163回目 夏のひとときが終わった後の顛末 4
こうして柊家に奉公する事になったサエとエリカである。
動機の違いはともかく、同じ場所で働く者同士。
年齢も近いとあって、何となく声をかけやすく、少しずつではあるが仲を深めていった。
「一緒にがんばろうね」
「……うん!」
どちらが先に声をかけたのか、どういう風に親しくなっていったのか。
忙しい日々の中でそれも曖昧になっていく。
仕事で声をかけあった時がそうだったのか。
あるいは仕事が終わって部屋に戻ってからの一言二言が最初だったのか。
それが分からないほど二人の毎日は忙しく、仕事に馴染むのに精一杯だった。
しかし、そんな中で交わした言葉が何となく絆となっていった気がした。
ただ、どうしても合わない部分もある。
「トモル様は、本当に凄くてね」
「そ……そう?」
彼等の使える主の御子息については、両者共に違った意見を持っていた。
サエにとってトモルは、自分達を救ってくれた英雄である。
だが、エリカにとっては自分を脅してきた怖い人である。
この第一印象の差がトモルへの態度や評価にあらわれていった。
「そんなに怖いかな?
トモル様は凄く良い人だよ」
「よく怖くないわね、あんな人が」
使用人が主とその家族をあれこれ論評するなどあってはならない事である。
こんな話が誰かに聞かれたらこっぴどく叱られる事になる。
それでも二人は、自分達だけの時にはこうやってトモル談義を繰り返していった。
お互いが知る数少ないトモルの側面をあげながら。
どちらにせよ、トモルの一面しか見ていないし、話す度にそれぞれが抱くトモル像が拡大解釈されていく。
実態からかけ離れた想像図がそれぞれの頭の中に描かれていく。
方向は全く反対だが、どちらもトモルの事を正しく把握してないのは確かだった。
ただ、何にせよ「トモルは凄い人」という事で意見が一致してるのは不思議なところである。
サエにとっては良い意味で。
エリカにとっては悪い意味で。
そんな勝手な妄想というか想像というか、既にして空想上の存在に等しい扱いを受けてるトモルはというと。
学校にて自分を好意的に見てる人物に、同じような遠く離れた地域にいる二人の女子と同じような評価をされていた。
「お久しぶりです、柊様」
「ああ、羽川さん。
久しぶり」
休み明けの定型的な挨拶をしつつも、トモルの前に立った羽川サナエはその後も話を続けていった。
「お休みはどのようにお過ごしでしたか?」
「まあ、ぼちぼち。
暫く学校に残って、それから家に帰って。
大した何もしないで過ごしていたよ」
「そうだったんですか。
私の方も同じですね」
そんな風にサナエはトモルに話しかけ、トモルはそんなサナエに話を合わせていった。
なんで自分の所にわざわざやってきて、こうして話を続けるのか不思議に思いながら。
彼女にとってトモルは、危ういところを救ってくれた英雄だからなのだが、その事にトモル本人が気づいてない。
彼女の中でトモルは、実態を反映してない想像図が展開され、ありえない理想像が構築されてる事にも。
とはいえ、それもトモルがしてる事を元にしたものなので、誇張や拡大解釈されてる部分を除けばそれほど間違ってもいない。
なんだかんだで同級生なので実像を掴みやすいからだろう。
少なくともトモルの表層的な部分はしっかりと読み取っている。
そこは、サエとエリカとは違うところだろう。
「それでは、今学期もよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」
お世辞というか礼儀としてそう返す。
内心はともかく、表面的には笑顔で礼儀良くというのが貴族のたしなみだ。
トモルからすれば、サナエとの縁は貴族社会の中でのささやかな顔なじみになるだろう、という程度のものだ。
何かしら縁はあるかもしれないが、親密になるとは思いもしない。
敵対するつもりはないが、お互い都合の良い仲間程度になるだろうと思っていた。
しかしサナエはそうではない。
危ういところで自分を救ってくれたトモルに、サナエは感謝をしていた。
出来ればこの出会いを大切にしていきたいとも思っていた。
そこに、トモルが持ってる力にすがろうという気持ちはない。
トモルが作り上げてる学校内ネットワークや組織作りにも興味がない。
貴族としてそれはいかがなものであろうかという所ではある。
しかし、いかな妥協と打算と貴族社会の力学を常に考える貴族の令嬢とはいえ、サナエはまだ若い。
若いというより幼い。
子供でしかない彼女に、今後を考えての打算などがそれほどあるわけではない。
全く無いとは言わないが、それよりも憧憬などの方が強い。
(これから仲良くなれればいいのですけど)
そう思う彼女が浮かべるのは、憧れを見つめる者の笑みだった。
まだそれは、絵物語の登場人物に恋い焦がれるようなものに近いかもしれない。
しかし、いつかそれがしっかりと目の前にいる者を見つめてのものに変わる日も、いずれやってくるかもしれない。
そう思わせるような表情だった。




