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クロスロード・ブルース

1.


 高校1年も終盤に差し掛かった1月。突然決まった転勤にぼやく親父を尻目に、これで人生8回目になる転校でこういう事態になれている俺は、成績こそギリギリではあったがさっさと転校先を決めた。お袋もさっさと転居準備に取り掛かり、3日前にはどうにか新しい場所での生活をスタートさせることができていた。

 今住んでいるマンションの近くには、母方の伯母さんの子供が住んでいるとオフクロに聞かされていたが、伯母さん本人は俺が小さいころに亡くなっているし、前述の通り、うちは引越しを繰り返しているため、親族と会う機会がほとんどなく、一度も面識がない。そんな面識のない親戚のことより、今の俺には、俺の誕生日祝いを完全に忘れている両親への小さな不満のほうが、胸を満たす割合は大きかった。

 二人とも忙しいのは言わずともわかっているので、不満を口には出さない程度の分別はあったけど。

 4月9日。

 誰とも話さず半寝の状態でさっさと帰った始業式の翌日、淡々としゃべる女性担任教師の指示のもと、短い自己紹介を済ませて、初めてのホームルームはあっさりと終わった。2年生の新学期なんて初顔合わせの奴も何人かはいるわけで、そういう奴らの何人かはどことなく取り残されたような表情を浮かべながらきょろきょろしている。自慢じゃないが、彼らとはこの手の経験値が違う俺は特に気にもせず、あくび混じりに引いたクジの指定先、窓際の後ろから2番目というナイスな席に座った。

 一時限目が終わった後、後ろの席から「ねぇねぇ」と話しかける声。どうやら呼ばれているのは俺らしい。

久しぶりに聞く女子の声に若干期待を抱いて後ろを振り返ると、小柄な身体に牛乳瓶の底みたいなメガネにショートボブの女の子が、何故かニコニコしながらメガネからこぼれんばかりに大きな瞳で俺の顔を見ている。なれない女子の笑顔に、若干キョドりながらも、「何?」と返事すると、その子の顔に屈託のない笑みが浮かんだ。

 前の学校が男子校だったため、女子の笑顔に免疫がない俺は思わずドキッとした。

「結城……(あきら)くんだっけ?」笑顔でその子が言うのに、照れながらも、「そう」とこたえると、

「あたしは、(おおとり)陽奈(ひな)。これから一年間、よろしくね」と、白い歯を見せた。……鵬?おおとり……どこかで聞いたことあるなぁ。誰だっけ?その思考を遮るかのように鳴る始業ベルの音。俺は慌てて、

「こちらこそ、よろしく。鵬さん」

 軽く頭を下げた。

 彼女は、「ヒナでいいよ」と再びニッコリ。その笑顔は、可愛いのは当然だったが、どこか懐かしさもあって、俺も思わずつられて微笑んでしまう。。一人っ子の俺にはわからないが、妹って、たぶんこんな感じなんだろうか、こんな妹がいたら俺の孤独な性格も若干変わっていたんだろうか、と、ぼんやり考えていた俺を、ガラリと扉を開いて入ってきた現国教師の厳しい顔が現実に引き戻した。


2.


 放課後のチャイムがなった瞬間、俺は校内の散策に出かけた。前の学校より授業のレベルが高くて、暗号文の解読から開放された某国スパイのような気分になっていたのが原因だった。要するに、気分転換したかったわけだ。

 一年間通った前の高校が割と新設校で、それなりに新しい設備に恵まれていたせいか、古い公立高校というのは不思議な感じだった。廊下はフローリングじゃなくて、古びて黒ずんだ木製だし、窓ガラスはなんとなく煤けているし、階段の手すりはなんだか黒光りしているし、昔のスクールドラマの世界に入ったような違和感を感じるが、スカート丈とベルトの位置を見る限り、それはただの錯覚らしい。

 林を丸ごと更地にしたらしいだだっ広い敷地は、散策目的にぶらつくのには都合がよかった。文科系の俺には特にありがたくもないやたら広いグラウンドを横目で見ながら、駐輪スペースを抜けて、本校舎よりもさらに古びた旧校舎のほうへと足を向けた。かなり迂回しながら歩いてきたので、胃袋が警告音を鳴らし始めそうになっていたときだった。どこからか聞こえてくる楽器の演奏音。吹奏楽じゃない。バンドの音だ。

 耳を済ませると、やたら複雑に展開するベース音。ドラムはしっかりベースと調和し、腹に響くビートを生み出している。その上に乗っかるボーカルは、若干調子のずれた……音痴というわけじゃないが、なんか、妙に不安感に駆られる声だった。リズムにはバッチリのれているだけに、惜しいと思った。ギターはコードを鳴らしてるだけだが、リズム隊が秀逸で、それなりにかっちりした演奏だ。

 いずれにしろ、こんな早い時期から部活って……。俺は何となく引きずられるように、音源の方、旧校舎の中央に位置する一階の窓の隙間からそっと中を覗き込む。

 目に飛び込んできたのは、廊下を隔てた窓から飛び出さんばかりに跳ねる小柄な少女。抱えているのはベースだ。飛び跳ねるたびに、まくれ上がるスカートの下から白い小さな布がチラチラ覗き、目のやり場に困る。その向こうではギターを抱えた長い髪の少女と、髪を振り乱してスティックを暴れさせているドラム。ただ、煤けた窓ガラスのせいで中がよく見えず、俺は思わず身を乗り出そうとして、窓枠にぶつかった。

