街を散策する天才魔女
大地の曜日、陽光の曜日が終わり、平日がやってくる。
突然だが、わたしの通うバロル王立魔法学園を卒業するには3つの条件がある。一定以上の単位の取得と、卒業研究の提出、そして規定年数以上の在籍だ。
様々な講義に出席して学期末の試験に合格したら単位を取得できる。そうして卒業のために合計で180単位を取る必要がある。落ちたらもう一度受講するか諦めて別の講義の単位で賄うかのどちらかだ。ちなみに私はすでに200単位は取得している。
そして次に、卒業研究の提出だ。これはさほど難しくない。基本的には先生の指示に従って研究を真面目に進めれば何の問題もない。私はほぼ完成しているが、訳あって提出はしていない。
最後に、規定年数である。最低5年間は学園に在籍しなければいけないのだが、普通は6年間の在籍で済ませる。エリートが、私事の一切を家令や召使に任せて勉学に専心しなければ5年というものは難しい。なので通常の生徒は6年間を費やす。それに無理をして5年で卒業しても旨味は少ないのだ。何故なら入学可能な年齢が通常は10歳であり、この国における成人が16歳である。未成年のまま卒業しても、ごく単純な仕事でない限りは就職するにもその先に進むにも困ることになる。
わたしは今、16歳。特例で8歳で魔法学園に入学し、2年留年して8年間在籍している。
どうしても取得したい授業があったからだ。宮廷魔術師になるためにはただ卒業するだけではなく、難易度の高い授業を好成績でクリアする必要があり、魔法制御はその条件の一つだった。
だがそれは、ついに見直さざるをえないという結論が出てしまった。その意思を話すために、魔法学園の職員室へと足を運んだ。
「……そうか。履修をやめるか」
魔法制御演習の授業を受け持つ中年の教師は、どこか嬉しさと寂しさを同時に滲ませた不思議な声色をしていた。
「はい、通常のやり方では、魔法の制御はできないとわかりましたので……。少なくとも今年一年は別の方法を模索します。何か掴んだら改めて受講に来ます」
開拓者の杖の説明を聞く限り、わたしは2年や3年の修行程度では魔法の制御は形にならない。少なくとも何十年という修行が必要となる。その説明には一瞬怒りを覚えたものの、納得せざるを得ない論理性があった。何か別の方法を模索しない限りは骨折り損にしかならない。
「力になれなくてすまない。だが魔法は常に君とともにあることを忘れないでくれたまえ」
別に諦めたわけではないのだけれど。
「じゃあ行き詰まったら教えを請いに伺っても良いですか?」
先生は固まった。
「……わかった、君を諦めさせた責任を取ろう。もし君の練習に付き合うとなれば、私も命を賭けよう」
「いえ、そこまでしなくても良いです」
「そのくらいの覚悟が必要なのだよ」
先生は渋みのある苦笑いを返した。
なんだか人生に関わる約束をしてしまったようだ。ちょっと罪悪感。
しかし、骨のある先生が居たことは嬉しい。
あの陰険デブ学長にも見習ってほしいものだ。
★☆★
「待ってー! 待って下さい、エルカさーん!」
職員室を出て寮へ戻ろうとすると、背後から声を掛けられた。
若い男の声だ。
「何よ……って、あら、キリアンじゃない」
この銀髪の、線の細い小柄な男子学生はキリアン=フリーデン。いつも制服のローブと、誰も忘れがちな学生バッチをきっちりと付けている几帳面な男子だ。わたしを恐れずまともに話しかける貴重な友達の一人でもある。まあ彼が図書館司書のバイトをしているので、座学の授業の質問をしているうちに普通に会話するようになっただけではあるが。
「なんだ彼氏かぁ?」
「うるさいわね、黙ってなさい」
「エルカさん、今なんか声が……?」
「ん? ああ、気にしないで。それよりもどうしたの?」
「え、ええと、その……色々とトラブルに巻き込まれたって聞いて……大丈夫なのかなって……」
「大丈夫じゃないわよ、こっちはもう人生の崖っぷちよ全く……。実家は潰れるわ許嫁は逃げるわ、しかも幼馴染にぶん取られるわ……。身内の不祥事に巻き込まれるって、貴族なら他人ごとじゃないんだからあんたも気をつけることね」
わたしは肩をすくめながら自虐する。キリアンは至極真面目な表情のままだ。少しからかっただけなのだが真に受けてしまっただろうか。
