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熊鍋と天才魔女

次は7日ごろに

 日差しすら遮られる湿った森の中で、わたしは大物の岩鎧熊の前に立つ。

 わたしの視線を受け止めた熊は警戒した目で睨み返す。

 おいコラ殺気抑えてるんだからビビってんじゃねえよ木偶の坊。

 おっと、そういえば罰ゲームどうしようかしら……。


「全力で戦っての負けなら良いけど、腑抜けたら腎臓ひっこぬくわよ」


「……指、いや、耳で勘弁してください」


 おっと、本気の言葉を返された。


「いやいや冗談だからね? ちょっとしたお茶目よ?」


「おっと、失敬」


「グルルル……グアアアッ!!!」


 さて、熊達とわたし達は対峙していたが、血気盛んな熊達が騎士達の元へと殺到した。腹を減らしていたのだろう。よし、逃さずに上手く火蓋を落とせた。ただの餌だと思うが良いわ。飢えた獣はとても危険だが、用心を重ねた人間だって十分に危険なのだ。そして慢心した方に未来はない。こちら側の騎士達は上手く緊張感を保てている。だからマーカスさん頑張ってね。


「さあて、と……」


 わたしは踏み込み、一気に巨熊との距離を詰める。巨熊は鉈のような爪を前に突き出す。爪と剣の交錯。耳障りな音を立てて岩鎧の手甲の部位が削られる。まるでナイフで削り取られたバターのようにべろりと捲れ、そして地面に落ちて地響きが伝わる。


「……ッ!!!」


 今、手首ごと斬られると気付いて受け流そうとしてきたわね。

 良い勘をしている。実に良い。

 熊に出血やダメージはない。人間で言えば爪や髪を切ったようなものだ。だがそれでも、岩鎧熊が拠り所としている鎧を斬ったことは衝撃のはずだ。この熊はなかなかに老練で、小兵のわたしにも油断しない。今の一撃で不利を悟りながらも恐慌を表に出さない。落ち着いて、じっくりと冷静にこちらを睨めつけている。


「グォォォォォオオオ!!!!!!!」


 熊はバックステップして、鋭い爪で周囲の木々をなぎ倒す。わたしに速度が劣ることを知って、足を封じようとしているのだろう。騎士の胴回りよりも太い大木が不規則に乱れ落ちる。圧倒的な体がありながら小狡い手も躊躇わない。今のマーカスさん達だけでは潰走以外の手はなかっただろう。


 ……ああ、なんて美味そうなのかしら。


「……グアッ!!??」


 だが、物体が自由落下する動き程度を見切れないようでは剣士などはできない。落下する木の影から、別の木の影へ、そして枝から枝へ、そしてまた影へ。クリュセイス流、影法師の歩法。重さを消し去るような体捌きで相手の視界から消える。


「グオオオオオオォッ!」


 巨熊は視界から消えたわたしを探すべく、当てずっぽうでとにかく周囲の木をなぎ倒していく。

 リズムの不規則な攻撃は効果が無いとは言えない。

 わたしが6歳くらいだったらきっと苦労していたわ。


 でも取った。背後だ。


「こっちよ」


 熊は驚き、すぐさま体を回す。

 遠心力と鎧の重さを活かして、風切り音を唸らせながら爪で……いや、拳で押し潰すつもりだ。つまりは上半身だけの力任せ。そんな足腰に力の入ってない無理な攻撃じゃあダメなのよ。速度が全然追いつかない。それにほら、そんな姿勢じゃ膝の裏や脇のように、鎧で覆っていない箇所が丸見え。


「ガアアアアアッ!!!!!」


 すれ違いざまに雌剣で腕を切り落とし、続けざまに雄剣を振るって膝裏から腱を断ち切る。動きはこれで封じた。岩鎧熊の苦悶の声が森に鳴り響く。


「最初は長く遊んであげようって思ったけど……失礼な話よね、ごめんなさい」


 そしてひゅるりと首を刎ねた。




★☆★




「さーてと、マーカスさん達は……大丈夫ね」


 騎士達はそつなく岩鎧熊達を仕留めたようだ。4匹の岩鎧熊の死体を眺めると、凍らされた足元と槍傷、刀傷。魔法で足止めや牽制をして近距離で仕留めるという、基本的な戦術を取ったようだ。また、ぽちちゃんが周囲を警戒している。良い子ねーもう。後でクマの肝食べさせてあげますからねー。

