アルテミスの騎士たち
キャラクター名ですが……某エロゲのメインヒロインやら、サブヒロインやらから色々引用させて貰ってます。
瑞穂は……見る人が見たらバレバレですね。
1.
結局、誕生日祝いをしてもらえなかった俺を気遣ってくれたのか、それも兼ねてやってくれるというので、みんなに連れられてケーキ屋と百貨店に寄った。ただ、俺を無視して敢行される寄り道を見ていると、単純にヒナたちに騒ぐ口実を与えただけのような気もしたが、3人の楽しそうな顔を見てると、部室での重苦しい空気を払拭できたかと少し安心した。肩に食い込むギターケースは少々重かったが。
後ろから見ていると、ヒナとカナエは姉妹というか、ヒナがカナエに甘えているというよりも、カナエがヒナに構いたくって仕方ないという雰囲気がよく伝わってくる。たまにミズホがあぶれて二人の少し後ろを歩いている場面も見受けられたが、彼女はそれを気にしている風でもなかった。
「あの二人って、姉妹みたいに仲良いね」
勇気を振り絞ってミズホに話しかける。後から話しかけたのがまずかったかもしれないが、彼女は少し驚いて、一瞬、躊躇したような表情になった。でも、俺の焦る顔を見てか、ぎこちなく笑顔を浮かべて、
「うん。カナエちゃんは、ヒナちゃんのことが大好きだから。いつもああやってヒナちゃんにべったり。背の高いカナエちゃんのほうが、妹みたい」
そういって、聖母のような優しい眼差しで二人を見つめるミズホからは、先刻、彼女がボーカルをとった激しいクロスオーバーロックとどうしても結びつかず、俺は思わず聞いていた。
「なぁ、どうして、あんな激しい音楽をやるんだ?ボーカルもラップスタイルで女の子には難しいだろうし、グランジ好きのカナエはともかく――」
そこまで言うと、
「変かな?……Jポップとかの方が私には合ってる?」
少し寂しそうに俯くミズホ。
「いや、変とかじゃないんだけど、あれってミズホの好みなのかなって思ってさ」
あわてて弁解する俺に、彼女はおそるおそるだがはっきりと、
「う、うん。あれは私の趣味。ナスカワ君が抜けた後、私が一番好きなバンドの曲もやらせてもらったの。私、小さなころから自分の引っ込み思案を直したくって、でも、直らなくて、ずっとイライラしてたの。どうしたら強い自分になれるんだろうかって。そんな時、たまたまつけたテレビで、あのバンドがアメリカの民主党党大会の真っ最中にその会場前の野外ステージで民主党に抗議するためのライブをやってて……そのバンドのファンと、大会会場の警備に当たってる警官隊は一触即発の状態だった。あの映像を見たとき、なんていうか、すごいエネルギーだなって圧倒されたの。それで感化されて、私もあんなふうに歌いたいって思って軽音楽部に入ったの。私みたいなのでも、あんなふうに力強く自分の言いたいことを奥さずに表現できるようになるかもしれないって……」
目をキラキラさせて語るミズホがまぶしかった。ミズホは俺のほうを見て、少し頬を赤らめる。
「やだ……何笑ってるの?」
「いや、何でもないよ」
滅茶苦茶まぶしくて、一生懸命で、可愛いなぁって見とれてただけさ。この笑顔を守りたいなって。恥ずかしくて、本人には言えないけど。
「おにいちゃん、着いたよ」
突然かかったヒナの言葉に俺は周囲を見渡した後、眼前にある建物を凝視する。縦長の空き地のような敷地内に、日曜大工レベルで作られた、恐らくスケート用と思しきジャンプ台が設置されている。その真後ろにポツンと建つ平屋のビルには、「崑崙輪業 KONG-RONG CYCLE and SKATEBOARD TECHNICAL SERVICE」と書かれた看板がかけられてあった。ショーウインドウには派手なBMXとマウンテンバイクが展示されている。恐らく改造されたものだろう。店の前にも何台かBMXが停車してあり、そのどれもが強烈な極彩色でペイントされてある。恐らく、自転車で派手な技を披露するジャンル、フリースタイルと呼ばれる競技で使われているものだと俺の記憶が告げる。ただ、国道から離れた古びた住宅街に建つその建物はやたらとアメリカンな感じで、違和感が半端じゃなかった。ここに来るまで注意して見てなかったけど、駅を降りてからやたら寂れた感じの古い一本道を歩いてきた気がする。土地が安かったのかなとか、町の景観問題で色々あるのかなとか、聞きかじった大人の事情が脳裏を駆け巡ったが、余計な詮索はやめた。
いずれにせよ、もっと普通の自転車屋を想像していた俺は呆気にとられてひたすらその看板を凝視する。
「店って、ここか?」
「うん。入って入って」気にする様子もなく、ガラス製のスライドドアをガラリと開けるヒナ。俺は、肩に食い込んだギターケースを下ろし、店内を見渡した。
レジ側の壁のいたるところにスケートボードやBMXのメーカーのステッカー、ハードコアパンクバンドのステッカーが無造作に貼ってあり、フローリングの床には所狭しと置かれたBMXとマウンテンバイク。店内の壁には、ドクロ、悪魔、サメ、ペンタグラム、モンスター、逆十字……そんなイカついイラストが描かれたスケートボードのデッキがいくつも吊ってある。レジ横のカウンターに並ぶのは、大会の写真や賞状、トロフィ、大きな大会のDVD。国内だけでなく、国外のものもたくさん混じっている。更に店内奥には、海外から届いたらしきダンボールの箱が山積みになっていた。恐らく、これらの部品類だろう。
俺は思わず「ふわぁ……」と嘆声を漏らしていた。知識にはあったが、こうやってまじまじと見る機会のなかったカルチャーに軽いショックを受ける。スラッシュメタルやハードコアパンク、所謂ラウド系と呼ばれる激しい音楽ジャンルの一部が、こういったエクストリームスポーツと密接に結びついているのは雑誌とかで読んで知っていたが、こうやって直に触れるとその迫力に圧倒される。俺と同年代の男ならどこか心がくすぐられるだろう、ワルガキのカルチャーが視界いっぱいに広がっていた。
呆然と店内を見つめる俺に、ヒナが、「どうしたの?」と声をかける。
「いや……もっと普通の自転車屋さんだと思ってたからさ。ここって、あの雉江さんが経営しているんだろ?」
ヒナは、きょとんとした顔で、「そうだよ。なんで?」
「いや。やっぱ、なんか雰囲気違うなぁ……って」
「あ、そか。おにいちゃんは昨日のお姉ちゃんしか知らないもんね」クスッと笑うヒナ。さっきから何を言ってるんだろう?