「といっても王妃様と浮気なんてアホはそうそう居ない……」
「エルカさん!」
「な、なによ……!」
「僕の家には兄や姉が居ますが、叔母の家には丁度子供が居ないんです」
「はぁ、そうなの」
「養子に来ませんか?」
「えっ!? マジで!?」
おっといけないわ、言葉遣いが荒くなっちゃった。
「子爵位ですので、エルカさんの家格とは釣合いませんが……当面を凌ぐだけでも助けになるかと思います」
「全然構わないわよ! 貴族なら男爵だって大歓迎だわ!」
そもそも爵位の高さ云々よりも貴族であることが大事なのだ。それさえあれば宮廷魔術師への道は首の皮一枚でなんとかつながる。どういう家に行くのであれ、わたしがクリュセイス家の係累という事実は消えないからだ。もしクリュセイス家が再興すれば子爵家程度ならば十二分な恩返しをしてもそこまで負担にはならないはず。
「それで、ですね……!」
キリアンは、ひどく緊張した様子だ。風邪かしら。
最近は女子寮にも風邪が流行っている。まったく、自分の部屋が潰れて枕が変わった程度で軟弱なものだ。
「学校を卒業したら、ぼ、僕と一緒に、冒険者として名を挙げましょう!」
「あ、それはイヤ」
★☆★
「おめーなんで速攻で断ってんだよアホか! 男の子の純情をなんだと思ってんだよ!」
寮の部屋に帰った瞬間、わたしは理不尽な怒りを受けることになった。
「あったりまえでしょー? 冒険者になりましょうって……そりゃ養子の申し出は嬉しいけど断るわよ」
「ええー……冒険者って言ったら花形だろ……? ヒーローだろぉ……? 俺の時代のときはS級冒険者を褒め称える歌を吟遊詩人が作りまくって、戯曲や講談もバンバン出て……」
「あのねぇ」
わたしはベッドにどさっと身を投げる。あー真面目な話ばっかで疲れた。
「夢と現実をごっちゃにしないでよ。わたしやキリアンは貴族なんだから、平民が夢見るのと同じ考えじゃダメなのよ」
実際、一攫千金や名誉を夢見て冒険者になる人間は多い。
冒険者というのはダンジョンを探索したり、モンスターを討伐したり、ときには傭兵のように戦争に参加して魔族と戦ったりと、賞罰にペケが付かない荒くれ者達の総合商社だ。その冒険者達を束ねるのが冒険者ギルドである。様々な仕事の斡旋から育成教育、あるいはギルド支部どうしのネットワークを使った情報収集など、その仕事は多岐に渡る。
が、いくら褒めそやされても根無し草の荒くれ者という点には変わらない。己の身を己で守る必要がある以上、何と言われようと自衛に力を裂くのが正しい冒険者だ。冒険者であるが故に「冒険」できない性質を持つ。そこが貴族や領主にとって利用価値であると同時にリスクとなる。立場や責任の無い強者よりも騎士や子飼いの私兵の方が遥かに信用できるということだ。わたしは貴族側としての目線と、そして冒険者としての目線の両方に立った上で「冒険者になるなんてイヤだ」と言っているのだが。
「いや、お前ならS級とかイケるぜ、俺の見立てに間違いはねえ」
この杖には理解できないらしい。まあ説明するのがイヤだから詳しくはしてないけど……。
「そうじゃないの。S級冒険者とやらが、みんなの憧れの的だとか、美談に溢れてるとか、そういう考えがまず妄想でしょって言ってるわけ」
「……まるで見てきたような言い方だな」
「うっさいわね」
「ところで、冒険者ギルドに行ってみねえか?」
「……なんでよ」
「どうせ授業休みになるんだからヒマだろ? 魔法を使えるようになるためにも、今後の身の振り方のためにも、手持ちの金だけじゃ心許ないんだから金策しようぜ金策」
「うーん……」
気が重い。
正直、冒険者ギルドには借りがあるのであまり足を運びたくない……。キリアンの誘いを断った理由の一つにそれがある。が、背に腹は代えられないという事実が立ちふさがっている。
「金策金策って言うけど、何か考えがあるわけ? ギルドの仕事して金稼げとか、そういう泥臭いのイヤなんだけど?」
「わかってるって。まずは何事も情報収集よ」
★☆★
次の日は丁度履修すべき授業がなく、休日のようなものだった。
