没落の天才魔女
「おかあさま! みて! みて! みずのまほうができたわ!」
「あら、凄いわエルカ……本当にえらい子ね……!」
「まほうきょうほんだって、ぜんぶおぼえてるもん!」
「エルカちゃんすごいすごい! クリスにもおしえて!」
「クレア、エルカは天才だぞ! 宮廷魔術師だって夢じゃない!」
「かいふくまほうだって、すぐうまくなるわ!」
「……大丈夫よエルカ……。あなたは、あなた自身のために、魔法を使えば良いの」
「おかあさま……」
「わたしがいなくても……あなたはきっと……」
「やだ! まほうも、だんすも、おべんきょうもするわ……! だから」
死なないで!
★☆★
嫌な夢を見た。
父と、母と、幼なじみが居た夢だ。
遮光カーテンごしの、ぼやけた朝陽が顔を撫ぜる。
「うっ……ぐ……朝ね……」
目が覚める度にここが麗しき故郷ではなく、忌まわしき魔法学園の寮であることを思い出す。召使もここにはいない。他の寮生からはまるで庶民のようだと馬鹿にされるが、魔女たる母の教えで田舎の習慣で身支度身づくろいは自分ですることにしている。自分の装身具は他人から秘めるべし。
「はあ……寝覚め悪い」
上体を起こす。枕から長い赤髪がこぼれる。
朝寝坊が板についてしまった。魔法実演の講義は午後からで別に問題はないのだが、朝寝は遊女の悪癖とされているこの都市では少々外聞が悪いし、寮生からは『そんなだから体も成長しないのだ』などと陰口を叩かれている。が、それもどうでもいい。どうせ面と向かって私に赤ネズミだの狂鶏だのレッドキャップだのと口汚く罵る勇者は居ないし、名誉など失墜して久しいのだ。
どんどんと、強くドアが叩かれる。
無礼者め、魔法学園の生徒ならばもう少し静粛を尊んだらどうなのだ。
「支度があるわ、入らないで」
「バルマス辺境伯様からの緊急便です、受け取りのサインを頂かないことには、帰るわけには参りませぬ」
「ちっ……」
バルマス辺境伯。つまり伯父上様からの手紙か。しかも寮の中に通されたということは、ただの木端役人や一山いくらの冒険者風情でもなさそうだ。追い返すと良くないことになるのは間違いない。
「……わかりました、ほんの少々で良いのでお待ちを」
仕方ない、髪はバレッタで止めて、学園の制服たる濃紺のローブを被ろう。無礼にはあたらないはずだ。フードを被ることについては、みだりに顔を見せぬよう気をつけるのは魔女として当然の仕草だとか何とか古めかしい話をすれば納得するだろう。
まずは手鏡確認。
肌、荒れてない。髪、まあ何とかなる。
目、クマは無いけどいつも通りの緑色の三白眼。ちっ。
★☆★
「お待たせして申し訳ございません」
身繕いを手早く済ませ、扉の前にいる人を招いて椅子に座らせる。
白い詰め襟に刺繍の紋章。金縁の眼鏡。栗色の髪を眉の上で丁寧に切りそろえた髪型。几帳面そうな男だった。家柄こそ自分より下ではあるだろうが、この紋章は上級の騎士職であることを示している。迂闊なことを言わなかったことと、部屋の片付けだけはしておいたことにわたしは安堵した。
「いえ、緊急便と言えど訪いもなくご婦人の家を尋ねた非礼、お許しくださいますよう。私、バロル白翼騎士団長補佐のゲイル=ウェーバーと申します」
「ありがとうございます、ご存知かとは思いますが、クリュセイス家のエルカにございます。……ウェーバー様、ということは……?」
「クリス=ウェーバーは私の妹です」
クリス。私の幼なじみ。
ここ数年は折り合いが悪かったが、故郷の話を共有できる、数少ない友人の一人だ。
兄がいるのは知っていたが、こんな実直そうな人だったとは。
「あ、茶は結構にございます。職責において、未婚のご婦人様と二人きりでの会食を禁じられておりますゆえ」
古めかしい騎士だ。そんなもの守る人など居ないというのに。泣き虫クリスの兄とはとても思えない丁寧さだ。見た目は細いように見えるが、弱々しいという印象はなかった。むしろ猛禽のような鋭さのある、油断のならない何かを感じさせる。きっと最近の戦争にも参加したことがあるのだろう。