 その直後、演奏が止まった。何となく気まずくなりどうすればいいのか迷っている俺の目の前で、煤けた窓ガラスがガラリと音を立てて開いた。

「あれ、結城くん?」

 部室の窓から俺を見ていたのは、ショートボブの前髪だけをゴムでくくった少女。零れ落ちそうな大きな瞳が輝いていた。

「あたしだよ。ヒナだよ。さっき挨拶したじゃん」

「あ……鵬さんか?メガネ外しているからわからなかった」

 ずっとメガネ外してればいいのに……と思いはしたが口には出さずにいると、

「だから、ヒナって呼んでっていったでしょ。あたし、苗字で呼ばれるのあまり好きじゃないんだ。こんな身体小さいのに、おおきいとりだなんて、なんか詐欺みたいだし」

 自分の身体を見回しながら、そう言って苦笑する。

「大きい鳥の雛だから、これから成長するんじゃないの?詐欺とは思わないよ」

 俺の言葉に彼女は大きく目を見開き、

「そっかあ。うまいこというね、結城君は」

「何だか、前向きな感じでカッコいいじゃん。ヒナさん」

「でも、もう二次成長止まりかけてるよ。やっぱ、あたしはずっと雛だね――」そこまで言ってから思い出したように、

「――あ、あとね、【さん】は要らないよっ」

 可愛く微笑んで、額の汗をタオルで拭う。汗で濡れた髪の毛が光に反射して輝き、キラキラ眩しかった。

 体育会系女子の爽やかな汗だ……ラノベとマンガでしか知らない同世代の女子に対する妄想と好奇心が胸中で膨張する。あ、でも、軽音楽部は、体育会系じゃなくて文科系に該当するのか。

「そういえばさ……」俺は一人ボケツッコミの後、ある覚悟と共に、ヒナの耳元で大事な事をささやく。

「あの……下着見えてたから、マジで気をつけたほうがいいよ」

 てっきり気分を害するかと思ったら、彼女はうれしそうに微笑んで、

「わざわざ教えてくれたの?さっきの言葉もそうだけど、結城くんって正直っていうか、優しいよね。普通、男子ってそういうこと言わないよ」

「言うのも恥ずかしいけど、言わないのはやっぱ卑怯だと思ってさ……」

 騎士である俺は、卑怯なことを好まない。でも、口に出したらやっぱ気まずくなって思わず目をそむける俺に、ヒナは「でもね……」と気にした様子もなく笑みを浮かべ、

「テニス用のアンダースコートだから、見えたって別に平気だってば」

 そういうと、スカートをまくりあげた。アンダースコートとはいえ、眩しいほどに真っ白に輝くフリルとすべすべでやわらかそうな太腿があらわになる。

「ちょ、ちょっと待て!」思わず俺が動揺するのに、パァンと後ろからヒナの頭をはたく音。

「キャインッ!」

「だめだよ、ヒナちゃん!」

 叱責する声の持ち主はヒナのスカートをすばやく下ろし、軽くはたくと、

「見えるって言ってもわざと見せるものじゃないよ」

 叱責しながらもどこか優しく諭すような声に、ヒナは、しょんぼり「ごめんなさい」と呟いた。

 その声の主を見た瞬間、俺の延髄から末梢神経を焼き尽くさんばかりの強烈な電流が走りぬけた。

 少し茶味がかったロングヘアに白いカチューシャ。卵形の輪郭のほぼ中央にやわらかみを帯びて通る鼻梁。桃のように有機的なラインを描く小ぶりな唇。長いまつげに彩られるのは可愛さと美しさが同居した大きな瞳。美少女の王道ともいえるアイコンをすべて装備した上で、単調さも飽和もなく、完璧なバランスで調和した本物の美少女がそこにいた。あまりの衝撃に、俺は言葉を発せなかった。

「あ、彼女は更科(さらしな)瑞穂さん」

 気づいたかのように目配せするヒナ。その声に反応するように、「あ、はじめまして。えっと……」困ったような微笑を浮かべて、促すような視線をヒナに向ける。そういや、俺が何者かはヒナ以外誰も知らないよな。

「あぁ!ごめん。えっとね、この人は結城瑛くん。転校生。そして、多分だけど、あたしのいとこだよ」そう言って、ヒマワリみたいな笑顔を浮かべるヒナに、「え?」と、俺を含めた全員が目を丸くする。

「もしかして……君が俺のいとこっていう?」

「そう。結城くんのお母さんの姉の娘に当たるのかな。お母さん、あたしが生まれてすぐに死んじゃったから、あたし達きょうだいは親族と会う機会がほとんどなくて、あたしも身内がどんな人かぜんぜん知らなかったんだけど、従兄妹が同じ学校に転入してくるのはうちのお姉ちゃんから聞いていたから。で、キミが転入してきたって訳。タイミングよすぎて疑う余地もなかったよ」

 そういって笑うヒナに、

「そうかぁ……俺、小さいころから転校続きでまともに親族と会ったことないからオフクロの旧姓なんて覚えてなかったよ。それにしても、オフクロも困ったもんだ。せめて苗字さえ教えてくれてたらよかったのに」