というか、実習授業を休むとほとんどやることが無い。なんとなく気になった座学の授業に、つまみ食い的に出席する程度だ。朝寝坊から昼まで寝そうになったが、杖が上手い具合に朝に目覚ましとなってくれるので、それだけは拾ってよかったと思っている。
で、わたしは、魔術都市バロワの繁華街を出歩いていた。
この町は学校や研究機関、私塾などが立ち並ぶ学術都市でもあり、同時に交易の街である。研究結果をねだる商人は強かで、様々なマジックアイテムが商品化されている。最先端が集うこの街の繁華街も毎日賑わいを見せている。
「おーおー、ここいらも発展したもんだなぁオイ」
「あんた、ただの杖なのに観光が趣味なの?」
「趣味と実益を兼ねてってところだな。昔は向こうの壁から先は畑しか無かったんだぜ」
「へぇー……」
「ま、それよりメシ食おうぜメシ」
「あんた食えないでしょ」
「俺が食うのは情報さ。メシってのは文化の尺度を図る素晴らしいツールだ」
「よくわからないわねぇ……」
「お前は嫌いかぁ? こういう雑多なところを歩くのは楽しくはねえか?」
「……それならわかるけど」
「街歩き用のローブ持ってるくらいだもんな」
わたしは今、冒険者用のローブを羽織って身分を隠し、フードを目深にかぶって顔を隠している。貴族として出入りするのは少々面倒があるので、平民の冒険者に化けるのが効率的だ。そもそも貴族の衣服で未婚の女一人で外食など、嘲笑の対象にしかならない。せめて学友を誘って喫茶店にでも行けば良いのだが、実家からの仕送りが期待できない今となっては切り詰めたいところだ。ちなみにトマス様から頂戴した婚約破棄の詫び料は相場よりも安かった。もう少し脅かしておけば良かったと今更ながら後悔する。
「……んじゃ、あそこの宿に入るわ。あそこにデカい建物があるでしょ、あれが冒険者ギルドで、その隣の建物よ」
「おー、冒険者ギルド、同じ場所にあったか……建物はガラッと変わっちまったが、懐かしいもんだ」
「ん? あんたのときもあったの?」
「もうちょい小さかったがな。よし、じゃあ隣のメシ屋で休憩と行こうや」
ギルド隣の宿の、古めかしい木の扉をくぐる。
ここははいつもながら雑多な空気にまみれている。
雑多な料理、雑多な人々。様々な人間が交錯する場所ならではの光景だ。冒険者まがいの魔法使いや魔女、そして仕事を出しに来た貴族、そして本物の冒険者達。あるいは交易にきた外国人も珍しくない。ここは様々な人種や身分のるつぼだ。
ここの上階のサロンは身分制だが、一階の宿兼料理屋は金さえ払えばお尋ね者でも無い限りはまず誰何はされない。私は冒険者の荒くれ者は嫌いだが、この雑多な空気だけは嫌いではなかった。魔法学園の貴族の子女にとっては目を覆う光景かも知れないが、父母に節制を叩きこまれた私にとってはこれといった問題ではない。寮の落ち着いた食事も好きだが、剣を振るいモンスターを血祭りに上げたあとは、こんな場所で雑多な料理を噛みしめる方が気分が良い。
「……なぁ、なんか寒くねえか?」
「なんよガウス、風邪なんてやめてよね?」
「そうじゃねえよ、なんだろうな……腹の虫がうずくような……」
そして、雑多な人々が様々な話に花を咲かせている。杖も、色んな話に聞き耳を立てているようだった。わたしは開いている二人がけの小さなテーブルに腰掛ける。
「ふむふむ……こういうところにしちゃ珍しく女もいるが、やっぱり剣士よりは魔女が多いな」
「ちょっと静かにしなさいよ、変に思われるでしょ」
「わかってるって」
「お客さん、何かおっしゃいました?」
杖の声を耳にしたのか、金髪の女の店員が不思議そうに声をかけてきた。
「いいえなにも。飯と酒を頂戴」
「あいよー!」
金髪の女は威勢よく言葉を返した。
「……酒ってことは、飲水はまだ未発達か。おかしいな」
「どうしたの?」
「いや、うーん……腹を下さない飲水ってのは貴重なのか?」
「はぁ? 何言ってるの?」
この杖は時々不思議なことを言う。
「あ、お客さん、水は要らないのかい? 酒だけで良い?」
「酒だけでいいわ、ぶどう酒よね?」
「ええ、今お持ちします」
店員は木のコップに注がれたぶどう酒を私のテーブルに置いていく。
「……お前が酒飲みてえだけかよ」
「うるさいわね、メシ食えっつったのはあんたでしょ」
続いて料理も運ばれてきた。ありふれた庶民のスープ料理だ。
