白翼ファイトクラブと天才魔女
ちょっと早めに投稿
家族を見返してやりたかった。
俺ことマーカス=ドナヒューが騎士団に入ったのは、確か、それだけの理由だったと思う。男爵家の三男坊に過ぎない俺の生活は庶民となんら変わりない。ただ、膝を屈することだけがどうしてもできなくて、血筋や生業などよりもそれこそが貴族の証しだと俺は思う。
俺は、俺でありたかった。
4歳の頃、兄からおもちゃを取られたことが悔しくてケンカした。4歳の体で、7歳の兄に勝てる道理がなかった。泣いて悔しがった俺に対して、父と母は「兄を立てろ」と言った。姉だけは庇ってくれたが、姉も既に嫁ぎ先に出される身に過ぎず、家での発言権などなかった。
……ああ、そうだ、姉を守りたかったのだ。6歳の頃、兄からいじめられた姉を庇おうとしてこっぴどく殴られた。兄も憎かった、兄に勝てない自分も憎かった。膝を屈してはならなかったのに。
姉を守れる俺でありたかった。
姉を虐げたお前らは間違っているのだと、殴りつけたかった。だから、誰にも膝を屈するまいと決めた。最初は棒切れを振って、木刀に持ち替えて剣術にあけくれて……幼年学校では……そう、仲間ができた。俺は鼻っ柱ばかり強くて仲間には迷惑をかけた。それと腕力だけが取り柄で未だに冷やかされる。冒険者ギルドに入り、オークを退治しに行った。皆で稼いだ金で、姉の結婚式では……。
「準備はよろしくて?」
透き通る緑眼が俺を射抜き、死の宣告に等しい声で俺に囁きかける。初め見た時はただの貴族の少女としか思えなかったのに、いざ戦いの場となると何と大きいことか。誰より大きい、などという話ではなかった。自分のものさしでは測れないほどの何か。それに初見で気付かなかった自分が未熟ということか。
「マーカス=ドナヒューだ」
「わたしはエルカ=クリュセイス。お手合わせしてさしあげますわ」
ここは詰め所の奥の修練場。
俺も、目の前の女も、体術訓練用の道着に着替えている。
剣も木剣も無しの、無手での手合わせとなった。
「確認しますけど……あなた、強くなりたい?」
「ああ」
なりたい。なりたいさ。だからこうして騎士団に入った。
「命を賭けてでも?」
だが、そこまでは馬鹿馬鹿しい。これはただの訓練だ。
俺が騎士になったのは子供っぽくてちっぽけなプライドを満たすためだ。
命を賭ける価値なんてあるはずがない。
それだってのに。
「それでも、強くなりたい」
少女が、まるで華やぐ美しさで、俺を見据えて微笑んだ。
これまでの16年間の人生の思いが駆け巡っていた。
だが、俺は少女の声で、今、この場所という現実に戻ってきた。
そうか、
俺は
ここで
死ぬのか
★
そもそもの発端は、団長補佐のゲイルが女を連れてきたことへの反発だった。
その理由が俺達の実力不足というのがまずおかしいと思った。確かに、新人は多い。だが冒険者として多少なりとも経験を積んできた人間だって少なくない。このバロル白翼騎士団は、門閥に左右されない実力とフットワークの軽さを重視した実働部隊だったはずだ。季節外れの新編成という理由で俺のような成人したての若造でも入る余地はあったが、それでも最低限の実力はチェックされている。俺自身オークやゴブリンならば単独討伐くらいはできるし、岩鎧熊もパーティを組んで討伐した記録だってある。個々人の実力だけを見るならば、王都でぬくぬくとしている紅篭手騎士団や蒼盾騎士団などをはるかに凌ぐはずだ。
大体なんだ、皆鼻の下を伸ばしやがって。女の方もお姫様気取りで、ここをパーティ会場か何かと勘違いしてるんじゃないのか。
だから、俺はつい、
「……俺はどーにも、あんたが眠らずの森と厳氷穴のレコードホルダーとは思えんのだよね」
などと減らず口を叩いてしまった。
確かにこの態度は悪かった。認めよう。ゲイル殿が怒るのも当然だ。招いた客が侮辱されたのだから。だが俺と同様に思っていた連中も居たようで、気付けば口論となってしまった。これはどうなるか……と思ったところで、女――エルカ=クリュセイスが口論を差し止めた。
「……えっと、マーカス様、だったかしら」