「とにかく会えばわかるよ。ちょっと待ってて。おねーちゃーん、ただいま。今帰ったよー」
ヒナは笑顔のまま、元気な声で店舗内に入っていく。それから1分も経たずに耳に入ったのは、ガッシャーン!とガラスの割れる音。
驚いて店舗内を覗き込む俺の耳に突き刺さる、轟くような怒声。
「待てコラ!テメェ!」
物騒なその声の発生元は店の裏手だ。俺は、「ちょっと見てくる」と言い残し、その場にミズホとカナエを置いて店舗を飛び出し、音の聞こえた裏手に走った。考えたくないが、ヒナが巻き込まれている可能性だってある。
裏手に回りこんだ俺の視界に広がったのは、今まさに吹き荒れている暴力の嵐だった。
頭の悪そうなスモークシールドの黒いワゴンのサイドウィンドウがバリバリに割れて、そこから男のものらしき足が突き出ている。その真横の地面に転がる血まみれの男。そして、胸倉をつかまれて涙を流している男と金属バット片手にその胸倉を掴むのは、長い金髪の上から群青色のバンダナを目深に巻いて、黒いナイロンジャケットと軍用カーゴを着込んだおと……こ?……あれ、もしかして、おんな!?
「す、すみません。もう二度としません。だから、許してください!」
命乞いをしているのは坊主頭のガラの悪そうなチンピラだった。
「だめだな。北京原人みてぇな顔しやがって。反省って言葉しらねぇだろ、おまえ。だから、現代社会の学習法をたっぷりそのドタマに叩き込んでやる。物理的にな」
そう言うと同時に、掴んだ胸倉を離す女(?)。男は地面に転がるように落ち、頭を抱えてうずくまる。どうやら腰が抜けて立つこともできないようだった。
金髪の女(?)は、バンダナからチラッと覗く氷のように凍てついた瞳でチンピラを見下ろしながらバットを振りかぶった。
「来世で会おうぜ、サル野郎」
「ギャーーーーッ!」
バットが振り下ろされると同時に、俺は思わず目をつむった。
ガキン!嫌な音を立ててバットが何かに直撃した。
おそるおそる目を開けると、地面に突き刺さったバットの横で、坊主頭が泡を吹いていた。情けないかな、べチャリと崩れた股間から、湯気が立っている。
「コイツ、ションベン漏らししやがって、カスが。根性ねぇなぁ……。イキがるんならもうちょっと骨のあるところ見せろっつーんだよ、口先野郎」
金髪の女(?)はそう言って、忌々しげに地面に唾を吐いた。
「……お姉ちゃん、何やってんの?この人たち、誰?」裏口から顔を覗かせたのはヒナ。金髪の女(?)は軽く右手を上げ、
「ヒナも知ってるだろ、こいつらな、最近、この辺りでじーさんばーさんばっか狙ってる恐喝常習犯の仲間だ。ここって、ちょうど区の境目だろ?管轄の問題だかしらねぇが、いつも通報してからポリ公が来るのがおせぇからよ、今日はシビレ切れちまった」
「で、お姉ちゃんがやっちゃったんだ……」
ヒナが呆れたような表情でため息をついた。
直後、背後から聞こえる拍手。見ると、店の裏手、古びた住宅街の民家の窓や路上からこっちを覗いていた老人達がこぞって笑顔を浮かべて手を叩いていた。
「さすがキジエちゃん、相変わらずカッコよかったよ。ワシも見てて興奮したわい!」
「よくやってくれたね、ありがとう、キジエちゃん!」
キジエちゃんって、まさか……あの雉江さん?というか、なんだこの金髪?