「それではこちらを」
封蝋のついた手紙と、羊皮紙の受領証をうやうやしく私に渡す。
さらさらと自分の名、エルカ=クリュセイスを書き綴る。
「確かに、お預かり致しました。ではどうぞ中身を」
「……ええと、もう受け取りましたが?」
「辺境伯様より、貴女様が内容をあらためるのを確認するよう仰せつかりまして」
どうぞ、とでも言うように手紙を開くよう促される。仕方ない……。
『火と樹の精霊よ、クリュセイス家のエルカの名において堅牢の封蝋を解きたまえ』
魔力を込めて呪言をとなえ、手紙の開封をする。貴族の手紙は偽造や漏洩を防ぐために逐一魔力を込めねばならない。
「私の方はご内容については伺っております。お返事も頂戴したく」
仏頂面の騎士が見つめている。梃子でも動かなさそうだ。
まあ完全に他人というわけでもない、仕方ないと私は諦め、手紙を読み上げる。
「えー、なになに……わが親愛なる姪、エルカへ……。そなたが魔法学園へと入学して、早八年、さぞ勉学に明け暮れていることと思う。そなたの勇名は我が領地にも轟き、山賊やならず者どもは乱行狼藉を慎み、我が領民はこの世の春を謳歌していると言っても過言ではないだろう」
叔父上、それは誤解です。有名を馳せることなど何もなく、ほんの少し魔法の実験に失敗してほんの少し怪我人が出ただけです。
「だがしかし、ここに不幸な知らせをせねばならないこと、心苦しく思う……。我が末弟、ゲオルグ=クリュセイスが、カーライル王が戦時訪問中に……王妃殿下と……か、か、か、かっ、姦通して……王の私物を勝手に持ち出し……」
「……大変残念なお話になりますが……」
ゲイルは眼鏡の位置を直し、咳払いをする。
「クリュセイス家は、お家断絶となりました」
はあーーーーーーー!?
★☆★
「落ち着かれましたか」
「い、いえ……お気遣い……ありがとう、ございます……」
くらくらする。こんな……こんなアホのせいで実家が無くなるとは。
話は簡単だ。ゲオルグ=クリュセイス。伯父上の末弟。
つまりは私にとっては同じく叔父の人間が王妃様を口説いてかどわかして、調子に乗って王様の私物……他国から献上された媚薬らしい……を盗んだという恥ずべき話だ。
しかも今は魔族との戦争継続中であり、丁度小競り合いが長引いている戦地にカーライル王がご親征なされたときに王妃が浮気をしたのだ。戦地で戦う夫を待つ嫁が浮気するなど三文芝居にもならない使い古された話だが、現実としてこの罪は重い。何より外聞が悪い。王の逆鱗に触れたことは間違いない。
ゲオルグの死は決定的だ。国王の私物を盗んだのは明白らしく、また居なくなって困るほどの要職についているわけではない。しかも芋づる式にゲオルグのしでかした職権乱用が露見したり、これに乗じて申告漏れの税金が脱税扱いにされたり、その他、慣習的に認められてきた脱法行為が吊るしあげられたりと、踏んだり蹴ったりの悪循環になってしまった。バルマス叔父上様も、これまで王への忠誠や功績を思えばまず死罪はありえないが……軽い罰で済んだとしても「弟を諌められなかった」という失敗のレッテルは今後付いて回るだろう。
私は実父実母が他界してバルマス伯父上様に引き取って貰った身であるが、魔法学園で長らく暮らしているので実は面識は多くない。が、それでも大恩人の一人であった。従兄弟達はどう身の振り方をするのだろう。そして……。
「どうしよう……」
問題は、わたしの身の振り方だ。
「……バルマス様のご嫡男は他家に養子に出されました。お家断絶と言っても、まあ形としては当主の引退と賠償金や追徴課税、そして事を起こした張本人への罰で済む話です。ご嫡男様におかれましては、成人されればまたクリュセイス家に戻って御家の再興も叶います。ご息女は今嫁入り先を探しておりますが、バルマス様のご人格もあって我も我もという声が多く、人選に困る有り様です」
そして、とゲイルは言葉を切る。
「問題は、エルカ様……貴女様の身の振り方にございます」