「急な転勤だったんでしょ?叔母さん……って、一度しか会ったことないけど、忙しかったんじゃない?まぁ、転入してくればわかることだからくらいに考えてたのかも」

 ヒナがいとこだったことに驚いたあまり、周囲のことを一瞬忘れて、更科瑞穂と名乗った美少女の背後、ドラムセットからの視線に気付くのに遅れた。それに気付いたヒナが「カナエー!」と元気よく声をかける。

 その彼女は面倒くさそうにドラムセットから立ち上がり、のそりとこっちに近づいてきた。乱れた長い髪の隙間から覗く鋭い目線の位置で170センチ以上あることがわかる。よれよれになったバッファロープレイドのフランネルを羽織っているが、ヒナや更科さんと同じく制服のプリーツをはいているところから、女性であることはすぐにわかった。しかし……間近で見ると迫力あるなぁ。顔が小さくて手足が長くて、スーパーモデルみたいだ。

「このコは初田叶さん」と、そばまで来たドラムの娘に、「ほら、カナエも挨拶してよ」と促すヒナの言葉に、

「カナエ……よろしく」ボソリと一言。それを見たヒナが若干苦笑した。

「さっきから見てたみたいだけど、結城君、バンドに興味あるの?」と俺に向き直る。

「あ、えっと……ギター弾いてるから、少しは」

 それもあったけど、後半はヒナのスカートの下に目を奪われていた俺の心中など意にも介さずに、ヒナが大きな目を丸くして反応する。

「え!ホント?じゃ、少しは弾けるんだ?ねぇねぇ、ちょっと弾いてみてよ」

 ヒナは更科さんが抱えていたストラトキャスターを半ば分捕るように抱えた。

「でも、大したことないよ。がっかりさせても悪いし……」

 まぁ、大抵の曲は弾きこなす自信はあるんだが――剣士として、ここは謙遜するべきだろう。

「そんなことないって。いいから」

 ヒナはギターを俺に押しつけるように渡し、ピックを手渡した。

「じゃ……少しだけ」

 ヒナに気圧された俺はギターのネックを掴んで、

「あとさ、俺のこともアキラでいいから」

 気さくさを装ったつもりだったが、恥ずかしくなって、慌ててストラップを肩にかけなおす。

 とりあえず、全開放で弦を鳴らしてみる。当然ながらチューニングは狂っていなかった。俺はアンプのボリュームのノブを調整する。ゲインのボリュームを上げながら弦を弾く。

 チャラ~…ヂャラ~…ジャラ~……ギャラ~……ギャ~ン……

 すこしづつ調整しながら、中音に振ったディストーションサウンドに調整した。

 ブルースギターの基本にて究極ともいわれるAマイナーペンタトニックスケール上を泳ぐオタマジャクシの群れをできるだけたくさん速くハジいた後、間に古いブルースのリフをはさみながら、メジャースケールに移行し、へヴィメタル特有の【チャンク】と呼ばれるミュートカッティングをミドルテンポで刻んで、アーミングとナチュラルハーモニクスを組み合わせて悲鳴のような音を出す、【スクウィール】という技法で締めた。

 やったことは、いつもの練習の短縮版なのでそれほど緊張もしなかった。時間にして5分も弾いていないだろう。

 しばらくの沈黙の後、軽く手をたたく音が聞こえた。ヒナだ。そのあとに、更科さんが続く。ヒナが興奮して口を開いた。

「すごいすごい。アキラくん、ギターうまいんじゃん!正直、驚いちゃった。それに、色んなスタイルで弾けるんだね。特に中間の部分なんて、ちょっとしぶいね」

 俺は、ヒナがそこに反応したのに驚き、

「もしかして、クロスロード・ブルースを知ってるのか?」

「うん。確か、原曲は1930年代のブルースギタリスト、ロバート・ジョンソンの曲だよね。エリック・クラプトンがカヴァーした事で有名になったけど」

「そこまで知ってるんなら、この曲の背後にある伝説だって知ってるよな?」憧れるロバート・ジョンソンの話題に、俺は少し興奮していた。

「うん。四辻の悪魔の伝説だよね。偉大なるデルタ・ブルースの王、ロバート・ジョンソンは、四辻(クロスロード)で、自分の魂と引き換えに悪魔からそのテクニックとセンスを授かった……。歌詞とはあまり関係ないし、同時代のトミー・ジョンソンの逸話も混じった創作話ともいわれてるけど」

 思い返すようにそこまで言うと、ヒナはからかうように笑って、

「アキラ君、そういうの好きなの?」

「あ……まぁ……ギタリストとしては当然の知識かなって」

 さすがにこれだけの女子の前で、本当は、その伝説に孤独なアウトローの魅力を感じて憬れてるだけとカミングアウトする勇気はない。中二病は卑屈になることじゃないけど、他人に誇るようなことでもない。特に、男子より精神年齢の成長著しい同い年の女子からすれば、卑下の対象になりかねない。俺にだって、多少のプライドはあるし、少しは女子に良いように思われたい。

「そっかあ。まぁ、それより……」

 ヒナはそういって、背後の更科さんと初田さんを振り返り、なにやら目で合図している。ヒナのアイコンタクトに更科さんは大きく相槌を打ち、初田さんは納得したように軽く頷く。