「いいっていいって。お互い様だから。じーさんばーさんたちのおかげであたしもここでのんきに店構えてられるんだし。こんな店、場所によっちゃ、地域ぐるみで締め出されてもおかしくねーんだから」
そう言って手を振って謙遜するキジエさん。俺は呆然とその様子を見ていたが、やがて、俺を現実に引き戻すヒナの声。
「おにいちゃん、ごめん。表で待ってて」
「おにいちゃん?」そう言いながら訝しげに振り向いたキジエさんが目を丸くした。
「お、おまえ、叔母さんとこのアキラじゃねぇか!」
「あの……昨日ぶりです。キジエさん……っていうか、昨日の人ですよね?」
驚くのはこっちだよ……俺は確認もかねてキジエさんとヒナの顔を見渡す。確かに昨日挨拶したキジエさんによく似ているが、まず、髪の色が違うし、目つきが違う。目の前のおねえさんはバンダナに半分隠れてるのもあるけど、目つきがやたら鋭い。昨日のキジエさんはもっと優しい――というか、端的に言うと、ヒナの面影を残す童顔だった。それに、昨日はポニーテールにして、黒いワンピースを上品に着こなしていたのに……。
いまだ釈然としない俺にヒナは手でマルを作りながら笑顔を浮かべ、キジエさんは急にドスの利いた声で俺に詰め寄った。
「そうだよ。昨日はおまえの母ちゃんが来るって聞いてたからスプレーで黒く染めてたんだよ。あたしも、電話では何度も話してるけど、直で会うのは久しぶりだったしよ……この店出すときも世話になったし、何度も助けてもらってる恩人だしな、恩義ってもんもある。だから、絶対に言うんじゃねぇぞ」
「お姉ちゃん、あたしと一緒で童顔だから、普段はメイクとバンダナで目元隠してるんだよ」
ヒナが笑いながら言うのに、「コラ!余計なこと言うんじゃねぇ!」と叫ぶキジエさん。なめられたら終わりなんだよとブツブツ呟くのに、
「でも、うちのオフクロ、そんなのたぶん気にしませんよ」
「あの人が気にしなくてもあたしが気にするんだよ。TPOってモンがあるだろ、それだよ」
先ほどの暴力的な言動とは裏腹に、意外と?礼節をわきまえているらしい。
「とりあえず店ん中で待ってろよ。大体の事情はさっきヒナのメールで見たからよ。あたしも後片付けが済んだらすぐに行くから」
キジエさんはそういうと、いまだ泡を吹いている坊主頭のチンピラを疲れた目で見下ろした。
2.
俺とミズホとカナエは店舗奥の部屋、真ん中に長テーブルが設置された6畳くらいの商談室らしき部屋に通され、アイスティーで歓迎されていた。出されたケーキはミルクレープとレアチーズケーキとイチゴのタルトで、バースデイケーキらしさはまったくないが、みんなにバースデイソングを唄ってもらったり(ついでにヒナの分も)、乾杯したりして、それなりに楽しい時間をすごしていた。
ただ、昨日からの騒動による疲れやら、コンテストに対する緊張やら、キジエさんの豹変振りに度肝抜かれたりやらで、少し頭が混乱していて、自分が主役にもかかわらず、俺はどこか上の空だった。そんな俺を気にしたのか、ヒナが笑顔を浮かべながら、「ねぇ」と声をかけてきた。
「そういえば、おにいちゃんのギターって、まだ見てないな。見せてよ」
ヒナがそういうので、俺はギターケースから愛器を取り出す。
「わぁ……トンガリギターだ」ミズホが何故か嬉しそうに言った。
「ジャクソンV。多分、1989年型……」カナエは無表情のまま、分析するように言った。
「でも、これ、かなり改造されてるね。色もオリジナルっぽいし。全部、おにいちゃんがやったの?」
「ああ。ピックアップとトレモロユニットを変更してあるよ。錆びてた配線もやり変えたし、減ってたフレットを交換して、色も塗り替えた」
ちなみに、俺のストームブリンガーはパールホワイトとメタリックグレーのグラデーション。名前にふさわしく豪雪の嵐がモチーフだ。
「すごい。器用なんだね、アキラ君」ミズホが心底感心したように言った。
「大したことないよ。必要に駆られてやっただけさ」
俺は剣士らしく謙遜する。昔から色んな材料で様々な中二アイテムを自作していたから、工作はかなり得意なほうだと自分でも思っているが、やっぱ、人に評価されるのは嬉しい。
正直なところ、時間だけはあり余ってたからな……。
「おう。おまえら、待たせたな」
そんな声が背後から聞こえて振り向くと、疲れた表情のキジエさんが立っていた。
「後始末に今までかかっちまってよ。参ったぜ」
「……後始末って?」
俺の言葉に、キジエさんは口の端をいやらしく歪め、
「あぁ……証拠隠滅さ。奴らの死体、焼却炉に放り込んできたんだよ」
その笑みは陰惨な空気に彩られていて、俺はぞっとした。この顔は、本当にやる顔だ……。
硬直した俺の顔を見て、キジエさんは眉をひそめ、
「冗談だよ。そんなことするわけねーだろ。あいつら叩き帰して、周囲掃除してただけだよ。おまえ、あたしがそんな人間に見えたのかよ」
はい、見えました!――と、思わず言いかけたが、あわてて口をつぐんだ。
「それよりも……」キジエさんは俺たち全員を見渡し、
「さっきヒナに聞いたけど、おまえら、ナスカワのバンドとやりあうんだってな」そう言って、ヒナの方にあきれたような視線をやり、
