203回目 問題の解決とその後 3
しかし、悪い事ばかりではない。
起こった事故の後処理に頭を悩ませはする。
だが、それで解決した問題もある。
もともと問題のあった一家が一気に消えたのだ。
統治者としてはそれはありがたい事ではあった。
それによって救われる者は確実にいる。
少なくとも、今後その者達によって問題が発生する事は無い。
そして、今起こってる問題は、継続して長引くものではない。
何とかおさめさえすれば、この瞬間の一時の出来事で終わる。
収支を考えれば、火災事故がもたらしたものは黒字と言える。
人が死んでるのは確かだが、それとて問題にはならない。
これが善人だったら嘆き悲しむし、失ったものの大きさに慟哭するだろう。
しかし、有形無形の損失を与えていた者が死んだところで、流す涙はない。
そんな偽善者のような事が出来るほど、柊家の当主の人間性は腐ってはいなかった。
人に損失を与える者への評価などこんなものである。
善行に善が報いられて然るべきであるように、悪行には悪をもって報いるのが当然である。
人情からしても、同義道徳からしても、今回の事故で悼むような何かは全く存在しなかった。
何より、これで村の問題への対応を実行しないで済む。
村長の家と縁組みをして管理下に置くという、危険と隣り合わせの手段を使わずに済む。
息子の人生をそれによって台無しにする可能性を排除出来た。
領主としても父としても、今回の事故は本当にありがたいものだった。
だからこそ、学校から帰ってくる息子を、素直に出迎える事が出来る。
息子に無理強いをしなくて済むのは、父としてありがたい事だった。
「ただいま帰りました」
息子のこの言葉に、
「おかえり、勉学ご苦労だった」
と返した父は、息子の帰還を歓迎するささやかな宴を催した。
それは、村を挙げてといった大げさなものではない。
拡張された自宅の食堂で、家族が顔を合わせるものである。
それも、家来を全員集めて、というような事もない。
本当に家族と気の許せるものだけで行うものだった。
柊家の所領から考えれば、これくらいの規模が普通である。
盛大な宴など催せるものではない。
それでもささやかな宴席は、和やかに楽しく過ぎ去っていった。
食卓に並ぶものが増えており、羽振りの良さは浮き出ていたが。




