準備中
「なんであなたがここにいるんです」
菫と女官長はあきれたという顔をして見せた。
王が後宮にいた。それは当然だが、今は違う。
「私を名指しにしているのだろう」
「ですが」
人質にされているのは寵姫などではなかった。さらわれたのはひそやかに仕事を仰せつかっただけの平の妃。
「こちらの始めたことだ、蹴りをつけるのなら早いほうがいい」
「ほかの妃達にも噂が広がりつつありますが」
鶏頭は引きこもったまま部屋から出てこない。受けるべき授業もうっちゃったままだ。
それがますます噂を加速させていく。
「どうでもいいさ、そろそろ潮時だ」
いい加減面倒くさくなってきた王はさっさとほかの妃達を叩き出す算段を始めていた。
もうすぐいなくなるのだから噂がどうなど関係ない。
「勿忘草のことですが、まだ生きていると思いますか?」
「死体というのは結構面倒なものだぞ、それにこの頃は暖かい、半日で臭ってくるはずだ」
ここには随分と鼻の利く女官が多いようだしなという言葉も付け足された。
何の臭いかは聞かなかった。それくらいは菫にも分かっている。
王は指定された場所に向かうつもりらしい。菫は妃ではなく従者の格好をして後に続く。
後宮というのは幾重にも張り巡らされた隠し通路がいくつもある。その中を陰と呼ばれる者達もすでに潜入を終えている。
ほんの一部だが、隠し通路を使っているらしいという情報も入っている。
そうなるとかなり事情に精通した相手が裏にいるだろう。
「あの女達は名前を使われただけだな」
妃としての通称ではなく、本名で記された署名。
その苗字には見覚えがありすぎた。全員前王に従い処刑された人間の苗字だ。
「しかし、身辺調査をしなかったのか、わざと送り込まれたのか判断に困るところではあるな」
「身辺調査しなかったわけではないので、おそらくわざとでは」
「善意に解釈すれば、一族が破滅したところに慈悲をかけてやった、悪意に解釈すればいざという時の捨て石」
「おそらく両方では」
この後宮の急な妃集めは複数の人間がかかわっていることが分かっている。現王に好意的な人間とひそやかに悪意を募られている人間。
その思惑が無駄に絡み合って事態をややこしくしているのだ。
「まあいい、とりあえずこれで全部白紙に戻す」
後宮から妃を一掃する。これはいい理由になる。
「うーん、これはどうしたらいいんだろう」
緩すぎる。緩すぎて困る。
美蘭はさっさと縄を緩めてくつろいでいた。
一度厠を要求したらあっさりと縄を解いてくれた。
まあ、たぶん介助がいやだったんだろう。縛られた状態で着物をめくったりできないから。そして縛りなおす際に、適当に縄を引いて、拳の中に隙間分を隠したのも気づかずそのまま美蘭をくくってしまった。
そのため今回はわざわざ縄抜けの特技を使わずとも拘束は簡単に外れた。
閉じ込められている場所は適当に何か重しでもしてあるのか押してもびくともしない。しかし武装を解かないというのはいかがなものだろうか。
手の中に細い笄がある。先端は細くとがり、刃物のようではないが、力を籠めれば突き刺すことは不可能ではない。
「これが武器になるってわからないのかなあ」
帯の上に飾りで二本の色違いの組紐を飾り付けてある。巻いている組紐をほどいて、手首に結び付けた。もう一本は掌に巻き付ける。
人を殴るとき紐を撒くと破壊力が増すし、手を保護することもできる。その手を後ろ手に隠した状態で美蘭は座りなおした。