「ヒナもな……何で今までそれ言わなかったんだよ。つれねぇ妹だな」
キジエさんが唇を尖らすのに、ヒナはしょんぼり俯いて、
「だって、心配かけると思ったから……もともとお姉ちゃんが設立した部だし」
「だからこそ、あたしに相談するってのが筋じゃねぇか、バカ」
そう言いながら、ヒナの頭を軽く小突いた。
「それで……どうするんだ?敵のことはどれくらいわかってるんだ?」
「そう、俺もそれを聞きたかった。対策を練るにも、相手のことがわからないとどうしようもないし」
キジエさんの言葉に俺も続く。ヒナは、思い出したように、「そういえば」とひとりごちて、カバンの中から一枚のチラシを取り出し、テーブルの上に置いた。チラシは黒と赤の二色で刷られ、いたるところにゴシックなフォントが使用されている上に、耽美的な罫枠で彩られて見にくいったらないが、何となくビジュアル系っぽい事は想像がついた。
「R.E.D. Raving Excutioner's Dolls?何だこれ?ライブ案内のチラシっぽいけど」
「これが、ナスカワ君たちのバンド。駅前にスタジオあったでしょ?あそこの前に置いてあったから、一枚だけ貰ってきたんだよね」
「もしかして、有名なバンドなのか?」
俺の言葉に、ヒナは軽く頷いて、意見を求めるような眼でミズホとカナエを見る。
「すごく有名なバンドよ。私達の年代で、この辺りでバンドやってる子は、多分、ほとんどみんな知ってるんじゃないかな……」
神妙な顔でそういったのはミズホ。カナエがそれに続く。
「性格は最悪だけど、音楽の才能は頭抜けている。あんなすごい奴、他に見たことない」
…………。沈黙が周囲を包む。俺は、深呼吸して、ヒナに目線をやった。
「なぁ、こいつらのライブって観に行けないのか?」
俺が言うのに、「え?」とヒナ。
「沈んでても仕方ないだろ。3人の様子見てて何となくすごいバンドなのはわかったけど、俺はまだそいつらがどんなバンドなのかも知らないし、それに、例えものすごい奴だったとしても、とにかく敵を知らなくちゃ対策は練れないだろ」
俺が言うのに、「そのとおりだ、アキラ」俺の背中を叩く手。キジエさんだった。
「えっと……明後日にライブがあるぞ。場所は……グリードっていやぁ、ここからそれほど遠くはねぇな」
「開演は5時からだって。明後日は土曜日だし、時間気にしなくても大丈夫だね」
キジエさんに続いてヒナが言うのに、俺は頷いて、
「じゃ、明後日。駅前集合ってことでみんな大丈夫か?」
「うん。駅前で」「わかった」ミズホとカナエの声。
「よし、そうと決まれば、さっそく練習だ。とにかくまずは4人の息を合わせるところからはじめないとな」
俺の言葉に、微笑むヒナ。すぐにキジエさんのほうに向きに直ると、
「えっと……お姉ちゃん、しばらくの間、部屋借りていい?」
ヒナの言葉に、キジエさんが、ニヤリと笑う。
「いいぜ。使えよ」
ポンと膝を叩いて、キジエさんが席を立つ。俺たちがいる商談室の奥のドアを開くと、また一つドアが出てくる。所謂、二重ドアってやつだ。
「見て驚け」そういうと、奥の部屋のノブを回した。
そこに広がった風景に、今度こそ俺は心底から感嘆の声を漏らす。4畳半ほどの狭い空間に、ドラムセットやベース、ギター、マイク、アンプや録音機材が所狭しと設置されていた。そこは小さいながらも、防音施工された立派なスタジオだった。呆気にとられる俺を一瞥し、キジエさんはどうだと言わんばかりに胸を張った。
「あたしの趣味の部屋さ。おまえらの学校にある機材ほどじゃねぇが、ここでも音は出せる」
「マジでバンドマンだったんですね」俺が感心するのに、
「今は決まったバンドでは何も活動していないけどな。しかし、おまえ、あたしを何だと思ってるんだよ、さっきから」
キジエさんが少しふてくされる。でも、さっきの見事な大立ち回りを見てしまった今では、猫被ってる暴力お姉さんですとしか応えようがない。口に出す度胸はないけど。
「あたしはもう店に戻るけど、お前らはここ好きに使っていいぞ。店が終わったらあたしは取引先に寄る用事があるから、店じまいは頼むぜ、ヒナ。今日はミサゴもいねぇしな」
「うん、わかった。ちゃんとやっとくよ」ヒナは笑顔でこたえる。
「……ミサゴって?」不思議に思って俺が聞くのに、
「あ……えっと、本当のお兄ちゃん。昨日はちょっと事情でいなかったけどね」
苦笑いのキジエさんの横で言葉を詰まらせるヒナ。お兄さんがいたのか……俺は意外に思いながらも、何となくこの話を避けたそうな二人の様子に、それ以上は追求しなかった。
「またな、ガキども。ナスカワのバンドなんかに負けるんじゃねぇぞ」
そう言って再び店舗の方へと戻っていくキジエさんの後姿を確認して、
「じゃ、そろそろやろっか」と立ち上がるヒナ。俺たちも続いてスタジオの中に入った。
狭いスタジオ内には、高級な機材こそ一つもなかったが、定評のある老舗ブランドの堅実な機材で固められていて、簡単な録音とミックスくらいならここでも十分出来そうだった。俺はアンプにシールドを接続し、ノブを回して音を調整する。カナエはシンバルやタムを鳴らしながら、ペグをまわして張り具合を調整し、ヒナはここでの演奏に慣れているのか、あっさりと調整を終わらせ、ミズホとマイクの音量を調節していた。