口論に巻き込まれて揺るぎもしない女の顔に、俺は少し動揺した。
「あ、ああ。なんだ」
「か弱い女子に監督されるのは嫌だということは……腕に覚えがおありで?」
「おうともよ」
「あら、それはそれは……とても頼もしいですわ」
紅く流れる髪、涼やかな口元。
エメラルドのように深く吸い込まれそうな瞳。
そして涼やかな口元が笑顔を象る。
たったそれだけのことで、俺達、騎士団全員が、戦慄を覚えた。
この笑顔は、獲物を前にした、獣だ。
そのとき思い出したのは、昔、一度だけ見たマンティコアの剥製だ。猛々しく、まさしくモンスターの王者の顔。生きているときはどんなに勇ましいのだろうかと胸を高鳴らせたものだった。もしかしてそれは――この眼の前の女のように、美しいのではないだろうか。
★
ゲイルが俺達の試合の審判を務めることになった。
「エルカ様……その、おわかりになるかと思いますが……」
「大丈夫よ、そんな無茶しないから。あ、でも回復魔法使える人は、すぐに動けるようにしておいてください」
「わかりました……フィリップ、怪我が起きたらすぐに飛び出せ。マーカス……重ねて聞くが、準備は大丈夫か?」
ゲイルは俺の方をちらりと見る。ここが、辞退を申し出る最後のタイミングだ。だが、俺は、ここで引き下がるという選択肢が何故か思いつかなかった。
「…………よし、はじめ」
ゲイルは、何か諦めたような顔つきで淡々と開始の合図を告げる。
エルカは、無造作に近寄ってきた。
すり足でも何でもなく、ただ普通に歩いてきた。一瞬、髪を縛り忘れて紐を取りに戻ったのか、とか、「やっぱり仕合などやめましょう」と話すのだろうかと、馬鹿なことを考えた。それほど無造作だったのだ。最初は先手必勝で打ちのめされるのかと思っていたから、あまりにも意外な展開だった。
俺が大甘だった。
俺のすぐ側に来て、
何気ない所作で、
まるで挨拶するかのような自然さと流麗さで、
俺の腹を、殴った。
ぐあん。
「……!?」
なんだ、視界がぼやける。
耳が鳴る。
今のはなんだ?
熱い。
エルカは歩いて、元の位置に戻り――おい、待ってくれ、今あんたは、おれに何を……・。
そのとき、皮膚が泡立つような錯覚を――違う。
泡立っているんではない、衝撃で、皮膚がたわむ。
衝撃が、体の中で爆した。
「があああああああああああ――――ー!!!!!?????」
俺は弾き飛ばされはしなかった。
それすらできなかったのだ。
腹を殴られたというのに、四方八方から、上下左右前後から、全て等しく衝撃を受けた。殴られれば普通は後ろへ突き飛ばされる。だが突き飛ばされるためのエネルギーが、俺の体から出て行ってくれない。体の中で乱反射して何度も何度も俺を打ち据えて、倒れることもできない。まるで狭苦しい棺桶の中に閉じ込められて、外から絶え間なく大きな槌で叩かれているようだった。なんだ、これは、骨がきしむ。臓腑が煮える。
逃げ場をなくした衝撃は下に逃げた。足から立っている地面へと衝撃が伝わり、地面が割れ、体の中からようやく出て行ってくれる。そこで初めて俺は倒れた。のたうち回ることができるということに安堵すら覚え、俺は吐瀉した。
「がっ……がはっ……! げえっ……あああああ………!」
「マッ、マーカス! おい! 大丈夫か!」
「回復魔法」
エルカが呟いた。
「え……?」
最初、救護を担当する者は呆然として動けなかったようだ。
「てめえ! 仲間がのたうちまわってんのに何ボサっとしてやがる! 回復魔法をかけろって言ってんだ!」
「は、はい!」
エルカの罵声が救護係のフィリップを動かした。暖かな光が俺を癒やす。
少しだけ楽になったが、麻痺した皮膚感覚が蘇って痛みも襲ってくる。
「今のが、拳よ」
「拳」
「無手で戦うだけにも、色々あるわ。今みたいに勁を込めて拳で殴る方法とか、手刀で斬る方法とか。打蹴投極と色々あるけど、とりあえず打つのと蹴るのだけ教えてあげる。体は大丈夫?」
これが大丈夫に見えるのか。
「問題なさそうね……それじゃあ、課題を出すわ」
課題? ここから先があるって言うのか?