 ヒナは、それを確認したように再び俺の方に視線を戻した。

「ねぇ、アキラ君、うちの軽音部にギターで入る気ない?」

 瞳をキラキラ輝かせて俺に迫るヒナ。

「え?ギターは更科さんじゃないのか?」

 俺の疑問に、ヒナが軽く首をふった。

「ううん。実は、この間ギタリストが抜けたから、今は致し方なくミズホにギター弾いてもらってるだけ。ちょうどギタリスト探してたところなんだ。でも、うちの学校、バンド人口少なくてさ、ギター弾ける人もほとんどいなくて困ってたの。そこにあたしの従兄妹であるアキラ君が転入してきて、おまけにギター弾けるって、これって、なんかの縁だと思うんだけど」

 確かに、ご都合主義のような展開だよな……。

「でも、俺、楽譜読めないし、ギターがちょっと弾けるだけだぜ。それに……」

 ――真の勇者は孤剣と共に、荒野をさすらうものだ――

 心中でそう呟くも、それは建前だ。本当のところは、どう返事すればいいのかわからなかっただけだ。俺は深く人とかかわらない。そうすれば、別れても寂しくないから。それが、繰り返した転校で学んだ処世術だ。だから、人に求められたときに返す言葉を持っていない。

 だが、目を潤ませるヒナと、伺うように上目遣いで俺を見る更科さんと、不利な戦局で核の使用許可を大統領に迫る防衛大臣のような眼で俺を見る初田さんの眼力に、何もいえなくなる。

「本当に、ダメ?」

 眼前にヒナの顔が迫る。オフクロの血筋って話だけど、言われてみれば目元あたりはどこか似ているような気がする。俺は何となく歳の近い妹にお願いされているような錯覚に捉われ、半分勢いで言ってしまった。

「わかった。入るよ」

 その言葉にヒナの顔がパァッと輝く。

「本当に?本当にいいの?やったぁ!」

 そう言って、背後の更科さんと初田さんを振り返った。更科さんは、ランが咲いたような笑顔で喜び、初田さんは長髪に隠れた瞳を喜びに輝かせたような気がした。

 ――剣に生きる者に二言はない。それに、剣士の道程にはパーティが必要だからな――ってのは自分に対する言い訳で、こんな娘達に喜ばれたら今更断りようもないよな、実際。

「それじゃ、改めてメンバー紹介ね。まずは、ミズホから」

 ヒナが手招きして俺の前に更科さんを突き出した。彼女は最初戸惑いながらも、深呼吸すると、おそるおそる口を開く。

「あの……わ、わたし、極度の上がり症で、唄うときはいつもあんな声になっちゃうんで、本当はバンドのボーカルなんて務まらないのわかってるんですけど、ヒナちゃんやカナエちゃんにサポートしてもらいながらも、何とかやってます。やっぱり、歌うことが好きなので、頑張りたいんです。本当はギター抱えて歌うより、歌一本でやりたかったから、アキラ君の加入はとっても嬉しいです。部のみんなにはミズホって呼ばれてますから、アキラ君もミズホって呼んで下さい。よろしくお願いします」

 頬を赤らめながら震える声でそういって、頭を下げた。その姿があまりにも可憐で、俺は見とれてしまい、

「こ、こちらこそよろしく」つられるように返事を噛んでいた。

 その様子を見ていたヒナは、「じゃ、今度はカナエ。カナエー!」と、背後の初田さんを呼び寄せる。

「えっと、見ての通りドラムやってる。呼び名は、さっきも言ったけど、カナエでいい。グランジがやりたくて入部してきた。ダイナソーJr.とか、ニルヴァーナとか、マッドハニーとか、サウンドガーデンとか……」

 海外バンドのビッグネームをぶっきらぼうに羅列して、黙るカナエさん。それを見ていたヒナが、彼女の代理といわんばかりに口を開いた。

「カナエはあたしの相方。見ての通り、ちょっと愛想悪いけど、カナエの叩くドラムはとてもへヴィでかっこいいんだよ。あたしはリズムキープが苦手だから、カナエのドラムに引っ張ってもらってるの」

「わかるよ。さっきしばらく演奏を聞いていたから。ヒナたちリズム隊の重いグルーヴはかなり迫力があった。内臓にキた」

 自然な感想を口にすると、長い髪に隠れていたカナエさんの瞳の色が少し変わった。そして、ヒナは嬉しそうに口元をほころばせた。

「最高の褒め言葉をありがとうね。あたしとカナエはへヴィなグルーヴこそが信条だから。それにしても、あんなわずかな間に良くわかったねぇ。アキラ君って、やっぱ、いいギタリストだよ」

 心底感心したようなその言葉に俺は居心地の悪さを感じた。褒められなれていないせいか、面と向かってこういうこと言われるのは、やっぱり反応に困る。

 その時、俺の携帯がメールの着信音を鳴らす。俺は胸のポケットから携帯を引き抜き、画面を確認する。母親からだった。

【おそくなりそう?】

 そういえば、朝に今日は早く帰って来るようにと言っていたのを思い出し、【もう帰る】と打ち、送信した。

「ヒナ、話の途中で悪いけど、俺、そろそろ帰るよ」

「どうしたの?」

「いや。オフクロからなんだけどさ。俺、4月2日が誕生日なんだけど、親が二人とも引越しのドタバタで忙しくてさ、新学期が始まったらお祝いしてくれるって言ってたから、おそらくそのことだと思うんだ」