「そろそろいける?」マイクの調整が終わったヒナの声に、俺とカナエは右手を上げて合図する。
「おにいちゃん、あたし達が学校で演奏してた曲、弾けるかな?」
「ああ、あの曲なら大体弾ける」
「じゃ、いくよ、カウントは4で」カナエがスティックを打ち鳴らしてカウントする。
それに導かれながら、俺たちは初めてお互いの息を合わせていく。ある程度弾けるとは言え、バンド経験のない俺は、初めてバンド演奏の楽しさと難しさを体験した。崩れたときのリカバーの仕方とか、アレンジに追随することとか、初めて直面する問題に頭を抱えることもあったが、たまに起こるグルーヴの波にぴったりと息が合ったときは、この時間がこのまま続けばいいのにと思わせる中毒的な愉しさがあって、俺はバンド演奏にのめりこんでいった。途中で色んなアレンジを入れたり、誰かが知ってる曲を演奏するのについていったり、軽いダメ出しなどをしていると、
「あ、もうこんな時間なんだ」
突然かかったヒナの声に、壁の時計を見る。時刻は9時を少し回っていた。
ミズホが、「あっ」と声をあげた。
「私、今日は早く帰らないといけないんだった」
「どうしたの?今日なんか予定あった?」ヒナの声に、
「大した用事じゃないんだけど、駅でお父さんと待ち合わせしてるだけ。今から行けばまだ間に合うし、大丈夫」
そう言って、携帯電話を取り出し、メールを打ち出すミズホ。
「あたし達も、そろそろ終わる?結構いい時間だし」ヒナが傍らのタオルで汗を拭きながら、俺たちを見回す。
「そうだな。さすがに疲れたしな」俺は肩に食い込んだストラップを軽く浮かせて、首を回した。ゴリゴリと間接が鳴る嫌な音がした
「もう時間も遅いし、おにいちゃん、ミズホ駅まで送っていってあげてよ。カナエとあたしは反対側だから」
「ああ、いいよ。ミズホも構わないか?」
「あ……うん……」ミズホは困った顔で俯く。
え?もしかして、俺って軽く拒絶されてる?それとも、お父さんと言いつつも、実は彼氏と逢引とか?それはそれでショックなんだけど。
「そっか……まだ男の子と二人になるのが怖いんだよね」思い出したようなヒナの声。
そういえば、さっき教室で……
――男の子なんて怖いし、私みたいな臆病なのに、そんなこと何の得もないよ。ラブレター貰っても断る時、私がどれだけ怖いかわかる?いつも怯えながら断ってるんだよ。
「私、もともと人見知り激しいのに加えて、中学までずっと女子校だったから……同年代の男の子って、身体も大きいし、声も大きいし、何か荒っぽいし、汗たくさんかいてて不気味だし……」
遠慮がちではあるが、はっきりそう言われるとさすがにこたえる。もしかして、さりげなく拒絶されてるの、俺?沈みそうになって少し俯いたところで、ミズホが俺の方を向き直り、大きく首を振る。
「ちがうよ、アキラ君は別だよ!でも……わかってても、やっぱり怖いの」
悲しそうに俯くミズホ。
「ごめんなさい」
その言葉に愕然と来る。俺って、フラグすら立てられないわけ?
申し訳なさそうに、頭を下げるミズホに、「気にするなよ」と言ったものの、美少女に拒絶されて内心ベコベコに凹んだ状態で、崩れそうな膝に必死で力を込めた。申し訳なさそうに俺を見るミズホに、必死で微笑を浮かべた。多分、引きつった気持ち悪い顔になっているだろうな。
早々と荷物を片付け、最後まで頭を下げながらミズホは店を後にする。
「おにいちゃん、気にしちゃだめだよ。あの子、ラブレターの件やナスカワ君の件で神経質になっているところあるから」
俺を励ますように、微笑むヒナ。
「わかってるよ」そう言って、俺は沈んだ気持ちをごまかすように、帰り支度をした。
3.
「じゃあな。また明日」
沈んだ気分のまま手を上げて、ヒナとカナエに別れの挨拶をしたのは、ミズホが店を出てから5分ほど経った後だった。
人気のない一本道を歩いているとよくわかるが、国道から少し離れたこの一本道に設置されている街灯は、うすぼんやりとなんだか頼りなく、確かに老人相手の恐喝団がはびこるにはうってつけの場所だと思った。先に出たミズホが急に心配になる。拒絶されても送るべきだったと少し後悔した。
頭上で月が丸く輝いていた。そういや、明日は満月だ。ナイト・オブ・ホワイトナイトである俺は、満月の夜には月に向かって口上を述べる。暦のチェックは欠かさない。
「やだっ!」
突然、女の子の悲鳴が脇の倉庫から聞こえた。
まさか……。嫌な予感に駆られ、俺は倉庫裏へと走る。
倉庫の角で身を隠しながら、裏を覗きこんだ瞬間、嫌な予感通りの光景が俺の視界に飛び込んできた。
ミズホが、チンピラの風体をした男たちにからまれていた。数は4人。年は俺と同年代っぽいが、全員、ガラの悪そうな感じだった。
「この女、さっきあの店からでてきやがったぞ」
「と言うことは、あの金髪暴力ババァの知り合いだろ?拉致ってヤっちまおうぜ」
男たちの口からこぼれた言葉に、俺はさっきのキジエさんの大立ち回りを思い出す。もしかして、あいつらの仲間か?