「今から、あなたの限界を超える打撃を合計10回――つまり、あと9回撃つわ。避けてもいいし防いでもいい。生きて立っていたらあなたの勝ちよ」
無理だ。
「駄目だったら、降参して」
……降参すれば、倒れたままでいられる。
もうこれ以上辛い思いをする必要もない。
無駄死する状況で撤退することは騎士の恥ではない。
「…………目を逸らさないのね」
逸らしたい。逸らしたくてたまらない。
「やるのね?」
やる。
★
2発目。
まるで巨人の戦斧の如き勢いの蹴りが上半身を撃つ。
当たり前のように吹き飛ばされた。
だが相当手加減している。最初の拳の何分の一の力だろう。
「それでお終いか! 立ちなさい!」
俺はよろよろと立ち上がる。
今の一撃で、避けるとか防ぐとか、そんな次元の問題ではないことを悟った。
生きるか死ぬかだ。
立ち上がろう。そして生きよう。
3発目。
手刀。堅い綿の道着が鋭利に斬られる。
袈裟懸けの傷跡から血が噴き出る。
知らなかった、手は刃物になるのか。
切られたのは皮膚だけだ。だがもし彼女が本気なら両断されていた。
「そのザマはなんだ! お前の父祖は今のお前を見て泣いているか! それとも笑っているか! 答えなさいマーカス=ドナヒュー!」
4発目。
鉤突き。
鳩尾を正確に撃たれる。
撃たれるというより、射抜かれるような衝撃。
数日は物が食えまい。
ああ、そうだ、姉だけではなく、祖父も優しかった。
俺の剣の稽古を、微笑んで見守ってくれていた。
「騎士とはなんだマーカス=ドナヒュー! 答えなさいマーカス=ドナヒュー!」
5発目。
どこまでも真っ直ぐな突き。
体の真芯を捉えられた。
1発目とは違い、凄まじく重い圧力が前から後ろへと抜けていく。
体が爆せないことに安堵すら覚える。
それでも凄まじく重い。足に力が入らない。
まっすぐな力、重い力、これに耐えねばならないというのか。
「剣とは何だ! 拳とは何だマーカス=ドナヒュー! お前は何を手にして戦う!」
6発目。
わからない。
体が軽くなったかと思うと、猛スピードで側頭部に凄まじく重い何かがぶつかった。
武器などあるはずがない。だが確実に拳や肘などの感触ではない
視界が暗い。何故だ、おかしい。わからない。
感覚を失う中で、俺の手、俺の拳だけが俺の在り処だった。
「男とは何だマーカス=ドナヒュー! お前は男か! ならば何故立ち上がらない!」
遅れて足の猛烈な痛みが襲い、口に血と砂利の混ざったえげつない味が広がる。
血反吐を吐く。
男なんて、こんなやせ我慢ばかりのみっともない生き物だ。
そうか、蹴られたのだ。
下半身を蹴られた衝撃で体が恐ろしい速度で回転して逆さまになり、頭が土に激突したのだ。俺が理解すると同時に物凄い力で引き起こされる。
「お前は何者だマーカス=ドナヒュー!
生きた人間か! 屍か! それとも息をするだけのカカシか!
答えなさいマーカス=ドナヒュー!」
見えない。
顎を下から撃ちぬかれたのはわかった。
恐らくは踵。
口付けできるくらいの密接した距離なのに、足が真っ直ぐに、真上に伸びていたのが蹴られた後にようやくわかった。まったく自慢にならないが俺は童貞だ。結婚もしていないし商売女や飯炊き女を口説いたことも無い。だから、女の体がこんなにも柔らかく動き、しなやかに伸び、触れば斬れるほどの鋭さを持っているだなんて知らなかった。
美を知った。そして痛みを感じた。だから俺は生きている。
伸びきった足が、おぞましい速度で俺に落ちてくる。鎖骨が砕かれた。
「考えるなマーカス=ドナヒュー!