 その言葉に、ヒナは目を丸くした。

「え?アキラ君って、2日が誕生日なの?ビックリした。あたし、4月1日が誕生日なんだよ。16になったばかり。アキラ君とは、ほぼ丸一年離れた同学年」

「そうなのか?」

 俺の言葉に、ヒナは、含んだように笑い、

「364日も離れてたら、もう1歳違いと何も変わらないよね。そうだ!この際だから、アキラ君のことはおにいちゃんって呼ぼっと。血縁だってあるんだし、いいよね」

 一人で納得してから、確認するように、「だめかな、おにいちゃん?」と、上目遣いで笑顔を見せた。ヒナの上目遣いって、素っぽいからタチが悪いんだよな……こんな顔見せられたら断れるわけがないだろ。

「あ、ああ」

「よかった!じゃ、改めておにいちゃん、誕生日おめでとう!」

「17歳、おめでとう!」続くようにミズホが笑顔で手を叩いてくれた。カナエも付き合うようにだが、手を叩いた。初めて同級生に誕生日を祝われて照れくさくなり、思わず目を逸らす。

「ちょっと遅れたけど、ヒナも16歳の誕生日おめでとう」

 俺も手を叩き返す。つられるように笑顔で手を叩くミズホ。カナエもヒナには優しい顔を向けて手を叩いた。ただ、その目に友情以外の何かを感じるのは俺の気のせいか?

「えへへ。何だか照れるな。この間も二人から祝ってもらったばかりなのに。二回も誕生日祝ってもらえるなんて、今日はいい日だね」

 ほぼ1歳違いの妹みたいな同級生は照れて頬を赤くした。


 同級生3人に祝ってもらったり、可愛い妹のような従姉妹と会えたこともあって、俺はやや興奮気味で帰路についた。

「ただいま」と入り口を開けて奥のダイニングに入ると、いつもは洗い晒しのジャージ姿のオフクロが、珍しく黒のスーツに身を包んでいた。俺の姿を確認するとすぐさま、

「あ、瑛。カバン部屋に置いて、用意しなさい。顔洗って、髪の毛ちゃんとして。靴はスニーカーじゃだめよ。革靴出してあるから、それに履き替えて」

「え?今日は外食?親父とはどこで合流するの?」

 冷蔵庫からお茶を取り出して、ガラスコップに注ぐ俺に、

「何言ってるの、あんた。今から姉さんの家に行くんじゃないの。陽奈ちゃんと学校で会わなかった?あの子のお母さんよ。姉さん身体があまり強くなかったから、陽奈ちゃんが生まれた直後に亡くなったし、義兄さんもヒナちゃんが生まれるちょっと前に事故で亡くなってるし、あの子たち、苦労してるのよ。せっかく近所に引っ越してきたんだから、これからはもっと力になってあげたいの。だから、その挨拶も兼ねて、仏壇とお墓に線香あげにいくのよ。さっさと用意して」

 呆れ顔のオフクロを見ながら、あれ?俺の誕生日を祝ってくれるんじゃないの?と俺が首を傾げるのに、

「あ……そういえば、そんなこと言ってたか。ごめん、お母さん、完全に忘れてた」

……これが母親の言うセリフかよ。俺はよほど残念そうな顔をしていたんだろう、それを見たオフクロはばつの悪そうな表情を浮かべると、咳払いし、

「帰ってきたらお祝いもしてあげるから、とにかく用意しなさいよ。今晩からお父さんの出張先に行かないといけないから、あまり長い事いてあげられないけど」

「え?親父、また出張?」

 オフクロはため息をつくと、

「そう。すごい山奥で、何にもないところの現場だって。バンガローみたいなところで寝泊りしてる上に、ご飯食べられるところもないみたいで……あの人も、忙しくてずっと不規則な生活してるでしょ?心配だから、食事くらいはちゃんとしてあげたいのよ」

 まあ、そういう理由なら仕方ないよな。親父もオフクロもずっと忙しかったのは知ってるし、そのことで二人を責めるつもりなんてない俺は、わかったと一言返し、洗面所へ向かった。


4.


 そして、翌日の朝。

「おにいちゃん、おはよう!」

 ひまわりみたいな声とともに、半寝の俺の背中を叩いてきたのは、ヒナだった。

「……おう、おはよう。今日も元気だな、ヒナは」

 寝惚けた顔の俺に、「元気ないね、おにいちゃんは。どうしたの?」

「ちょっとあれから色々あってさ。それにしても、昨日はびっくりしたな。あれからまたヒナに会うことになるなんてさ」

「えへへ。かわいー妹に何度も会えて嬉しかったでしょ?」おどけた笑顔のヒナ。

「まぁ、正直、ちょっと嬉しかったかな」俺が正直に答えると、照れたようにはにかみ、

「あたしも、すっごく嬉しかったよ!」

 ……仔犬のような可愛さのあまり、抱きしめるかどうか悩んでいる俺に、「ところで、何でそんなに疲れてるの?」と聞いてきたので、俺は、昨日のいきさつを軽く説明した。


 昨日、あれから俺はオフクロに連れられてオフクロの姉の家、つまりヒナの家に行ったわけだ。ヒナとその姉である(きじ)()さんに軽く挨拶した後、墓参りに行ったはいいが、途中、オフクロが道を間違え、竹やぶの中を散策した挙句、結局2時間以上迷いに迷って墓地に着いた。その帰りに、歩き疲れたオフクロが段差で足をひっかけて転び、捻挫した彼女をおんぶして国道まで出て、タクシーを拾って病院まで向かったのだった。