今すぐ助けないと……そうはわかってても、足が動かない。俺は確かに剣士だが、そのつもりだが……
実戦経験は一度もないんだ。
心臓が早鐘を打つ。必死で深呼吸して落ち着こうとするも、脈拍が落ち着く気配はまったくない。大声を出すべきか?だが、周囲に民家らしいものはないし、大声を出して、興奮したチンピラがミズホに何をするかわからない以上、下手に動かない方がいいのか?躊躇する俺の目の前で、チンピラがミズホの腕を掴んで倉庫奥に引っ張り込もうとした。
「ちょっと、おまえ来い!」
「やだ!お父さん!おとうさん!」
「コイツ、かわいいな。ヤっちまってから風呂屋に沈めてもいい金になるんじゃねぇの?」
「いや!離して!」
腕をつかまれたまま、涙声で叫ぶミズホ。その悲痛な声を聞いた瞬間、俺の中にある何かが、背中を押した。
「おい、やめろ、クズども!」
俺は、反射的に飛び出していた。
「何だ、テメェ!」返ってきたのはお約束極まりない脅し文句。
「アキラ君……」ミズホが涙を一杯溜めた目で俺を見つめていた。
「コイツ、ギターなんか持って何考えてんだ?」
直後、揶揄するような下卑た笑い声が俺を包む。そう、今の俺の腰元には、愛剣ストームブリンガーが携えてある。俺は深く息を吸い込んで口上を述べた。
「俺の名は、ナイト・オブ・ホワイトナイト。月に導かれし最強の剣士!!貴様ら野党どもの好きにはさせん」
呆気にとられて黙るチンピラ、そして、ミズホ。どことなく痛い視線が突き刺さる。だが、スイッチの入った今の俺に、小さな世間体など何の抑止力もない。
「あの月を見ろ。月の女神は貴様らクズどもの愚行を見逃す気はないと言っている。勿論、俺もそうだ。さぁ、今すぐその子から離れろ!」
俺は気力を総動員して、チンピラ達を交互ににらみつける。
「離れなきゃ、どうなるんだよ?」気を取り直したチンピラの一人がいやらしく唇をゆがめて俺に近づいてきた。
「ストームブリンガーの……錆になる」
俺は腰を落とし、ストラップに掲げたストームブリンガーを鞘に納まった刀のように構えた。
その瞬間、俺の目の前に散る火花。鼻がツーンとし、涙がこぼれ、途端に鼻から赤いものが溢れてくる。それは俺の顎を伝い、ボタボタと地面に落ちた。
「ぐ……あ」耳まで突き抜けた衝撃に鼓膜まで痛くなった。
「目ェさめたか、イカレ野郎」
ぼやける視界に拳を握った男の愉しそうな顔が映っていた。
「アキラ君!」ミズホの叫び声。その声に、崩れそうな膝に力が流れ込んだ。
「この野郎!」
渾身の力を振り絞って、俺は拳を突き上げた。吃驚するくらい綺麗に俺の拳は男の喉下に吸い込まれる。カウンターでパンチが決まり、男はその場で仰向けに倒れた。
まさか決まるとは思ってなかった俺は「あれ?」と、思わず発してしまう。だが、その直後、腰に飛んでくる蹴り足。俺はたまらずにそのまま腰から崩れた。
「何しとるんじゃ、コラ!」もう一人の男が倒れた俺にさらに蹴りを入れてくる。
「おい、このボケのギターへし折ったれ!」男の手が俺のギターを掴もうとした。
「や、やめろっ!」
俺は必死でギターをかばう。その直後、俺の背中に男のつま先が食い込んだ。肺の中の空気が全部抜ける。
「もうやめて!アキラ君を放して!」ミズホが男の腕を掴んだ瞬間、熊みたいなあごひげを生やしたメガネのデブが、ミズホの頬を平手で打った。
「キャッ!」
その光景に、俺の全身に力が漲る。
俺は抱えていたギターのネックを掴み、立ち上がり際、力任せに男の背中を殴りつけた。
「いってぇ……何するんじゃ、コラ!」男は憎悪に満ちた目で俺をにらみつける。俺は深呼吸して、ギターを構えたまま、チンピラに向き直った。
「おまえら……このナイト・オブ・ホワイトナイトの前で、ズズッ……女性に手を上げることは許さんぞ」
そう、俺はナイト・オブ・ホワイトナイト!こんな奴らには負けない――必死で自己暗示をかけ、鼻血をすすって、俺は背後のミズホに囁く。
「俺が、時間を稼ぐから、ミズホは逃げろ……」
「調子にのるなよ、このガキ!」
俺が背中を殴りつけたヒゲデブが俺のギターめがけて前蹴りを放った。その瞬間、俺は思わず左手でギターをかばっていた。
ボキッ!
何かが折れた音がした。
俺は違和感を感じて左手を目前にかざす。人差し指が変な方向に曲がっていた。
「いっ……」
「アキラ君!」
「……バカ、ミズホ!早く逃げろって!」痛みをこらえ、俺をかばおうとするミズホを後ろ手で退けた瞬間、ヒゲデブのパンチは俺のこめかみを捉えていた。
目の前が真っ白になった。
「もう、引っ込みつかんぞ、ガキ。ボコボコにしたる」
「だれか!誰か助けて!アキラ君が……」
悲痛なミズホの叫びに、俺は薄れ行く意識の手綱をもがくように掴んで、膝に力を込めた。
何とかミズホだけでも逃がそうと、右手のギターを地面について、息を吐く俺。自分でもわかるぐらい呼吸が荒い。絶体絶命だ、くそっ……。
その時、背後から誰かの声が聞こえた。
「月の光に導かれてみれば……ナイト・オブ・ホワイトナイトだったか?見事な口上だった。同じアルテミスを背負うものの義理として、助太刀する」
思わず振り向くと、かすむ視界に映ったのは、月の光を背負った大きな影。そして、頭部から生えるのは……三本の角?まさか……バイキングか?