 そして残り一匹はどうしたかなっと……。


「ずりゃああああっ!」


 マーカスが、最後の一匹に止めを刺した。


 剣閃が綺麗な円を描き、若い岩鎧熊の喉笛を断ち切る。練度が足りないとかゲイルが言ってたけど、気合入ってるじゃないの。こういう実力が拮抗してる戦いってちょっと羨ましいわね。


「はぁ……はぁ……」


 荒い息を付いてマーカスさんは熊の屍を見据えている。


「おつかれさま」


「はっ、お嬢様! 時間をかけまして申し訳ございません!」


「良いわ。ま、そのうち訓練に付き合ってあげる。血で濡れてるわよ、拭いなさい」


「ははっ、ありがたく!」


 そう言ってわたしは手ぬぐいを渡してやる。虫の体液と熊の血で、元々角刈りでつり目のマーカスの凶相がどえらいことになっている。先週までの初々しさが無くなってちょっとさびしい。

 で、そうこうしている内に、ガルド、ゲイル達の本隊がやってきた。まったく、わたし達が楽しく……じゃなくて、苦労してたってのに遅い到着ね。


「遅かったじゃない」


「すみません。交戦されたのですね……これはなかなか大物を仕留めましたな」


「気分よく戦えたわ」


「それは何よりです」


「まあ良いわ。ところで、死体はどうするの?」


「そうですね……今回エルカ様が仕留めた物についてはエルカ様に権利があるのですが、まずこちらで剥いて、素材にしてしまってもよろしいですか? 討伐戦果として報告のために持ち帰りたいのです」


 岩鎧熊の外殻の鎧はそのまま盾などの武具に加工できる。肉も珍味として有名だ。また肝などは氷の魔法で保存することで希少な薬の材料として高く売れるらしい。


「それなら一旦預けますわ。あとで現金の報酬としてくださるかしら。それとあっちの熊の肝、ぽちちゃんに食べさせてあげて頂戴。小さい方の熊はわたしが倒したわけじゃないけど、その分は報酬から差っ引いて良いから」


