒロミが仕切る範囲よりも更に下位の貴族の様子についてだった。
とはいえ、詳しい内容や内実を聞き出されるわけではない。
幾ら貴族とはいえ、実務に携わってない者にそんな事が分かるわけもない。
まして女子である。
基本的に女子は実務に携わらない。
家事は任されるが、それ以外の事についてはさほど触れないのが普通である。
もちろん家族から様々な事を見聞きしたりはするが、あくまでそれは差し障りのない範囲での事だ。
その為、説明を求められても、それほど多くを語れるわけではない。
ヒロミもそれは分かってるので、多くを望んでるわけではない。
所詮は世間話程度のものにしかならないのは彼女も重々承知している。
その範囲でいいから、知ってる事を聞ければそれで良かったのだ。
幸いな事に、呼び出された者はそれに充分に応じる事が出来た。
満点とは言わなくても及第点を充分に超える事が出来るほどに。
「なるほど、よく分かりました」
そうヒロミは言って頷く。
「奥に籠もってばかりでは分からない事ばかりです。
こうしてお話を聞かせていただき、勉強になりました」
「そう言っていただけて、大変ありがたい事です」
震える声で呼び出された者は応じる。
自分は、求められた役目を果たすことが出来たのだろうと思いながら。
幸いなことに、ヒロミはそんな相手をいたわり、ねぎらい、礼を言う。
「わざわざ呼び出してすみませんでした」
「いえ、私も、こうしてご尊顔を拝する機会を得られ、光栄にございます」
「まあ、そんなかしこまらないでくださいな」
ここでヒロミはまた無茶を言う。
「今、この場において私はあなたにお話を聞かせてもらう立場。
頭を下げて礼を言うのは私の方なのですから」
「そんな!」
とんでもない話である。
藤園の姫にそんな事させられるわけがない。
たとえ彼女自身がそう望んでいたとしてもだ。
だが、とうの姫君は相手の狼狽に気づく事も無く話を続ける。
相手の態度を無視してるわけではない。
本当に気づかないでいるのだ。
「こうしてわざわざ足を運び、そして大切なお話をしてくださいました。
まことにありがたい事です」
相手を気遣う言葉遣いである。
悪いという事はない。
しかし、この場においては無神経というほかなかった。
そういった発言がヒロミから発せられるごとに、周囲の取り巻き達の視線が鋭く冷たくなっていく。
顔に浮かべた微笑が仮面じみた硬い冷たいものになっていく。
醸し出す雰囲気が強ばったものになっていく。
なまじそれを感じ取る事が出来るくらいに空気を読める対面者はたまったものではない。
それでも、
「出来れば今後もこうした関係を続けたいものです。
あなたさえよろしければ、お願いできないでしょうか?」
ヒロミは更なる追い打ちをかける。
お願いの態をとってるが、有力者からのこうした態度は強制や強請でしかない。
断る事など出来るわけもないのだから。
「は、はい!
喜んで!」
なし崩し的に協力を義務化された事になるが、承諾以外の返事など対面者に出来るわけもなかった。
(どうしてこうなるのよ?!)
ヒロミの前でひざまずく対面者は、内心泣きそうになっていた。
まずもって縁がないほどの高位の者への謁見ではある。
絶好の機会と言っても良いかもしれない。
しかし、隔絶した立場の者との接触は、転落や滅亡の危機と紙一重である。
そんな大任を、貴族としてはまだ幼少と言ってよい年頃の者が担ってるのだ。
酷というしかない。
対面者はいまだ十代半ばの娘。
それが国家の上位に位置する貴族の姫(およびその取り巻き)に囲まれる苦渋と苦難は、察する事すら難しい。
それをどうにかこうにかこなしたのだから、それだけで殊勲ものである。
しかし、なし崩しに出来上がってしまった縁は、そんな娘を惑乱や混乱に叩き混み、恐慌状態に陥らせていく。
「これからもよろしくお願いしますね」
と言って手を取ってもらえた事も含め、全てが凶事に思えてならなかった。
これからもまだこうした謁見が続くという事なのだから。
それでも、
「かしこまりました」
と言うしかないのが、下位に位置する貴族のやむをえぬところであった。
それでも呼ばれた者は、やるべき事を果たして解放される。
帰りの馬車(これも藤園家が用意したものであった)に乗車した彼女は、疲れ果てて座席に沈みこんだ。
そこから自宅に到着するまでの意識はほとんどない。
緊張から解放された反動で、意識がほとんど吹き飛んでいた。
縦より横に大きめな体型のふくよかな体と顔が、今はとてつもなくやせ細ってるように見えた。
それでも呼ばれた末端の貴族────森園スミレは、己の大任をどうにか果たして我が家に帰還した。