 そんな状況じゃ誕生日のことは、言い出せなかった。

 すべてを聞き終えたヒナが、「そうだったの!?それで、おばさん、大丈夫なの?」と眉をしかめる。

「大丈夫だ。捻挫っていっても軽くひねっただけだからな。医者に見せて、薬貰って終わりだったよ」

「何だか、ごめんね。やっぱあたしかお姉ちゃんが一緒についていくべきだったかなぁ」沈んだ様子のヒナに、

「気にするなって。お姉さんも仕事忙しいのに、わざわざオフクロ待ってくれてたんだろ。それに墓の場所はオフクロも知ってるんだから、あれはオフクロの責任だよ」

「でも……なんか悪いよ」

「優しいな、ヒナは。本当に大したことないからマジで気にするなよ。オフクロ、昨日の夜、親父の出張先の山奥の事務所まで行ったんだからさ。全然元気なんだよ。本当に重傷ならそんなこと出来ないだろ」

 俺は、そういって笑う。それでも沈んだ様子のヒナに、

「そんなことよりさ、今日も部活するのか?」

「あ、うん。いつもみたいに放課後にね。もしかして、さっそく来てくれるの?」

「ああ、俺のギター持ってきたよ。あのストラトもいいギターだけど、やっぱ得物は自分のものじゃないと、調子でないしな」

「わかった。とりあえず、今日はあたし達の演奏を通しで聞いてみてよ。入るって言ってくれたのは嬉しかったけど、おにいちゃん、よく考えたらあたし達のオトほとんど知らないじゃん」

 少し呆れたように口を尖らすヒナ。

「半分気圧されて入部したのはあるよ、確かに。でも、ヒナもカナエさんもうまいし、ミズホさんだって音程こそ外れてるけど、リズム感はすごくあるし、いいバンドだなって思ったのも事実なんだよな。それに、俺、バンドには今まで一度も参加した事なかったから、誘われて、マジで嬉しかったんだよ」

 何となく気恥ずかしくて目をそらしながらこたえた俺に、ヒナは、

「ホント?そういってくれるとあたしも嬉しいな」と、本当に嬉しそうに微笑んだ。


5.


 放課後、俺とヒナたちは部室にいた。改めて見回すと、古びた教室の中には大量の機材が山積みされている。三段積みのギターアンプ、雑誌で見かけたことのある高価なベースアンプ、かなりでかいシーケンサー、床に所狭しと置いてある多数のエフェクター類、高価なソナー製のドラムセットで輝くシンバルはすべて高級シンバルメーカーのパイステ製だ。すごいな……公立高校の軽音楽部が保有する機材じゃないぞ、これ。

「じゃ、とりあえず、通しで演奏するから聴いてみて」

 ヒナの合図の後、カナエの4カウントから始まったのはオリジナルではなく、有名な曲だった。重いメロディと過激派団体のシュプレヒコールのような甲高いラップスタイルのボーカルが特徴的な、超有名なアメリカのクロスオーバーロックバンドの曲。

 メロディを補強する形でベースはアレンジされていたが……驚いた。女性ヴォーカルのバンドで選ぶ曲目にしては、イカツすぎるってのもあったが、やっぱり一番の驚きはプレイヤーの技術と意識の高さだ。

 まずはカナエさん。昨日まではぶっきらぼうで静かな子だと思っていたのだが、いざドラムを叩くと、その大柄な身体が激しく躍動する。髪を振り乱し、スティックを暴れさせる姿は、何というか、古代メソポタミヤの女神イシュタルか、はたまたヒンドゥのパールヴァティかって迫力に満ちている。細かいテクニックはないが、リズム隊の柱としての落ち着きと迫力はすごいの一言に尽きた。

 ヒナは……昨日聞いていたからある程度の予想はついたが、とにかくうまい。バチバチ弦を叩いて打楽器的なリズムキープをしていたと思いきや、メロディラインでは、正確なフィンガーピッキングで繊細かつ複雑なメロディを奏でる。そして、女性ベーシストとは思えないほど、サウンドのボトムが太い。フィンガーピッキングであれだ。ヘヴィなゲージを思い切り強くピッキングしているんだろう。相当な握力がないとできないプレイだ。幼い顔して、すごいベーシストだと思う。高校生バンドのベーシストとしてはかなりの領域にいるんじゃないだろうか。

 そして、ミズホさん。ギターを抱えて唄う彼女の歌声こそアレだが、リズム感が秀逸で、ベースやドラムを引っ張るような箇所も何箇所か見受けられた。声量がそこまであるわけじゃないが、ラップスタイルなのにクリアな声だ。ヒナのベースのボトムの太さがそれを補っているので、サウンドの相性はとても良い。それに、音痴という訳ではなく、何だか、緊張のあまり音程を外しているような……彼女自身も言うように、性格的な問題が原因のようにも思える。修正は十分に可能だと思った。