「ええ、わかりました」


『本当にグルメな犬だな……』


「良いじゃないのよ」


 杖が呆れたように言葉を返す。


「ところで、他に敵は居る?」


『ん? そりゃあ居るぜ。毒蝶っぽいのと、クワガタと……』


「わたしは『敵』が居るかって聞いたのよ。飢えてるモンスターとかじゃなくて」


『……変なのは居るなぁ』


「どういうことだ?」


 ガルドが興味深そうに尋ねる。


「厳氷穴の方から、ちらちら視線感じてたのよ。うざったいったりゃありゃしない」


 ゲイルとガルドが驚き、目を見合わせる。


「つまりモンスター以外の何かが居る、ということじゃな……魔族のゲリラの噂も真実味を帯びてきたな」


 ガルドが厳しい眼つきで語る。そういえば騎士団創設の目的の話で、ゲリラ対処がどうとか言ってたっけ。


『そういや魔族っつーけど、お前たち戦争してんの?』


「へ? 何よ藪から棒に。いや、森に棒かしらね今の状況だと」


『……つまんねぇ』


「ああ!? 今なんつった!?」


『冗談だよ冗談。俺ンときは戦争してなかったっつーか、魔族なんて戦争できるような連中じゃなかったぞ』


「あー、そういえば昔は国じゃなかったんだっけ?」


「現状でも国というよりは様々な種族、部族の連合ですね。なので名称も、国家ではなく魔族連合という名です」


 ゲイルが補足する。そのあたりの外交事情などにも詳しそうだ。


「現在は月胡青眼という月胡族の長が魔王のはずですね。千里を見通し魔法や呪術の類が一切通用しないことから浄眼魔王という名で通っています」


『へぇ、世の中変わるもんだな……』


 杖が感慨深そうにひとりごちる。


「して……その視線を感じたとおっしゃいましたが、どれくらい距離が離れていますか?」


「このまままっすぐの、洞窟の入口あたりだな」


 わたしの推測と大体同じだ。歩いて3、4時間というところだろうか。


「……遠いですね、向こう側はこちらを見ていると?」


『こいつがちらちら見られてるって感じるってことは、そうなんじゃないか?』


 ゲイルとガルドは険しい表情を作る。

 予定外の状況だが、退くわけにもいかないといったところだろう。


「どうする? 殺る?」


「できますか」


 わたしの提案に、ゲイルが言葉を重ねる。


「ま、視線がバレる程度の相手ならさほど難しくないけど……ん?」


『どうした?』


「気配が消えたわ」


『……洞窟の中に入ったんじゃねえか?』


「多分そうね」


 わたしの会話を聞いて、ガルドが手で自分の膝を叩いた。


「よぉし! まず今晩はここで一旦休憩を取る。明日、予定通り厳氷穴まで進めよう! お嬢ちゃん、また明日も頼りにしておるぞ!」


「わかったわ」


「良いのですね? 逃げられる恐れもあります。快速部隊を編成して追うという手も無くは無いですが」


「快速部隊っつってもお嬢ちゃんじゃねえか」


「ええ。もちろん彼女が頷くかはまた別ですが」


 別にやっても良いんだけどなー。ていうか話聞こえてるんだけど。


「いや、やめとこう。何が起きるかわからん以上は固まっていた方が良い。それにじき日が暮れる。向こうに敵が居るとしても無茶はできまい」


「そうですね、了解致しました」




★☆★



 素材の剥き取りや近辺のモンスター討伐をしている内に陽が落ちた。

 夕餉は熊鍋だ。

 この規模だとさすがに料理のできる人間も居るらしく、山菜と熊肉を煮込んだ贅沢な食事を取ることができた。良いわねー、こういう楽しみと出会えたなんて嬉しい驚きだわ。


「さあエルカ様、どうぞ。お飲み物も」


 えーと、この金髪の天然パーマの人は……フィリップって言ったかしら。たしか修練場で回復魔法使ってた人よね。


「ありがとうございます……あら、美味しいわね。もう少し臭みがあるものだと思ってたけど」


 じんわりと濃厚な旨味が口に広がる。肉はやや筋っぽくて固いが、汁気を吸った固い肉を噛みしめるのもそれはそれで野趣がある。


「今の時期の岩鎧熊は越冬して痩せていますが、その分だけ肉の臭みも無いそうです。それに肉から良いダシも取れますので汁物によく合うんですよ」


「料理、お上手なのね」


「いえいえ、ありがとうございます」


 缶詰も美味しいけど、こういうのも良いわよねぇ……あー体が温まる。


「あ、それと団長には伝えたのだけど、肝の部位だけくださる?」


「ええ、ご用意しております」


「ぽちちゃーん! ご飯ですよー!」


「ばうわうっ!」


 名前を呼ぶとすぐにぽちちゃんはやってきた……のだが、遊んでいたのだろう。大きめの蛾を加えている。


「ん? これは……黒扇蛾ね。珍しい」


「なんでしょう……? 以前の講義では聞きませんでしたな」


「なんだっけ、えーと、えーと……授業で習ったような……」


「何かあるのですか?」


 フィリップが不安そうに尋ねる。


「ええと、黒扇蛾は……なんだっけ……ゲイルさんなら知ってるんじゃないかしら」


『おっ、これか。知ってる知ってる』


「あんた知ってるの?」


『カイコガの仲間でな。幼虫のときは黒くて強い絹糸を作るんだ。これを使った黒い扇が特産の魔族が居るんだよ。それでこのカイコガも黒扇蛾と呼ばれるようになったんだが……』


「……魔族ですか」


『この虫、人に懐くんだよ。幼虫はメシと引き換えに糸を作りだすんだが、成虫になると攻撃的になって低レベルの風魔法と毒の鱗粉を使ってくる。一匹一匹は決して強くないが、人に従って集団行動するところが注意点だな』


「マズい! 報告してきます! エルカ様もご一緒に!」


 フィリップはやおら立ち上がり、団長達のテントへと駆け出した。食べてる途中だってのに仕方ないわねー。


「あ、ぽちちゃん、ペッしなさい。もっと美味しいものあるから」


「わふん!」


「エルカさま、お急ぎ下さい!」


 はいはーい。行きますわよー。




★☆★




 しかし報告する頃には既に黒扇蛾の群れが騎士団に襲いかかり、皆が対処に追われていた。武器を持ったものが前衛となって耐えしのぎ、魔法部隊の詠唱の時間を稼いでいる。はぁ、わたしもたまにはああやって守られながら魔法唱えてみたい。