「へぇ、洋風のモツ煮込みってところか……野菜も種類が増えてる。栄養状態はよくなったようだな。パンはちぎっていれるのか?」
「何を当たり前のことを聞いてるのよ」
わたしはさっそくスープを飲み、付け合せの焼きタマネギを齧る。熱い。タマネギの苦味の奥にじんわりとした甘みがある。ここは貴族の料理では味わえない野卑ゆえの趣きがある。ぶどう酒を飲む。
「……ふう、人心地ついたわね。あ、ぽちにもお土産買ってあげなきゃ」
「お前おっさんくせえな」
「……壊されたいのかしら?」
「冗談だよ冗談。ところで、干し肉なんかは食わんのか?」
「ダンジョン探索じゃあるまいし嫌よ」
「ダンジョン探索のメシといえば干し肉か」
「そうね。町の外のダンジョンみたいな、暗くて臭い場所で干し肉みたいな硬くてマズいメシを齧るなんて趣味じゃないわ。まあ手慣れた人だとジビエ料理を作る好事家も居るらしいけど」
「おまえの犬だってガツガツ食ってるじゃねえか」
「あの子も味のわかるグルメよ、干し肉なんて粗末なもの食わせられないわ」
「愛犬家だねぇ……」
などと会話しながらも、わたしは食を進める。
ザワークラウトも良い。丁度良い浸かり具合で、仕事が丁寧だ。
などと味わっていたら、次第に客が増えてきた。そろそろ真昼に差し掛かるか。名残惜しいが早めに食べて出て、ギルドの方に顔を出そう。あまり店に迷惑をかけるのは本位ではないことだし。最寄りのテーブルに4人ほどの男が腰掛けて何やらしかめっ面で会話を始めた。
「どうにも腕利きは少ないですな……前線の方に傭兵しに行った者も多いようです」
「イゴール、こうなれば持てる力で何とかするしかあるまい……。頭の痛いことだが」
「しかしゲイル殿。なんでもここのギルドには凄腕が居るそうですぞ」
「うむ、噂には聞くが……」
「でもギルドの職員に聞いても、具体的なことは何一つ教えちゃくれませんでした。怪しげな話に頼るのもどうかと思いますぜ」
「チャーリーの方もそうか。私も以前尋ねたが何一つわからず不思議だったのだ。凄腕ともなると何かしら毀誉褒貶が飛び回るものだが……」
知り合いだった。
あの集団のリーダーらしき金縁眼鏡は、クリスの兄のゲイルだ。確か騎士団長補佐と名乗っていた。ということは、おそらく冒険者ギルドに仕事の依頼でもしにきたのだろう。
「……ちょっとここで訪ねてみるか。ギルド職員だと何かと義務に縛られているし、こういう酒場の方が情報を集めやすいかもしれん」
やめなさいって……どうしよう、こっち来ないでほしいんだけど。
という嫌な予感は当たるものだ。
ゲイルの金縁眼鏡がきらりと光る。ターゲットされてる。
「もし、そこのご婦人。身のこなしからなかなかの腕と見受けるが……」
「ひ、人違いです」
「ん……? あ、いや、失礼した。少々ここらの冒険者のことで尋ねたいことがあるのだが……む?」
彼の目に理解の火が灯った。
そして、迂闊なことに、わたしの名前を呟いてしまった。
「……エルカ様?」
誰かが、からん、とスプーンを落とした。
雑多な人種の、雑多な会話が、突然止んだ。静寂がこの場を支配する。
「エルカ……?」
誰かが呟いた。
畏怖の視線がわたし達のテーブル……ではなく、わたしのみに集中する。どよめきが少しずつ、だが1階の客全員に伝播していく。
「マジだ、エルカだ……」 「あれが虐殺剣士……意外と小さいな……」
「ひいっ、い、嫌な予感はしたんだ! マジで居るじゃねえか!」
「ガウス、バカ! 背中見せるんじゃないよ!」
「今言ったやつ出てこい!わたしは野生動物でも野良のモンスターでも無いわよバカ野郎!」
「ひっ、ごめんなさいごめんなさい! 殺さないで!」
「レッドキャップ<血塗れ帽子>のエルカだ! すげえ本物だ! サインしてくれ!」
「やめろ! ぶっ殺されるぞ! ……いや、死んだほうがマシなくらいひでえことになるぞ!」
ったく、これだからギルド近辺に来るのは嫌だったのだ。
わたしのようないたいけな少女に対してなんて失礼極まりない。
せっかくの食事がマズくなるってわからないのかしら。
「……な、なんだこれは……?」
ゲイルの困惑した呟きが漏れる。
はぁ、騎士様に対して説明無しというわけにもいかないか……。