 演奏を終えた後、しばらく沈黙があった。全員の視線が俺を向いている。沈黙を打ち破ったのは、ヒナではなく、意外にも、カナエさんだった。

「どう?」

 ただひとこと。だが、その言葉は、正直な感想を聞きたいという彼女自身の真摯さが表れたような、はっきりした一言だった。

 俺は深呼吸すると、思ったことをただ率直に言葉にした。

「昨日も聞いてたから、ある程度は予想していたけど、うまいとは思う。特に、リズムがすごくいい。全員のチームワークがしっかり出ているように思ったよ。難点を言うなら、ドラミングにもう少し幅があってもいいと思う。リズムがいいから余計に単調さが目立つな。ヒナのベースはテクニック的には俺なんかが口を挟む余地はないけど、サビの部分はもっとリズムを意識したプレイの方がいいと思う。カナエさんとは逆で跳ね過ぎだと感じた。後、メロディがやっぱり弱いな――」

 と、ここまで言って、俺はチラとミズホさんの顔を見る。その目もまた、俺に正直な感想を求めているように見えた。複雑な気分だったが、俺はミズホさんの顔をチラ見し、

「――勿論、彼女自身がギターになれていないせいもあるけれど、リズムが強固な分、メロディの弱さと乱雑さが目立つ。でも、歌唱力の問題じゃなくて、躊躇みたいなもので音が外れてるんじゃないのかな?声はちゃんと出てるしね。でもそこは、リードするメロディがあったら、修正は可能だと思う。俺にそれが出来るかはわからないけど」

 言い終わって、ストレートすぎたかって少し後悔もしたが、嘘やごまかしを言うことは、この3人の演奏に失礼だと思ったのだ。逆に言えば、それだけ、いい演奏だった。

 物言わぬカナエさんの視線に少し気圧され、「えらそうな事言って、ごめん、カナエさん。それに、ヒナもミズホさんも」俺は軽く頭を下げた。

「……カナエでいい。最初にそういったはず」その声に怒気は含まれていなかった。

「え?」

「さんはいらない。カナエでいい」

「……わかった、カナエ」

 俺がそう返すと、ミズホちゃんも真剣な表情で、

「私にも、さんはつけないで」

「わかった、ミズホ」

 俺の言葉に満足げに微笑むミズホ。それを見ていたヒナが、

「実は、ミズホがメロディラインを外すようになったのって、原因があるんだ……」

 そう言って、軽くため息をついた後、確認するようにミズホの瞳を覗き込む。

「あのこと、おにいちゃんに言ってもいい?」

 短い沈黙の後、「うん。かまわないよ」ミズホが寂しげな笑顔を浮かべながら頷いた。

「あのね、おにいちゃん。以前うちの部にギタリストがいたって話は、昨日したよね?」

「ああ、そう言ってたな」

 ヒナはもう一度ミズホのほうを見る。ミズホは先を促すように、軽く頷いた。

「ミズホの声が出なくなったのって、そのことが原因なんだ」

「それって……どういうことだよ?」

「前にいたギタリストって、今3年生なんだけど、ギターヴォーカルだったの。ギターも歌もすごくうまかったんだけど、故に我が強すぎるって言うか、ミズホのパートに被せてきたり、協調性がないプレイヤーでね。そのギタリストが他にも組んでるバンドがあるんだけど、そこのベースってのが、変な話なんだけど、この学校で2番目に人気のある女子なの」

 何となくその先は読めてしまったが、俺は先を促す。

「この学校にはミスコンでもあるのか?」

 ヒナはもう一度ミズホのほうを見た。ミズホは少し悲しそうな表情を浮かべたが、軽く頷く。

「うん。校内でほぼ非公式に開かれてるアンケート式のミスコンがあるの。で、話の流れ的にわかったと思うんだけど、一番人気はミズホなの。ただ、その2番目に人気のある女子には、私設ファンクラブみたいな取り巻き連中がいるんだけど、そいつらがちょっとキモいって言うか、誹謗中傷したり、ストーカーするオタクっているじゃん?ああいう感じの連中とか、不良みたいなのが多くて。そいつら、そのギタリストのバンドのファンとも少し絡んでてさ、ミズホ、そいつらに一度脅されたんだよね……」

「顔だけの女。歌が下手なんだから、バンドなんかやらずに引っ込んでろって」

 辛そうに次の句を継いだのはミズホだった。

「私、別にそんなことどうでもよかった。校内で1番人気とかそんなの知らなかったし、男の子にモテるからって何なの?男の子なんて怖いし、私みたいな臆病なのに、そんなこと何の得もないよ。ラブレター貰っても断る時、私がどれだけ怖いかわかる?いつも怯えながら断ってるんだよ。私は単純にバンドで歌を歌いたいだけなのに、そんなこと言われて悲しかった。辛かった。そう思ったら、怖くなって歌えなくなった。もともと私なんて上手なわけじゃないけど、歌ってるときにいろんなこと考えちゃうようになって、そしたら、余計に音外すようになったりして、もう……」

 そう言ったきり、泣きそうな顔で黙りこくるミズホ。ヒナが、大丈夫?と声をかけて彼女の背中をさする。ミズホは、悲しそうに俯いたまま、大丈夫と答えるも、ヒナはその先を言い出しづらそうに黙ってしまう。