 ゲイルとガルドも指揮をして黒扇蝶を退治しようとしていたが、既に日は落ちて月明かりの全く届かない闇だ。篝火を付けても木々などの障害物が多く、大した明るさにはならない。フィリップは回復魔法の部隊を運用し、とにかく解毒して回ることになったらしい。熊鍋が溢れてたり、蛾の死骸が鍋に落ちてたりしている。あーもうもったいない。


「く……眠らずの森とは本当ですな、休憩する暇もない」


 疲れた目でゲイルが愚痴る。

 さて、わたしの仕事かしら。


「虫相手だと服が汚れるから困るのよねぇ……で、どうします?」


「この程度ならば耐え凌げなくは無いのですが……明日は帰投せざるをえないでしょう。皆の体力の消耗が激しいですから」


「そうじゃな……だがゲリラが居る証拠でもある」


 野性味溢れる声でガルドは呟く。たまに渋い顔するのよね、この人。


「やりますか」


「やるか……と言いたいところだが」


 二人からの視線が集まる。


「この群れを操ってる者を捉えたい。お嬢ちゃん、できるか?」


「さっきと同じ気配が厳氷穴のあたりにあるから、そんなに難しくはないけれど……」


 夜に動くのはちょっと面倒ねぇ。どうしよう。


『ぬくぬく休憩なんて帰ってからでも大丈夫だろ。兵は拙速を尊ぶ、だぜ』


「あんたたまにスパルタよね、普段はご主人様を糖尿病にするくらい甘いのに」


『おめー人の気にしてること言うなよ! ちょっと傷ついてんだぞ!』


「う、わ、悪かったわよ。ごめんなさい」


 杖が珍しく本気で怒った。さすがに失言だったわね。


『ともかく、さっさと仕事してお前さんの報酬貰っちまえよ』


「申し訳ございません、無理をお願いして」


 そう言う割にゲイルはあまり申し訳ないとは思ってなさそうだ。無理って思ってないでしょ。まあそうよそのくらいできますけど。


「ま、良いわ。ただし報酬の件はちゃんと頼むわよ」


「土下座ですね」


「一応優先順位としては身分の保証なんだけど……ていうかわたし、土下座させたいサドとか思われてない?」


「そんなことはありません」


 この人仏頂面で嘘つくタイプだわ。


「岩鎧熊との闘いを見てた者と同一でしょうか?」


『ま、こういう奇策が得意な魔族ってのは居るからぁ。そのかわり、人間ほど魔法が発達しちゃおらんが』


「ま、ともかく行くわよ」


「あ、お待ちください、私も行きます」


「良いけどついてこれないわよ。わたしぽちちゃんの背中に乗っていくから」


「わふっ!」


「……着いて行かねばならないところなのですが……」


 闇夜の中、足手まといになることを考えて躊躇っているのだろう。それに騎士として仕事を全部預けることに抵抗があるのかもしれない。騎士ってそういうところが面倒ねぇ。ま、「あとはよろしく」で去られるよりはマシかな。


「わかりやすく足あとつけておくわ。追える人だけ追ってきなさい」


「足あと?」


 わたしは雌剣を一振りする。巨木が幹から寸断されて倒れ、地響きを立てる。


「木を切り倒しながら行くから、その後を追いかければ楽でしょう?」


「……ほどほどにお願いします」


「わかったわ。ぽちちゃーん、仕事よー!」


「わん!わおん!」


「あ、こら、また蛾を咥えるんじゃないの。ペッしなさい」


「きゃうん! きゃいん!」


 さて、ぽちちゃんの背中にのって行けば闇夜でも迷わないし、徒歩3時間の獣道も10分か20分で着けるだろう。魔族だか何だかしらないが、わたしの食事を邪魔した報いを受けてもらわねばならない。そしてこの仕事が終わればクリス達の土下座が……じゃなくて、晴れて貴族と学生の身分が安泰となる。少しくらいやる気を出しても良いだろう。



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