「あ、でも……わたしは……」
わたしは、宮廷魔術師という夢がある。
そしてもう一つの現実として、許嫁が居る。
「許嫁が居るのは存じております。ですが……」
ゲイルは、言いにくそうに言葉を探していた。
だがそのとき、招かれざる闖入者が来た。
「お兄さま、今、よろしいですか?」
★☆★
扉から勝手に入ってきたのは、ゲイルと似た栗色の髪の女だった。違うのは豊かな髪、豊かな胸、そして愛くるしい目だ。髪は同じだが兄妹で雰囲気が全く違うことに今更ながら驚く。
その女は外行きの黄色いドレスを身に纏い、今から行楽でも行くかのような上機嫌だった。忘れるはずもない……というか、先週ごろに会ったばかりだ。
「クリス……」
「5日ぶりねエルカ。……あなた、また朝寝坊してたわね、お遊びが過ぎるんじゃないの?」
「あんたこそ何よその格好は。ここではローブこそ正装よ」
「クリス、たとえお前の友人と兄と言えど、話し合いをしてる最中に割り込むなど貴族にあるまじき行いだぞ」
ゲイルの眉間に皺が寄る。身内に厳しいタイプかしらね。
「それと……トマス、居るんだろう。出てこい」
「いやあすまんすまん……どうしても止められなくってな」
ひょいと軽やかな調子で、扉の影から男が入ってきた。
黒髪の偉丈夫だが、重苦しい印象のない爽やかな顔。ゲイルと同じく詰め襟だが、ボタンを開け、下に着た刺繍入りの瀟洒なシャツを見せびらかしている。ゲイルとは違ってどっしりとはしていないが、偉丈夫らしからぬ気さくさが感じられる。
「まったく……」
ゲイルは額に手を当てて悩ましげな溜息を付き、ちらりと私の方を見た。
……それは、哀れみの目だ。
「トマス、自分で言え。それがお前の筋だ」
「わかってる、だから来たんだ」
「トマス様……」
社交界の婦女子達の憧れの的、トマス=アーヴィング。戦地では単騎でトロールを狩る勇者にして、社交界では浮名が飛び交う伊達男。魔術都市バロルの社交界でこの人の名を知らぬものは居ない。
そして何より……私の婚約者。
10歳は違うし夜会での逢瀬などしたことも無いが、それでも婚約者どうしとしてそれなりの付き合いはあった。決して悪い男ではなかった。はずだ。
「その、なんだ……家の決定でな、君とは婚約破棄になった」
「……そう……ですか……」
冷静に考えれば、それが当然だろう。
私がクリュセイス家の唯一の子でも無い限り、私と結婚するメリットなど何もない。しかもバルマス様のお子ならともかく養子に過ぎないのだ。クリュセイス家が断絶となった以上、別の貴族からの誘いが舞い込んでくるのが当然であった。
「すまない、俺も次期伯爵家の当主として選り好みはできない」
「い、いえ……このような出来事があった以上は……仕方ないことと、思います」
気まずい沈黙が降りた。トマスも二の句が継げないでいるし、わたしも何と言って良いかわからない。ここで駄々をこねて、何があるというのか。そこに愛はあったとは言わない。情けはあったとは思う。だから、美辞麗句を重ねるのもできなかった。
この沈黙を破ったのは、ゲイルだった。
「それで……我が家としては君を養子に迎え入れる用意がある」
「えっ?」
この人マジ天使。天使じゃなかった、騎士様だ。ごめんなさいクリス、あなたのこと誤解してたわ。陰険な性悪と思ってたこと、謝る。もし手ぶらで宙ぶらりんになっていたら私は貴族ですら無く、学校からも放逐される可能性は少なくない。それを思えば険悪な友人にひたすら頭を下げるくらいの屈辱は甘んじて受け入れよう。
「……そ、それは本当ですか? 私のような者を……」
だが、ゲイルはひたすら難しい顔をしていた。
「その前に、だ……。どうしても言わねばならないことがある」
「はあ……なんでしょう?」
「君がトマスとの婚約破棄に合意すれば、その瞬間から妹クリスとトマスとの婚約が成立する」
「…………は?」
思わず素の声が出た。
見ると、トマスは罰が悪そうに視線を彷徨わせ、クリスは……クリスは……。
