145回目 世の中そんなもんというだけの、ありふれたお話 2
自分が弱い立場にいる、というのは同情を引く。
だから武器になる。
弱い者イジメは人間として最低だ…………世間一般にはそう思われている。
実際には全くそんな風に思ってもおらず、誰もが弱者を攻撃するのだが。
領主と領民もこれに当てはまる。
確かに領主は権限がある、権力がある、政府という後ろ盾がある。
だからと言って好き勝手が出来るわけではない。
持ってる力には自ずと限界があるし、やれる事だって限られる。
少なくともそれは、人間に出来る範囲を超える事は無い。
しかし、建前であっても領地の平穏や安定を仕事としてるのだ。
そうである以上、やれる事はしなくてはならない。
領民の保護もその一つである。
逆に言えば、領民は領主にこれを要求する事が出来る。
これに領主は逆らう事は出来ない。
場合によっては拒否することも不可能ではない。
しかしその場合、それなりの理由が必要になる。
そして、そんな理由はそうそう無い。
平穏と治安を保つのが領主である。
その仕事を放棄する事は出来ない。
建前であっても、平穏や治安を保つのが仕事なのだから。
領主はこれを理由に統治をしている。
民も平穏な治安を保つ為ならばと領主に従っている。
たとえそれが建前でしかなくてもだ。
この建前が本当に建前でしかなければ、民は領主に見切りをつける。
なので、治安の悪化などは、領主にとって最悪の事態になる。
下手すれば、領民が更に上の貴族に直訴。
領主の資格無しと訴えかねない。
それが受け入れられる事もある。
「そうなりたくなければ、何とかしろ」
と領民は求めるであろう。
こうして領主への脅迫を実行する。
この場合、領民からすれば、領主の方が与しやすい。
言い換えれば、冒険者よりも領主の方が弱い。
弱者である。
村人・領民から見て話をしやすいのは領主である。
力をふりかざすかもしれない冒険者ではない。
そっちの方がまだしも話になるからだ。
言い換えれば、好き勝手に言える相手だからだ。
決して反撃出来ないのを見越してるのだ。
そんな自覚、領民にはないだろうが…………という事もない。
分かっていてやるのだ。
村人・領民達は問題が紛糾してきた時にこんな事を言うだろう。
「でも、領主様にそんな事言って大丈夫か」
「大丈夫だって、だって領主様なんだから(それをするのが仕事なんだし)」
それが分かってるから彼等は無理難題をふっかけにいく。
自分達の窮状をどうにかするため、というだけでもなく。
楽しいのだ、領主をつるし上げることが。
普段は自分達より上位にいる領主
それをつるし上げる絶好の機会である。
いつもなら出来ない事をやれる。
そんな好機を逃すような者はそうはいない。
そもそも、抑えつけられる憤懣やら憤りの対象は、たいてい領主である。
日常的・恒常的に君臨してるのだから。
これに一泡吹かせる事が出来るというなら、喜んでつるし上げなどを実行する。
それが自分達にとって最悪な状況を作り出すとしても、これを止める事は出来ない。
止めるつもりがそもそもない。
だからこそどこまでも増長していく。
なにせ、これは娯楽なのだ。
たまった鬱憤を晴らすという。
止めるわけがない。
やらない訳がない。
(フランス革命みたいだな)
鬱憤晴らしのために王侯貴族を殺していく。
それが何となく前世の革命と同じに思える。
それに、どこまで本当かは分からないが。
ギロチンによる処刑は娯楽のように楽しまれたという。
そんな前世知識を思い出してしまう。
そして、ここでそれが再現されるかもと。
考え過ぎだろうが、最悪の事態が起こる事もありうる。
さすがに本当に殺す事は無いだろう。
だが、村の者達が詰め寄ってくる可能性は充分にある。
楽しみながらそれを実行する連中だっているだろう。
あるいは、ほとんど全部の領民がそうするかもしれない。
(冗談じゃない)
ギロチンでないにしても、つるし上げという娯楽の見せ物にされてはたまらない。
そうなる前に、何らかの対策を施しておきたかった。
だからと言って冒険者を放り出すわけにもいかない。
それらが村の発展に必要なのも確かなのだから。
(モンスターを排除してくれないと困るし)
実に分かりやすい、単純明快な話である。