「何だ、テメェは!」
そう言ったヒゲデブの身体が、「ゲボッ!」と空気の漏れる音を発して、くの字を描きながら夜空に吹っ飛ぶ光景を目にした直後、俺の意識は闇にのまれた。
4.
顔が重い。焼けた金属の塊を顔中に乗っけているようだ。左手にも痺れたような感覚がある。
苦しくて、俺は重いまぶたに力を入れ、目を開けた。
目に入ったのは眩しい光と白い天井。そして、悲しげな目で俺を覗き込む少女。
「おにいちゃん……」呟いて瞼を落とすヒナの顔は憔悴しきっていた。
「ここ……どこだ?」俺は目線だけで周囲を見渡す。鼻と口がズキズキ痛んだ。
「救急病院だよ。怪我したおにいちゃんたちを運んできたの」
何度も瞬きをすると、白んでいた視界が、次第に鮮明になっていく。そこにいたのは、ヒナと……なんだこの人?
びっしりと鋭い鋲を打ち込んだ真っ黒のライダースジャケットの上から何故か鎖帷子を着込み、、腐ったようなレザーパンツに擦り切れたエンジニアブーツを履いて、頭部に3本のトサカを生やした大男がそこにいた。確か、意識が飛ぶ前に見た……
「もしかして、さっきの……」
「大丈夫か?アルテミスの騎士よ」こけた頬を少しだけ笑みの形にゆがめる巨人。
その声にヒナが首をかしげて複雑な表情を浮かべた。マズイ……中二病がばれる――って、俺、さっき思い切りミズホの前でナイトオブホワイトナイトだのストームブリンガーだの叫んでたよな……思い出した途端、猛烈な頭痛と悔恨に襲われる。
先ほど意気揚々と吐いた恥ずかしい妄言の数々をそれ以上思い出したくない俺は、話題を避けるために「ミズホは?」とヒナに向き直った。
「さっきミズホのお父さんに連れられて帰ってったよ。最初、おにいちゃんが目覚めるまで残るって聞かなかったんだけど、おじさんとミサゴ兄ぃとあたしの3人で説得して、とりあえず帰らせた。カナエもさっきまでいたんだけど、夜も遅いし、お姉ちゃんに送ってってもらってる。だから、安心していいよ」
「ミサゴ兄ぃって……もしかして、この人が?」俺は巨人を見上げる。
「そう。うちの長男の実沙吾郎兄さん。昨日は家にいなかったから、おにいちゃん、会うの初めてだよね」
「挨拶が遅れたな。実沙吾郎だ。ミサゴと呼んでくれ。よろしく」
ミサゴさんは無表情で軽く頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」目の前の巨人の迫力に若干圧倒されながら、俺は横になったまま軽く会釈した。
「さっきからアルテミスだのうんたら言ってるけど気にしないで。こういう人なの」
ヒナが俺の耳に顔を寄せて小声で言った。ありがたい勘違いだった。アルテミス云々は、俺も思い切り口走っていたことなんだけどな。
俺は、さっきの立ち回りのことを思い出す。そういや、ミズホも殴られて……。
「ミズホの怪我の具合はどうなんだ?」慌てて俺が聞くのに、
「ちょっと頬が腫れたくらいで、他は大丈夫」
「そうか……」安堵のため息が漏れた。その瞬間、左手がズキリと痛んだ。思わず「いてっ」と呻く俺に、
「おにいちゃんのほうは結構な大怪我だったんだから!打撲と挫傷と……」そこまで言って、言葉を詰まらせるヒナ。
「……左手、折れてたか、やっぱ」
「うん……」悲しそうにヒナが俯いた。
俺は、先刻のヒナたちの顔を思い出す。俺がコンテストの参加意思を表明した時、とても嬉しそうに笑うヒナたち。あんな笑顔を結果的に裏切ってしまった事に対して、申し訳なさが心の底からこみ上げてくる。
「ごめん、ヒナ。コンテスト、参加出来なくなって……」
思わず顔を背ける俺に、「バカ!」と叱責の声。
「何言ってるの!?そんなことどうでもいいよ!それに、おにいちゃんもミズホも怪我はしたけど、とにかく無事だったんだから、もう、あたしはそれで……」
「でも、コンテストで負けたら、ヒナたちは……」
「多分、あたし達全員退部かな……いずれにせよ、ナスカワ君たちとは楽しく活動することなんて無理だし。でも、バンドなんてどこでだって出来るし、そんなこと、どうでもいいんだ……だから、気にしないで」
俯くヒナ。どうでもいい?そんな訳がないだろ。どうでもいいなら、何でそんな辛そうな顔するんだよ?