「その後、そのギタリストが最低なひとことを言った」

 カナエだった。

「もともと歌うまくないし、別に唄わなかったらいいだろって。リードは俺が取るから気にするなよって」

「……何だそれ?」思わず発していた言葉だった。

 呆れる。なんてふざけた言葉だ。それでフォローのつもりなのか……。

「それでさ、頭にきて、あたし、そいつを退部させたんだ。部長の権限でね」ヒナがミズホを気遣うように見つめながら、静かにそう言った。

「だって、そんなのバンドとして機能してないじゃん。いくら歌もうまいからって、そいつのパートはもともとギターだよ?フォローするって言うならまだしも、俺がやるだって……じゃ、ミズホは何なの?お飾りにでもなれって事?もっとみんなで練習してうまくなろうとか、あいつにはそういう気持ちがまったくないんだ。だったら、あたし達と一緒にやる意味なんてないよね。だから、うちには要らないってはっきり言ったの」

 いつも笑顔のヒナが語気を荒げていた。その当時のヒナの心境が容易に想像できた。

「うちさ、見たらわかると思うけど、機材がかなりいいでしょ。歴代の部員が自費で買ったものをそのまま部に残してくれているから。もともと、あいつが入ってきたのもそれが理由だったわけ。でも、バンドとして楽しく活動できるなら、理由は何でもいいと思ってた。なのに……」

「その後は、大丈夫なのか?それから脅しみたいなのはなかったのか?」

 俺の言葉に全員が黙った。ヒナは2人と顔を見合わせ、諦めたような表情を浮かべた。

「……実は、あった」

「なんて言われたんだよ?」

「そのギタリスト……奈須川君って言うんだけど、そいつ、まだ、うちの部の機材に未練があるらしくて、勝負を申し込まれてるの。それと、年下のあたしにクビにされたことが相当頭に来たみたい。来月末にこの地区で楽器店主催の高校生バンドのコンテストが開催されるんだけど、それで優勝した側が軽音楽部の部長になるって。実績も何も残せない部長より、実績をきちんと出せる人間こそが、部長にふさわしいからって……あたし、それ言われて、断れなかった」

 重い沈黙が俺以外の3人を包んでいた。

「言うのが遅れてごめんなさい。何か、勝負のために引き入れたって思われるのがイヤだったから……」

 俯いたままのヒナ。ミズホとカナエも俺から少し目を逸らした。重苦しい空気が充満する。それで新学期早々から練習してたのか……。

「なぁ」そういった俺を、3人は無言で見つめる。全員が不安そうな顔をしていた。

「勝てる算段はあるのか?オリジナル曲はどれくらいあるんだ?そのコンテスト、応募の手続きは済ましてあるんだよな?」

「え?」全員が俺を見る。

「来月なんだろ?すぐにでも準備しないと間に合わないぞ。この部室が使える時間は何時までだ?」

「えと……7時くらいまでは大丈夫だけど」

「その後も練習できるスタジオが欲しいな。放課後からびっしり練習してもここで使える時間は知れてるだろ」

「あの……怒ってないの?」ヒナが不安そうな上目遣いで俺を見る。

「何で?入部早々目標が出来て俺としては気合入っていいんだけど。勝負って、燃えるしさ」

 ――そう。ナイト・オブ・ホワイトナイトは、常に不利な戦局の渦中に身を投じていく。

「あはっ」ヒナの笑い声。

「おにいちゃんって、けっこう単純だね。相手のバンドの事もわからないし、まだあたし達と音合わせすらしてないのに?」

「ほっとけ、人をバカみたいに言うな」

 ――単純なんじゃない。弱き民を救うのは剣士の役目なんだよ。わかんねーかな。わかんねーよな。言ってないからな。

「ごめんごめん。でも、本当にやってくれるの?」

「ゆ……男に二言はない」やべぇ、危うく勇者というところだった。まだ、その領域(レベル)には達してない。放浪者(ドリフター)剣客(ソードマスター)ってところだ。

「うれしい……ありがとう」ヒナが顔を赤らめて頭を下げた。ミズホも満面の笑みを浮かべて頭を下げる。同じく頭を下げるカナエも何だか嬉しそうに見えた。俺も嬉しかった。入部した甲斐があった。

「……とりあえず、練習も勿論大事だけど、今後の方針というか、具体的な計画みたいなのが欲しいな。具体的な方針がなかったら、練習したって無駄だしさ。俺、このバンドのオリジナル曲もカラーもまだイマイチわかってないし」

「だったら……」ヒナが何かを思いついたように笑顔を浮かべた。

「今から、あたしんち来ない?」

「ヒナんちって……昨日行ったあの家か?」

「ううん、違う。店の方。あそこなら、音も出せるし、お姉ちゃんもいるから」

 そういえば、自転車屋を経営しているという話だった。たまにヒナも手伝っているらしい。でも、音を出せるってどういうことだ?そもそも、自転車屋に防音設備なんてあるのか?疑問は色々と沸いたが、俺はとりあえず、一番最初の疑問を口にした。

「ヒナの姉ちゃんって、昨日のあの人だよな?」

 俺は昨日会ったヒナの姉、雉江さんのことを思い出す。スラリと背が高くて、ヒナと同じく童顔で、さらさらの黒いロングヘアをポニーテールにくくった、清楚な感じのお姉さんだった。

「もしかして、あの人もバンドやってるのか?何か雰囲気違うなぁ」

 俺がそう言うと、ミズホがクスッと笑う。カナエは苦笑いを浮かべていた。

「来ればわかるよ」

 そう言って、ヒナは含んだような笑顔を浮かべた。

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