忍び寄る陰
美蘭より、五歳程度年上の官吏の名前がずらりと並べられた書類を片手に王は呟く。
「今の話、どう思う?」
部下は呆れたように言った。
「今の話はどう考えても信憑性に乏しいかと。おそらく、あの方は強盗殺人を目の当たりにした心の傷がいえていないのでしょう。まともな人間なら筋違いの恨みを何年もかけて晴らそうとするものでしょうか」
そう、まともな人間なら、子供が武装した強盗相手に何ができたのか、どう考えても声を殺して、隠れている以外の行動などとれるわけがない。
それを恨むなどありえない。
「それに、王の寵姫をどれほど恨んでいたとしても私怨でどうこうなどありえないでしょう」
今の美蘭の身分は上級妃、かすり傷一つが死罪に相当する立場だ、命を脅かしたとなれば、三族死罪もありうる。
そんな危険を冒すものかと。
言われてみればその通りなのだが。
「美蘭の名前が書いてあったのが問題なのだ。美蘭の実家を調べてみたが、美蘭の家族知人は一人を除いてすべて、美蘭の今の身分を知らない。となれば、こちらの調書を盗み見たものがいるはずだ」
「後は唯一芍薬殿が誰なのか知っている弟か」
美蘭の弟真影は、基本的に馬鹿ではない。上級妃の弟と知れれば、状況次第では命を狙われる可能性をわかっている。うかつに人に漏らすことは考えにくい。
それに寧州長官も情報操作にかかわっている。そう考えれば、こちらの書類ということになりそうだ。
「しかし、妃に関係する書類ですか、その場合、手が届くものは限られています。つまり芍薬殿と年齢が近いというその相手はその中に入らない」
「それはそうだが、可能性だが、芍薬を消したい誰かが、芍薬の身元を調べ、恨みを持ちそうな人間を探し出し、その情報を漏らしたとか」
「そうなると多すぎてかえって収拾がつきませんね」
美蘭に死んでほしい人間はほとんどが上級貴族か高級官僚だ、調べようとすれば簡単に調べられる。
「管理は宰相がしているはずですが」
そもそも宰相が、妃候補の女達を後宮に送り込んだ張本人なので、いまさら上級妃に昇格した美蘭を害する意味が分からない。
「まあ、そっちは宰相に直接聞く。警備を怠らないように」
美蘭は庭に出る気もせず、ただ自室でお茶を飲んでいた。
気が滅入る。王の様子もおかしいし、そして王以外にまともに話せる人間がいない。
下級妃時代はおしゃべりなど普通にできたのだが。
そして、不意に思い出した事実に胸を押さえた。
彼女達はもういない。
血で染まった記憶。高級な茶菓子を食べる気も失せた。
針仕事もする気が失せる。今、赤いものを見たくない。
捨てるのも何なので、戸棚に片づけようと、菓子皿を持ち上げる。
指先に違和感があった。
菓子を卓に置き。皿を裏返す。
皿に文字が書いてあった、その墨の跡が指先に違和感をあたえたのだ。
『人殺し』
そう書いてあった。
美蘭はこわごわと菓子を見る。見たところ様子がおかしいわけではないが、もしかしたら粉状の何かを振りかけたのかもしれない。
玄関近くに走っていき、緊急用の鐘を打ち鳴らした。