このクソ女、うつむいてるふりして笑いをかみこらえていやがる。
「あっ、あなたの婚約者を奪い取ることになっただなんて……こんな悲しい運命……つらくて、つらくて、でもわたしにはどうしようも……うっ……」
クリスは背中を向けぶるぶると震わせて、嗚咽した。
こんな態度でごまかされるとでも思っているのか。
「あんた演技がヘタクソになったわねぇ、子供の頃の方が遥かにマシだったわ」
ぴくり、とクリスは嗚咽を止めた。
「あんた昔から歌もダンスも才能なかったものねぇ、おかあさまのお世辞を本気にした時は可哀想になったわ」
「可哀想……? っふふ……いまのあなたが、わたしを、可哀想って言えるの?」
クリスは、ゆらりと幽鬼のように振り向く。
「そっくりそのまま返すわ。あなた子供の頃はあんなに魔法の才能があって8歳で初めて入学が認められたってのに、今じゃ留年して追い抜かれちゃって……。本当にどうしちゃったのかしらねえ? 神童も大人になればただの人っていうけれど、ただの人より下に落ちぶれる人のほうが多いと思わない?」
「あら久しぶりにケンカする? あなた私にケンカで勝ったことある?」
「やだ怖いわ」
男二人は私達の素の様子にドン引きしている。
そうだろう、だが私には失うものはないがこのクソ女にはあるはずだ。
言うだけ言って恥かかせてやる――という、自分でも酷い思考に陥っていた。
「言っておきますけど、トマス様のお父上……アーヴィング家のご当主様には、あなたの行状は伝わっております。ここで無駄に騒ぐとあなたの恥になりますわよ。そのときはご当主様から学長にもお話が伝わるでしょうね。学校に居られるかしら?」
「そういえば告げ口だけは上手かったわねあんた。ちゃんと長所が残ってて見なおしたわ」
「お褒めにお預かり光栄ですわ」
よし、そのケンカ買った。
「そ、その、父は浅慮にも君の婚約者を妹にあてがうような真似をしたが! ひとまず考えなおさせよう! クリス! トマス! お前もこんな馬鹿な話に本気で乗るつもりか!」
ゲイルが荒声をあげ、二人にすがるような目で見る。意外と脆そうなところがあるのね、この人。トマスは弱り切ったような顔のまま、頭をかく。
「お前の親父さんの気持ちはわからんが、ウチは親父もお袋も乗り気なんだよ。ウェーバー家の方が付き合いやすいってのもあってな。すまん」
「お兄さま! 私の婚約を祝福なさらないのですか!」
「その前に人としての道義を守れと言ってるのだ馬鹿者が!」
「いえ、お気になさらず。婚約破棄の話は理解致しました」
「そ、そうか……?」
ゲイルは、意外そうな目でわたしを見つめる。
「トマス、あれを出せ。持ってきたんだろう?」
「ああ……」
トマスは重そうな布の袋を取り出して床においた。
「下手に机の上に置くと机が壊れそうでな、すまん」
「手切れ金というわけですね」
「それと、我が家からの詫び料だ」
ゲイルがもう一袋を取り出してこれもまた床においた。
「こんなことになって、本当に申し訳無く思います。……私個人だけでなく、ウェーバー家としても公式な謝罪は改めてしましょう。今はまず、気持ちを落ち着けてこれからのことを考えるというのはいかがでしょうか」
「養子のお話については、申し訳ございません、これ以上お世話になることはできません」
「良いのですか?」
などと尋ねつつ、ゲイルは諦めた様子だった。
少なくともわたしは、婚約者を奪った女の実家で暮らせるほど呑気ではない。
「手切れ金も詫料も頂戴いたします。私が頂けるのはそこまでで、これ以上のお情けは不要です。お帰りはあちらですわ」
あっさりと話が終わったことに、ゲイル、トマス、クリスは所在無く困惑している様子だった。
馬鹿め。
今、私が隙を見せている内にか帰るか襲うすれば良いものを。
あーあ、剣をちゃーんと手入れしておいて良かった。
「お帰りはあちらですと申し上げましたが」
ちゃんとベッドからすぐ取れる場所においておくのが貴族のたしなみよね。
「無事に帰してやるとは一言も申し上げておりませんよ」