俺たちの様子をじっと見ていたミサゴさんが、「何の話なんだ?」と聞いてきた。
「今度のコンテストでうちの軽音部が負けたら、ヒナたち、退部させられるんです。それで、俺がこの怪我じゃ……」言いながら、悔しさがこみ上げてくる。
「おにいちゃん、もうその話はいいって!それよりも――」半ば強引に話題を終わらせるヒナ。
「叔母さんと連絡が取れないんだけど、どうしたらいいの?とりあえず、今はお姉ちゃんが保護者代理になってるんだけど」
「オフクロ、親父と一緒にすごい山奥にいるらしくてさ、電話も通じないようなところなのかもしれない――」
そこまで言って、忙しいオフクロと親父の顔が脳裏をよぎった。
「――あと、今回のことは、まだオフクロに言わないでくれ。心配かけたくないんだ。幸いにして、折ったのは左手だけだし、大怪我っても、実際のところ大した事ないんだろ?」
「うん。明日には退院できるって、お医者さんが言ってた」
「それなら、そうして欲しい。キジエさんにもそう伝えてくれ」
俺が言うのに、ヒナはどこか納得できない顔をしながらも、うん。とこたえた。
「とりあえず、明日はあたしかお姉ちゃんが迎えに来るけど、無理はしないでね」
そういうと、ミサゴさんに向き直り、「ミサゴ兄ぃ、そろそろ帰ろう」
「俺は少し彼に用があるから、先に帰れ」とミサゴさん。
「でも、こんなことがあったばかりなのに、一人で帰らせるなんて」と俺が抗議するのに、ヒナは首を振り、
「大丈夫。店からすぐ近くの病院だし、人通りの多い道だから。どっちにしても、店でお姉ちゃん帰ってくるの待って、一緒に帰るから心配しないで」
そう言い残し、病室を出て行くヒナ。
ヒナが去った後もミサゴさんは無言だった。俺は真横に座る巨人を見上げる。こんなときにヒナを一人で帰らせたことに対して少し頭にも来たが、とにかく、さっきのお礼はしておこうと思った。
「さっきは助けてくださって、ありがとうございます」
「いや、構わん。同じアルテミスの加護を受けるもの同士だ。気にしなくていい」
さっきからこの調子だけど……もしかして、この人も中二病なのか?疑問が口に出かけたが、俺は黙った。ミサゴさんからは、中二病患者独特のオタオタしい空気が感じられなかったからだ。もしかして、本気で頭ヤバイ人なのか?
「さっき……コンテストの話をしていたが、君が出ないとマズいのか?」
相変わらずの無表情でボソリと言うミサゴさん。
「俺が出ても優勝できるかどうかわかりませんが、ギターのいない今のままだと、無条件で負けます」
苦いものがこみ上げてくるのを押さえながら、そう言った。
「……代わりのギタリストはすぐ見つかりそうなのか?」
「わかりません。今から急募かけても期日までに見つかるかは……それに、見つかったところで、それ相応の腕を持ってる奴じゃないと。時間もないですし――」
「――自慢じゃないですが、今は俺しかいないんです、多分」
大抵の曲は弾けるという自信もあったし、使命感もあった。それ以上に、ヒナたちのあの笑顔を曇らせたくはなかった。だからこそ、悔しい。今でも何とかしたいと心の底から思う。いずれにせよ、勝つにしろ負けるにしろ、まだ土俵にも立っていないんだ。諦められるか。
「そうか……」
しばらくの間を置いて、
「27(トゥエンティセブン)クラブというのを知っているか?」
ボソリとミサゴさんが言うのに、俺は小さく頷く。
「知ってますけど……」
27クラブ……名だたるミュージシャン達が27歳で大勢死んでいるのに引っ掛けて言われているブラックジョークだ。ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ブライアン・ジョーンズ、カート・コバーン、そして、俺のあこがれているロバート・ジョンソン含め、大勢の、今は亡き音楽界のスーパースター達が所属しているといわれる、誰も見たことのない【死者のクラブ】。しかし、何故今その話を……。
「俺は、27クラブと交流がある」
……………………この人、やっぱり、頭の病気なのか?
唖然とする俺を無視して、ミサゴさんは続ける。
「俺は、多少だが、降霊術に心得がある。27クラブとはそれで知り合った。彼らが言うには、今、工業団地の辻は、オリシャ・レグバの星が巡ってきているらしい――」
狂人の戯言だと聞き流すのはたやすいことだった。事実、俺は聞くフリをしてまともに聞いていなかったのだ。その名前が出るまでは。
「オリシャ……レグバ」
俺の呟きに、ミサゴさんの瞳が軽く光った。
「知っているのか?」
「ロバート・ジョンソンのクロスロード伝説で語られている悪魔だか神だかの名前ですよね」
「そうだ。この世とあの世の門を開け、楽器の精霊を呼び出すと言われている。そして、その精霊を身に宿したものは、天才的な楽器の技術を手に入れることができるという――」
そこまで言ってから、ミサゴさんは俺の左手を眺め、
「オリシャ・レグバなら、壊れた君の左手にでも神の如き技術を授けることができるだろう。それだけでなく、コンテストで優勝することも可能だ」
「でも、その後は、地獄の犬に追い回され、契約どおり、魂を持っていかれるんですね」
俺はクロスロード伝説の概要を思い出しながら、そう呟いた。
「そうだ。しかし、男が大事な目的のために命をかけることは、別にばかげた事ではない。己自身が、心の底から叶えたいと思うことがあるならば、それは、命を賭ける理由に足りる。他人からどう見えようがな」
……………………。
「……冗談だ。気にするな、アルテミスの騎士」沈黙を打ち破るミサゴさんの声。
「わかってますよ。俺の気を紛らわせるために言ってくれたんですよね」
そう、少し頭がイカレた人の、悪い冗談だ……。
「俺もそろそろ帰る」
ミサゴさんはそういうと、席を立ち、ドアの前まで来てから、俺のほうを振り向かずこういった。
「また、会おう」
その言葉に妙な含みを感じたのは、俺の気のせいだろうか。さっきの言葉を冗談と割り切れていない俺の単なる勘違いなのかもしれない。
ドアが閉じられ、電気を消した後もしばらく俺は眠る事が出来なかった。東の空から太陽が顔を出した頃、俺はようやく重くなったまぶたを閉じた。