言葉を持たないなら拳で示しなさいマーカス=ドナヒュー!」
意識朦朧と右拳を構える。
左は、さっきの踵落としでダメージを受けた。動かない。
何故だ、もう倒れれば良いのに。
倒れても、誰も非難はしない。
なんで俺は構えたのだ。
「死ねい! 死ぬのよ! 死になさいマーカス=ドナヒュー!
死んでなお立ち上がりなさい! そしてまた死ね!」
俺の右拳が空を切る。
そこに掌底を合わせられる。肺に当てられた、呼吸が止まる。
感覚が無くなり、まるで胸元がぽっかりとえぐられたような錯覚を覚える。
もう無理だ。
死ぬ。
死以外の何があるというのだ。
意地を張ってどうなるというのだ。
良いのか、俺の人生はこれで。
「……がんばれ」
そのとき、何処か場違いな声が修練場の静寂を切り裂いた。
「がんばれ、マーカス……!」
「そうだ、あと一発だ……!」
ふざけるな。
その一発が、どれほど重く、どれほど鋭く、どれほど恐ろしいか。
わからないわけじゃないだろう?
「もう少しだ! がんばれマーカス!」
くそっ、ふざけやがって。
じゃあお前らが闘えよ!
「マーカス!」 「マーカス!」
「マーカス=ドナヒュー!」
「マーカス=ドナヒュー!」
「マーカス=ドナヒュー!!」
「マーカス=ドナヒュー!!!!」
「マーカス=ドナヒュー!!!!!!!」
「うおおおおおおおおお!!!!!!! かかってこいやああああああ!!!!!!」
★☆★
あー、楽しかった。
やっぱり前途ある若者を鍛えるってのは楽しいわね。
剣も良いけど、女と男が仕合うならやっぱり無手よね。手合わせしたマーカスさんも、立ったまま失神している。合格だ。騎士団の皆が、マーカスの名前を叫びながら褒め称えている。やっぱりこういうのって、なんか、良いな。
「あ、すみません、回復魔法と担架をお願いしますわ。マーカスさん、もう動けないと思うので」
「あ、ああ……」
いそいそと救護の人間が寄り添って回復魔法を唱える。おっと、そうだ。渡しておこう。いつも常備してるものだが、今こそ使いどきだろう。わたしは手の平サイズの小瓶を懐から出して救護の人間に渡した。
「それとこれ、怪我に効くハイポーションです。魔法学園の上等品なので多分これ飲んで2~3日寝てれば骨折でも治りますから」
「ひっ、あっ、ありがとうございます……!」
何よ失礼しちゃうわね、安くないのよこれ。
「さーて、次はどうしましょう?」
まだ陽も高いし、ウォーミングアップにもなってない。もう少し組手の相手をするくらいは大丈夫なのだが。……って、あれ? 皆、なんだか後退りしている。マーカスさんへの歓声も止まってしまった。
「…………エルカ様」
「はい?」
ゲイルがわたしに話しかけてきた。
あ、そういえば会議の途中だったっけ。しまった。
「これ以上すると、その、なんだ……皆の心が折れます」
ゲイルは、どこか沈鬱な表情で首を横に振る。
「…………その、もしかして」
「なんでしょう?」
「やり過ぎました?」
「…………」
重々しく頷かれた。
ようやく落ち着いて周囲を見渡すと、なんだか皆、ガタガタ震えている。
えーっと……。
いやいや、わたし、宵闇の女神様だもの、怖くない、怖くない。
ほら、わたしを迎えに来た人だって、ご覧のとおり……。
「ひ、ひいっ、ごめんなさい!」 「す、すみません! 馴れ馴れしい口を聞いて!」
なんだか心が折れていた。目も合わせてくれない。
ていうかこの二人だけじゃなくて、全員目を合わせてくれない。元気ないぞーみんな?
…………あれれー?